Noblesse Oblige

「裕福な者には使命がある」

これからは、使命感をもって活きましょう。もっと、もっと、知りましょう。

都知事選

2007年03月15日 23時52分29秒 | 国内政治
ご無沙汰してます。特に何もせずに淡々と日々が過ぎています。廃人になりかけですね。追われるモノ・コトがないとダメな人間なんです。

報道ステーションを見ていました。都知事選に立候補している4人の議論を聞いていました。何か、興味が沸いてきた。東京都をどう育てていくのか。何とも楽しそうな話じゃないですか。わくわくするね。

東京オリンピックについて、石原さんは国威発揚としての意義を訴えて、吉田さん、黒川さんはそれを目的としてほどの意義があるのか。他に資源投入すべきでないという旨で反論。浅野さんは、何のためのオリンピックなのかを議論して立候補の有無を決めたらよいという論。

僕は東京でオリンピックが見てみたい。オリンピックが国威発揚でなければ何なのか。それが国威発揚であることに疑いは無いわけで、むしろ国民が本気でオリンピックを開催する気があるのか無いのかという点を重視すべきではと思う。あるいは、東京という環境の中で現実に世界の他の候補地に勝てるだけの計画があるのか否かという点ではないでしょうか。福岡と争ったときの東京の計画を今度は候補者が議論しているのを見ることができればよいのでは。

浅野さんが提起していた、東京で急激に増加する老人に対する介護、あるいは石原さんがいうところの介護を必要としない老人の生きていける環境整備という点にも興味が惹かれた。対立点が一見わかりづらいこうしたテーマも、老人にとってどのような環境で幸福な日々を送ることができて、そのためにはどのような箱やシステムを創ればよいのかという繋がりの見えるわかり易い議論がされればと思う。

それにしても、黒川さんの態度は失礼極まりない。カメラの前で愚痴をこぼすなんてありえないでしょう。政治家でなくてただの有識者だってことが露見されちゃったね。浅野さんがかなりいいなと思った。4人の中で最も議論の筋が通っていて、ブレが少なかった。石原さんは話が飛びすぎ。吉田さんは話が極端になりすぎ。政治家っておもしろい職業ですね。

携帯と途上国

2007年02月18日 11時05分21秒 | 国際政治
社会人に備え、「日経ビジネス」なるものを読んでいます。全て、親父のおさがりですが。ビジネスのトレンドを把握するのに手っ取り早いし、経営者に対するインタビューでは質の高い質問と返答が書かれているから勉強になる。

2月5日号では、ノキアについて特集を組んでいました。ノキアについては、携帯会社というイメージしかもっていなかったわけですが、なんと120カ国以上に支社を持ち、社長曰く「全ての携帯市場に参入する」ことを考えている超ビックな携帯会社だった。インドや中国が月数百万人規模で加入者が増加している状況で、ノキアの携帯を見ない国はないというときは実は間近だったりするのかもしれません。

ノキアは中近東アフリカでの携帯シェアが北米やラテンや中国よりも多いという特徴を持っています。特にアフリカでの携帯の普及にノキアが貢献している点に惹かれました。ウガンダやナイジェリアでは、「水よりも携帯」だそうです。実際、携帯があることによって、これまで数KMを歩いて売買しに行ったのが、事前に何をどれだけ持っていけばよいのかが把握できることによって、効率的な売買ができるようになったらしい。

実際に現地の人々がどのくらいのコストで携帯を所持することができるのかということを把握できてないので何とも言い難いところですが、携帯がアフリカの貧困を救う起爆剤となるのか。いわゆる、貧困をビジネスとして捉えて、儲けると同時に貧困を救うというやつですよね。

「貧困を解決しよう」と唱えて活動するのは、やはり公的団体なんですよね。NGO・NPOも私的団体とはいえないし。それ自体をビジネスとして捉え、いかに貧困削減が短期的な利益獲得に繋がるのかという視点で考えなければいけないのではと思います。長期的には利益になるという考え方は、民間企業には難しいのではないでしょうか。その年、その年の利益を計上し、必ず黒にしなければならないというプレッシャーの中では将来的な利益というのは大きなリスクに過ぎない。

つまり、貧困をビジネスとしてみた場合、長期的利益獲得のためには公的団体が働き、短期的利益獲得のためには私的団体が働くという構図がうまくできれば、結果的に貧困削減に貢献できるのではと思うわけです。さらに、公的団体と私的団体が有機的な関係を気づくことによって、お互いの利益を拡大させる。そのためには、例えば各国のPRSTに私的団体が利益を得ることができるためのインフラ整備だとかを重視する旨を記載するなどの措置をとればよいのでは。

もっとも、ノキアの例がそうであるように、海外の会社が現地を席巻したのでは持続可能性という観点から大きなリスクをはらんでいるわけですよね。いつ撤退するかわからない。よって、私的団体といっても、現地企業の力を向上させることを考えなければならない。そういった意味では、ODA等を通じた技術協力というものが意味をなしてくるのではないかと思います。

