
読書メモ『ねむりねこ』(伊集院静 講談社 2003年10月)
”ときめき、出逢い、悦び、とまどい、嘆き、別離する・・。すべてのものが、一瞬の夢ではと感じる。生とはいったい何なのだろか? ・・・それを知りたくて、おそらく旅人は歩きつづけているのだろう。私も旅をすることでしか、その詩に出逢えないと思う一人である” ー(一瞬の夢 揚子江)から
現代の小説作家の本は、ほとんど手にとらない私にとって、この本との出会いは珍しいものであった。『マティスを追いかけて』の本の帯に書かれていたキャッチ・コピーー”もしあなたが人生のなかばを過ぎて何か新しい生活をしたいと思うなら、この本を取りなさい。勇気と希望がここにある。その上、光と色彩のマティスと旅ができる”ーが何故か心に残り、伊集院という名前が気にかかっていた。そんな時に書店で、この本を見かけた。好きな画家熊谷守一の猫の絵が表紙を飾っていた。そう画家二人が招きよせてくれた本なのである。
伊集院静は私が知らなかっただけで若いひとたちにはおなじみの名前であろう。直木賞受賞の小説家であり、また作詞家としても活躍している。近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」ほか岩崎宏美、ピンクレディのためにも多くの詩を書いている。コンサートツアーの演出手もがけている。
韓国系の日本人であり、過去にはおそらく様々な苦労があったのではないかと推測される。また夏目雅子と結婚したが、わずか一年で先立たれている。それがあってかなかってか、放蕩を重ねた”無頼の日々”もあったようだ。その後だいぶ時間が経ってから女優篠ひろこと再婚した。
そんな伊集院静のエッセイ集。ふつうの文人作家のエッセイとはひと味も二味も違う。これまでの人生経験の広さと深さによるものであろう。読んでいて、引き込まれる文章が少なくない。なんとなく哀愁を感じさせる文もある。自然を観照し、人との交わりを語り、パリ・ケニア・アルル・マドリッドなど旅の思い出を語る。松井秀喜や武豊とは交遊が深いようで、かなりのページ数を費やしている。また作家で大先輩の黒岩重吾(社会派推理作家)とは、心の通うところがあったのであろう。その死を悼む文も長いページをとっている。
(黒岩の初期の作品「背徳のメス」にちなんで)
”手折られようが踏みにじられようが、また春になれば鈴蘭の花は咲く。それがどこか黒岩重吾の作品のあざやかさに似ている気もする。”
~~~~~~~~~~~~~~
いくつかの印象にのこった文をご紹介しよう。
(禁煙にも礼儀があろう)では禁煙の動きに対し、一言苦言を呈している。それは過去の文化や伝統を否定することへのアンチテーゼでもあるようだ。
”これが喫煙者の勝手な言い分であることも承知している。今初夏、サッカーのワールドカップが開催された時、会場はすべて禁煙になった。ある新聞のコラムで、まだいたるところで煙草を吸っている日本は、後進国であり、早く日本人全員が煙草を排除しなくてはならないという趣旨の文章を読んだ。その文章を読んでいて、煙草を吸う人がどうしようもない人たちであるというふううに聞こえた。さらに云うと、煙草を吸わぬこが正義のような文章だった。ー何を言っているんだ。腹もたったが、足元を見ていない人間の文章の書き方だと思った。私はたしかにどうしようもない人間だが、私の知っている立派な先輩、老人には煙草を呑むのを楽しみにしている人が大勢いる。その文章は、彼らまでも否定するものだった。私たちが今、存在しているのは、先輩、老人がいるからだ。
人生のひとつのものをやり終えた者に、その人の隣にいつも煙草があたっとしたら、健康に注意して吸ってください、くらいのことを言うだけにとどめるのが礼儀ではないか、彼らはもう、この先の生き方がどうなるか分かっているし、否が応でも受け止めなくてはならない、時間の残酷さを承知している人がほとんどである。その人たち、日本は明日から禁煙国家になるべきだ、という発想はおかしい。戦争、占領、飢餓を乗り越え、頑張ってきた人たちの楽しみのひとつに”煙草を呑む”行為があるのなら、私は認めるべきだと思うし、肩身の狭い思いをさせるべきでない。オジイサンがいるから可愛い孫がいるのだ。
