旅の記録

てくてくてく・・・今、どこ?

欧州鉄道の旅  (9・10)フュッセン・シュツットガルト・マインツ

2011-10-31 09:45:46 | Weblog
12日目を迎えた今回の鉄道の旅も写真無しでは面白くない。それだけではなく記憶も
おぼろげになってきている。手元のメモを見ながら、お城を見学したあとのライン川の
船下りの乗船場があるマインツへの移動をまとめて記す事にする。


(9)フュッセン・シュツットガルト
(10)シュツットガルト・マインツ

9月20日(火)5時半起床。時計代わりのテレビでは4~9℃との気温。やはり寒い。
予約のタクシーで7時40分ホテル発。10分で駅に到着。フュッセン到着時のタクシー
代は12.40ユーロ。今日は迎えに来て貰って10.20ユーロ。フュッセン駅には
アウグスブルク行きとだけ書いてある表示板だけで、果たしてマインツ迄行くにはどこ
で乗り換えれば良いのか、駅員もいない。何しろ改札口がないのである。運転手が終点の
アウグスブルク迄行き、そこでマインツ行きに乗れば良いと教えてくれた。有難い。
出発前日本で調べた列車のフュッセン出発は8:15分であったが、列車が入ってきた
のが8時少し前。乗込むと8時5分何事もなかったかのように音も無く(車内放送)動き
出す。それにしても、運転手と駅に向かう途中話しをした事が良かったのだろう。親切に
車から降りて来て教えて呉れてほっとした。1両の車両の内2/3が2等で残りが1等で
ある。座席は変わらない。ただ1等の方が1段高く、仕切りはあった。
1等の車両はその1車両だけで他に2等車が3車両あった。

アウグスブルクで乗り換え。当初はマインツへ直行する予定でいたが、アウグスブルク
のインフォーメイションで聞くとシュツットガルトで乗換え、フランクルフトへ行き
そこからマインツへ行く事も出来るとの事。つまりシュツットガルトの先でルートが
Y字型になっており1方はフランクフルト、もう1方はマインツへ行くルートになって
いる。カメラを買わなければならないので、シュツットガルトへ行き、カメラを買う事に
する。予定より20分遅れで乗り継ぎが出来、12時01分シュツットガルト到着。
12時50分ベルリン行きの列車があるとの事。出発までの時間に軽食のランチを食べ、
電気屋に行く。カメラの事が頭から離れず、詳しい事など考えずにカメラを買う。
メイド・イン・イングランドのキャノン製デジカメを買う。仕様はすべてEU仕様。
日本語の表示にはなったが今迄のカメラと勝手が違うが致し方ない。

 12:51 ベルリン行きのICE(ドイツ版新幹線)に乗る。フランクフルトにて乗換。
 15:25 マインツ到着(Sバーン)。
 15:40 ホテルチェックイン
 
ここは個人旅行のつらい所。明日までに船下りの情報を得て無事に船に乗込まねばなら
ない。駅前のホテルにチェックイン後、バスで船乗り場に行くべく近くのインフォメー
ションに行く。教えて貰った各乗り場の上にはアルファベットが書いてあり、バスの番号
がその下に沢山書いてある。しかしどこにも教えて貰った番号は無い。Eの60番という
乗り場である。E表示の看板以外にも探したが無い。またインフォメーションに戻り違う
係員に聞いた。やはり目的地は「E」の60番のほか、54番、57番も行くとの事。
「E」の所には60番は無いと言うと、手書きで「I」と書いて呉れてやっと先ほどの係員
の情報も正しいと思った。英語で説明しておきながら、アルファベットの所はドイツ語では
こちらは混乱する。どちらも発音は「イー」である。「I」の所へ行くと60番はあった。
これで時間を取られたが、何とか乗り場を探し当てほっとし、6時乗り場より帰る。
ホテル前のオープンテラスとでもいうのか、すっかり気に入った屋外でビールを飲みながら
夕食を取る。無事に船下りのマインツまで来る事が出来た。いよいよ明日は今回の旅行の
最後に近いライン川の船下りである。

欧州鉄道の旅  (8)フュッセン・お城見学

2011-10-28 09:59:39 | Weblog

今日9月19日はミュンヘンよりフュッセンという南ドイツの小さな町にある古城を見学する日で
ある。ミュンヘン駅28番線の8:52分発フュッセン行きに乗る。発車ベルもなく静かに走り
出す。定刻10時53分フュッセン着。今回の旅行で初めてタクシーに乗りホテルへ。それだけ
町が小さいという事である。荷物を預け、入場券を手に入れなければならない。チケットセンター
はホテル隣にあり、予約はネットでしてあったので入場時間を1時間早めて貰った。当日券売り場
には長い列が出来ていた。

