ユラーナ Ulana - A bridge between Japan and Overseas Countries

龍神由美のブログ。江戸の面影を残す川越に、先祖代々300年住んでいます。私の川越暮らしを綴ります。

Massive earthquakes in Japan: I express my sincere appreciation to The Westin Hotel Tokyo.

2011年03月17日 | 日記
Dear The Westin Tokyo,

When massive earthquakes hit us, I was in a building in Ebisu, Tokyo. Since the building was closed, I went to JR Ebisu Station. However, the station was closed at 17:30 and we were told to go out.

I tried to get a taxi, but soon realized it would be impossible because it seemed people thought the same way.

I was bewildered, “How should I reach home in Kawagoe, Saitama Prefecture? Or how should I spend a night?” It seemed no trains would be available for a night.

Soon I remembered your hotel and walked there. I asked one of your staff at the entrance to call a taxi. He said, “Your turn is No. 78. But only one taxi comes here for about 50 minutes.” However, I told him that I would wait and he suggested I go into the building.

Step by step, the number of people in the lobby was increasing. Your staff kindly offered us free drinks such as hot coffee, tea and water. Even more, your hotel offered us something to warm us like blankets, cotton blankets and gowns.

I highly appreciate the hospitality you extended to us, who lost means of transportation to go home. I will never forget your kindness who allowed us to stay overnight at the lobby. Your staff members were kind, calm, gentle and polite.

I could have a breakfast at the restaurant on 1F the next morning and it was so wonderful.

A huge number of people are suffering in Tohoku Region and I suffer heartache.

Once again I would like to express my sincere thanks to you. I would like to stay at your hotel in the near future.


Sincerely yours,

Yumi Ryujin (Ulana)



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大地震: ウェスティンホテル東京に深く感謝いたします

2011年03月13日 | 日記
東関東大地震が起きてから2日経ちました。刻一刻と被害の大きさが報道されてゆき、言葉を失っています。


昨日書きましたとおり、私は、一晩を恵比寿のホテルのロビーで過ごし、昨日の午後、家に帰って来ることができました。

地震が起きたとき、私は、恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館にいました。「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」という展示会があったので都内に出たのです。数十人が、学芸員の説明を聞いているときに、大きな揺れを感じました。2階でしたが、立っていることが出来ず、学芸員の「座ってください。ここは安心です」の言葉に、皆、従いました。かなりがっちりとした造りのビルではあったけれども、ああ、これでもうお終いだ、と思いました。

長いこと続いた揺れがおさまると、学芸員の誘導で、建物の外に出ました。



後ろのビルを見上げると、ゆらゆら揺れています。建物が倒れてくるのではないか、という恐怖に襲われました。



ビルの一番上に、窓掃除用のためでしょうか、ゴンドラがあって、大きく揺れていました。

学芸員は、「今日は閉館いたします」、という言葉と共に、中止のお詫びとして招待券を配ってくれました。お手洗いをお借りしたのですが、トイレの水は、出ませんでした。

そのビルにいた方が安全に思いましたが、外に出されてしまったので、仕方なく、駅方面に向かいました。広場には、避難してきた人たちがたくさんいました。







震源がどこかわからず、これでは家に帰れるかどうかわからないと思ったので、とりあえずお腹に何か入れておこうと、まだやっていたファーストフード店に入り、売っていたパンを手にしたときに、第二の揺れが来て、そこから飛び出しました。ビルが崩壊するように思ったので、走りました。

恵比寿駅に着くと、駅の改札は閉鎖され、人々がたくさんいました。





大型テレビモニターがあったので、震源が、宮城県沖であることと、津波が起きたことを知りました。

ともかく、家の様子が知りたかったので、駅にあった公衆電話の列に加わり、だいぶ待ってから、家に連絡出来ました。家族も家も大丈夫そうでした。私のことを母は、とても心配していましたが、何とかなるから、と言って、すぐに電話を切りました。その後、近くの五反田のホテルに電話してみましたが、「今日はお受けできません」と言われてしまいました。

公衆電話の列の私の後ろに並んでいた若い女性(Tさん)と仲良くなり、一緒に行動することにしました。駅ビルのアトレのエスカレーターは動いていたので、アトレの中に入ることにしました。かなり、寒くなってきていたのです。6階のレストラン街では、お店は「準備中」となっており、人々は、空いている椅子に腰かけていました。私たちも、あるお店に頼んで座らせてもらうことができました。

電車が動くまで長期戦になると思った私たちは、食糧確保に走りました。Tさんが、コンビニでお水とおにぎりを買ってきてくれました。お昼を軽くしか食べていなかった私は、すぐに食べました。

しかし、店員さんがやって来て、「アトレは、5時半で閉鎖することになりました」と言われました。ここから出されてしまったら、この寒さの中どこにいればいいのでしょう。駅構内でしょうか。



