Noblesse Oblige

「裕福な者には使命がある」

これからは、使命感をもって活きましょう。もっと、もっと、知りましょう。

村田晃嗣講演会@小倉 その①

2005年09月27日 15時06分58秒 | 国際政治
2005年9月19日@小倉リーガロイヤルホテル

今回は、「朝まで生テレビ」でおなじみの同志社大学法学部教授、村田晃嗣先生の講演会に行ってきました。もう1週間前のことでややおぼろげ気味ですが、以下に僕がとりわけ関心に残った点をまとめようかと。

この講演会のきっかけは、サークルの友達が「がんばろう日本!国民協議会」という団体(僕は民主党の支援団体と捉えてますが…)で、村田先生の講演会が九州で開かれるということを教えてくれたことにあります。やはり、真剣に日本の将来を考えている人は、アンテナが広いなと改めて思ったね。

さて、村田先生の講演、題目は「日米関係と中国・朝鮮半島」というものでした。しかし、その内容は題目とはおおよそ逸れ、まずは日本の政治について話してくれました。これは僕のもうれしい誤算で、国内政治に疎い僕にとっては逆にいい機会になりましたね。

氏曰く、アメリカのカトリーナだけでなく、日本にもタイフーンがやってきたということです。すなわち、先の衆院選の結果、自民党が大勝し、一方で民主党が半壊したと。この点につき、氏はこれまでとどのように変わっていくかにつき展望されました。

一、自民党が採用した公募制という方法によって、これまでの自民党構成とはまったく背景の異なる人々が多く自民党員になったという点。それはつまり、政治に疎い人々が多く入り、自民党政治の素人化が生じる可能性がある。

この点、先の報道でも話題になった、26歳の衆議院議員、杉村太蔵氏の例を見れば微妙に納得してしまうところです(ちなみに氏のブログはhttp://sugimurataizo.net/)。一方で、既存の勢力も数多く残る中で、そう簡単に素人化という現象は生じないとは思うのですが。


二、民主党は、自民党との差異を強調するあまりに、左傾化する可能性がある。民主党は、さまざまな背景を持つ人々の集団であるため、下手すると政権交代が伸びる中で空中分解する可能性があるという。

これについては、何も言えないです。何を言えばいいかわからない…


さて、小泉外交についての氏の評価について書きます。氏は外交赤字という概念を用いて解説していました。外交赤字とは相対的で抽象的な概念だけど、ようは日本にとってマイナスの影響を及ぼしたことですかね。ならば、あまり用語を使う意味もない気がするのだけど。

氏は日米関係については肯定的評価を、それ以外の外交については否定的な評価を与えました。それぞれについての詳細を語る前に氏は小泉首相の外交姿勢についてこう評しています。

「小泉は外交を知らなかった」「外交に無関心でしかなかった」

そして、この傾向は自民党の圧勝により加速するだろうと言います。すなわち、国会の3分の2を占める大与党の元では、国会を通すことの少ない外交問題は後回しにされて、それこそ郵政民営化法案のように国内の重要問題の解決に時間を割き続けるだろうということです。これは後述するように、日本の世界における地位を考えたときには危険なことだろうと。


さて、日米関係について、小泉首相とブッシュ大統領の親密さを見ればその関係が以前よりも強化されているのは明らかです。しかし、この傾向がこのまま続くかというと微妙であると氏は言います。

すなわち、米にとっては、カトリーナ(そしてリタ)に関連する国内政治に手を追われて外部に目を向けることが困難であると、つまりはマネージメントがうまくはいかなくなり、日本への関心も低下するだろうとのことです。

