釘が、板にささって
どうしても 抜く必要があるとき
どうしますか?
釘ぬきで、釘を 抜こうとしますか?
今、用意している釘ぬきで 思うように抜けなければ
別の釘ぬきを探して、再チャレンジしますか?
私なら、釘が 抜けない時は
上から 新しい釘を打ち込んで
抜く必要のある釘を 下に打ち落とす とか
壊していい板なら、
板ごと叩き壊して 全く新しいものを
創造します。
釘の話は、一つの例えですが
心に、刺さった傷を抜く方法
または
日常生活の中で、いくらでも発生する
日々の大小の出来事を 解決する 一つの思考方法
目標を成就させる方法
として 書かせていただきました。
物には、正面という一面ではなく
右も 左も 上も 下も
右斜め上も 左斜め上も
ありと あらゆる面があります。
ですから、解決方法は 何種類も あるはずです。
たとえば、登山方法を考えてみますと
歩いて 登る方法
車に乗って 登る方法
ロープウエーで 登る方法
ヘリコプターで 頂上に到着する方法
その他 色々、ありますね。
また、物事は 小さい視点か 大きい視点か
人 それぞれの捉え方で
問題は 大きくも 小さくも
感じるものではないでしょうか?
たとえば
日本人で、今日のご飯が 一食も食べられなかった
という人は、物凄く 少ないと思います。
けれども、海外では どうでしょうか?
餓死して亡くなられる方が、
たくさん いらっしゃる国もあるでしょう。
そのように 考えてみた時
日本人が、たくさん食べすぎて 太ってしまった悩み
三食 食べられない悩み
食べたけれど、美味しくなかったなど
もはや、問題ではないはずです。
このように
色々な面で見て、解決方法を考えても
視点を大きくしても
自分の力で、どうにもならない時は
解決を あきらめて やりたいことをする。
これが、新しい釘で 今 板に刺さっている釘を
下に、打ち落とす方法 かもしれません。
また、問題解決を
真逆の方向から見て
人が、考えもしないような 戦法を取ってきた人たちが
後の世で、英雄、偉人と呼ばれることが 多いように思います。
変人とか
あの人は、変わった人だとか
常識を 外してるとか 言われ続けても
物事を ひっくり返して見てみたり
目の前の課題の解決をあきらめて、ぽ~んと 何かに飛びこんでみたり
奇襲攻撃してみたり
積極的に、無謀とも思えるような 行動をする人
私は、大好きです。
あり得ないことを あり得ることにするのが好きです。
たとえば、
エスキモーに 冷蔵庫を売る話 ご存知ですか?
普通の思考では 考えられない成功が、
世の中には 実際にあるもので
大きいものを 小さくできないかとか
かたいものを やわらかくできないかとか
もっと、こんな風なことが出来たら
便利な世の中になるのになぁ と
思うことが、私には とてもたくさんあります。
又、何かのマイナスを批判するより
もっと、素晴らしいプラスのものを作ればいいと思います。
そうすれば、自然にマイナスのものは 淘汰されるから
たとえば
嫌な人がそばに居て 嫌と思うなら、自分が もっと いい人になればいい
波長が合わなくなると、自然に 別れは訪れるものだから。
気分の悪くなる接客の店があるなら、
人に あの店は嫌な店と言う前に、自分が 感動する店を作ればいい。
そんなふうに考えて、行動していたら
人生は、もっと楽しく生きられる。
犯罪を犯すような、
人に 迷惑をかける常識外れではなくて
常識を持たれた人が、偉大な常識外れなことをされて
もっと、自由な発想で
なんでも、やってみたら楽しいのにな と思います。
空を飛びたい
と思った人がいたから、飛行機が発明され
遠く離れた人と話がしたい
と思った人がいたから、電話が発明され
最初に、その時代では 考えられないような
突拍子もないことを 純粋に出来ると 強く信じて
行動に移した人がいたから
今の便利な時代が 到来したのではありませんか?
そのような人は
成功するまで、奇人変人と呼ばれたのではないでしょうか?
亡くなられた後、有名になられた方々は
生きている間、ずっと 変人のままだったという悲しい現実は
世界中に、いくらでもある話ですね。
最近、書店に
明治維新の志士たちの本が 目立っていますが
この方々が、いらっしゃらなければ 今の日本は?
とも思います。
奇人変人の積極的な勧めではありませんが
全ての方々が、自分だけが持っている
素晴らしい個性を 最大限に発揮された結果が
世界全体の向上につながっていく
そんな風に 生きられるといいのになぁ
と思う 今日この頃でした。