アトレビルが閉まる直前に、パン屋さんで食糧をさらに調達することにしました。朝まで何も口にすることができないという予感がしたのです。



アトレビルが閉鎖となると、駅構内でも、「駅構内は危険ですので、閉鎖します。外に出てください。避難場所は、○○公園です」というアナウンスがありました。おそらく、さっきいた公園のことなのでしょう。あの寒空で、トイレもなく、そこに集まってどうしたらいいのでしょう。

Tさんと、タクシーを捕まえようという話になりました。会社を終えて駅に向かう人たちとは逆に、私たちは、ガーデンプレイスの方に向かいました。大きな道があり、タクシーが一台止まっていましたが、すぐに人を乗せて行ってしまいました。近くのバス停で行列している人たちがいたので、様子を聞くと、「30分も待っているけれども、バスは来ないし、動いているかもわからない。タクシーが来ても皆、予約みたいです」とのことでした。

彼女が「あっ、ホテルがある」と言いました。見上げると「WESTIN」の文字が見えました。そうだ、ホテルでタクシーを呼んでもらおう。私たちは、ウェスティンホテルに向かいました。

入口のホテルマンに「タクシーを呼んでいただくことはできますでしょうか」と尋ねると、「ええ、でも、現在、77人がお待ちになっています。しかも、50分に一台くらいの割合でしか来ませんが」とのこと。しかし、そこで、諦めると、ホテル内には入れてもらえないと思い、「結構です。待ちます」と言い、名前と行き先を告げ、やっとホテルに入ることが出来ました。

ホテルに入ったのは、6時くらいだったと思います。その時点では、まだ、ホテルは、避難所として帰宅難民を受け入れるという気は少なかったように思いました。また、まだ、人の数もそれほど多くはありませんでした。



宴会場から運んできてくれたのでしょうか。椅子が増えて、座ることが出来ました。Tさんと交代で、公衆電話に並びました。



2台ある公衆電話のうち、一人の中年男性が1台を占領し、10件以上電話し続けていました。皆、耐えていましたが、若い男性が「皆さん、待っていらっしゃるじゃありませんか。あなた一人でいったい何件、電話しているんですか?」と注意してくれました。皆で拍手喝采しましたが、中年男性は、逆切れし、「総支配人を呼べ」と怒鳴り続けました。皆、あっけにとられました。その後も男性は若い男性に向かってどなり続けて、その場は、かなり険悪な状況となりましたが、ホテルマンが2、3人現れて、その場を上手に収めてくれました。さすがです。

やっと、順番になると、家に電話し、「ホテルにいるから安心して」、と伝えました。

そのうちに段々人が増えてきました。



トイレに行ったTさんが、入口付近で珈琲を無料でもらえたと言ってもらってきてくれました。本当に美味しい珈琲でした。ホテルのサービスに対し、感謝でいっぱいになりました。

そのうちに、タオルケットやブランケットを配ってくれました。ロビーとは言え、かなり冷え込んでいました。私のように、ホテルにいることのできるものは、本当にラッキーであり、帰宅難民になって放浪している人たちは、どれほど寒く、大変であろうかと思いました。

そのうち、女性スタッフが、「お水はいかがですか」と配ってくれました。ありがたいです。ホテルは、珈琲の他に、温かいほうじ茶やジャスミンティーも用意してくれました。



人が段々増えてきました。



お腹が空いてきたので、さっきパン屋さんで買ったパンを食べました。お水も珈琲もあるので、本当に助かりました。

トイレは行列が出来ていましたので、フロントの女性に、「2階にもお手洗いはありますか?」とお聞きしたところ、にっこりとして「はい、ございます。ご案内いたします」「ありがとうございます」「お疲れはでませんでしょうか?」とまで聞いてくださいました。何と、行き届いたホテルなのでしょうか。ホテルのスタッフはどなたも、宿泊客ではない帰宅難民に対しても、笑顔を絶やさず、冷静に、そして、とても親切に対応してくれています。

ケータイは、全くの不通。メールも送れず。ただし、ウェブで情報は取れましたので、地震の被害のひどさは段々分って来ました。今夜は、もう電車に乗るのは諦めようと思いました。

夜、10時頃になると、ホテルマンが電車の運行再開の情報を流してくれました。



地下鉄の一部が再開したので、少し、人が減りました。でも、JRと東武東上線の情報はなし。
夜中に追加情報。タクシーは、恵比寿から新宿までで3時間かかっているとホテルマンは言いました。



1階のロビーの椅子で寝るのは、とても無理なので、Tさんと2階に移ることにしました。羽毛の肌がけ1枚を持って、2階に陣取りました。すでに心地よさそうにソファーで寝ている人や、カーペットの上ですっかりいびきをかいている人もいました。



