サッカー日誌 / 2011年09月19日


クラマーさんを招いて公開研究会


日本サッカー史研究会9月例会
(9月13日 東京・JFAハウス会議室)

★日独修好史とクラマー革命
 日本サッカー協会が、創立90周年記念パーティーに、ドイツからデットマール・クラマーさんを招いた。それに便乗させてもらって、パーティーの翌日、クラマーさんを招いてサッカー史研究会を開いた。毎月1度の割合で開いている月例研究会を公開の形にしたのである。
 クラマーさんが日本のサッカーを指導し始めたのは1960年である。2011年は50周年になる。日本サッカー協会が創立されてから現在までの歴史のうち、クラマーさんによる改革以後が半分以上になるわけである。
 また、2011年は日独修好150周年になる。その間に日本とドイツの交流に貢献した人は、医学や音楽など、いろいろな分野にたくさんいる。そのなかでも、スポーツの分野でのクラマーさんの貢献は屈指のものではないだろうか?

★成功のあとにこそ、未来を考えよう
 今回は、クラマーさんに質問をする会にしたいと思って準備していたのだが、クラマーさんの方は話したいことをいろいろ持っていて、話し始めたら止まらない。1時間半の予定を40分も延ばしてもらったが、結局、クラマーさんの独演会に近い形になった。
 いろいろな話が出たが、クラマーさんがもっとも言いたかったのは「成功したあとにこそ、未来を考えよう」ということだった。
 ドイツで開かれた女子ワールドカップで「なでしこJapan」が優勝したのを、クラマーさんも評価し、喜んでいる。しかし、そこで停まっていては、たちまち世界に置いていかれる。Jリーグが成功しているからと言って、現在のやり方を続けて行けば衰退は免れない。
 「試合終了の笛は、次の試合への準備の合図だ」というのは、有名なクラマー語録の一つである。成功は次の発展のための基礎でなければならない。

★次の計画をわれわれの手で
 1964年の東京オリンピック閉会式の翌日、クラマーさんは日本を去るにあたって、日本のサッカーの未来のための「5つの提言」を残した。それが現在の発展への指針となった。
 それにならって「なでしこJapan」の成功のあとに何をすべきかを、クラマーさんに聞いて欲しいという声があった。しかし、司会のぼくは、あえて取り上げなかった。
 46年前の提言は、クラマーさんが5年にわたって日本のサッカーを指導したあと、その体験を踏まえて、自分の指導を今後に生かしてもらうためにアドバイスしたものである。
 「私は日本の女子サッカーについては知らないし、責任を持つべき立場にもない。日本のサッカーの今後の計画は、日本の皆さんが自分で考えるべきだろう」
 かりに、ぼくが質問を取り次いだら、クラマーさんは、こう答えるのではないかと推測した。日本の未来への計画は、われわれの手で立てることにしよう。







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