この町は小さいがここにあるホーエンシュヴァンガウ、ノイシュヴァンシュタイン城というお城を
見学する人が大勢訪れる町で賑わう。残念ながらカメラは使えなくなり、今思えばミュンヘンで
カメラを買っておけばよかったが、昨日のニンフェンブルク城の見学を終えるまで写真を撮っていた
ので、カメラを買うという事に頭が廻らなかった。この町にはカメラ屋はない。大分写っていなかった
のがあり、レジデンツ宮殿の豪華な内部の部屋やニンフェンブルク城の2階から撮った宮殿前の
西洋庭園も残念ながら写っていなかった。

城の形だけでもと、手元の入場券やパンフレットを写したものが上の写真である。上の部分の右側
馬の絵のマークの左側部分がホーエンシュヴァンガウ城で、その左の通りを隔てた城がノイシュ
ヴァンシュタイン城である。下の入場券はその逆になっているが一応形だけは分かって頂けると思う。
この日も弱い小雨であったが、生憎の天気であった。馬の絵は馬車で、城入口まで坂になっており、
ホーエンシュバンガウ城入口まで4オイロで、下りは2オイロであった。Euro(ユーロ)は
ドイツ語でオイロと発音する。御者のお爺さんは人の良い結構なお歳の老人でユーロとは言わな
かった。

ノイシュヴァンシュタイン城はルートヴッヒⅡが建てた城で作曲家リヒャルト・ワーグナーの
パトロンとしてオペラにとりつかれた王がオペラの名場面を城内の壁画に描かせている。城の
名も王とワーグナーのなれそめとなった「ローエングリン」の白鳥伝説に由来している。これら
の解説は日本語のイヤフォンがあるので良く分かる。ホーエンシュヴァンガウ城を見学している
と、遠くのノイシュヴァンシュタイン城の方角に雪が降っていた。寒いので雪になったのであろう。

このフュッセンの近くには、ガルミッシュパルテンキルヘン(ドイツ)やインスブルック(オースト
リア)、サン・モリッツ(スイス)など冬のオリンピックが開かれた都市が多く固まっている。

明日の朝のタクシーを予約。終日小雨の寒い一日で早めにベッドに入った。
(次回は31日に投稿します)



欧州鉄道の旅  (7)ミュンヘン・オクトーバーフェスト『3』

2011-10-26 09:53:41 | Weblog

昨日は天気が良く多くの人達が飲み、食べ祭りを楽しんでいるのを見、また我々も地元の人との
交流もささやかながらあり、フェストを楽しむ事が出来た。
しかし残念ながら今日は雨である。昨日カメラが壊れ、まだこの先旅程がありこれからどうする
かちょっと心配だがミュンヘンはオクトーバーフェストだけではない。見るべき所があると、
雨の中出掛けた。レジデンツ宮殿を見ようとUバーンのオデオン広場駅で下車。地上に出ると
レジデンツ宮殿前でもパレードが行われていた。オクトーバーフェストはいわゆるテレー
ジエンヴィーゼと言われる会場だけで行われている訳ではなく、2日目はこの行進が行われる
のである。壊れていたと思ったカメラもまだ写せるようでそれで撮った写真が今日アップした
写真である。

パレードは番号が書いてあるプラカードを持った少年を先頭に、その地方(郡か町か村)の旗、
鼓笛隊や金管楽器のブラスバンド。そして2頭立てから大きな所は10頭立てまでそれぞれ
馬車に着飾った男女を乗せた馬車が続く。馬車は幕できれいに飾ってある。ビヤ樽を乗せたのや
ホップでアーチを作って飾った馬車もある。その後ろにまたナポレオン帽やロビンフッド帽
などを被る半ズボンの男たち、エプロンドレスの女性など40~50人が行進する。鉄砲や
農具、洋弓など思い思いのものを担いで、みな寒い中堂々と行進している。
番号は60番まであった。この60組の更新が延々と続く。60組全体で8000人ほどの
人数になるという。9時過ぎから始まり終わったのは12時10分であった。写真も何とか
撮れているようであった。

テーブルを囲んでビールを飲みながら走っているグループもいて、お祭りらしい感じである。



本当に天気が良ければ行進する方ももっと良い演奏が出来ただろうに。雨の中、楽譜を挟んだ
金属製の挟みがうまく立たず、何度も起こそうとしながら行進している。見る方も晴れていた
方が勿論良いが中止にしない所が我々観光客には良かった。