文化人は、愚者は、何かを変えることが現代的とか進歩的と言うが、先祖代々日本人がやってきたことを簡単に否定していいものなのか。”
(空を駆ける人 ケニア)は、次のような文から始る。
”私は、その丘の斜面に建ったばかりのホテルのテラスにいた。まだ空は満天の星がいらめいていた。先刻まで背後から吹いていた丘の頂上からの風は止まり、聞こえていたマングースのせわしない足音、草むらを騒がす気配は失せていた。それでも夜の闇は濃く、星光がなければ、永遠に闇がつづくのではないかという
恐怖心さえ湧く、漆黒の夜で周囲は満ちていた。”
伊集院は、ケニアの動物保護区の一角にある丘陵にホテルを建てた友人のすすめで、遠いアフリカの地を踏んだ。その友人は、雑誌の編集でアフリカに行った時、画家のサイモン・ジョージ・ムパタに出会った。二人は毎晩酒を酌み交わし、友情を深めた。そして「こいつと二人でアフリカの大地を眺めながら、酒を飲める小屋でも造れたらな・・」と思うようになった。その後、夢は現実となり、アフリカでも一、二を争うリゾートホテル<ムパタ・サファリ・クラブ>となった。そこででの日の出の光景に感動した著者は、言う。
”私はちらりと天上を見た。まだ星明りは残っている。ーさあ、はじまるぞ。と思った時、地平線に光のかたまりが一瞬あらわれたかと思うと、その光が水平に空間を走り抜けた。見渡す限りの地平だったから、その光の疾走に、私は目を見はった。思わず声をあげそうになった。光の駆けた方角を目で追っていると、私の身体にじかに光が当たった。刺すような陽光というが、そんな柔らかなものではなかった。アフリカの太陽が姿を見せた。・・・見とれているうちに、草原のあちこちから煙が上がっていた。何の煙か、と目をこらすと、そこに象の群れが動いているのがわかった。動物たちはすでに、彼らの身体の中の時計で、朝を知り、生の営みをはじめていた。ムーの大群もゆっくりと移動を開始している。鳥たちが一斉に飛立ち、アフリカの一日が動き出した。・・・・この星に生を受けたことにひどく感激した旅であった。”
(ちいさきもの 熊谷守一)伊集院は、熊谷守一の絵が好きである。かんじんの本文でなく、<あとがき>でこんなことを言っている。

”ねむりねこ、とは妙なタイトルに思われるかもしれないが、表紙の猫の絵についたタイトルをそのまま使うことにした。私の好きな熊谷守一の作品である。ここ数年不安になったり、悩んだりすると、私は守一の画集を眺める。ゆっくりと見ていると、なにをそんな小事に気を病む、生きているそれで充分、あと何がいるというのだ、と画家の声を聞こえる気がする。・・・”
すこし伊集院の本のことを離れて熊谷守一について語ることをお許しいただきたい。『へたも絵のうち』(熊谷守一著 平凡社ライブラリー)をみると、熊谷は、若い頃農商務省の樺太調査団に加わって樺太へゆき、そこでアイヌの漁師をみて感動を覚えた。そして、それがその後の生き方や画風に大きな影響を与えている。熊谷は、その時の情景を次のように記している。
”漁港や漁場らしいものがあると、調査のために陸に上がります。へんぴなところには、アイヌ人はよくおりました。私はあごひげをはやしていてアイヌによく似ていたせいか、彼らにはひどくもてました。私のほうも、アイヌは非常に好きでした。
彼らは、漁師といっても、その日一日分の自分たちと犬の食べる量がとれると、それでやめてしまいます。とった魚は、砂浜に投げ出しておいて、あとは膝小僧をかかえて一列に並んで海のほうをぼんやり眺めています。なにをすっるでもなく、みんながみんな、ただぼんやりして海の方を眺めている。魚は波打ち際で無造作に置いたままで波にさらわれはしないかと、こちらが心配になるくらいです。