ときどき、「タクシーが来ました。○○様、いらっしゃいますか?」という声が聞こえました。私は、78番なので、期待するのは止めました。家族が車で迎えに来た人もかなりいました。

私は、3時半から1時間くらいすっかり寝込みましたが、4時半には目が覚めてしまいました。ケータイの電池量が減ったので、フロントに聞くと、AUの電源ケーブルは1,300円で売ってくれるとのことでしたので、買い、充電してもらいました。Tさんは、日比谷線が再開したので、と言って、帰ってゆきました。Tさん、本当にどうもありがとうございました。


そのうちに、外が明るくなってきました。朝6時過ぎの外の様子です。まるで、何事もなかったかのよう。



まだ、ぐったりと寝込んでいる人もかなりいましたが、ホテルの警備員から、「お客様、外からお客様もみえるので、起きてください」、と促されていました。



6時45分頃に、家へのケータイ電話が繋がりました。山手線と東上線の運行の様子を聞きましたが、わからないとのこと。私がテレビを全く見ていないことを知った母は、涙声で「地獄よ」と言いました。想像を絶する事態が起きていることを知りました。

7時過ぎると、一階のレストランが開き、ホテルに泊まっていた方たちが食事のために、降りてきました。なかなか山手線が開通しないようなので、食事を取ることができるか、聞いてみたところ、「本日は、2000円でご案内しておりますが」とのことでしたので、もちろんお願いしました。暖かい食事やフレッシュなオレンジジュースをいただくことが出来て、本当に幸せでした。

ロビーでは、昨夜からの帰宅難民は、ほとんど人がいなくなりましたが、まだ、山手線が開通した様子はありません。昨晩知り合った男性が、父親に電話したところ、「池袋駅や新宿駅は、すごいことになっているから、まだ帰ってこない方がいいと言われた」、と言ってくれました。

そこで、外に出て、外の空気を吸うことにしました。

自動販売機で、ピーチジュースを買い、ベンチで飲みました。犬を散歩させている女性二人に会い、何だか不思議な気がしました。
ガーデンプレースは、人が全くいず、不思議な空間でした。

9:42のガーデンプレイスです。





すでにタクシー待ちのお客さんは、ほとんどいず、道路の混乱も収まったようなので、タクシーで池袋まで行ってみることにしました。11時ころだったと思います。20分程待つと、タクシーに乗れました。道が込んでいるかどうか、運転手さんにお聞きすると、「新宿次第だね」という答え。しかし、新宿でも渋滞に巻き込まれることなく、スムーズに池袋北口に着けました。後は、東上線に乗って、順調に帰宅できました。

ホテルで一晩過ごさせていただけた私は、本当にラッキーでした。家や友人の家まで数時間も歩いたという方もいらしたように、後から聞きました。

岩手県に住む友人が無事であることは、先ほど、メールが来てわかり、ほっとしました。

しかし、こんな状況下でも、暴動が起きるでもなく、淡々と事実を受け入れている日本人や日本に滞在している外国人を見ると、すごいことだなと思います。

多くの方がお亡くなりになったこと、家を失い、家族を失われた方が数えきれない程多くいらっしゃることに対し、胸が締め付けられます。心よりお悔やみ申し上げます。また、原発の放射線漏れの影響も心配されますが、よい方向に向かうことを祈っています。

そして、帰宅難民の私たちを温かく迎え入れてくださり、最高のもてなしをしてくださったウェスティンホテルに深く感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。


今日は、長くなりましたが、電気節約のために、今後はブログアップを控えるかもしれませんが、これからもよろしくお願いいたします。


ユラーナ








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地震のとき私は恵比寿にいました

2011年03月12日 | 日記
昨日の大地震のとき、私は、恵比寿の東京都写真美術館にいました。一晩、ウェスティンホテルのロビーで過ごさせていただくことができ、今、やっと帰ってきました。とても怖かったです。

ホテルでは、ケータイのウェブでの情報以外、全く情報が入って来ませんでしたので、今朝の新聞と帰って来てからのテレビ報道で、東北から関東にかけての被害を知り、愕然としています。岩手県に住む友人とは連絡が取れていません。とても心配です。


ユラーナ
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「夢をカタチにする」ワークショップ

2011年02月14日 | 日記
「夢をカタチにする」という心理学のワークショップに行って来ました。ちょっと前までは、自分の夢って何だったのかしら、と夢が霧の中に迷い込んでしまっていましたが、約2週間前に、中学の同級生とその友人と会うことで、自分にも夢があったことに気づきました。(お二人、ありがとうございます)

