傍流点景

余所見と隙間と偏りだらけの見聞禄です
(・・・今年も放置癖は治らないか?)

『そして、ひと粒のひかり』('04/米・コロンビア)

2005-11-22 | 映画【劇場公開】
 この映画を観たのはTIFF直前の日曜、ギュスターヴ・モロー展の後であった。モロー展での2時間は実に濃密にして夢見心地に過ぎていったのだが、見終えた後はやや疲労感が強く、映画は半ば「チケット取ったし仕方ないなあ」なんて義務感&かなり弛んだ気持ちで劇場に向かったのだ。
 とても観たい映画だったのだ。このポスターの“マリア”の顔、そして粗筋を知って、絶対に良い作品に違いないと期待していた。しかし、映画を受け止めるときの体調で印象は変わることもあり、こんな疲れた状態で観るのは・・・日を改めれば良かったかな、なんて腰が引き気味になっていたのだけれど。

 本物の力を持つ映画に対峙すると、それを感じる心が体調になんぞに左右される訳がないのである。開演前の不埒な私の目は映画が始まったと同時に醒め、自然にスクリーンに吸い込まれていくのを感じていた。

 南米コロンビア。ヒロインのマリアは17歳で既に、母と姉とその乳飲み子の一家を支え、低賃金の農場で働いている。美人でしっかり者の彼女ではあるけれど、まだ17歳。割の悪い仕事、反りの合わない上司にこき使われ、若さをすり減らしていく毎日。家に帰れば、夫に逃げられた姉も母も赤ん坊の面倒を見るので手一杯とばかりに働かず、マリアの少ない給料をアテにしている。彼女はおそらく、そうした生活の憂さ晴らしに好きでもない男と寝てしまい、妊娠してしまったことに気づく。勿論堕胎など出来ない。(恐らくはカトリックという信仰上の理由が大きいと思われる) 子供の父親である男はあまりに未熟で頼りにならず、それでも彼は渋々結婚しようと言うのだが、マリアにはそれが彼女にとって正しい選択ではないことがわかっている。そんなときに上司と喧嘩して職場からも解雇、ドン詰まりになった彼女は、ついパーティーで知り合ったチンピラがもちかけた「割のいい仕事」を引き受けることになる。彼女1人が家族を支え生活していくには、あまりに貧しかったから。
 仕事は、ヘロインの米国への密輸入である。コロンビアはヘロイン/コカインの生産国としては今もトップ・レベルであり、その最大の商売相手が米国だからだ。
 マリアは命を宿した体の中に、繭玉大のヘロインの袋詰を飲み込むという密輸方法を組織に教わり(万が一袋が破れれば死に至る)命がけで渡米することになる----

 17歳のマリアは、3つの大きな選択をする。1つ目は、どんな状況であっても授かった命を産むと決めたこと。2つ目は、どんな危険があろうと貧しさから逃れる機会を掴みに、そして生きるために米国・NYに行くこと。そして、最後の選択。自分と子供の人生のために、NYでの暮らしを選ぶと決意したこと。
 これらの選択が彼女にとって正しいことだったのはわからない。
 1つ目の選択は、彼女を「犯罪者」の道へと導いた。2つ目の選択では、彼女は運良く免れたものの仲間の女性が犠牲となり、運び屋は組織にとっては結局「人間ではない」ということをまざまざと知ることになる。だが、そのときに出会った、死んでしまった仲間の姉に救われる。
 この女性もまた身重なのだが、彼女とマリアとのシーンが映画の主眼として秀逸であり、だからこそ今作は素晴らしい女性映画となっている、という気がする。とくにマリアが唯一涙を見せるシーンは、どんなに気丈ではあってもまだ17歳なのだ、という切なさが溢れて胸が詰まる。
 けれどマリアは母になるのだ。少女の心を微かに残してはいても、母として1人の女性として生きていかなくてはならない。そのための最後の選択なのである。ビザが切れれば彼女は不法就労者、しかも密輸の犯罪歴もあり、そのときコロンビア移民のコミュニティがどれだけ助けになるのか予想も出来ないだろう。
 しかし、彼女は誰のためでもなく自分の人生を生きるために、この選択をしたのだ。それが正しいとか正しくないとか、そういうことは関係がない。寄りかかるもののない彼女自身が、選んで決めた道なのだ。
 その意志の強さ、決然とした魂の美しさに激しく打たれ、私は滂沱と流れる涙をぬぐいもせずに、スクリーンのマリアの顔を深い感動と共に見つめた。
 原題の“Maria full of grace”とは聖書の言葉であろうか。宗教的知識の足りない私には断言できないが、このタイトルそのもののラストシーンであり、近年稀に見るほどの力を持った「女の生き様映画」を観ることが出来た!という幸福感で熱くこみ上げる気持ちにしばし浸ったのである。
 
 このような傑作を撮り上げたジョシュア・マーストン監督は、元はドキュメンタリー出身とのこと。道理で尋常でない緊張感、リアルな切れ味と緩急に満ちた画面作り、加えてドラマ部分の骨の太さ、初の劇映画とは思えないほど安定した描写力が素晴らしい! 基礎力のある人は違うというか、凝ったカメラワークや編集などに頼らずとも、ドラマと俳優の力に己を委ねれば良い、という確信が感じられる。また音楽の使い方、センスも見事であり(尤も、南米の映画でダメな音楽のつけ方してる作品なんて、私は観たことないけども)。ラストの主題歌など、この映画にはこの歌しかありえない!という輝き方をしている。そのせいか、劇場でもエンドロールが終わるまで席を立つ人は見当たらず、終演後も静かに熱い空気が流れてた。

 疲労感など、とっく吹き飛んでいた。マリアを演じたカタリーナ・サンディナ・モレノに心の中で喝采しつつ(造形だけではない。肝の据わり具合を美として体現したことが素晴らしい!)足取りも軽く私は帰路についたのだった。

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2 コメント

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こんばんは (朱雀門)
2005-12-03 21:06:14
女性の強さを感じさせる作品でしたね。

どんなに辛い状況でも生き抜いてみせるというど根性を2人の妊婦から感じ取りました。

主要な登場人物のほとんどが女性なのもキーポイントですね。

男性だったら説得力のない話になってしまうと思います。

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監督も女性だったら (shito)
2005-12-04 10:01:53
どういうところが違ってくるのかなあ?とも感じました。



朱雀門さん、はじめまして。コメント&TBありがとうございました。

本作は根源的な女性の強さ、そのことによる美しさというものを特に“母性”を肯定的に表現することによって描いていて、だからこそ多くの人たちの心を掴んだろうなあ、とも。

その後のマリアがどうなったのかも気になる作品でした。
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