トルコ旅行

2007年01月25日 03時23分43秒 | ぼやき
12月に続き、1月もまったく更新していないブログですが、僕はちゃんと生きています。アクセスも50人以上の方に毎日されていたみたいで、なんだか更新していなくて申し訳ないです。

今は、トルコにいます。1月9日から31日まで一人でトルコ一週(といっても冬なので西側のみですが)をしています。トルコの人は日本人に対して親切とは聞いていたけれども、これは本当ですね。なんど、チャイ(ティー)をごちそうになったことか…

ローマ時代、ビザンティン、オスマン、ギリシャなどなど、5000年以上もかけて多彩な文化に彩られてきたトルコは、その遺跡からみても歴史の奥深さと日本という国の歴史の浅さを思い知らされます。

正直いって、もっとローマやギリシャなどの時代を勉強しておけばよかった。ガイドを利用してないので、ほとんどが資料を読みながらの遺跡探索になっているのですが、どうにも深みを感じるのが難しく、何かもったいない気もするのです。

しかしですね、トロイの遺跡(土台しか残っていない寂しい遺跡)を見ながら5000年前の姿を想像してみたり、エフェスの遺跡をみながら当時の生活に思いをはせてみるのも感覚的にいいものですよ。

トルコ語はなんとなくですが話せるようになってきました。今日などは、小さな島にいったのですが、どうにも日本の神道というものが理解できないらしく、神の存在を信じないならばムスリムになりなさいとなんどもいわれたあげく、アラーのすばらしさをひたすら語られたものです。まぁ、半分以上は意味がわからなかったけど。

トルコ料理は世界の三大料理の一つに数えられていますが、なるほどうなずけます。レストランはもちろん、どの屋台にいってもおいしい。肉の質がいいこともそうですが、ケバブのようにそもそも肉をつけているたれにおいしさの秘密があると思うんですよね。バザールでは、いろんな種類のスパイスを見かけますが、それらをうまく混ぜながら使っているのだなぁと思います。

トルコ旅行の細かい日記はMIXIの方に載せているのでどうぞそちらの方を観てくださいな。ではぁ。

謹賀新年

2007年01月02日 12時14分41秒 | ぼやき
みなさんあけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。このブログはもともと、考えていることを文章にしてみようとか、ひきこもりだったからネット上の交流でもしてみようという思いではじめたわけですね。はや、2年を経過し、コンスタントに100人以上の方に閲覧してもらっています。本当にありがとう。

12月は全然更新できてなかったです。申し訳ない。これから、どんどん更新していこーと思います。小難しい内容になっていたり、しょーもない内容になっていたりしますが、どんどんコメントを寄せてくださいまし。

ぼやき関係については、このブログで語るのをやめました。mixiやgreeで日々の生活をぼやいてます。もし、こっちのぼやき系を観たいという人はつないでくださいな。ほんと、しょーもないから。

今年は年男。しし座のイノシシ年だからね、まさに『猪突猛進』でいきたいと思います。社会人1年目にもなるわけだし、がんがんいきます。ではぁ。

フィジーのクーデター

2006年12月10日 11時39分01秒 | ぼやき
またもや民主国家が軍のクーデターの被害にあった。フィジーは、タイと同じくクーデターの文化があるようだ。何度も民主主義が覆され、そしてまた民主主義に戻る。ならば、なぜ武器ではなく言論を用いて戦わないのだろうか。

明治政府が誕生し民主国家化が進むなかで、西郷隆盛は征韓論を主張し、その主張が大久保らに退けられると、鹿児島で武力蜂起した。しかし、西南戦争以後、日本では武力蜂起による反乱は事実上なくなった。代わりに、議会が誕生し、言論による反発が続けられた。第二次世界大戦前には、軍部が事実上の権力を握ったが、議会と内閣は存在し、数少ないながらも軍部に抵抗した政治家もいた。

クーデターの文化があるのはなぜだろう。もっとも、クーデターといっても、独裁国家の転覆を目指すものと民主国家に対するそれとは異なる評価を与えられる。シビリアンコントロールという言葉が示すとおり、半ば強制的にでも法律によって軍部の自由を剥ぎ取ることが重要なのだろうか。しかし、クーデターとはそもそも超法規的な措置なのだから、そのような措置をとってもあまり意味がない気もする。絶対にクーデターが発生しない状況を創るにはどうすればよいのだろう。まさか、日本みたいに、軍隊は存在しないという考え方を他国にもやってもらうということはできないだろうし…

「民主主義は空気みたいなもんだ」

とは姜尚中の言葉だ。つまり、普段は意識しないのだけど、薄くなってくる息苦しくなるということ。やはり、独裁国家や軍事政権下では国民は息苦しさを感じるわけで、民主主義はいいものだということになるね。


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