そこで、ちょうどいいタイミングでのワークショップ。参加者は、15名でした。

まず、やさしくて落ち着いた声の女性のトレーナーによる講義。「夢って何だろう」でした。イメージが出来るのは、夢の第一歩だそうです。

以下、大雑把なメモですが、自分の夢探しの鍵となるフレーズのようです。

 私はこれからどうしたいのだろう。10年前の自分があって今の自分がある。
 私は、何が好きなの?
 全部、無理と打ち消してしまう自分。
 でも、何か方法があるかも!
 人と話さない、動かない生活は苦しくなる。
 私とは、いったい、何なのか?
 人から見られることを気にしている自分。
 相手の言葉を聞くということは、言葉のキャッチボールが出来るので人間関係が良くなる。

評価されるには自分の好きなことは出来ない、という学校生活の経験から、夢が消えていってしまう、ともトレーナーの先生はおっしゃいました。でも、単に「~へ行きたい」「~が欲しい」も夢だそうです。

そこで、夢の定義とは

 これからの未来を作るもの
 自分の人生に拍車をかけてくれるもの
 自分や人にとって勇気・力が湧いてくるもの
 みんなで分かちあえるもの
 自分の興味・関心の先にあるもの

だそうです。まず、大切なのは、夢を言葉にして語ってみることだそうです。否定する思いが出てきても打ち消さないことが大切と。

そこで、10分間の時間を与えられて、自分の夢を書き出してみました。そこからベスト5を選び、さらにベスト1について、具体的に何から始めるかを書きました。

午前の部のまとめは、以下でした。

 夢は、言葉にして伝えよう!(これは、行動を起こすことに繋がるそうです)
 応援してって言おう!(人は、そう頼まれると、喜んで応援したくなるそうです)
 その為の第一歩を実行しよう!(夢を手帳に書いて、14日間見続けると、脳があたかも実現したかのように感じるそうです)


午後の部は、別の女性の元気いっぱいのトレーナーでした。目標は、「選んだ夢にもっと具体的にリアリティを持たせる」でした。
夢を手にしたときの状態、たとえば家族はどうか?どこに自分はいるのか?収入はどうか?時間の使い方はどうか?などを、10分間で各自書き出しました。

次に、その夢を叶えるのに障害となるものを書き出しました。時間がない、お金がない、タイミングがよくない、体調がよくない、出来ない、等など、様々な理由づけを、私たちはしています。

その後は、その障害となるものを、一枚の紙切れに書きました。そして、すべて筆記用具を置いて立ち上がり、15人が3つのグループになりました。

何をするかと思えば、みかん箱くらいの大きさの段ボール箱が登場しました。その段ボールの中に、一人が自分の書いた「夢を拒む障害」の紙切れを入れ、目隠しされます。その人の10メートルくらい先には、未来の自分(夢)役の人が立っています。その間に、段ボールを置くのです。そして、目隠しされた人は、未来の自分に向かって歩いてゆくのですが、段ボールには、触れずして、またいで、未来の自分と出会わなくてはいけません。そのルールを知った全員が、「え”~」と声を発しました。障害物を目で見ないで乗り越えられるでしょうか!?全員、不安です。私も、もちろん。

トレーナーは、笑いながら言いました。「直感を信じてください。結論から言うと、出来なかった人は、一人もいません。」

最初の人は、何と、一度で、成功しました。参加者全員から、「おー」という歓声。3グループなので、後は、大騒ぎとなりましたが、私は、3度目でパスしました。目隠しされているのと、歩きだす前に体を回転させられるので、歩幅の感覚などが狂い、本当に、直感に頼るしかなかったのです。成功したときには、ふと、ああ、ここをまたげばいいんだ、という感覚がありました。

全員が成功した後、トレーナーから、このワークから得たこと、学んだこと、感じたこと、日常で活かすことなどを書くように言われ、それを全員でシェアしました。

私が感じたことは、次のようなことでした。

「直感を信じれば、障害を乗り越えることができる。頭で障害と思っていても、障害と感じる必要はない。直感を信じ、大きなステップを踏み出すことが、目標への到達となる。障害に見えるものは、目標へのステップアップ」

トレーナーの先生は、言いました。「未来の『出来るという自分』を信頼してください。そして多くの仲間がいます」


これをお読みいただいて、皆さん、どう感じられたでしょうか?私としては、とてもよいワークショップに参加できて、嬉しく思いました。


ユラーナ






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ブログ始めます。

2010年03月06日 | 日記
ビジネス英文の書き方を学びたいと思っている方、私と一緒に勉強しませんか。海外取引を英語でなさっている方で、相手の書いてきた英文の意味がわからない、どう返事したらいいかわからなくて困っている方、いらっしゃいませんか。
私は、外資系企業3社で、約30年働いて来ました。少しは、皆さんのお役に立つかもしれません。私も、まだまだ、勉強中の身ですが、一緒にがんばりましょう!
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