一方で、日本は、米が日本に期待を寄せている多くの分野について、その期待に応えていないといいます(具体的にそれが何なのかについては述べていなかったと思うのだが)。こうした中、BSE問題などが政治問題化し、両国間の懸念事項として存在していることは危険であると言います。BSE問題ついて、米国議会は制裁措置も含めた決議をしているわけですが、こうした動きの中心となっている議員のほとんどはブッシュの年金政策(ブッシュの最重要政策のひとつ)の支持者であるということです。これらの議員たちは総じて畜産関係出身であり、故にBSE問題を押し出しているということです。ブッシュ大統領は自分の中心政策を持続するためにも、BSE問題をプッシュせざるを得ず、日本との関係が悪化する可能性は存在するということです。


さて、長くなってきました。
そして、僕も忙しくなってきました。
そんなわけで、また次回に書きます。

コメントください。


<続>

世界の紛争

2005年09月24日 12時39分07秒 | ぼやき
模擬国連ネタです。

いま、全日本大会の安保理BGを書いてます。
って、何度も言ってる気がするのだけど。

この間、スーダン書き終わって、今日はコートジボワール書き終わります。
んで、明日は一日でアンゴラを書いて、あさってとしあさってを使ってエリトリア=エチオピアを書きます。んでんで・・・

とまぁ、ひたすら作業のごとく世界中の紛争について書いてるわけです。
やっぱいろいろ考えてしまうよね。
紛争、紛争ってほんと絶え間ない。
模擬国連の会議を通じて、こうした紛争の解決の方策はよくよく勉強してるつもりですよ。でも、永遠にこうした紛争がなくなるにはどうすればよいのだろう。
そりゃ、少し考えれば、ほうほうなんていくらでも思いつくけど、でも、それに対してすぐに反論ができてしまう。誰もが、従える、同調できる、永遠の紛争なき世の中にするにはどういった考え方が必要なのかな。と思ったりするのです。

さて、BGの話です。
それぞれの紛争の起源や経緯、国際社会の対応などなどを記述してます。
作業としてはものすごく単調なのだけど、かなり難しい点がありますね。
それは、歴史を記述すること、それをできる限り客観的に記述しかつ分析を加えること。自分のバイアスをできるだけ出さずに、BGとしての性質を考えて記述すること。本当に難しいなと思います。
自分の記述する文書は、一面的ではないのか、ほかにもっと書くべきことがあるのではないかと日々葛藤しながら書くわけです。
歴史を記述するなんて、本当はこんな一介の学生がすべき行為ではないと思うんです。そういった意味では、僕の書いたBGがウェブで公開されるってのは、だいぶ危機感あります。

こんな僕が書いてるBGですが、、なんとか受け入れてもらえればと思うのです。
さてさて、

〆切に間に合うか・・・

「考える」ことを考える①

2005年09月17日 16時04分10秒 | 国際政治
模擬国連の全日本大会が「考える」におかれていることで、BGを執筆する中でもいかに参加者に「考える」機会を提供するかも考えるわけです。

って、考える考えるってややこしいので「考える」を「思考」と表記しちゃいます。

さて、「思考」をするには、何かしらのキッカケが必ずあると思うんです。
その際たるものが、①読書②会話でしょう。

APUにいるとよく思うことが、APU生はよく「思考」することはできます。しかし、その割に何かを質問すると多くの確率でまともな「回答」が返ってこないわけです。じゃあ、質問に弱いからAPU生は②が無いのかというとそうでもない。とはいへ、APU生が①読書をしているとも考えられない。

ところで、「思考」の中身とでも言うのだろうか、方法とでもいうのか、それにも代表的なパターンがあると思うんです。一つ目が、論理展開型。つまり、何事も起承転結を交え、相手に自分の意図を1から10まで理解しようとしてもらうという「思考」法。二つ目が、いわゆる直感型。これは、パッとひらめいたことを口に出し、後からなんでそう思い立ったのかを「思考」するタイプ。

