愛しています

すべての方が、笑顔で
あたたかく優しい 愛ある日々を
生きられることを願って・・・

優しい 1年でした

2010年12月31日 21時35分22秒 | ryuru ♪
 

私は、今
モデルの仕事を しているわけでもなく
芸能活動を しているわけでもないのですが

以前と比べて、よほど 違うからなのか?

健康や 美容に 関して
聞いて下さる方が、たくさん いらして




リンパマッサージで、
その後の体型変化は、どうなったの?

ファンデーションを やめただけでなく
基礎化粧もやめて、その後 どうなったの?

など、よく聞かれることの結果と




ここで、今まで ご紹介させていただきました
私がしている美容法の補足と

まだ、お伝えさせていただいていないことも
今日は、少し 書いてみよう と思います。




冬になり、寒くなりましたが
ほとんど 毎日 数時間 歩いています。
 
運動と リンパマッサージは
夏ほど 積極的に していないのですが

美容整形外科に 行かなくても
自力で 整形できているみたい です。




外科手術するのではないので
完成までに、時間は かかりますし

自分なりの ここまで! という 納得ラインまで
まだまだ 到達できていませんが

自分の手を使って あちこち 変化させて
少しずつ、頑張っています。




体のラインを 整えるのは、
リンパマッサージが、一番 効果がありました。

気になる部分は、もみほぐして 移動させています。




普段の生活が、体に 現れているだけなので
生活の見直しを すれば、変化してきますよね。

どんなことに 気をつけているか? は




たとえば
座る時、お尻を後ろに 引っ張って座るようにしています。

それと同様
寝る時も、お尻のお肉を 背中の方に引っ張って寝ます。
仰向けで寝る時の 最初限定ですが ^^

要するに、
お尻の肉が 太ももに 流れないように しています。
繰り返していくことで、確実に ヒップアップします。




お風呂上がりとか、洋服を脱ぎ着する時や、トイレで
体のライン変化と 維持のために
体を 手でさわり 肉の移動をしています。

肉の流れを 上に上に
手で 流していくことで 形が変わっていきます。




リンパマッサージを 続けての
体型変化で、特に よく聞かれるのが 胸のことでした。

アンダーは、10cm 小さくなって
カップは、5カップ 大きくなりました。

決して、大きいとは 言えない胸なので
下着モデルのような 綺麗な形を 目指して
現在、自力で 胸を形成中

それなのに
サイズだけは、なぜか アンダー65で
店頭で、ほとんど 売っていない サイズに なってしまい

可愛い下着が買えないという 別の問題が発生(TT)




骨も、動くので
顔のゆがみも、歯も、手で 移動させています。

2回の骨折と 骨折手術で バキバキになっていた鼻も
元々の 生まれ持っての自分の鼻に 早く戻したい~
と、今 自分の手で 直しています。




それから、家に居る時
時間があって、のんびり出来るとき

美顔器で、顔に 赤外線と スチームをあてています。

美顔器は、ご自宅に お持ちの方が多いと思います。
気持ちいいですよね♪




顔のケアに 一生懸命でも
髪の毛に 隠れている部分

頭部のケア
されてない方が 多いのではないでしょうか?

顔と頭は、繋がっているので
頭部の手入れを していくことで
顔の状態が、随分 違うみたいです。

車に乗せてもらっている時も 簡単に 出来るので
つぼを 押したり、血行を 良くする
頭皮マッサージなど 生活の中に取り入れてしています。




それと、
私が 毎日 欠かさず 行っているのが

顔のあいうえお運動 と 耳たぶまわし




あいうえお運動を することで、
顔に シワが できないように

必ず、頬に 手をあてて
どこにもシワを 作らない状態にして 行っています。




耳たぶまわし

ここでは、詳細を 書きません。すみません。
検索されると やり方が出てくると思うのですが

肩の高さで、ひじを 直角に曲げて
下あごを 前につきだしながら 頭をそらし
その姿勢のまま、肩を後ろに 20回 まわすのは

最初 かなり きつくて 10回が 精一杯の私でしたが
今は、何十回でも まわせる体力が つきました。

これを、始めて かなり 肩コリが 軽減しました。
肩が凝らなくなった と言っても 過言ではない感じです。

・・・ただ、愛する人の前では 決して しないでください。
一瞬で、嫌われるかも(笑)

というような 姿で行う運動が 耳たぶまわしです。




水洗顔は、ずっと続けています。
基礎化粧品も、つけていません。
水で 顔を洗って、それで 終わりです。

これを8か月 続けていまして
綺麗な 本来の肌が 下から出てくる感じは
ずっと 続いています。

以前の肌が そのまま 残っているところと
綺麗に なったところを 比べると
まだまだ、頑張ろう~ という感じは ありますが

鼻のてっぺんに 一個あったシミが、
ほとんど 見えなくなりました。

このシミは、
5年前に レーザー治療をして 消していたのですが
数年後、現われてしまって
又 いつか レーザー治療する?
と思っていたものでした。
治療の必要は、なくなりました。