パレード終了後、カメラも寒さの為かヒビが入ったようになり、レジデンツ宮殿やニフェンブルク
宮殿などを見て廻ったが、残念ながら写真は撮れていなかった。上はレジデンツ宮殿の内庭。

欧州鉄道の旅  (7)ミュンヘン・オクトーバーフェスト『2』

2011-10-24 09:27:38 | Weblog

各ビール醸造メーカーの馬車が着飾った人達を乗せて会場へ入ってきた。いよいよ201年目の
オクオ-バーフェストの開幕である。天気も良い。沢山の人出で賑わっていた。

妻とは離れて写真を撮るため観衆の最前列でカメラを構える。みんなパチ、パチとシャッター
を切る。私の横にはビンビールを片手にもう意気が上がっている人がいた。イングランドから
やって来たと言っていた。ひとしきり写真を撮った後やはりビールを飲みたくなる。という
よりこう日差しが強いと喉が渇く。しかしテントへの入場は出来ない。でもそんな人は沢山
いるのだ。結構通りでグラス(正確には瓶ビール)を傾けている人がいる。自分で持ち込んだ
人達だろう。誰でも買える所へいったが、11時を過ぎないと売らないという。仕方なく時間を
待つ。

馬車に乗った人達も記念の写真を撮っている。正装は女性はエプロンドレス、男性はバックスキン
の半ズボンに上はめいめい好みのスタイル。それに多くの男性は帽子も被る。

グラスは0.5Lか1Lのグラスでデポジットを払い、グラスは持って帰っても良い。勿論返せば
お金は返してくれる。だから売り場はビールを買う人とグラスを返す人でごった返していた。我々が
ビールを買った所は立ち飲みで肘が付ける高さに丸いテーブルというより肘かけがあり、真ん中の穴
には日よけの傘が立っている。そこは一杯で通りに出て座る所を探す。

飲兵衛ばかりが集う所だけではなく、子供も遊べる場所もある。子供から大人まで一日中楽しく
過ごせるお祭りである。入場料は無料。座る所を見つけてやっと腰を下ろせた。隣に一人ビールも
飲まず座っている御婦人がいたので暫く話しをする。娘さんと待ち合わせているとの事。娘さんは
38歳で、独身。メデイア関係の仕事をしているらしい。どこの国も結婚しない一人身の人がいる
ものと思った。土産を買ったり写真を撮って帰る途中、そんなに酔ってはいなかったが、石畳に
ちょっとつまずいてカメラケースからカメラが飛び出して落としてしまった。どうやら駄目だろう。
4時前に木陰で休み、6:20分にホテルに帰る。テレビでフェストのパレードをやっていた。
かなり長い時間やっていたので、途中で寝る。

欧州鉄道の旅 (7)ミュンヘン・オクトーバーフェスト『1』

2011-10-22 09:42:42 | Weblog

9月16日夕刻ミュンヘン到着後、シュバビン地区にあるホリデイ・インにチェックイン。
明日17からは201年目のオクトーバーフェストが開かれる日だ。5月ごろの予約であったが、
フェスト会場近くのホテルは予約一杯で部屋が取れず、ちょっと離れたシュバビン地区によう
やく空きがあったので予約した。この時からすごい人出になると予想されていたので市内中心部
に行き、夕食を取りがてら情報集めに行った。何しろミュンヘン中央駅からUバーンに乗り大体の
路線は2つ目のマリエンプラーツという中心部を通るのでそこでU6に乗換えミュンクナー
フライハイトで降りトラムの23番でシュバビンノルドで降りるという経路でホテルに行きつく。
この逆の経路で中心部に行った。上の写真はマリエンプラーツにあるネオゴシック建築の新市庁舎。
ドイツ最大の仕掛け時計があり、夕方5時にも仕掛けが動く事になっており多くの観光客が見に
来ていた。32体の人形が仕掛けで動くがなんと等身大の大きさで、高さ85mの塔の約20m~
30m近く下にある人形も小さく見える。この市庁舎は1867年~1909年に建てられたものだ。