APU生に多いのはほぼ圧倒的に直感型でしょう。なんせ、会話をしても何の論理性も感じないのに、妙に納得してしまう機会が多い。そもそも、学生層の半分が留学生でしかも、日本語基準といっても在日コリアンや、中高で普通じゃなかった特殊な背景をもつ学生が多い。こうした人々の意見は「おぉ」っとよく感じる一方、「んで、それは何でそう思うの?」といってみると、多くの場合「なんとなく」。

論理展開型と直感型の人間がいて、どちらがよくてどちらがだめなのかと、考えても意味がないのかもしれないが、やはり「論理性」は必須の要件だと思うんです。
だって、相手に対して説得力をもたない意見は、自分の中で消化されて終わりなわけでしょ。人が発話をするときには、何かを理解してもらいたいから発話するのが当たり前だと思うんです。たとえそれが何気ない一言であっても無意識的にです。

ならばこそ、やはり「論理性」を磨く必要があると。ならばこそ、①読書をし、②会話をすることは重要だと思うんですね。人間誰しも成長したいと願うのは、こうした能力を鍛えたいという無意識的な願望の現われなんじゃないかな。

では、①読書と②会話は、どちらが重要なのか。当然どちらも重要なんですよね。でも、とりわけ大学生活は4年間というあっという間の時期。やはり、ある程度の見切りは必要なわけですよ。

僕は、やはり「読書」が重要だと思うんですね。なぜならば、自分が考えも及ばないことがずらーーーーーーーーっと書かれている。こんなに「思考」をめぐらせてくれる機会は無いでしょう。よく、読書をすると眠くなるから無理という人が多いんだけど(とくにAPUには)、それってただ文字を見て進んでいるからであって、一文字一文字に「思考」を巡らすことができれば眠くなるわけがないんですよ。とはいへ、文字に注目しすぎるのはよくないのだけど。

とまぁ、適当なシメをしてみて、次回は、「思考」の方法について考えてみます。メタ視点の重要性、critical thinkingへの疑問などなど…


※注意! 「APU生」といっても当然例外も多くいますよ。でも、すくなくとも4年間で出会った人の最大公約数を考えると以上のような見方になるわけです。怒らないでねー



自民圧勝の裏に無知が…

2005年09月13日 18時27分13秒 | 国際政治
などと、政治学をろくに学んでいない私には己の無知をさらけ出すことになるかもしれないのだけれども、選挙について書いてみます。

ご存知のとおり、自民党の歴史的大勝(得票率はともかくも議席数から明白)に終わった今回の選挙、色々と考えることが可能なのではと思います。とりわけ、僕が興味を持っている点は、無党派層の若年者層における自民党支持数の急激な増加です。

テレビや新聞などでも流れているとおり、これまで選挙にいかなかった、あるいは適当に投票していたという若者が自民党に投票した理由のほとんどが、「郵政民営化に賛成」とか、「小泉さんが好き」などであった。

僕は、このような理由で投票すること自体に疑問があるのではなく、当然に文句があるわけでもなく(ここに文句を言えば、知識層の独りよがりでしかない…)、ただメディアのあり方、とりわけテレビのあり方に疑問が残ったわけです。

管直人がインタビューの中で、「日本のメディアのレベルが低い」という言い方をしてましたが、質の問題というよりかはその構成の仕方がいけないのではと思います。

つまり、僕ら若年層が注視するテレビ映像に流れてくるのは、そのほとんどがキーワードであり、小泉さんの顔であり、一貫した政策の説明をしている場面がほとんどなかったわけです。

そこで重要となるのが、討論番組の存在ではないのだろうか。別に番組にする必要はないかもしれないが、選挙カーからの一方的な叫びではなく、各地で各政党の候補者が議論をし、その様子を有権者が簡単にのぞくことができる体制が必要なのだと思う。

民主党の意見と被ってしまう点が恣意的ではあるけれども、党首討論の機会をもっと多くメディアで取り上げる、または創る必要がある。つまり、僕ら若年層がより相対的な判断をできるように、論点を番組が設定し、それに関する党首の意見をぶつけあう姿、それを僕らが見れれば、より正確な「民意」を示すことができるのではないだろうか。