ずいぶん年をとったアイヌが二人、小舟をこいでいる情景を見たときは、ああいい風景だなとつくづく感心しました。背中をかがめて、ゆっくりゆっくり舟をこいでいる。世の中に神様といういものがいるとすれば、あんな姿をしているのだな、と思ってみとれたことでした。”
伊集院が、熊谷守一の絵が好きなのも肯ける。画家の生き方そのものに共感を覚えたのではないか。ちなみに熊谷守一の作品は、熊谷と40年にわたって親交を結んだ名古屋の実業家木村定三のコレクションが最大のものである。今も愛知県美術館でみることができる。
~~~~~~~~~~~~~~
如何ですか? お楽しみいただけたでしょうか。偶然に出会った随筆集、なかなか味がありますね。これからも彼の作品、とくにエッセイをこれからも読んでみようかな。伊集院って、どんな人間なのかですって。ご本人のサイトがありますのでご覧下さい。
”ときめき、出逢い、悦び、とまどい、嘆き、別離する・・。すべてのものが、一瞬の夢ではと感じる。生とはいったい何なのだろか? ・・・それを知りたくて、おそらく旅人は歩きつづけているのだろう。私も旅をすることでしか、その詩に出逢えないと思う一人である” ー(一瞬の夢 揚子江)から
現代の小説作家の本は、ほとんど手にとらない私にとって、この本との出会いは珍しいものであった。『マティスを追いかけて』の本の帯に書かれていたキャッチ・コピーー”もしあなたが人生のなかばを過ぎて何か新しい生活をしたいと思うなら、この本を取りなさい。勇気と希望がここにある。その上、光と色彩のマティスと旅ができる”ーが何故か心に残り、伊集院という名前が気にかかっていた。そんな時に書店で、この本を見かけた。好きな画家熊谷守一の猫の絵が表紙を飾っていた。そう画家二人が招きよせてくれた本なのである。
伊集院静は私が知らなかっただけで若いひとたちにはおなじみの名前であろう。直木賞受賞の小説家であり、また作詞家としても活躍している。近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」ほか岩崎宏美、ピンクレディのためにも多くの詩を書いている。コンサートツアーの演出手もがけている。
韓国系の日本人であり、過去にはおそらく様々な苦労があったのではないかと推測される。また夏目雅子と結婚したが、わずか一年で先立たれている。それがあってかなかってか、放蕩を重ねた”無頼の日々”もあったようだ。その後だいぶ時間が経ってから女優篠ひろこと再婚した。
そんな伊集院静のエッセイ集。ふつうの文人作家のエッセイとはひと味も二味も違う。これまでの人生経験の広さと深さによるものであろう。読んでいて、引き込まれる文章が少なくない。なんとなく哀愁を感じさせる文もある。自然を観照し、人との交わりを語り、パリ・ケニア・アルル・マドリッドなど旅の思い出を語る。松井秀喜や武豊とは交遊が深いようで、かなりのページ数を費やしている。また作家で大先輩の黒岩重吾(社会派推理作家)とは、心の通うところがあったのであろう。その死を悼む文も長いページをとっている。
(黒岩の初期の作品「背徳のメス」にちなんで)
”手折られようが踏みにじられようが、また春になれば鈴蘭の花は咲く。それがどこか黒岩重吾の作品のあざやかさに似ている気もする。”
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いくつかの印象にのこった文をご紹介しよう。
(禁煙にも礼儀があろう)では禁煙の動きに対し、一言苦言を呈している。それは過去の文化や伝統を否定することへのアンチテーゼでもあるようだ。