顔に 何もつけなくても
本当に 乾燥しないの?と 聞かれます。

乾燥を感じることは、ほとんど無いのですが
湿度が違う場所に 行ったり
お部屋が 乾燥しているホテルなどで
かさつきを 感じる時は、

手に 水を含ませて 顔にあて
数分そのまま

そうやって、水分補給を しています。
それで、充分な感じです。




体重と 体脂肪率は、毎日 チェックしています。

自分が直視できないものを、
愛する人には 見せられないと思うから
裸で、鏡の前に 立って 体型チェックもしています。




それと
モデルの方とかが、されていらっしゃるそうですが
私も、お風呂から出る時 あたたまった体に
水を かけています。

誰に 教わったわけでもなく
小さい時から ずっと 続けています。

PCで 検索すると、されていらっしゃる方が
効果を 色々と 書かれていますね。




マンガで 書かれていて、わかりやすいのが
かなつ久美さんの本



小顔になる と書かれてありますが、
小顔になるためだけの本ではないので
是非 書店でご覧になられては?




何歳になっても、戸籍年齢より
若く見える努力は、日々の生活にあり~
という感じでしょうか?

お正月 食べすぎないように
お腹が出るほど、食べないように

自分なりの 美形を維持できるように がんばります♪





     遠く~に 見える橋は、瀬戸大橋           
                                                     撮影 ryuru



今日は、とうとう 今年 最後の日
あと、3時間を きりました。

今年ほど、
あっと言う間に 過ぎた感のある年は
なかった気がします。

去年の12月から、今年の12月まで
色々なことが・・・本当に、色々な事がありました。





1年前の私よりも

強くなれたかな?
穏やかになれたかな?
大きくなれたかな?
優しくなれたかな?
美しくなれたかな?




女性として、外見は 気になるのですが

それよりも
心の透明感
清らかさを 磨くことができたかしら?




外見の美を 追求しながら

それと共に
いいえ、それ以上に

心の美しさを 追求していく

そんな日々で ありたいです。




新しく迎える 2011年も

あらゆるものに
 「美」を 追求し続けます。

そして、「成就」の年になるよう 頑張ります。




                              




今年の私の 成果を
一言で 表現するなら 「優」でした。

もっと、もっと 優しい女性になるために
不可欠な一年でした。

あと 数時間
やさしい やさしい時間を 過ごします。




皆さまも、

たくさんの 幸福とともに
穏やかで やさしい時を お過ごしください。


                     2010.12.31   ryuru




 ありがとうございます (*^_^*)



 

最近の ryuru 色々

2010年12月30日 05時00分00秒 | ryuru ♪
 


可能な限り、更新しよう~ と思いながら

今年も、今日と明日
あと 2日に なりました。




今日は、最近の私
こんな生活をして こんなこと してました
みたいな 色々を 綴ってみます。

よろしければ、お付き合いください。




最近、オルソケラトロジーを お休みして
1 Dayのソフトコンタクトレンズを 使っています。

オルソケラトロジー(Orthokeratology)
特殊なカーブデザインが施されたハードコンタクトレンズを装用することで
角膜形状を変形して矯正し、主に近視などの眼科的屈折異常を治療する
角膜矯正療法




通い慣れた 眼科に 久しぶりに行って言われることは、
目が特殊 & ryuruは相変わらず、天然だと(TT)

私は、かなり抜けている & 天然ボケなので
このブログに 綴っているような
科学的な内容を 話し始めると

外見と 中身が ここまで違う人も 珍しいと
呆れるように 言われます。




どのような、ボケっぷりかと言うと

担当の人が 荷物を置いてください と言われて
棚に服を入れて、あれ? なかなか案内されないわ
と思っていると 私が Bagを持ったままなので
案内できないと・・・
ふと 自分の姿を見ると Bagを持ったまま 立っている・・・
本人は、Bagも 棚に入れたつもり

担当の人と向き合って 椅子に座わり
右に 少し移動してください と言われ
すばやく、さっと 動いたら・・・
担当の私から見て 右ではなく、ryuruちゃんの右ですと・・・
私は、右に動いてください と言われて
なぜか 左に素早く動いていて@@
本人は ちゃんと 右に動いたつもり

コンタクトレンズの裏表を
何度も何度も 確認して 目に入れたのに
寝る前に外す時、やっと 反対を入れていたことに気が付いた。
裏返しに 入れていても・・・1日経過しても 気が付いてない・・・
それで、見えにくかったのね
本人は、ちゃんと 表を入れていたつもり




眼科の担当の人は
私は、ryuruちゃんと 漫才をしているんじゃないんです
と 真面目に 言われるのですが
私も わざとしている訳では ないんです (TT)