マニフェストなるものが存在するが、そんなものを読むのは所詮は知識層か暇人だろう。一般(?)の若者にとっては、そんな文字だらけのものを見ようとは考えない。それでも頼らなければいけないもの、それがテレビである限り(インターネットもありえるが…)、その映像が僕らの適切な判断を引き出すために必須の材料となると思う。


僕自身は「外交政策」を中心に支持政党を決めたいと考えていた。しかし、テレビにおいても、新聞においても外交政策について各党の考え方を示す番組、欄は皆無であった。マニフェストにおいても、抽象的なことを書いてあって、違いがよくわからない。

小泉首相が「郵政民営化」の是非を決める選挙だというならば、郵政法案が可決された後、ふたたび衆議院を解散してほしい。なぜならば、僕らは「郵政民営化」という論点でしか今回の選挙を見れなかったからだ。

日本の未来を担う、僕らの世代に、少しでも「考える」機会を与える、社会のあり方、メディアのあり方、政治のあり方が必要とされるのではないかと思う。無知な僕らを無知を前提でなんとかして「考え」させる機会を与えてくれなければ、そのうちに日本は世界から「馬鹿」にされるのではないかなと思う。


細かい知識がないなか、思ったことと言えばこんな感じでした。
みんなは今回の選挙に何を思ったのだろうか?

西日本車の旅

2005年09月11日 17時51分08秒 | ぼやき
小田@APUメディアルームです。


帰ってきたぞーーーー
おらは京都から下道で別府まで帰ってきたぞーーーー
いろいろと立ち寄ったけど、計22時間の車独り旅行でした。

うん、楽しかった。
あんま、しんどくもなかった。
いろんなとこみれたし。


まず、17時に滋賀県草津を出発、18時くらいに京都でこーあんとおこのみ焼きをほおばる。23時くらいに兵庫県赤穂市でこーあん氏とお別れ。ちなみに京都・赤穂間はこーあんの運転。意外とこれがよかったのかもね。

んで、赤穂からはひたすらした道。ところがさ、2号線が意外とスムーズに走る。とちゅう、バイパスになるところ多く、場合によっては120KMくらいで走れたね。気持ちよかった。

んで、広島駅に3時に到着。当然のごとく、お好み焼きや探し。んが、当然のごとくどこの店もあいてんかった。だって、金曜の夜なら普通あいてるべ。

さて、そのまま走り続けて4時半ころ、山口県岩国市に到着。常にトラック運転手と一緒に国道走っていたため、異様にテンションあがってたけど、、極度の疲労に気づき、PAに突入。後部席をベット化し、寝る。その間1分もたたず。

朝8時、おなじみ「朝だブー」の一声で目覚める。1分後、PAを出発。ひたすら走る。11時ころ、関門トンネル通過。海の下を車で走るっていい感じだったわ。

12時ころ、小倉に到着。ラーメン屋を探す。んが、いきたいとこがどこだったか忘れ、river walkなるモールに到着。地下にある5つ星ラーメン街なるところで昼食。うめかった。

さて、別府に帰るかと小倉郊外、とても大きなガソリンスタンド発見。突入!、と思ったら、手洗い洗車場が大量にあった。総走行距離2800KMの快挙をたたえ、愛車のDELICA君をマッサージ。きれいにして、室内も掃除。もうピカピカ。

さて、いい加減帰るかと昼3時くらい、今度は雨がきた。え、雨・・・。せっかく洗った車も意味なく、雨は雷を伴って進むごとに強くなっていく。どうやら、雨にむかってるようだ。