ドイツには多くのビール祭り(オクトーバーフェスト)があるが、このミュンヘンの祭りが一番
大きく海外からの観光客も来る。市庁舎まえのパラソルのあるテーブルで夕食を取っていると
隣にアメリカからバイクできたという御夫婦に会った。バイクでオクトーバーフェストを楽しんだ後、
ドイツをバイクで廻るという。
氷河特急でお世話になったご夫妻の息子さんもオクトーバーフェストに行くとあの夫妻の奥さんが
話をしてくれていた。このスイスの夫妻は今月19日から1カ月パナマにバカンスに行くと出発前に
メールが入って来た。スイス人は金持ちだがこの夫妻は会社を経営している社長さんである。




今年201年目のオクトーバーフェストを迎えると書いたが、理由は201回目ではなく、途中戦争
で中止になった年などがあり、去年200年目の記念のフェストが開かれた。今年は201年目の
フェストと言う事になる。
フェストの始まりはバイエルン王国の王太子ルードヴィッヒとテレーゼ・フォン・ザクセンとの結婚式
が201年前の1810年10月にこの会場で開催され、競馬やスポーツなどが開かれた。王太子が
毎年この地で競馬やスポーツなどを開催しようと提案し、開かれたのがオクトーバーフェストの始まりで、
一番上はミュンヘンのあるバイエルン王国の守護神ババリア像で約20mの高さがあり、会場全体
を見守っているようである。
一番下はババリア像の前の階段から会場中心の通りを撮ったもので、まだ午前9時半過ぎ位の時の
会場風景である。この通りの両側にテントと言っても常設の建物もあり、1万人が入れる建物が
あったりして広い。10以上はあるテントの他、ジェットコースターや射的、お化け屋敷、メリー
ゴーランド、ビッグスピン(大きな乗り物で大きく回転する)等々また土産物屋などがあり、我々は
夕方帰ったが、夜11時までやっており、電飾が綺麗である(絵葉書を買った)。

欧州鉄道の旅  (6)チューリッヒ~ミュンヘン

2011-10-20 10:30:38 | Weblog

今回の目的の一つはミュンヘンでオクトーバーフェストに行き、一緒に楽しむというもので、
9月17日(土)から始まる。期間中に650万人の人々が集まると言うので、前日は恐らく
列車も混むのではないかとチューリッヒを発つときに座席を予約していた。シュツットガルト
に行き、乗換えてミュンヘンに入るルートである。
写真のように改札が無い事は何度も書いたが、御覧のように18番線の隣は自動車が走って
いる所。横からホームに入って来て列車に乗る事は容易である。日本人にはなんとも理解
し難い光景である。


自転車も列車の中に持ち込む事が出来る。そのようなスペースが確保してあるので旅先から
自転車でサイクリングしたい場合はこのように持って行くことが出来る。自転車は、フックが
ありそれに前輪を掛けて立て懸ける感じで乗せるのである。


アウグスブルク経由ミュンヘン行きに乗る。スイスからドイツへ入る時も何のチェックもない。
EU加盟国内の移動は自由であり、一つになった感じはする。定刻5分前になっても列車は
入って来ない。


シュツットガルトでミュンヘン往きに乗換えた際に撮ったシュツットガルト駅のホール。
余り大きくなかった。ドイツ新幹線12:12分発のICEに乗ろうとするも1stクラスは
満席であった。オクトーバーフェストのせいだろうか。仕方なく、12:53分発の指定席
の取ってあった列車に乗る。車掌が来てパスにパンチを入れる。15:14分定刻ミュンヘン
に到着。



シュツットガルト駅を出て間もなく突然目に入ってきたので、シャッターチャンスを逃した。
余り高い山などない所に滝が現れたので、真正面から撮る事が出来なかった。こんな風景に
出会うとは思ってもみなかった。

欧州鉄道の旅 (5)チューリッヒ・チューリッヒ湖畔

2011-10-18 09:54:00 | Weblog

チューリッヒ駅前通りからチューリッヒ駅を望む。チューリッヒはチューリッヒ湖、北のリマート
河が流れだす位置にあり、人口約40万、周辺人口を入れて約100万人のスイス最大の都市。
首都はベルンであるが、飛行場がある為、チューリッヒ経由多くの人がスイスへの第1歩をしるす。
この街にはレーニンやアインシュタインも住んだ事があり、商工業だけでなく、金融、文化、芸術
の都市でもある。
ヨーロッパの多くの国がユーロを採用しているが、スイスは独自路線でユーロではなくフランである。
金融業が発達しヨーロッパではロンドンに次ぐ金融センターになっている。チューリッヒの名を冠した
保険会社もあるのは御承知の通り。



