原題: INCENDIES
監督: デニ・ヴィルヌーヴ
出演: ルブナ・アザバル 、メリッサ・デゾルモー=プーラン 、マキシム・ゴーデット 、レミー・ジラール 、アブデル・ガフール・エラージズ
鑑賞劇場: TOHOシネマズシャンテ
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フリーパスポート7本目。
昨年暮れ公開になった本作。 予告でも何回も観ていたけどかなり重ためでちょっと敬遠したいくらいのオーラがあったんだけど、鑑賞した人の評判は上々。 これってどう?もしかして私のツボかも。 という期待を半分入れながら出かけてみました。
平日午前なのに窓口に行列ができてたのもすごい。
本作の設定はきちんとした場所が提示されていないんですね。 たぶん架空の都市?
しかしながら最初のシークエンスでも分かるように、キリスト教徒とパレスチナ難民をモチーフにしており、それが最後まで映画を形作っている。
対立がある場所に生きるということは、どちらの側に属するかでも生死を分ける。 そして万が一の場合「どちらの側につくか」でも生死が分かれてしまう。
徹底的に敵対し、恐らくだけど和解することはあり得ない両者の間では、してはいけない行為というのが掟のように存在している。 そしてナワル・マルワンと難民との間の行為は、両者の融合にもなったのかもしれないけど、当然として周囲からは歓迎されざるものである。
その時だけでなく未来永劫にわたって地域社会から呪わしいと烙印を押されても、家族が貶められてもいい、自身の信念を貫くこと。 それはナワルの社会では至難のことだし当然大きな犠牲を払わないといけない。 十分に分かっていた彼女なのにそれでも実行してしまう。 そこには彼女の信念があったからに相違ない。
ただ敵であるということだけで心を閉ざしてしまう、その状況に彼女は恐らく終止符を打ちたかった。冒頭はその伏線の始まりに過ぎない。
共同体を追われたナワル、落ち着き先でそのまま平穏に暮らす人生もあったかもしれないけど、それを選ばず己の血に導かれるかのように進む。 きっとナワルはそのような星の下に生まれた人間なのでしょう。 そしてその後の彼女の身に起きた運命的な出来事・・・。
そこから逃れていくためには「どこか普通の人とは違う」人物になりきらなければ無理だったのかもしれない。
しかし(本当に奇跡のように生きていた)ジャンヌとシモンに言わせれば、「母親は普通に自分たちのことを愛してくれなかった」ということになる。 けれどナワルが生きてきた、あまりにも過酷な人生をいくら語った所で一体この子たちに何を知ってもらえるだろう。 知らせた所で子どもたちが傷つくだけなら知らせない方がいい、その代わり私は普通には生きないことを選ばせてもらう。 それがナワルなりに出してきた結論だった。 そしてそのまま彼女も人生を終えるはずだった。
だが、その決意が根底から覆った日・・・あのプールサイドでの「邂逅」はナワルを放心状態にし、衝撃を与えた。 そして知らせまいと、墓場に持って行こうと決めた事実を、子どもたちにその手でつかんでもらいたい、知ってほしい、否、知らせねばならないと一瞬のうちに悟ったのではないか。
そして知らせねばならないのは「1+1=1」の相手にも同様だと。
それを知らせなければ自分は安心して死ねるわけがないと。
この決意をラストで知らされる観客だけど、例えその衝撃はナワルの何十分の1であったとしても、心情的に十分に共有してしまって言葉を失うくらいのものである。 一体そんなことがあるのだろうか、しかしながらありそうに思えるのも事実だったりする。
この映画を見ている間中ずっと気にかかっている話があった。 もしかしたらこれは神話でなかったかどうか。 訊いてみたらやはりそうで、オイディプスの話とかなり重なる。
本当に最初の最初、鋭い眼光の男の子(→ここは絶対に見逃してはいけない!)の一挙手一投足、そして画面に映るものすべてに、この映画のエッセンスが全て凝縮されていたとは。
そして「かかと」。 誰も見向きもしない部位から、かくも雄弁に物語が始まっていくとは・・・。 映画が全て終わって初めて観客はその見事なストーリー展開に驚くと同時に、ここまで呪わしく皮肉な星の下に生まれた「1+1=1」の関係に言葉を失う。
