辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会 BLOG

「ケーソン」とは、52m×22m×24m総重量7400㌧もある鉄筋コンクリート製の巨大な箱で、海上基地の土台になります。

7月の行動予定

2016-06-29 18:19:34 | 最新情報

「辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会」です。

暑い日が続いています。

「県民の会」の7月の行動予定をお知らせします。


7月15日(金)午後5時~6時

近鉄四日市駅前(北口) 駅頭チラシまき


7月22日(金)午後6時半~

定例打ち合わせ会 アスト津3階

 

8月には集めた署名をもって、JFEの横浜本社に要請行動をします(また行動日程をお知らせします。大勢で行こうと思っています)。

 


JFE正門前で行動

2016-06-16 13:42:21 | 最新情報

辺野古のケーソンをつくらせいない三重県民の会です。

6月14日は朝7時からJFEの正門前での行動でした。この日の行動用につくった新しいチラシで、約1000枚を配布しました。

正門前と駐車場前には前回JFE前での行動時にはなかった以下のような注意書きができていました。

積極的に配布する横でこそっと、「ここ(正門)は造船所(マリンユナイテット)の人ばかり、JFEエンジニアリングはあっちだよ」と知らせてくれる人や、「(ケーソン)まだつくっていないけどな~」と言う方も。

8時から、正門前で申し入れを行いたいと守衛さんと押し問答。結局会社からは出て来られず、「JFEは辺野古基地建設に加担して、戦争に協力する会社になるつもりでしょうか。わたしたちはJFEが辺野古基地建設用のケーソンの製造からいますぐ手を引くように強く要請します」とビラと同じ内容で要請文を門前で読みあげました。

この日は夜、アスト津にて打ち合わせ会を行い、署名が現在、県内外で1万1千筆を超えたこと、会計報告と7月の行動予定を確認、また「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会の動きとも合わせて横浜本社行動を計画することを申し合わせました。

7月行動は15日(金)17時~に四日市で行う予定です。


沖縄学習交流会に参加して その4

2016-06-11 17:09:29 | 最新情報

辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会です。ツアー報告その4(完結)です。

 なお、「県民の会」の6月の行動予定は、14日(火)午前7時 JFE津製作所正門前でチラシまきの行動(雨天の場合は090-6807-1089までお問い合わせください)。同日午後6時半からアスト津3階でうちあわせ会です。

(4月20日 二見以北等大浦湾を巡ってのスタディツアー)

27、グラスボート(辺野古基金で購入)で大浦湾に出る。
案内は名護市議 恩納村琢磨さん

28、グラスボートの底から見えた巨大なアオサンゴ

29、ジュゴンの見える丘から大浦湾の沖、太平洋を望む
二見をガイドして下さった浦島悦子さんが「沖縄で一番きれいな所」と
言われるのが納得できる眼前の景色。
島ぐるみ会議名護の吉元さんは「いつもここへ来ると新基地はつくらせないぞと思う」と。

 

○ あの沖縄戦は終わっていない、「銃剣とブルドーザー」を肌身に感じる。
沖縄に基地を押しつけている構図がある限り、ずっと続いていると思った。

○ 沖縄にいると日米両政府のしていることがくっきり、はっきり見えてくる。

○ 戦後70年以上にわたって闘ってきた沖縄に学ぶことの大きさをいつも思う。

沖縄で歓待を受け、温かい心の交流ができたことを、みなさまにお伝えしなくてはと思いつつ
大変遅くなりましたが、こういう形で報告できたことに感謝いたします。
ありがとうございました。

高橋洋子


沖縄学習交流会に参加して その3

2016-06-10 16:44:20 | 最新情報

「ケーソンの会」代表で沖縄学習交流会に参加された高橋さんのツアーの報告、その3です。

 

4月19日 スタディツアー(伊江島コース)

伊江島へは本部港からフェリーで伊江島港へ。

18、 本部港へ向かう途中、本部町の採石場を見学。

 

19、 沖縄のガンジーと呼ばれた阿波根 昌鴻さんが収集した
資料が展示されている「ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館」
正面右側に書かれている言葉

20、 資料館入り口

21、 阿波根さんの非暴力に徹するたたかいの基本となった
伊江島土地を守る会の陳情規定(資料館の中)

22、 入口正面には米軍が訓練中に落とした原爆の
模擬弾や薬莢、落下傘、有刺鉄線などが展示されている。

23、 阿波根さんの写真の前で話される資料館館長の謝花悦子さん
戦中、戦後闘い続けている思いはいくら話しても尽きることがない。
「銃剣とブルトーザーは今も続いている、みなさんの力ではね返しましょう」

24、マイクロバスで島内見学 「アハシャガマ」
1945年4月16日 米軍は伊江島南部の海岸線から上陸し、
6日間の攻防を展開し、島の住民の3分の1にあたる1500人が命を
奪われた。

25、アハシャガマの前で説明を聞く。
伊江島には多くのガマがあったが、「日本兵が一緒にいたガマでは
住民は命を落としている」と。
アハシャガマの壕内は奥行き約20m、広さ約100㎡ で今も
中に入ることができる。

26、土煙を上げるオスプレイ
伊江島は島の32%が基地、島の西側には米軍演習場があり、
オスプレイの離着陸帯がある。ちょうどその訓練を目の当たりにする。

伊江島では戦後生活をスタートしてまもなく米軍によって「銃剣とブルトーザー」
による土地強奪が行われた。伊江島の戦中・戦後を理解することは、
沖縄の戦中・戦後の本質的な意味が見えてくるので伊江島は「沖縄の縮図」といわれている。
そして、今「オール沖縄」の原点もここにあるように思う。

 


沖縄学習交流会に参加して その2

2016-06-07 12:32:07 | 最新情報

辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会です。

ケーソンの会の6月定例行動は14日(火)午前7時 JFE津製作所正門前、定例打ち合わせは14日(火)午後6時半 アスト津3階。現在集めていただいている署名は県内外を合わせて1万筆を超えました。「辺野古土砂搬出反対全国連絡協」のみなさんの動きと合わせて8月頃横浜のJFE本社に提出に行こうと考えています。ぜひご支援、ご協力をお願いします。

 

前回の記事に続いて、「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会の沖縄学習交流会に参加した高橋さんのレポートです。

(4月18日 辺野古へ)

9、キャンプシュワブ前で朝の集会
  マイクを持つのは勿論山城博治さん

 

10、キャンプシュワブ側のフェンスに貼られていた。

 

11、キャンプシュワブ前の道路を隔てた反対側に
   設置してあるテント
   (いつからなのでしょうか。昨年2月に行った時は
 キャンプシュワブ前にテントを立ててありましたが、
 道路を隔てて反対側に移されたようです。道路を渡らないと
 いけないので嫌がらせですよね)

 

12、辺野古漁港前のテント
  長い闘いの日にちが刻まれている。

13、テントの裏にいつも咲いているハイビスカス

 

14、辺野古漁港から見えたカヌー隊の方々
  工事は止まっていても、この頃はまだフロートもそのままで
  監視船も出ていた。

15、浜のテント前でヘリ基地反対協議会の安次冨浩さんの
   説明を聞く

16、海から帰ってきたカヌー隊の方々(ここで冨田さんを見かける)

17、昼食に寄ったお店の前に咲いていた「月桃の花」