す、すみませ~~~ん。




こんな ボケボケryuruなのに
ここに 書けないほどの、可笑しいことを
毎日 たくさんしていても

Yちゃんは
ryuruは、飽きない。面白い と言って
いつも、遊んで下さいます。




この前、Yちゃんのお誕生日の 雨の日
Yちゃんと二人で 道を 歩いていました。

なるべく 雨に濡れないように、
目の前の信号が 青のうちに 早く渡ろうと
私が、早歩きをしたら
なぜか Yちゃんが 後ろから走ってくる。




ひぇぇぇ
どうして走るの~?
走らなくても 渡れるのに~~~

ryuruちゃんが 走っているから

私は 走ってないよ~ 早歩きしてるだけ~




と言いながら、

傘さして、雨の中 大笑いしながら
追いかけっこするみたいに
二人で 荷物持って 走ってました。




その後、デパートの食料品売り場で
ばさばさバサッ と 大きな音がして

何の音??? と見てみると・・・

私の持っていた荷物が なぜか床に 全部 落ちてる。




きゃ~~~

さっき、走った時 雨で濡れて
取っ手部分は 無事なのに、紙袋の底が 抜けてる。

そのryuruを見て、クスクス 笑いながら
Yちゃんは、お買い物かごを 持ってきて
助けて下さったのでした。




大した事ではないのに
私たちは、いつも こんな感じで
にぎやかに 街を歩いているので

チケットぴあ のお店の お友達は
私たちを 見かける度に

いつも、楽しそうだよね。
コーヒー飲みに行く時、私も誘ってね
と 言われます。 



Yちゃんは、お友達だけど お姉さんみたいです。

私は、姉が欲しかったので
成人して、こんなに 仲良しのお友達が出来たのは
とても、とても 幸せと思っています。

実の姉ではないけれど
離れ離れになっていた 姉に 巡り会えた
そんな感じに 思っています。




世間では、色々な 再会劇がありますね。

今日は、家族の再会の記事を ご紹介します。




                              




長年の仲良し2人は双子だった、出会いから数十年後にDNA鑑定で判明。
http://www.narinari.com/Nd/20101214706.html

普段当たり前のように接している友人や知人が、
突然自分と同じ血が流れる兄弟姉妹だと判明したら、
人はどのような反応を示すのだろうか。

今まで以上に仲良くなるのか、それとも距離を置くようになるのか――。
中国では先日、仲の良い友人として付き合っていた2人の女性が、
実は双子の姉妹であることが発覚。
それは2人が出逢ってから38年という長い月日が流れた後に訪れた
サプライズだった。

中国紙大河報や環球時報、中国日報などによると、
今年50歳になる華霞さんと馬玲さん(ともに仮名)が出逢ったのは、
今から38年も前のこと。

河南省洛陽で育った2人は、お互い近所に住んでいたにも関わらず、
それまでは会うことがなかったという。
ときおり友人や知人から「似ている女の子がいる」と
何度か聞かされたことはあったそうだが、直接出逢うことは一切なかった。

しかし、1972年10月、華さんと馬さんの友人同士が知り合いだったことから、
2人は顔を合わせることになる。華さんと馬さんは外見が似ているだけでなく、
孤児だったことなど生い立ちもとても似通っていたため、
友人が気を利かせて会えるように取り計らってくれたのだという。
華さんは馬さんと最初に会ったときのことを今でも鮮明に覚えており、
「まるで鏡を見ているようでしたよ。とても不思議でした」と振り返る。

友人の紹介で知り合った2人だが、すぐに意気投合。
時間が経つに連れ、2人の関係はどんどん深まって行った。

しかし、当時の2人の家庭の暮らしは正反対。華さんの家庭は比較的裕福で、
馬さんの家庭は貧しい農村家庭だった。そのため、華さんは養母にお願いして、
馬さんにもお揃いの洋服を作ってくれるようお願いしたりしたそうだ。

また、華さんの母親が病気になったときには、
馬さんが交代で看病に訪れたりするなど、
もはや2人は本当の姉妹のような関係になっていた。

1980年になると、2人は相前後して結婚。子どもも誕生した。
ともに生活は今まで以上に忙しくなり、関係も疎遠になるかと思いきや、
今度は家族間の交流が始まる。

2000年に華さんの夫が病に倒れ帰らぬ人となったときには、
馬さんは頻繁に日用品や食品を届けたりするなどしてサポート。
“姉妹”と慕い合う2人にとって、幸せや苦しみはともに分かち合うものだった。

出逢ってから一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、周囲からは「双子ではないのか?」
と訊ねられる機会も増えた華さんと馬さん。

