小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

普通に入ってるから

2014年08月31日 02時04分52秒 | 日記
2011年11月7日(月)(3歳7か月)


 今日もまた、いつものように春奈を風呂に入れる。

 湯船の中に手を入れてみると、いつもより少し熱い
ような気がする。

 一応、温度設定はしているから、普段と変わりは
ないはずだけど、何しろまだ3歳の春奈は熱めのお湯
が苦手である。

 「今日の風呂、何か熱いな。はる、入れるか?」

と、心配して訊いてみると、春奈、平然とお湯につか
りながら、

 「熱いけど、みんな普通に入ってるからな」

 普通に入ってる、ときたか。普通に○○してる、と
いう言い方もゲットして。

 最近いろんな言い方をするようになってきた。

 少々熱くてもみんなが入っているなら自分も入れる、
というのも、みんなと同じことをしようとする本能み
たいなものが働いているのか???
 

230 日置氏と出雲①

2014年08月31日 02時01分06秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生230


 この日置氏の方位による配置は、実のところ丹波にも及んでいることに
注目しなければなりません。
 伊勢国多気郡が伊勢の日置氏の本拠だと思われるのに対し、丹波の日置氏
の本拠は丹波国多紀郡だったと思われるのです。
 そのように言うのも、「丹波国多紀郡司案」に、
 「国老 日置公
  検校 日置公 権大領日置公」
と、あるからなのですが、丹波の多紀郡(現在の篠山市)は、伊勢と出雲を
結ぶ線上に位置するのです。

 伊勢と日置氏の関係はここまで見てきたとおりなのですが、それでは出雲
はどのように関係しているのでしょうか?
 まず日置氏に関わる地名について考えてみたいと思います。
 伊勢の日置氏が伊勢国多気郡、丹波の日置氏が丹波国多紀郡。ともにタキ
ですから、このタキは日置氏に関わる地名だと考えられます。
 では、そのタキとは何を意味するのか、ということですが。
それは、日置氏が、天御梶日女命(アメノミカジヒメノミコト)と同神とさ
れる天甕津日女命(アメノミカツヒメノミコト=阿麻乃弥加都比女とも)の
祭祀に日置氏が関わっていたことに関係するのかもしれません。
 と、言うのも、『出雲国風土記』の楯縫郡の条に、

 「阿遅須枳高日子命(アヂスキタカヒコノミコト)の后天御梶日女命、多久
の村に来まして多伎都比古命(タギツヒコノミコト)を産みたまいき」

と、いうものがあり、アメノミカジヒメの子に多伎都比古命からきているのか
もしれないのです。この名前の中にある「都(つ)」が古代日本語で「~の」を
意味する「つ」であれば、この神の名は、「多伎の男神」の意味なるからです。

 さて、日置氏がこの女神の祭祀に関わっていた、と言うのは、これまでに何度
か紹介した「尾張国風土記逸文」とされる、次の神話からです。

 垂仁天皇の御子ホムツワケ(品津別)は7歳になっても言葉を話すことはな
かった。
 ある時皇后の夢に神が現れ、
 「吾は多具の国の神、名を阿麻乃弥加都比女(アマノミカツヒメ)という。吾を
祀れば皇子の口はきけるようになり、長寿を得るであろう」
と、お告げがあったので、天皇は神を占う者をも求めた。そして、日置部の始祖
建岡君(たけおかのきみ)が占うことになった。
 建岡君は美濃国の花鹿山に登ると、賢樹(註:榊のことか)の枝で縵(かずら=髪
に冠する髪飾り)を作ると、
 「吾の縵が落ちたところに神あり」
と、言って投げた。そうして、縵の落ちたところに神の社を建てた。
 それが由来となって縵の里という。今は訛って阿豆良(あづら)という。

