感想!

主として社会情勢に対する感想。

嘘が真実に

2005-06-29 18:51:47 | Weblog
①正論7月号。中西輝政氏の書かれたものの中に、1915年日本が中国に呑ませたと俗に言わている21か条要求=最後通牒についての記述があった。それによると、

この最後通牒は実は日本側が積極的に出したのではなく、当時の袁世凱・中華民国大統領が「”仕方がない”と国民を納得させるために出してくれ」と日本側に頼んだことが明らかになっている。
・・・つまり、「最後通牒」は中国による「引っかけ外交」だったのである。

とあった。その後の謀略宣伝工作によって、日本が強要したということにされている。

②賠償問題に関してこんなことがある。(諸君7月号。細谷茂樹氏の書かれたもののなかに)
日本と韓国や北朝鮮は太平洋戦争中において「戦争状態」であったことはない。当時は、朝鮮半島は日本の領土であったのである。「大韓民国」や「朝鮮民主主義人民共和国」という国すら存在しなかったのである。それどころか、朝鮮半島の人々は、「日本軍」の一員として戦時中共に戦ったのである。
そのような、韓国や北朝鮮に対しては、サンフランシスコ平和条約でも、日本は「賠償」義務は負っていない。
同条約は、朝鮮半島の問題は「賠償」とは別の条文で扱っている(第4条)。・・・

こうした記述を見るたびに思うことであるが、真実を教科書等でなぜ教えないのか。もっと国民に事実を知らせるべきだ。

だから中国や韓国に、また北朝鮮に日本が一方的に侵略をし、そうした国国の人たちを苦しめた非常に悪い国である。そう思わされているのである。ちゃんとして、反論する政治家もいない。

日本の国民は、残念なことだが中韓朝に関することには[嘘を真実と信じ込まされている」のではないかと常に疑ってみる必要がありそうだ。

元凶の思想

2005-06-24 19:15:53 | Weblog
日本人の心が壊れた。昨今のさまざまな事件や出来事を見ているとそう思えるのである。
それは戦後の教育の所為に違いないのだ。そうした教育を為さしめているのは、
ご承知のように教育基本法や憲法である。
その教育基本法や憲法を生み出したおおもとの思想は人権思想である。
ところが日本人の考える人権主義と欧米人の考える人権主義には大きな隔たりがあることに気づいていない。
その証拠に人権主義が教育の重大な支障になっているという話を欧米人から聞くことがないからだ。
日本では人権主義が犯罪抑止の上からも、教育実践の上からも大きな障害になっていることは、
そうした仕事に携わるもののみんなが感じていることである。
日本的人権主義が日本を崩壊に向かわせているのである。
欧米の人権主義とどこが違うのか。その違いをしっかり認識する必要がある。
次のカギ括弧の中は、外国の事情に詳しい方から私のところにとどいたメールの一部です。
「人権教育 道徳教育を学校でしている英語圏の学校は聞いたことありません。
先ずそんなものは家庭で行うもの、また、必ず宗教がキリスト教がおおいですが、家庭にありますから、
そんなところから、学びます。また生徒指導は学校の問題でなく、あくまで家庭です。悪いことをすれば、
家庭に連絡が行きます。また。学校にカウンセラー専門を置き、先生は教える事以外あまりしません。
また問題を起こせば、処分も厳しいです。アメリカでは何か問題があれば、
サスペンションroomと言って窓のない部屋に1週間ぐらいいて、トイレ以外出られなく、
許可されて、初めてふつうのクラスに出られます。」
サスペンションルームの存在一事を見ても、アメリカ人の考える人権と日本人の思う人権との間に
大きな差異があることを思わずにはいられない。
また、
日本では教育基本法にも憲法にも国家についての記述がほとんど皆無である。
個人を絶対視するような記述ばかりが目に付く。
ここに自己中心的人間が作られる原因があると思われる。・・・・
彼らは何事にも無責任であるばかりでなく、無感動、無気力、そのくせ何かといえばすぐ切れるのである。
そうした人間を作り出す日本的人権主義は、まさに悪魔の思想である。
人権が人を支配する世の中は絶対に間違っている。
教育に人権が入り込む余地など無いのだ。これが欧米人の普通の考え方である。


型が大事

2005-06-16 07:32:21 | Weblog
ものを習う場合、型とか形が非常に大事だと思います。
教える側はもちろん、それが身についてないと教えられません。
型は作法と言い換えてもいいでしょう。
型が身に付いてこそ、はじめて魂が入る。
茶道、華道、武道等々を考えてみると分かりやすい。
学校教育に、このことが忘れられた。いやいや、排除された。
型にはめては個性が失われると言うのが、その理由だ。
それは、何も身に付いたものをもたない人の主張である。
もともと、教育者としての条件を満たしていない者の言い種だ。
なにも分からないド素人の意見も尊重しなければならない世の中だから。
ぼやいてもしょうがないのかもしれませんね。
指導技術も情熱も最低限の教養もない人たちを、先生として集めてみても、
子どもを悪くするだけだ。
日本は、将来どうなっていくのでしょうね。

北朝鮮の勝ちか?

