サッカー日誌 / 2011年12月27日


北朝鮮とサッカー(上)


映画『奇跡のイレブン』を見て

サロン2002月例会兼忘年会
(12月17日 渋谷「いなば」)

★ワールドカップ1966
 「サロン2002」の忘年会で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のサッカーについての映画を見た。英国で作られた映画『奇跡のイレブン』(The Game of Their Lives)である。2002年制作で、日本でも劇場公開され、DVDも販売されている。
 1966年のワールドカップ・イングランド大会に北朝鮮が初めて参加し、優勝候補のイタリアを破る番狂わせを起こした。その話がテーマである。
 北朝鮮のグループリーグの試合はミドルスバラで行われた。ミドルスバラの市民たちは北朝鮮チームを温かく歓迎した。一方、北朝鮮の選手たちは、人びとに礼儀正しく、にこやかに接した。
 北朝鮮の試合ぶりと選手たちの態度が人びとを引き付け、ミドルスバラの市民たちは北朝鮮ファンになり、準々決勝に進出すると、大挙してロンドンまで応援に出かけた。 

★思い込みを正す
 東西冷戦の時代である。しかし、東側の北朝鮮を西側の英国の市民は敵視したりはしなかった。また、北朝鮮チームの態度は閉鎖的ではなかった。選手たちが自由主義の空気に染まらないようにホテルに閉じ籠ったりはしなかった。そういう話が描かれている。
 試合の映像も使われている。それを見て、当時の北朝鮮のサッカーについて持っていたイメージが変わった。
 そのころ、イングランドに見に行った人の報告や外国通信社の報道を通じて、北朝鮮チームは、疲れを知らずに走り回り、スピードと労働量で勝負したように思っていた。
 ところが映像を見ると北朝鮮の選手たちはテクニックもしっかりしており、戦術的な動きも当時としては進んでいたようである。
 映画の描き方が正しいかどうかはともかく、ぼくの思いこみを正すものはあった。

★国旗と国名の問題
 そのころ英国は北朝鮮と国交がなかった。そのために「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称を使うことと国旗を掲げることに英国政府としては問題があった。
 名称については「ノース・コリア」とすることを朝鮮側が了承し、国旗を掲げることは英国政府が黙認した。その事情も紹介されている。これは、ぼくにとっては新知識だった。
 大会から30年以上たって撮影取材班がピョンヤン(平壌)に入って、当時の選手たちにインタビューした。その映像も組み込まれている。その説明で「選手たちが、外国の取材班のインタビューを受けるのは初めて」というナレーションがあった。
 これは違う。ぼくは1972年に北朝鮮に行き、パク・ドイク(朴斗翼)選手たちにインタビューしている。その時の事情を改めて書き残しておくべきではないか? それは、サッカー史に対する、ぼくの義務ではないかとも思った。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« トヨタ・クラ... 北朝鮮とサッ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.