 ここに日置部の始祖建岡君なる人物が登場するからです。
 しかし、そうなると、今度は日置氏について見過ごせない点が2つ出てきます。
 ひとつは、アメノミカジヒメが葛城のアヂシキタカヒコネの妻であることから、
日置氏もまた葛城とつながる、ということ。
 もうひとつは、「尾張国風土記逸文」の伝承がホムチワケ伝承を語る内容であり、
『古事記』では、皇子の口がきけないのは出雲大神の祟りで、ホムチワケが出雲を
訪問することで問題が解決する、というものになっていることです。
 それにアヂスキタカヒコネも、『古事記』では大国主の御子神と記されているの
です。


ちょっと使い方が変

2014年08月30日 02時28分23秒 | 日記
2011年11月6日(日)(3歳7か月)


 みんたが主催する北野田ファミリーの講演会が近づいているから、
今日は家族全員で講演会のチラシをポスティング。

 目的地に自転車を停めて、みんなで歩く。途中で雨がポツリポツリ。

 ちょっと様子見しようか、と自転車に戻ると、

 「あ」

 りえが自転車のかごにチラシの束いくつかを置きっぱなし。

 急いで確認すると運よく雨にかかってはいなかった。

 「濡れてないみたいやな。よかった」

と、僕が言うと、りえが、

 「ハッピーエンドやな」

 「何が?」

 「濡れてなくてハッピーエンド」

 それを言うなら結果オーライやろ」

 「何それ?発車オーライなら知ってる」

 うーん、ハッピーエンドをそういう意味に使っていたのかよ。



 夜、春奈が和室で布団を広げている。布団を敷こうとしているの
か、と思いつつ、

 「何してるん?」

と、声をかけると、

 「明らかにふとん敷くの」

 春奈、「明らかに」の使い方間違ってるよ。

 あーそうか、「明らかに○○してる」とかよく耳にして、それを
使ったのか。

昼も夜も

2014年08月29日 04時03分52秒 | 日記
2011年11月5日(土)(3歳7か月)


 春奈がテーブルで何やら書いている。

 のぞき込んで見ると、例の春奈文字だ。

 つまり、春奈が作り出した、「<」や「>」などを組み合した
文字、と言うよりは字を書くことのマネっこをする中で文字その
ものまでもがマネっこしていしまっているものだ。

 ところが、今のぞいて見てみると・・・。

 その春奈文字がまた進化している。文字自体は前と変わらない
けど、配置がきれいに並ぶようになって、パッと見たところ、アラ
ビア語かヒンディ語、もしくはタイ語の文字かと思ってしまう。

 「何て書いてあるん?」

と、僕が訊くと、

 「昼間も夜も寝ていたい」

 お前は新生児か、と、言おうと思ったら、それよりも先に春奈
が言った。

 「お父さんが言ってた」

 そう言えばこないだの11月3日の文化の日の時に、そんなこ
とを言った気がする。

 春奈はそれを手紙にしてあげた、というつもりらしい。

 めったなことを春奈の前で言えない。


みミカン

2014年08月28日 01時18分57秒 | 日記
2011年11月4日(金)(3歳7か月)


 春奈が、みんたに、

 「みみかん食べる」

と、みかんをねだる。

 「みかん、やろ?」

と、みんたが言う。

 しかし、みかんが「みみかん」になるのはどういうわけだろう?

 まさか「御(み)みかん」ではないだろうけど。 

 「御御御付け(おみおつけ)じゃあるまいし。

 「おミカン」の間違いなんか?


 春奈がみかんを食べているのを見て、ゆうきも食べたくなってカゴ
からみかんを取った。

 すると、春奈、ゆうきに向かって、

 「みかん食べすぎたら黄色くなるで」

 それ、春奈がすぐにみかんをほしがるから、みんたがよく春奈に言っ
ている言葉だ。

 自分が言われていることはすぐにマネをして他の人に使いたがる。

 言葉が育っていく過程によく見られることだ。

 と言うか、そうやって乳幼児は言葉を増やしてくわけだけど。