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観たい映画だけしか観てません。今忙しいんでいろいろ放置

『ポエトリー アグネスの詩』 (2010) / 韓国

2012-02-12 | 韓国映画


原題: POETRY
監督: イ・チャンドン
出演: ユン・ジョンヒ 、イ・デヴィッド 、キム・ヒラ 、アン・ネサン 、パク・ミョンシン
鑑賞劇場: 銀座テアトルシネマ

公式サイトはこちら。

LA批評家協会賞(女優賞)(2011年)
カンヌ国際映画祭(脚本賞)(2010年)



これは確か一昨年のフィルメックスでかかったんですが、一瞬にしてチケット完売。
大好きなイ・チャンドン作品なんで何をさておいても行かないとという感じでした。
早く観たかった!
イ・チャンドン作品って、人間の究極の清らかさと、それと対極のいやらしさを必ず作品中に共存させるんですね。
『シークレット・サンシャイン』もそうでしたが。 そこが大好きな監督です。



「暗澹たる未来がある時、
詩を書くということにどういう意味があるのか。
私はそれを観客に問いかけたい。

実際、私自身、
映画監督として自分に問いかけることでもある。
映画が死にいく今、
映画を撮るということにどういう意味があるのか、と。」


イ・チャンドン監督がパンフレットに寄せたメッセージです。
全ては監督の、この疑問から始まった作品と言えましょう。
「映画が死にいく今」というフレーズに着目した場合、監督なりに何らかの危機意識があり、それを前提として本作が撮られたことになる。





本作に描かれている状況。 1つの痛ましい事件を金銭によって解決し、無きものにしてしまおうという策略や、当事者でさえもそのこと自体に全く痛みを感じない現状である。
そしてそれは社会的に将来がないことを意味している。
物語は今回も女性や子どもといった弱者に受難を与えているが、同時に加害者側サイドにも(広範の意味で)女性と子どもがいる設定となっている。 彼らは選択を迫られる。 
すなわち罪を認めて贖罪するのか、さもなくばしらを切り通すのか。


この作品、タイトルにもあるように「詩」なんですね。 ポイントは。
ここで質問です。
皆さん、詩を作ったことはありますか?
詩作する人なら、この作品、胸に迫ると思います。
実は自分は10年位前にはよく詩作していたわけなんですが、これは詩に限らず創作全般に言えることかも知れませんが、何かが生み出される時、考えて考えて考えた挙句、エッセンスというかその時の究極のものが出てくる。
また得てしてそれは、本来なら言いたくない、書きたくない事象だったりする訳です。
自分を切り売りしている感覚、でしょうか。
生み出しながら、どこかに痛みを感じているのかもしれません。


ミジャは、本当なら自分が最も美しく表現できると期待した詩作をするにあたり、最もいやらしい現実と向き合わなければならなくなります。
目を背けたい自分、けれど贖罪をしたい気持ち。
そして結局、アグネスが乗り移ったかのように詩作が始まります。
こころの底から絞り出す言葉達。 それは、まやかしの世界に生きる人たちには到底理解出来ないかもしれない。 真実の清らかなる世界と、汚濁した現実とにきっちり区分けした設定が小気味いい。


自分がもう言葉を操れなくなるかも知れない恐れは、ミジャにはあったのだろうけど、それが微塵も出ておらず、
代わりに詩作することによって自分の一瞬を永遠に閉じ込めて映し出す。
大変に美しいことだけど、恐らくですがミジャにはもうその意識さえもなかったと思うのです。
詩作をしている時、その時だけは一切を忘れる事ができる。 その時のピュアな一瞬を宝物のように保存できる。 一編の詩を作る事により、その実感は湧くと思います。