そして、大分県安心院(あじむ)、ようやく別府にあと一歩だーーー、と思ったっけ、今度は暴風雨。電光掲示板には、「安心院山間部通行禁止」とある・・・
で、僕は思った、「安心院で全部山じゃん!!!」ってんわけで、気にせず突破。
登っていると、どんどん雨は強くなり、1M先が見えないくらい。ちょっと、やばいかなと思う僕にクラシック音楽が背中を押す。誰だったか忘れたが、確か、「動物の感謝祭」だったと思う。チェロの音が激しくテンションを盛り上げる。

そんなこんなで山越え完了。APUの傍に近づくが、が、今度は道路が川状態。楽しかったねえ。川登かよ、って感じだったから。でも到着。17時には我が家到着。


別に独りでも十分楽しめちゃった。
さぁて、今度はどこにいこうか。
北海道もそんなに遠くないなぁ、と思うようになったきょうこのごろ。

まずは、九州制覇だね。


誰か、鹿児島いきません?今月に・・・

あ、あ、
ちゃんとモギモギBGもやってます。
がんばってます。今日も論文大量にげっと。

そんなんで、別府にいる暇人あつまれー000



ポリめ…

2005年09月08日 13時51分58秒 | ぼやき
捕まってしまった・・・
罰金15000円に減点2・・・

罪状は、右側駐車?らしい。
みんなが、駐車してるからいいのかと思い、路駐したんよね、
そしたら、県外ナンバーなもんで、空き巣と勘違いされ、110番通報。
交差点5M以内にも引っかかりそうだったけど、自分で歩いて5歩以上を確認、逃れる。
放置駐車も言われたけど、周りにいくらでも放置いるから、ほかの人も全員ですよね、っていったら逃れた。

んが、右側に止めたのは明らかなので認める。
なんだよ、別に右側にとめたって同じじゃん・・・

びっくりしたのが、その後の警察。
「どうせとめるならもっといいとこあるよ・・・」
っと、BKC生用の路駐場所を暴露。んなら、まずおれを見逃せよ!
しかも、その場所、めっちゃBKCに近いし・・・


とまぁ、別府→富士まで車で動き、挙句の果てが罰金15000円と・・・
なんともやるせない気持ちで、、明日の期末試験を迎えます。

勉強しねーよぼけぇー
それより、もぎもぎのBGじゃ。

ってか、帰りはおれ一人かい!

誰か、誰か、誰か、、、

滋賀県から一緒に車で別府(またはそっち方面)さ、
帰ろうよ。

誰か一緒に旅しよ。


うはぁ・・・

富士登山とその後

2005年09月06日 10時56分15秒 | ぼやき
まじめな話からもうしばらく遠ざかりますねー
いま、ネタ探し中なんです。


さて、富士山登ってきたよ^
ありゃ、すごかった。

まず最初の驚きは、下界からまったく富士山の様子が見えなかったのに、いざ登山開始と思ったら、完璧に晴れておって、満天の星空だったのです。そりゃすごいさ。

実際、僕らと同じく登山開始した人たちは意外とたくさんいて、その大勢がライトをつけて山頂に向かうさまはまるで、天に召される方々のよう。みんな星になって消えていくのだと、本気で考えてしまいそうな光景だったわ。

天気のよさは逆にいうと大きな誤算でもあったわけです。僕は8年前にも富士登山をしたのだけど、そのときは8合目以降、大変な暴風雨でして、そりゃ死にそうな状態でしたわ。故に、今回も参加者には雨具やらかなりの装備を強制させたわけね。だって、普通、富士山って雨は必ずふるじゃん!登ったことある人ならわかるでしょ?