2005-06-14 09:37:12 | Weblog
6カ国協議における米朝関係はどうやら北朝鮮の勝ち。素人目にはそのように映る。
北朝鮮は名実ともに核保有国になろうとしている。韓国はそのことに寛大である。
中国の態度は、それを理由に日本も核保有国になりはしないかと恐れている。
日本の核保有は絶対にないと分かれば中国は北朝鮮の核保有にはさして反対ではない。
ロシアはシベリアを中国が狙っていると不安に思っている。中国の言いなりの北朝鮮が軍事的に強くなることは歓迎ではない。しかし、ロシアは日本が強国になることにも
反対である。
こう見てくると6カ国協議は3対3ないしは2対4の構図で進行していることが推測される。
すなわち日米対中韓北露である。
であればなおさら日本は6カ国協議においては絶対にアメリカの陰に隠れてはならない。
北朝鮮が核保有国になるなら日本も核保有国になるぞと強く主張することだ。
このこと無くしてこの協議の成果は期待できない。
中国がこの協議の鍵を握っているだけに「日本よ、しっかりしろ」と素人目に思うのである。

国益とは

2005-06-13 09:44:46 | Weblog
首相の靖国参拝が外交問題になっている。世論もだんだん参拝慎重論に傾斜して行っている。
その国の文化の問題に外国が口を出すのは内政干渉だ。そう考えていた人たちまでもが
慎重論に傾斜するのはなぜか。いろんな事情によるのだろう。
ひとつだけ言えることがある。スパイによる工作活動である。それは公然と行われるものもあれば、ひそかに時間をかけて着実に進められるものもある。
その結果、工作活動による影響を受けた人たちは、相手国の手先となってわが国を衰退・凋落させる方向に向かわせる。
彼らは無自覚に無意識に相手国の利益のために動いている。彼らはそのときそのときの情勢判断が必要だという。もっともらしく聞こえる言葉ではある。
先日も、もと総理に相手国の要人が面会したというニュースがあった。そのあと、もと総理は慎重論を表明したのである。
そうした人たちが増えつつあるのはなんとも悲しい。外交にもっとも必要なのはある種の頑固さだ。
それは何かといわれれば、日本人としての誇りだ。現在の日本人にはこれが無い。
「柔軟に対応」と言う言葉の裏には、相手国の言うことを受け入れますよ、皆さんいいですね。
と、いう意味が含まれているのである。
柔軟外交・その場凌ぎの外交は、百害あって一利なしだ。ちゃんとした哲学を持った外交を進めてもらいたいものだ。

心を蝕む人権主義

2005-06-10 08:20:38 | Weblog
パンドラの箱を開けてしまった。その中に人権主義があった。それが毒花であることに気付かない人たちは、
見た目の甘味や芳香にだまされ、われもわれもと自分のもとに取り込んでいる。
この毒性は麻薬に似て、じわじわと人体を蝕んでいく。
現代社会は、まさにこの状態にある。
真っ向から、人権主義を非難すると袋叩きにあうことは分かっている。
でも、警鐘を鳴らす人がひとりくらいあってもいいだろう。
人権主義は人間を堕落させる。人々は怠惰、我儘、忍耐力喪失、そして凶暴人間になり、社会はやがてanarchyに陥る。
いろいろな美徳、なかでも、勤勉、実直、孝行、思いやりといったようなものは、無価値なものとなる。
人々のつながりは、希薄なものとなり、家族、地域は軽視され、個人はいきなり国家に結びつく。
潤いの少ない、殺伐とした社会が到来する。
これが人権主義社会の行き着く先である。思うだに忌まわしいことではないか。

国益を考えよう

2005-06-08 09:04:27 | Weblog
日本は、国益を考えない人が多い。戦後の占領政策で、これまでの日本人とは別人間に改造された。
進歩的文化人が(自称の人もいるが)一杯出てきて、日本のこれまでの文化は封建主義に根ざすもので破棄すべきものと断罪した。
彼らは、平和・人権・超国家・世界市民という魔術語に陶酔して、国連崇拝主義に明け暮れる。いい加減で眼を覚ませよ。と、いいたい。
国連は最も効率よく、自国の国益を実現するのに利用できる組織・機関であるというのがどこの国でも、常識になっている。
日本だけが馬鹿みたいに、国連にユートピアを求めている。国連は、すべての悪が凝縮する伏魔殿であるという認識がない。
日本人は、どうしようもない、御人好しである。脅し、タカリにNOといえず湯水のように金を出している。
教師は即物的性教育や共産主義の人権教育にウツツを抜かす暇があるなら、もっとこうしたことをこそ、教えるべきだ。