川に始まり川に終わる本作。 胸を打たれたのはそこだったし、最後の一連の俯瞰を思い起こすにつけ、アグネスの無念と、その一切を許すようなまなざしとが忘れられない。
人は旅立つときは一切を許せてしまうものなのかもしれません。
そしてその許しは、自分を偽ろうと画策している者たちへの無言の圧力ともなり、また全てを昇華していくエッセンスともなっていく。 
『シークレット・サンシャイン』に引き続いてキリスト教が出てくる設定は、「許し」が如何に難しく高度な人間の技なのかということをも思わせる。 何故なら人はそうそう簡単に許すことなどできないから。
ですがアグネスの瞳を、微笑みを見た瞬間から、全てを投げ出してひざまずきたくなるような心境になってしまう。 このためにアグネス役の彼女はキャスティングされたと言っても過言ではないのではないだろうか。


言葉を超えて生まれてくる心の「詩」。  
それは、様々な要因によって失われた「単純に映画を作る、観ることの喜び」を取り戻したときに、観客それぞれの中に生み出されるものではないだろうか。
1人1人にとっての映画。 制作を離れた時から映画は観客全てのものになる。 どうかそれぞれが心で感じてほしいという監督の切なる願いがひしひしと伝わってくる。



ユン・ジョンヒの、可愛らしくも現実離れした祖母っぷり。 いわゆる韓国の「ハルモニ」らしからぬ装いは、「日本のおしゃれなおばあちゃん」とはまた一味違う。 
周囲と強調しているつもりなのに実は溶け込んではいない現実離れぶりは、そのまま彼女の心の移ろいを映し出している。 その清楚な表情に垣間見える、昔散々男を(無意識のうちにも)袖にしたような小悪魔な感じがいい。
そして男はどいつもこいつもだめ過ぎて笑えます。 よくこんないやらしい男ばかり集めたなと(笑)
特筆すべきはキム・ヒラでしょうね。 脳梗塞の予後の俳優の演技なんて初めてですよ。 これもまた昔、女を泣かせたような感じで。


★★★★★ 5/5点  追加でもう少し★足したいくらいですが。







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10 Comments

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こんばんは (ノラネコ)
2012-02-26 00:07:45
ご友人を亡くされたそうで、ご愁傷様です。
生と死を扱った物語ですから、タイミング的に辛いものがありますね。
私は物を作る事を生業にしていますから、本質的な創造の難しさ、ミジャの葛藤は痛いほどわかりました。
この世界から言葉を見つけ出す事は、見たくない部分も含め、きちんと見る事を裂けては通れませんし、しかもそれは必然的に自分と向き合う事にもなるのですから。
ミジャの葛藤はそのままイ・チャンドンの葛藤にも繋がり、彼女の詩が映画的カタルシスと同化するラストには、本当に圧倒されました。
ノラネコさん (rose_chocolat)
2012-02-28 03:43:20
日記にも書いてますが、映画ブロガーさんのご逝去でした。
とてもショックで、この映画も見て間もなくでしたし、いろんな部分が重なってなかなかブログ再開ができませんでしたね。

>本質的な創造の難しさ、ミジャの葛藤

生み出したくてもいいものが出てこないことのいら立ちや焦り、
そしていったん出てきたら泉のように湧き出る・・・ そのどちらもお分かりですよね。

最後の俯瞰は大したものだと思いました。 お見事です。
ミジャ。 (BC)
2012-03-04 18:29:35
rose_chocolatさん、こんばんは。

そうそう、“清らかさ”と“いやらしさ”のどちらかに肩入れする事なく
共に映しだしているのがイ・チャンドン監督の演出の特色だよね。

ミジャにとっては詩作をしている時だけが生を感じられたのかもしれないですね。

ミジャ役のユン・ジョンヒさんはご結婚されてから
30年近くフランスで暮らされているそうなので、
生活感が滲み出ている韓国の年配女優さん達とは一線を画する
瀟洒な雰囲気を持っている女優さんですよね。
周囲からは少し浮いているような雰囲気がこの役には合っていたような気もしました。
BC。さん (rose_chocolat)
2012-03-06 01:08:16
ユン・ジョンヒさんの若いころのお写真先日見ましたが、
もんのすご~い美人です。
今もお綺麗ですけど、当時はもっともっと妖艶な感じで。 なるほどなあと思いました。