チューリッヒ湖では10時発の船に乗り、各乗り場を廻る形で湖をまわり、12時にクエー橋が掛かる
船着き場に戻った。天気は相変わらず我々の味方で晴れていた。が風が冷たかった。
上の写真は大聖堂から撮ったもので、チューリッヒ湖やリマート河に掛かるクエー橋、その他ヨットが
多く係留されている。



これが大聖堂と言われるスイス最大のロマネスク様式教会で多くの人が訪れる。11世紀から12世紀
に建てられ、ステンドグラスが美しい。教会の一番上の展望室まで182段の階段があり、高さ64m。
チューリッヒの観光の目玉、大聖堂や聖母聖堂、聖ペーター教会などの教会が一望出来る。


大聖堂の内部。禁止の看板に気附かず写真を撮った。巨大なパイプオルガンが荘厳な雰囲気を
醸し出していた。



リマート河に沿って街が広がり、廻りに歴史を感じさせる古い教会や建物が建っている。古い街並みは
これがヨーロッパと感じさせる街並みである。




欧州鉄道の旅  サン・モリッツ~チューリッヒ

2011-10-16 09:09:29 | Weblog

今迄天候に恵まれていたが、今日のサン・モリッツ湖の湖面には霧が立ち込めている。外気が冷えて
きたせいだ。しかしクールからチューリッヒ間では曇って来てチューリッヒに近い湖、チューリッヒ湖
辺りまで来るとまた晴れ間が見えて来た。この区間はローカル線なのかトイレはぽっとん式で線路が
見える。今迄乗った列車はみな飛行機と同じ吸引式だったが。
スイスの田舎はどこへ行っても(と言っても行った所は限られているが)こんな風景である。山か草原
がどこまでも続いている。不思議に思うのは野菜畑が見当たらないのである。どこで野菜を栽培している
のか、結局分からなかった。雑草が生えている所など見た事もなかったのである。そんな風景もチューリ
ッヒ湖畔までくると家があちこちに見え始め、湖畔を囲む家並が美しい。昔、3年か4年に1回家の外壁
のペンキを塗り変えなければならないという事を聞いた事があった。


11:23分チューリッヒ中央駅に到着。チューリッヒはスイス最大の都市で多くの人達が
行きかっている。まず荷物を預ける。一番閉口したのは男性も女性もタバコを吸う人が多く、
駅でも喫煙は禁止されていない。大きな構内もタバコの臭いで溢れ吸わない我々は少々参って
しまう。また吸いがらをポイと捨てる為、駅自体が吸いがらや紙くずで汚れて散らかっている。
日本の駅の方がずっときれいだ。


ちょうど駅構内で市が開かれており、沢山の人達が買い物をしていた。売っているものは
野菜から肉やソーセージ、ビールその他いろんなものがあった。前にも書いたが改札が
無い為、買い物を終えてそのまま列車に乗る事が出来る。列車内で検札が来なければ
無賃乗車は出来ると思う。しかし長く住んでいれば、いつかは見つかるだろう。
私服の検札官がいるという。



トラムも便利で2時過ぎ1日乗車券を買って街に出る。車内には駅名を表示する画面があり、
車内放送は1回のみ。3つ先まで表示してあるので安心して乗っている事が出来る。このトラム
も検札に遭った事がない。日本から来るとこのようなシステムは信じられない。
駅にあるツーリストインフォーメイションにて明日の列車の件など情報を集め、両替後、構内の
レストランにてビールを飲む。マグネットや絵ハガキなど買って5時過ぎ夕食。9時前に寝る。
まだ時差の影響が残っているようだ。9月9日に日本を出発して今日は6日目9月14日である。



欧州鉄道の旅  (4)サン・モリッツ~テイラーノ・ベルニナ特急

2011-10-13 13:27:13 | Weblog

スイスの東端サン:モリッツとイタリアテイラーノを結ぶ路線。レーテイッシュ鉄道のサン・
モリッツ駅から2時間ほどでテイラーノに到着するが、ガイドブックには、沿線に広がる大迫力
のアルプスと3大氷河を間近に見られる標高差1828mのルート、とありグレーシャー・エクス
プレスより迫力ある景観が楽しめると言う事であったので、予定に組んでいた。
別に氷河特急が全線乗られないのを見越しての予定ではなかったがこの路線を予定に組んで
いて正解だった。サン・モリッツには結構日本人もいる。ツエルマットから来たかどうかは分か
らないが。
写真はホテルの側にあるサン・モリッツ湖畔。ウオーキングやジョギングには持って来いの湖で
静かな佇まいのなか、散策を楽しんでいる人たちがいた。