それでも2人は自分たちが双子であるという点についてはまだ疑問を持っていた。
華さんは「私の性格は外交的ですが、彼女(馬さん)は内向的。

それに戸籍上の年齢も違っていたので……」とその理由を話す。
実際には血液型が同じO型であること、鼻炎持ちであることなど
いくつか類似点もあったのだが、
他人として知り合った2人が血の繋がった姉妹であり、かつ双子であるとは、
そう簡単に信じられることではないだろう。

しかし、2006年、そんな2人の“真の関係”を知るための格好のチャンスが訪れる。
テレビ局が2人の存在を知り、DNA鑑定を受けられることになったのだ。

そして2006年5月16日、DNA鑑定の結果がテレビの生放送で発表された。
その結果は「双子の姉妹」。

2人は番組内で涙を流しながら抱擁を交わしたが、
それは“姉妹”のような親しい関係になってから、
34年という長い月日が経った後の出来事だった。

その後、専門の病院で再度検査。
結果はやはり“一卵性双生児”で間違いなかった。

曖昧ではあるものの、馬さんの記憶によれば、彼女は3、4歳の頃、
江蘇省から洛陽まで車や列車を乗り継いで連れて来られたという。
列車の車両の中には子どもがたくさんいて、大きなベッドで
ほかの子どもたちと一緒に遊んだ記憶があるそう。
そして、子どもたちは一人ずつ誰かに抱かれ、その場を後にしていったらしい。

それからしばらく年月が流れ、今年のはじめ。
2人の身体的な特徴を知った江蘇省の男性が
「自分の妹たちではないか」と名乗り出た。

そこで男性と2人のDNA鑑定を実施。結果は先日明らかになり、
男性は生き別れた兄だと判明する。
さらに生存するほかの兄弟とも対面を果たした。

ただ、自分たちを捨てた両親はすでに他界しており、
墓前で2人は「安らかに眠ってください。私たちは元気です」と手を合わせると、
兄弟たちは2人を慰めるように背中をさすったという。




                              




ひ孫発見情報で65年ぶりの再会劇、養子縁組サイトで曾祖母の名に気付く。
http://www.narinari.com/Nd/20101114523.html

ネットで検索したことをきっかけに、何十年も生き別れになっていた家族が
再会したという話は、欧米を中心にしばしば聞かれる。

先日も米国の養子縁組サイトの情報から、65年前に養子へ出した息子との
再会を果たした女性がいた。
ネットが発達した今だからこその再会劇は、
どのような経緯で現実のモノとなったのだろうか。

米放送局KXLY-TVによると、ワシントン州コルファックスで暮らす
キャロリン・ヘイナーさんは今年9月、孫が見つけた情報に驚かされた。

ネットで家族史を調べていた孫は養子縁組サイトで、
見知らぬ男性のプロフィールページにあった“母”の欄に、
へイナーさんの母親と同じ名前
「タワナ・ジョー・イェイデン」と記されているのを偶然発見したという。

なぜ母親の名前が――不思議に思ったヘイナーさんは当初、
親族にこの話をしてみたが、誰も母親の過去を知る人はいなかった。
それでも何か不安が拭えずにいたヘイナーさん。

「『タワナ・ジョー・イェイデン』という名前の人が、2人いるなんて考えられない」
と2~3日悩み、思い切ってプロフィールページの男性フレッド・カイザーさんと
連絡を取ることを決意する。

最初に調べた電話番号は繋がらなかったが、
次にFacebookで検索してカイザーさんのページを発見。
彼女は母親のことをたずねるメッセージを送った。

このメッセージに、今度はカイザーさんが驚くことに。
オクラホマ州の「良い家庭」で育てられたというカイザーさんだったが、
小さい頃から自分が養子であるのは知っていたという。

そのため、1971年からずっと実の母親を捜し続けていたものの、捜索は難航し、
母親の存在を確かめられないまま40年の月日が経過。
そこに突然舞い込んできたのがヘイナーさんからの知らせだった。

2人は電話とメールでやり取りを重ねる中で、お互いが兄妹、
すなわち母親が同一人物の「タワナ・ジョー・イェイデン」さんだと確信。
そこでヘイナーさんはこれが事実であるかを確かめるため、
母親にカイザーさんの存在を伝えた。

すると「ノー」と弁解を始め、明らかに取り乱した様子を見せたそうだ。

実は、母イェイデンさんが頑なに息子の存在を誰にも明かさないまま
現在に至ったのには、暗い理由があった。

1944年、まだ10代だったイェイデンさんは不幸にも男性に襲われてしまい、
その結果、1945年1月1日にカイザーさんを出産。

敬虔なキリスト教徒だった彼女は、望まずして生まれた男の子をすぐに養子へ出し、
その数週間後には家族と共にオクラホマ州からカリフォルニア州へと
引っ越したという。

その後、1946年にイェイデンさんは結婚。2人の子どもに恵まれ、
幸せな家庭を手に入れた彼女は、この暗い過去を誰にも話さず心に封印していた。

しかし、ヘイナーさんから話を聞いたイェイデンさんは、男の子を養子に出した当時
「もう会えないだろうと何度も泣いた」ことを吐露。
母親の過去を知ったヘイナーさんは
「母がどれだけ強い心で過ごさなければならなかったかと知り、胸が痛かった」
と話している。

