サッカー日誌 / 2013年09月16日


不毛の新潟がサッカーの県へ


新潟県サッカー協会創立65周年(上)
(9月14日 ホテルオークラ新潟)

★盛大な記念式典と講演会
 新潟県サッカー協会創立65周年の記念行事に招かれて出かけた。
 新潟でいちばん高級なホテルで記念式典、講演会、パーティーがあった。「こんなにお金をかけていいのかな?」と心配になるほど豪華で盛大な行事だった。
 式典で多くの功労者の表彰があった。県外の人もたくさん含まれていた。日本サッカー協会副会長の田嶋幸三、高校サッカーの名監督だった松本暁司、古沼貞雄、小嶺忠敏さんなどが出席されて表彰状、感謝状を受け取った。こういう方々のご指導を受けて現在の新潟のサッカーがある。
 ぼくは新潟出身だから「お客様」のつもりでいるべきじゃない。受付の手伝いでもして旧知の県外の来賓を出迎えるべきところではないかと思ったが、超後期高齢者の年齢に免じてもらって、赤い造花を胸につけて、おとなしく座らせていただいた。

★戦後、昭和24年に発足
 新潟にサッカー協会ができたのは1949年(昭和24年)である。当時は「新潟蹴球協会」という名称だった。加盟は6チームだった。
 戦後、47都道府県のなかで11県に「蹴球協会」がなかったという。「サッカー不毛の県」の一つだった。
 65年後のいま、新潟はJ1でアルビレックス新潟、なでしこリーグでレディーズが活躍している。
 サポーターはビッグスワンを埋めている。
 加盟は500チームを超え、登録プレーヤーは1万5千人に達している。地元開催の2009年第64回国民体育大会ではサッカー競技部門で総合優勝した。
 日本代表も育った。サムライ・ブルーでは神田勝夫、酒井高徳、なでしこでは川村優里、身障者の日本代表では大橋佳介が新潟育ちである。
 いまや日本有数の「サッカー県」である。

★国体移入選手の功績
 現在の隆盛の基盤になったのは、1964年(昭和39)年の最初の新潟国体である。このとき新潟は天皇、皇后両杯をとるために、なりふりかまわぬ選手強化をした。
 手っ取り早い方法が県外からの選手移入だった。
 前年の岐阜国体も東京などからの移入選手で天皇杯をとった。その選手たちが大挙、新潟へ移ってきた。国体開催地を渡り歩くので新聞で「ジプシー選手」と叩かれた。
 新潟のサッのカーでは、主として高校の先生に選手を採用して「教員の部」を補強した。
 ほかのスポーツもジプシー選手に頼ったのだが、多くは新潟国体が終わると他の都県に再流出した。
 しかしサッカーでは新潟に居残った教員選手がいた。
 その一人が現新潟県サッカー協会会長の沢村哲郎さんである。沢村先生のバイタリティーと政治力が、新潟のサッカーを隆盛に導いた一因であるのは確かである。


式典で挨拶する沢村会長

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (代表にお仕着せの愛称は必要か?)
2013-09-16 23:54:42
男子日本代表を「サムライブルー」というのは違和感があります。

アズーリやオールブラックスではない商業ベース有木のお仕着せなのですから。
 
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