いきさつは定かではないが、箱根登山鉄道と姉妹鉄道の関係にある。機関車に日の丸と「箱根」
の文字が我々には新鮮であった。


世界遺産にも指定されているベルニナ特急。

ベルニナ特急の名物の一つオープンループ橋をデザイン化したポスター


オープンループ橋。標高差を克服する為360度回転する。下りが早い。100mにつき7m
下がっているとの事。時速15kmから20kmの所もあった。我々が乗った9:29分発の
列車には他には日本人はいなかった。2時間より少し遅れて12時到着。早速昼食。レストラン
もRistoranteとイタリア語になっている。風景が変わる訳でもなく、スイスフランも使える。
国境を越えた感じは全くしない。パスポートチェックもなかった。


このレストランにて昼食。2:22分発の列車でサン・モリッツへ戻った。


テイラーノにある戦争記念碑。車内放送では2000mから400まで高度を下げると
言っていた。やはり暑い。



欧州鉄道の旅 (3)ツエルマットーサン・モリッツ

2011-10-11 09:49:30 | Weblog

氷河特急は赤で表示されている列車の他に発車時刻9:00丁度の3本があり、すでに
9時の列車は発車している。我々は9:53分発の便だ。列車の横では日本人や中国人の
ツアー客が写真を撮っている。我々も自分たちの便の列車の横で写真を撮ったり、予約
していた席にテーブル・クロスが掛かってちゃんと予約の連絡が伝わっているなと確認し
時計を見ながら時間が来るのを今かと待っている。(旅行社に予約を頼んだが連絡を
取って呉れなかった。電話代の節約か何かしらないが。仕方ないのでこちらで予約をした)
最近は中国人の海外旅行が増えているのをあちこちで実感する。


全長240kmの氷河特急。特急とは言え、実際は急行である。誰が特急と訳したのか。
急行とはいっても平均時速は40kmから50km位のスピードである。山間部を通る
ので曲がりくねったり、上がったり下ったりそんなにスピードが出せないのである。
この赤い列車に乗る前、テーブルに掛けられてるテーブル・クロスが片付けられていくのを
目にした。おかしいなと思いながら乗車して出発の時間をまった。検札の係員がやって来た
ので、パスを見せた。係員はおもむろに、「昨日の雨で途中の峠で落石があり、列車が通れ
なくなった。今日の始発の氷河特急から運休している」との事。今回のスイス観光の目玉の
一つが無くなってしまってがっくり。以前脱線事故で死者がでた氷河特急の事を思い出した。
この列車に乗り込んだが途中のブリークと言う所まで氷河特急の列車で行き、その先は
通常の列車を乗り継ぎベルン、バーゼル、チューリッヒ、クールとスイスの北の方を遠廻り
するコースを走る。クールより先サン・モリッツ迄は氷河特急の列車で行く事になった。
これらの情報は後になって得た情報も多くあり、添乗員のいない我々は心細かったが、ブリ
ークで列車乗換の際に思いきって、隣の座席にいたスイス人夫妻にサン・モリッツまで行くと
言うので、ご一緒させて頂く事にした。氷河特急にのったのはツエルマットーブリーク、クール
ーサン・モリッツ間の全体の4分の1程度である。ツエルマットの駅でテーブル・クロスを剥が
していたのに合点がいった。


氷河特急の名前の元となったローヌ氷河などは見られないが、ブリークまでの1時間10分、
パノラマカーからの展望を楽しむ。最後の部分のクールからサン・モリッツへの列車で車掌
から今日はバスや列車で行ったツアー客が200人ほどいたと聞いた。
クールで氷河特急に乗換える時に、駅の係員が、我々の方を見て日本人の氷河特急の乗客と思った
のか「氷河特急は11番線」と大きな声で叫んでいたので、急いで11番線へと走った。座席
に座ってホームを見下ろすと、やはり個人の氷河特急の乗客だろうと思うが駅係員と話し合って
いるのが見えた。が、時既に遅しであった。


クール駅にはダボス会議の開かれるダボスの表示がしてあり、ここからダボスへ行くのかと
ちょっと感慨にふけった。
サン・モリッツに近い所にはらせん状の石橋ランドヴァッサー橋が見える。川床からの高さ
65mである。途中尖った尖塔の見える教会や小さな湖の見える草原などスイスらしい所は
見られた。そして冬のスポーツのメッカ、サン・モリッツへ到着。駅で今回乗車出来な
かった区間の不乗証明を貰い、ホテルに入る。サン・モリッツの湖畔にあるホテルだ。