この“告白”のあと、ヘイナーさんは2人が会えるように尽力。
まず、カイザーさんに連絡先を伝えて母親の声を初めて聞かせ、
さらに先日、カイザーさんをオクラホマ州から呼び寄せる形で
65年ぶりの再会を実現させた。

メールをもらうまでは母親との再会は半ば諦めだったというカイザーさんは
「いますぐ死んでも良いくらい幸せ」と嬉しい気持ちでいっぱいに。

一方、アルツハイマー病を患っているイェイデンさんも、
彼を見るなり力強く抱き寄せ、
ずっと会えずにいた息子との再会を心から喜んでいたという。




                              




“患者”の父と41年ぶり再会、転院先は看護師の娘の勤務先だった。
http://www.narinari.com/Nd/20100914187.html

米ニューヨークの病院で看護師として働く女性は、
転院してくる末期がん患者の名前を医師から聞いて耳を疑った。

その名前は生まれて間もなく母親と離婚して、
行方が分からなくなった父親と全く同じ。


写真もなく、顔すら分からない父親が自分の勤める病院に運ばれてくるのかと、
女性は動揺したという。

米紙ニューヨーク・ポストなどによると、
ニューヨーク・ブロンクスのカルヴァリー病院で働く
41歳の看護師ワンダ・ロドリゲスさんは、8月25日が忘れられない1日となった。

この日、別の病院から転院してきた末期がん患者の名前を医師から聞いた
ロドリゲスさんは「固まった」(ニューヨーク・ポスト紙より)。

その患者はビクター・ペラザさんという60歳の男性。
彼女がその名前に反応したのは、生まれて間もなく
自分の前から姿を消した父親と同じ名前だったからだ。

ロドリゲスさんの両親は、高校時代からの交際を経て結婚。
両親はロドリゲスさんと姉の2人の子どもをもうけながらも間もなく離婚した。

母親は2人の子どもを引き取り、
郵便公社で働いて生計を立てながらブロンクスで生活。

その間、家族で父親についての話題は一切上がらず、父親からの連絡も一切なかった。
そのため、「父がどこにいるか分からなかった」状態だったという。

また、父親の写真は一切残されず、彼女がその顔を思い出す機会は失われてしまった。

それでも「いつも私のすぐそばを歩いていたように思っていた」
と想いを秘めていたロドリゲスさん。

しかし、時が経つに連れて「再会は難しい」と諦めの気持ちが強くなっていたらしい。
そんなとき、突然父親と同じ名前の人が自分の勤める病院にやってくると知り、
彼女は浮き足だった。そして、運ばれてきたペラザさんの病室へと足を向ける。

今まで父親の顔を知らないはずのロドリゲスさんだが、
病室に入りペラザさんの肌や目の色を一目見るなり「この人が父に違いない」
(米放送局ABCより)と分かったそうだ。

最初は看護師らしく、気分を尋ねるなどの会話から始めたが、
子どもの話になったとき「感情が高ぶり、部屋から飛び出した」という。

それはペラザさんがしっかりと「ジーナとワンダという娘がいるよ」と答えたからだ。
記憶の中には名前しか残っていなかった父親の存在を目にした瞬間、
ロドリゲスさんは涙を流した。

落ち着きを取り戻し、再び病室へと入った彼女は
「私はワンダよ、あなたの娘よ」と話しかけた。

すると、ペラザさんは「君が私の娘だと分かってたよ」と語りかけ、
娘の目を見つめたという。

その後2人はお互いに泣きあったそうで、末期がん患者のペラザさんは
「死ぬ準備ができたよ」(ニューヨーク・ポスト紙より)と、
すっかり落ち着きを見せている様子だ。

離婚後はクイーンズ地区に移り、
再婚することもなく銀行員として働いていたペラザさん。

1年半前にがんと診断されて以来転院を繰り返し、
この8月に偶然移ることになったのが、
ロドリゲスさんの勤務先にあるホスピスだったそうだ。

ロドリゲスさんは、姉や母、自分の子どもを父親に会わせたほか、
自分の勤務時間前にも世話をするために病室を訪れているという。

ペラザさんは再会を果たしてからしばらくして
「いい父親でなかったのは分かっている」(ABCより)と謝罪。
これを受けて彼女は「父親に会いたいと思わない娘なんている?」と許し、
今はそばにいる喜びを噛みしめているようだ。




                              