「知ることがいいこととは限らない」、劇中ナワルが訪ね歩く先の人物も彼女にそう伝える。
そしてナワルの奇妙な遺言により、この人物たちは全てを知ってしまった。 全ては彼女の信念から始まったこと。 果たして彼らはそれを許せるのだろうか。 知ったことを後悔してはいないのだろうか。 また恨んではしないのか。
こんなに大きな犠牲を払ってでも伝えたかったナワルの願いは、彼らに通じるのだろうか。
己の罪も罰も知りつくした今、彼らはこれから全員がどのように生きていくつもりなのだろうか。 ナワルによって与えられた命に、何を想うのだろうか。 そしてどこへ歩いていくのだろうか。 それを訊いてみたくなった。
★★★★★ 5/5点
気にいられたようで良かったです。
私は1+1~の意味さえ分からない、おばかさんです。
どうも出来過ぎなドラマに思えてしまう私でした。
『サラの鍵』とは「知る」つながりですね。 両翼を成す映画ですよ。
>どうも出来過ぎなドラマに思えてしまう
確かにしょうがない部分もありますね。 何と言ってもお話なんだから。
しかしながらこれ、実際にありそうにも見える所がすごい。
「憎しみに終止符を打つ」ことを描いた映画は他にも多いですが、どうも最近のものは内容が上滑りかなという気がしないでもなかったんですね。
しかしながら本作は骨の髄まで沁みてくるメッセージでした。
余りにもできすぎと言えばそうなんですが、神話もかくやという物語のパワーが映画の燃料になっている気がします。
スクリーンから強烈な熱を感じる作品でした。
初めて知りました~
単に言葉だけの「融合」なら誰でも言える、しかし本当に清濁併せ呑むことができないと、それは実現しないような気がします。
そういった意味で非常によくできている作品でした。
カナダは歴史的にフランスとは密接なかかわりがあります。 古くはフランスによるアメリカ大陸植民地化に遡ります。
アメリカ本土、ルイジアナ州のあたりまで入植が進み、フレンチ・クォーターが残っているのもその名残ですね。
またカナダにはケベック州もあり、公用語はフランス語です。 今回、ナワルがフランス語を大学で勉強してカナダに行ったこと、あるいはジャンヌとシモンもフランス語で会話していたことなども、そういった背景を取り入れており、カナダに行くことで英語・フランス語をメインに生きる新天地の意味も持たせたのではないでしょうか。
このあたり、調べるといろいろ出てくると思いますので、ご興味ありましたらどうぞ。
似たようなお話に接した機会があったはずだけどなぁ~~
横溝系か、それとももっと昔の何かかと思ったら
「オイディプス」でしたか。
スッキリしました。(笑)
これ観て、武蔵野館で「サラの鍵」観てK'sシネマで
「瞳は静かに」観て凄い1日一週間前に東京で過ごしてきちゃいましたっけ。
重い一日でしたが、これが一番重かった感じでした。
(しかも朝一鑑賞(笑)
私もずーっと鑑賞中気になって、あとで友人に訊いてみたら、オイディプスということでした。
ご本人たち、もしこんなことを知らされたら一体まともに生きていけるのだろうかと思いました。
この監督の『渦』なんかも結構好きでした。
物語の構造的にこれは小説で読むのが一番面白いんじゃないかなんて思ったりもしましたけど。(でも戯曲なんですよね。)
自分的にはちと過剰にドラマティック過ぎるかなと思えたんですが、とにかく面白くて見ごたえありました!
かっ、かわいいよそれ・・・ (*^_^*)
「うた魂」みたいで(笑)
>『サラの鍵』大絶賛のroseさんはきっとこれも評価高いだろうと思っておりましたよ!
はいはいはいはい、さすがです、いい勘してますかえるさん(笑)
けどこれ、人によっては評価バラついてたんで結構心配だったんです。 最近やたらスローガンだけ立派だったり逆に重たすぎるミニシアター系が多くて。 でもこれはそのどっちでもなく、無駄なく無理なく上手に惹きこんでました。 素晴らしい。 とれびあん。
>この監督の『渦』なんかも結構好きでした。
それ観てないんだけど、今調べたらマリ=ジョゼ・クローズが出てますね。 よさそうなんでマークします。
しかしこれは凄まじかった。 見ごたえがありましたしそれ以上に真実とは何かって思いました。