大中臣能宣
みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
三十六歌仙の一人で、清原元輔と同じく「梨壺の五人」の一人として、『後撰和歌集』の撰集にあたった。父の頼基も三十六歌仙に入っている。
歌人として非常に高名であったが、百人一首にとられたこの歌に限ってなぜか本人作ではないというのが定説。
みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
三十六歌仙の一人で、清原元輔と同じく「梨壺の五人」の一人として、『後撰和歌集』の撰集にあたった。父の頼基も三十六歌仙に入っている。
歌人として非常に高名であったが、百人一首にとられたこの歌に限ってなぜか本人作ではないというのが定説。
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