私が眼科で、目が特殊 と言われるのは
黒目が、大きいからなんです。

私は、二重でないのに、目が大きいと 言われるのは
黒目が大きいから そのように 見えるのだと思いますが

産まれてすぐ、
目の黒い部分しかなくて、白い部分が 無いように見えたらしく

この子は 目が見えていないのではないかしら? と
母は、とても 心配したそうです。




このような話しも、

実の両親に 育てられ
幸福に育ったゆえに、教えてもらえる

生後 間もない頃の 私の様子




今月の私の誕生日には、両親に 挨拶に行きました。

ryuruを 生み育てて下さって、ありがとうございます。
私は、とても 幸せです。
二人の娘として生まれて、本当に 幸せです。

ありがとう
ありがとう

と、私の大好きな 白とピンクの薔薇を持って
心と 言葉を 伝えて 参りました。






これは、私の誕生日に
両親に渡した花束と 同じものを
プレゼントさせていただいた Yちゃんからの

薔薇ありがとう~ こんなふうに飾ったよ
という写真です。




これと同じ 花束を持った父は
どうして 花が ここにあるのか? と・・・

痴呆が 進んでいて、
さっき 渡したのに もう忘れている様子(TT)




でもね
痴呆になってからの方が、父は 素直に感情を
表現しているみたい。

私に、もう帰るのか?
なんて 今まで 言わなかったよ。
もっと、ずっと 一緒にいたいってことだよね?




それから、家にいるのに

中学生の子供が二人 待っているから
早く 家に帰らなきゃ いけないんだ
と 弟に 何度も何度も 言って
少し前には 困らせたみたい。




私と弟が、中学生の頃
そんなふうに、外出先で 言ってたのかな?

父は、出掛けたら なかなか 帰ってこない人で
家にいることが とても少なくて

子供のことより
自分のことが 精一杯なのかと思っていたわ。




なんとまぁ
ずいぶんと・・・
感情を 素直に出せなかった人だったのね

と、今になって 父のそんな優しい言葉を 聞くと
涙が 止まらないよ。




私の愛する父は
私の愛するひとは
私の愛する男性は、shy すぎる

なぜ、そこまで 純粋なのか




想像を絶する
予測のつかない
あり得ない
前代未聞の
奇蹟のような思考と言動 (TT) が

恋愛事情を 複雑化




純粋にも、程度があるでしょーーーー
世間の誰も、あなたを そこまでっっ純情だとは思ってないわよ! と

突っ込みたくなるほど

恥ずかしがり屋で うぶな性格の男性の
思考と言動が

父を通して、学びを深められた私です。




ありがとう

おとうさん (*^_^*)




それでは、皆様

あと2日
笑って お過ごしください。



 

免許証更新してきました

2010年12月19日 13時08分18秒 | ryuru ♪
 


友達から、メールが あった。

ryuru 生きてるの???    ← eちゃん
はい、元気です。         ← ryuru




私は、この2年ほど
自分から 友達に連絡をすることが
ほとんど無くて

ブログも 更新していない
携帯に 電話をしても通じない
なぜか、ずっと 話し中

というのが重なったらしく

電話番号 変えた???
生きてるか どうか わからないから
一週間に一度ぐらいは、生存確認のために
ブログを更新するように と




携帯が、つながらないのは・・・
少し前に 番号を変えました。

連絡が、出来ていない皆さま
ごめんなさい m(__)m




携帯で 話しをするよりも、メール中心の生活なので
取り急ぎのお友達から、順に 携帯番号を
連絡を させていただいているのですが
ryuruの速度は、カメのようで
ご心配を おかけしているみたいです m(__)m

