小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

言葉の前にくるもの

2017年05月21日 02時37分23秒 | 日記
2013年9月1日(日)(5歳5か月)
 
 
 合宿2日目は午前中いっぱいプログラムがあるのだけども、
僕たちは朝一番に合宿所を後にした。
 
 なぜなら、今日の午後から関西ヒッポの交流報告会がある
からだ。
 
 この夏に海外ホームステイに行ってきたこどもたちが体験を
報告してくれる会だ。
 
 りえがアメリカ交流に行ってきているから参加しないと、という
わけで合宿も惜しいけど関西に帰る。
 
 
 交流報告会も終わり、家に帰ってからの春奈はやたら饒舌
だった。
 
 広島合宿での体験を僕たち家族にいっぱい話す。
 
 合宿で知り合った同年代の子や小学生の子とこんなことをした、
あんなことを話した、など。
 
 今日の交流報告会の感想は何も言わない・・・。
 
 まあ、いいか。
 
 合宿が楽しかったのなら、それだけでも広島まで行った甲斐が
あったってものだろう。
 
 それに春奈の話は核心をついていると思う。
 
 僕たちは多言語活動、早い話しがいろんな国の言葉の習得を
やっているわけだけど、言葉というものは人とのコミュニケーションの
ために存在する。
 
 それなのに、日本の語学教育は、どちらかと言えば言葉の習得
のみの重点を置く。
 
 そこでは間違いは許されない。
 
 だけど、言い切ってしまうけど、間違った単語を口にしようが、
文法的におかしかろうが、相手と通じ合えばすべてOKなのだ。
 
 初めて会った人とでもその場で交流をする。
 
 これから始まり、その次になって言葉が登場する。
 
 「まあ、いいか」と言うのは、春奈がその部分を広島でやってきた
からだ。