ミジャの詩作の理由っていろいろあると思うんですよね。 語ったら面白いかも。
Unknown (KLY)
2012-03-06 13:24:06
ユン・ジョンヒさんの若い頃の写真、私も見たんですがすごい美人でした。なるほど、可愛らしい初老の女性が良くはまるはずです。彼女だからこそアグネスとダブれるんだろうな。美しさって相対的なもので、醜いものがあるからこそ美しいものがある。一人の人間の中にそれが共存しているのはあの刑事さんを見ていて感じました。もちろんあそこまで外に出すかは別としてですけど。その相対性がないと内なる詩は呼び出せないのかな。
なんだか不思議な作品で、言葉では上手く言えない落ち着きと包まれるような魅力を感じました。
KLYさん (rose_chocolat)
2012-03-06 13:44:12
すごい美人でしたよねえ。 今ももちろん可愛らしいですけど、全く違った妖艶さ。
この妖しさがあったからこそ、この役にぴったりだったんじゃないでしょうか。

相対性、確かにそうですね。 どんな人間の中にも天使と悪魔が共存している訳ですからね。 それをうまく操って生きている。
私にとって詩とは、その時の自分のエッセンスなんですね。 凝縮できればできるほどいいものができるように思います。
詩とは何か? (クマネズミ)
2012-03-29 22:31:40
今晩は。
TBをありがとうございます。
おっしゃるように、本作は「詩」がポイントなのではと思います。
ただ、クマネズミはrose_chocolatさんのように詩作をしたことがないのでよくわからないのですが、ミジャのようにある事柄に真剣に立ち向かえば自ずと詩が書けるようになるのかどうか、そうなのかもしれませんが疑問も残ります。その事柄に対しある感慨は胸に抱くにしても、それを実際の詩として表現するにはもっと知的な訓練(言ってみれば“技法の習得”でしょうか)が必要なのでは、と思ってしまうのですが?
それはともかく、ミジャが作った『アグネスの詩』を、劇場用パンフレットか何かですぐにも目にすることができるとばかり思っていたところ、どうもそういうものは見当たらないようです。本作でも、朗読会で詩がいくつか読み上げられていましたし、また『アグネスの詩』はハングルでスクリーンに映し出されてもいなかったですし、どうやら製作者側は、詩は耳で聴くものだと考えているようにも思われますが、如何でしょうか?
クマネズミさん (rose_chocolat)
2012-04-01 03:43:45
>実際の詩として表現するにはもっと知的な訓練(言ってみれば“技法の習得”でしょうか)が必要なのでは

必要ないです。
極端に言えば、詩は何の専門的教育もされてない子どもでも書けます。 私が初めて詩を作ったのは小学2年の時でしたから。
心にある物を書くのが詩です。 技法ではありません。 
技法も必要なときは学べばいいと思うけど、それが詩作の妨げになることは何らないです。

>どうもそういうものは見当たらないようです。

ちゃんとありましたよ。
でもそれが「アグネスの詩」かどうか読み取るかそうでないか、それはその方次第だと思います。
詩は一般的には読むものでもありますが、必ずしも文章になっているものばかりではないです。
「こうあるべき」「こうでなければ」といった先入観があると本質が見えてこないということを、この映画でも監督はおっしゃりたかったのではないでしょうか。
こんにちわ (にゃむばなな)
2012-04-06 10:30:03
くだらない映画があるからこそ、逆に面白い映画が際立つ。
でもくだらない映画ばかりが氾濫すると、面白い映画が消えてしまう。
監督の言いたいことってこういうことだったのでしょうね。
にゃむばななさん (rose_chocolat)
2012-04-07 08:16:43
>映画が死にいく今、
>映画を撮るということにどういう意味があるのか

監督という職業で何を感じるかは私は当然わからないのですが、
「監督生命」を賭けた作品なんだなということがすごく伝わってきます。
映画を撮ることの意味まで問わないといけないくらい、映画の本質が危機なんでしょうね。

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