んが!!!まったく、天気は悪化せず、結局、、山頂まで晴れだったわけです。
違った意味でまじありえねー って感じでした。

でも、山頂のあの寒さは記憶のままでした。やっぱ寒い。もう唇と爪を真っ青にして死んでました。ご来光の感動も一時の幸福、その大半は死のふちを彷徨っていたんです。

下山は地獄だったね。頭痛いは腰痛いは吐き気するわで… そんときは、風邪だと思っていたのだけど、やはり寝不足がたたっていたね。登山前日の夜10時から登山当日の夕方5時まで車運転してたわけだからね。もちろん、途中でドライバーチェンジしてだいぶ助かったわけだが。

富士登山前には十分な睡眠をしましょう!!!!これは教訓。


さて、楽しい楽しい富士登山の夜、僕らは名古屋に帰りました。そこで、メンバー宅に宿泊。いやぁ、さすがにご両親との会話はちょっと緊張するものがあるが、が、楽しかった。手羽先くってぇ、ビール飲んでぇ、くしかつくってぇ、自家製梅酒のんでぇ、ぇ、よかった。そして、気を失うかのごとくお休み。かなり気持ちよく寝れました。ほんと、お世話になりました。

翌日、名古屋でお馴染みのCOMEDAコーヒーでモーニングをし、午後は犬山城にいってまいった。古いいい感じのお城。でも、足痛くてきつかったの。実際・・・

そして、月曜から僕は、滋賀県の立命館大学、いわゆるBKCにいます。今も、授業中。いや、別にサボってるわけではないんです。でもさ、情報処理室で授業するのが間違っているよね。そんなん、授業つまらなかったらパソコンしてるに決まっているじゃん。

ちなみに、授業の内容は「途上国経済論」で、元欧州開発銀行やら大蔵省やらで働いていた藤川鉄馬先生。浅く、広く、知ってることも多く、故に発見も少なく、情報提供ばかりで頭を使うこともなく。こうして、キーボードを打っているわけです。

同時に全日のBG作業もやってます。
協力してくれてるAPUの1回生たち、本とよくがんばってくれてます。
そりゃ、うまくかけないのは当たり前です。また、細かく指導できるようにします。

はてさて、明日は台風で学校も休みになるのやら。




富士登山へ

2005年09月01日 10時07分59秒 | ぼやき
今晩、旅立ちます。
車で富士山に向かい、制覇してこようと思います。

その前に、世界観光サミットのworkshopミーティングでし。
英語だけのミーティングなもんで、相当しんどそーじゃ。
まぁ、しかし一回も参加してないから少しは貢献せねば。


ところで、富士山ってさ、シーズンは8月だから、かなり多くの人が8月以外は登山ができないのではという心配をしていました。ところがどっこい、実は8月以外でも登れるんだな。ただ、気温とかが8月に比べてかなり寒く、8合目以降は0度から5度だとのこと。かなり厚着もってきます。

今晩の10時に出発で、まずは下道で福岡県は小倉へ、そこでメンバーを一人拾って、小倉東から高速に乗り込み、その後ひたすら西へ西へ西へ。兵庫県赤穂市のメンバー宅でおそらく6時くらいの朝食を取り、10時くらいに名古屋着。その後、味噌カツを昼飯にとって、メンバー二人を拉致り、富士山へ。

ご来光をみるために、夜11時に登山開始。朝4時には山頂着。実際は3時ちょっとすぎになる気がするけどね。そうなるとご来光まで寒い中凍えて待つ可能性が。
ま、いいか、死ぬわけでもないし。

下山後、ふたたび名古屋に向かい、メンバー宅に宿泊。その夜はぜひとも山ちゃんで名古屋名物堪能したいのー

翌日は(たぶん)三重県の長島スパランドに直行。んで、遊んで遊んで、京都に向けて夕方くらいに出発。夜に到着で、メンバー解散。僕と数人は滋賀県のBKCキャンパスに直行。宿舎に泊まり、翌日からの夏季集中に備えるとな。


いやはや、日本は狭い。しかし、よきところ非常に多い。もっともっと日本を知って、世界に向かいたい。日本に誇りをもてるように、いろいろ見てきたいねえ。
なにより、車内に総計20時間はともにする友人たちとの会話も楽しみね。

あとは、無事故で安全に楽しく終えられることを祈り、実践するのみ。
こんな、ひと夏(初秋?)の旅に幸あれ。