前回の更新にも 書いたのですが
出掛けることが、多い日々を 過ごしています。




少し前、免許証の更新にも 行ってきました。

ずっと、ゴールド免許だったのですが
今回は、違反講習

事故が、どれだけ悲しい現実を 引き起こすか
子供を 失った家族の事例
夫や妻を 失った家族の事例などを
たくさん 聞いてきました。




私・・・3年半ほど前
2007年の春頃、人身事故を起こして
無人駅の踏切内で 人の足を車でひいたんです。

徐行の状態とはいえ、車の重さで
相手の人は、足の甲の部分の軽い骨折

猛反省の日々でした。




泣いていた私を
Yちゃんと mちゃんが、元気になるようにと
温泉に連れて行ってくれました。

優しい、優しい友達
嬉しかったです。
あの日のことは、決して忘れません。




免許停止は、1日だけでしたが
事故後、ほとんど運転をすることはなく
この2年間は、一度も 運転をしていません。

事故の衝撃は、心に残り続け
どうしても埋められない 最後まで残った心の痛みを
3年半前の、あの頃
最終的に、癒してくれたのは
私の愛するひとでした。




一人では、立ち直れなかった。
周囲の人たちの力で、立ち直ることができました。

友達、家族、愛するひと
みんな 大切な、大切な 存在

私の心と体を 優しく抱きしめてくれた 大切な人たち




私は、周囲の人たちに
たくさん たくさん 助けていただいているわ
とても、ありがたいこと

大切な存在の人たちが、
そばにいてくださることが 幸せ




3年半以上前のことを
そんなふうに、懐かしく思い出しながら

二度と 加害者にならない決意と共に
大切な友達を 事故で失う人が いなくなりますように
愛するひとを 事故で失う人が いなくなりますように

と、願いながら 免許の更新をしてきました。





                  免許試験センターにて   撮影 ryuru




交通事故ではないですが
日本で、悲しい事件が また発生しましたね。

そして
ブログに、以前2度 書かせていただいた 知人の妹さんは
病院が事故扱いをされたそうです。

簡単な手術のはずが、亡くなってしまわれたのは
医師の・・・手術ミス???・・・だったそうで

私は、知人に話しかける言葉が 簡単には見つかりませんでした。




事件や事故で、
愛するひとを失われる人が いらっしゃいませんように

悲しい事件が、発生しませんように

自ら、命を絶たれる人が いらっしゃいませんように




クリスマスイヴまで、あと5日
今年 2010年、あと12日

日本も、世界も
幸せな日々が

今年も 来年も 再来年も ずっとずっと 続きますように




人にも、モノにも、時間にも
全てに、たくさんの感謝を こめて

一日、一日を
もっと 大切にして生きていこう

そんなふうに 思いながら



           2010.12.19 ryuru

 

愛する人へ 求めるもの

2010年12月10日 01時35分22秒 | 家庭・結婚
 

ryuruちゃん

私は、元気がない時
あなたのブログに来て
心に 力を 充電してるのよ。

一回一回の内容が 濃いから
学ばせていただくことが 多くて
とても、感謝しています。

最近は、更新が少なくなったけど
どうしているの?




とか




11月27日に、何があったの?

心にあった 重い 重い 漬物石のような 重石が
すっかり取れて、
億単位の永い 永い 眠りから、覚めたような
生まれ変わったような、気分の私です。って

また、また
何に 気が付いて
心が どんなふうに 変わったの?




というような、メールを 色々いただきました。

ありがとうございます m(__)m

細々と、続けているブログ
楽しみにしてくださる方が いらっしゃること
幸せです。嬉しいです。




最近は、出掛けることが 多く
PCに 向かう時間が、少なくて

時間が 作れる時に
少しずつ、更新しています。




今回、生まれ変われたように
心が 大きく 変化した経緯の詳細は
まだ 書けないのですが

どれだけ 私が
ワガママで、感謝が足らなくて・・・
足ることを 知らなくて・・・
というような

自分の浅はかさを 直視して
劣っている部分の修正を しているところです。




先日、お泊りに行った時
可愛い 可愛い あかちゃんがいて

その子は、ママと 少しの時間 離れていて

ママが 恋しくなると
ママ~ どこ~? っていう表情をして
ママを探しながら つらそうに 泣いて

ママを 見つけたら
それは、それは 幸福そうに
満たされて、安心しきって 満面の笑みで
愛する母に、抱かれていました。




この瞬間に
あかちゃんは、お母さんに

愛しいひとへの笑顔
愛しい母への笑顔 という

世界で ただ一つだけの贈り物を しているよね。




愛する母を 求め
愛する母を 見つめ

安心して、満たされた あかちゃんの笑顔と
ママの笑顔を 見て そう思った。




とても、かわいかった。

あかちゃんが、欲しくなった。




友達が、言う

親の言うことを 聞かなくなったら
子育ては、大変で
可愛いのは、本当に 小さい時だけ って。




以前、このような話を 聞いたことがあります。

子供が、可愛いのは 5才までです。
6才以降は、もう あきらめること。
5才までで、子供の親への恩返しは 終わりです。と




そういう気持ちになると

子供に、何かをして欲しい
子供は、このようで あって欲しい
親に対して こうして 欲しい などなど

親は、愛する子供に 対して
求めるものが 無くなる?




そのような気持ちに なれた時に

親への恩返し以外に
愛する子供に対して、親が 求めるものは
何なのでしょう?




子供の健康と 笑顔(幸福) かな?

そんなふうに私は、思うのですけれど
どうですか?




そして、
愛するひとに 求めるものは? と
既婚男性 数人にも 聞いてみました。

愛する妻に、求めるものは 何?
妻には、こうであって 欲しい
ということが ありますか? って。




すると、
なぜか、皆さん 同じような答えだった。

仕事の邪魔になるようなことを、しないで欲しい。
自由に、させて欲しい。

例えば・・・

子供の学校の行事参加など、仕事でどうしても行けないこともある。
妻の誕生日に、仕事が理由で 一緒に過ごせないこともある。
そういうことを、理解して欲しい。と




予想外の答えに 私は 驚きました。

愛するひとに、求めるものは

OOして欲しい ではなく
OOしないで 欲しい?




私は、ずっと 可愛い妻でいよう
夫の望むことを、色々と して差し上げたい

と、そんなことを 思っていたのですが

妻に、求められるものは
邪魔にならないように することなの???




夫が 妻に望むことは、
妻や子供が、仕事に悪影響を 与えないように
足を ひっぱらない様に すること???

夫の仕事に、迷惑を かけないような妻って?

家庭への 負担になるような協力を 求めず
夫の仕事での成功と 健康を願う妻?




ケースバイケースで、
その家庭
その夫婦の考えによって、ラインは 色々よね?

そんなことを、考えていたら
先日 会った あかちゃんを 思い出した。

お腹がすいた時は、ママが 必要
ママを見つけて とても 嬉しそうな笑顔だった。




夫は、あかちゃんとは 違うけれど
妻が 必要な時には、夫から 必要とされるもの

夫に 必要とされる時に、
夫から 求められる行動が出来る 妻でいられたらいい

そういうことかな?




そして、

愛する夫から
悪妻と 呼ばれることのないように

とても、とても 愛しい妻
唯一の存在 と

愛され続けられるなら
それが、幸せなことかな




お互いが、必要な間柄

心地よい関係

不足している部分を 補い合え
お互いの長所を 伸ばしていける関係




これは、親子、夫婦の関係だけでなく

全ての人間関係
恋人にも、当てはまるものよね。




う~~~ん

私は、自らの努力不足を 棚に上げ

愛するひとに
多くを 求め過ぎていたみたい。




ごめんね

ごめんね




愛する人の笑顔を、守れたら 幸せ
愛する人の笑顔を、見れることが 幸せ

仕事に 影響が出るほど

悲しい顔を させないように
困った顔を させないように
苦しい想いを させないように




そんなふうに 思っていたのに

とても、大きな愛で
とても、強く愛されているのに

どれだけ、愛されたら
どこまで、愛されたら

満足できる 私だったのでしょう




たくさん 泣いて
何度も 何度も 考えて

とても、長い間
わからなかったことが
やっと わかった私です。




どれだけ、幸せか
よく よく わかりました。

とても、とても
よく わかりました。




愛するひとの笑顔

私に向けられた 優しい眼差し




それは

写真にも、撮れない
DVDにも、残せない

私の目で撮り
私の心に、大切に 保存してある
愛するひとから、私への贈り物

世界で たった一つの 
大切な 大切な宝物




なぜ、こんなにも 優しくできるの?
というほど

とても、とても、優しい表情で
嬉しそうに 幸せそうに

宝石のように
目を きらきら 輝かせて

世界で、他に類を見ないほどの 純粋な笑顔で
私を見る 私の愛するひと




ずっと 笑顔で いてください。

そして、
ずっと、健康で いてください。




笑顔 と 健康

それが、
愛する人に 私が 求めるもの


 

愛に 包まれて

2010年12月02日 19時37分51秒 | ryuru ♪
 


鏡を 磨く時

床を ふく時

窓を 磨く時

鍋を 磨く時

ペンの試し書きを する時

体を 洗う時

髪の毛を 洗う時

コーヒーの粉にお湯を 注ぐ時

マウスを 握って
彼に 愛を綴るメールを 書く前に

このブログで、文字を 綴り始める前に

       ・
       ・
       ・

私の手は、最初に  を 作ります。




その時の
その瞬間 瞬間

私の ありったけの

あったかい
優しい
綺麗な

心からの 愛を 込めて
 の動きから 始めます。




いつも、いつも
心も 行動も

モノ、空間、自分以外の誰か、そして、自分にも
何に 対しても

 が、いっぱい いっぱい 込められますように




ありがとう っていう
感謝を、常に 忘れないで 生きていけますように

本当に幸せ という
幸福な感情を 積極的に作れますように

にこにこ
笑顔で、いつも 生きていけますように

あたたかい
愛に、満ち溢れた 言葉を 常に語れますように

願って・・・








11月27日 知った事実は、大衝撃でしたが
想定内でした。

そして、本当の愛の大切さを
強く強く 腑に落とすことが 出来ました。

あの日から、
私の周りは かなり大きく 動き始めました。

周りが、ここまで 動く時は
私も、かなり 大きく 動く時




それなら、私は

明るい方へ
プラスの方へ
積極的な方向へ
幸福な方向へ

自ら、積極的に 愛 を 創造して
自分の人生を 大きく 進めよう




2010年
今年 最後の月 12月も

愛を たくさん 創造し

たくさんの愛に、囲まれて
愛する人の愛に、包まれて

やさしい愛で、満ち溢れた 時間を 生きます。









みなさまも、
大切な人との たくさんの愛のなかで

あたたかい愛に
包まれ、満たされて

幸せな 時間を お過ごしください