”これが喫煙者の勝手な言い分であることも承知している。今初夏、サッカーのワールドカップが開催された時、会場はすべて禁煙になった。ある新聞のコラムで、まだいたるところで煙草を吸っている日本は、後進国であり、早く日本人全員が煙草を排除しなくてはならないという趣旨の文章を読んだ。その文章を読んでいて、煙草を吸う人がどうしようもない人たちであるというふううに聞こえた。さらに云うと、煙草を吸わぬこが正義のような文章だった。ー何を言っているんだ。腹もたったが、足元を見ていない人間の文章の書き方だと思った。私はたしかにどうしようもない人間だが、私の知っている立派な先輩、老人には煙草を呑むのを楽しみにしている人が大勢いる。その文章は、彼らまでも否定するものだった。私たちが今、存在しているのは、先輩、老人がいるからだ。
人生のひとつのものをやり終えた者に、その人の隣にいつも煙草があたっとしたら、健康に注意して吸ってください、くらいのことを言うだけにとどめるのが礼儀ではないか、彼らはもう、この先の生き方がどうなるか分かっているし、否が応でも受け止めなくてはならない、時間の残酷さを承知している人がほとんどである。その人たち、日本は明日から禁煙国家になるべきだ、という発想はおかしい。戦争、占領、飢餓を乗り越え、頑張ってきた人たちの楽しみのひとつに”煙草を呑む”行為があるのなら、私は認めるべきだと思うし、肩身の狭い思いをさせるべきでない。オジイサンがいるから可愛い孫がいるのだ。
文化人は、愚者は、何かを変えることが現代的とか進歩的と言うが、先祖代々日本人がやってきたことを簡単に否定していいものなのか。”
(空を駆ける人 ケニア)は、次のような文から始る。
”私は、その丘の斜面に建ったばかりのホテルのテラスにいた。まだ空は満天の星がいらめいていた。先刻まで背後から吹いていた丘の頂上からの風は止まり、聞こえていたマングースのせわしない足音、草むらを騒がす気配は失せていた。それでも夜の闇は濃く、星光がなければ、永遠に闇がつづくのではないかという
恐怖心さえ湧く、漆黒の夜で周囲は満ちていた。”
伊集院は、ケニアの動物保護区の一角にある丘陵にホテルを建てた友人のすすめで、遠いアフリカの地を踏んだ。その友人は、雑誌の編集でアフリカに行った時、画家のサイモン・ジョージ・ムパタに出会った。二人は毎晩酒を酌み交わし、友情を深めた。そして「こいつと二人でアフリカの大地を眺めながら、酒を飲める小屋でも造れたらな・・」と思うようになった。その後、夢は現実となり、アフリカでも一、二を争うリゾートホテル<ムパタ・サファリ・クラブ>となった。そこででの日の出の光景に感動した著者は、言う。
”私はちらりと天上を見た。まだ星明りは残っている。ーさあ、はじまるぞ。と思った時、地平線に光のかたまりが一瞬あらわれたかと思うと、その光が水平に空間を走り抜けた。見渡す限りの地平だったから、その光の疾走に、私は目を見はった。思わず声をあげそうになった。光の駆けた方角を目で追っていると、私の身体にじかに光が当たった。刺すような陽光というが、そんな柔らかなものではなかった。アフリカの太陽が姿を見せた。・・・見とれているうちに、草原のあちこちから煙が上がっていた。何の煙か、と目をこらすと、そこに象の群れが動いているのがわかった。動物たちはすでに、彼らの身体の中の時計で、朝を知り、生の営みをはじめていた。ムーの大群もゆっくりと移動を開始している。鳥たちが一斉に飛立ち、アフリカの一日が動き出した。・・・・この星に生を受けたことにひどく感激した旅であった。”
(ちいさきもの 熊谷守一)伊集院は、熊谷守一の絵が好きである。かんじんの本文でなく、<あとがき>でこんなことを言っている。

”ねむりねこ、とは妙なタイトルに思われるかもしれないが、表紙の猫の絵についたタイトルをそのまま使うことにした。私の好きな熊谷守一の作品である。ここ数年不安になったり、悩んだりすると、私は守一の画集を眺める。ゆっくりと見ていると、なにをそんな小事に気を病む、生きているそれで充分、あと何がいるというのだ、と画家の声を聞こえる気がする。・・・”
すこし伊集院の本のことを離れて熊谷守一について語ることをお許しいただきたい。『へたも絵のうち』(熊谷守一著 平凡社ライブラリー)をみると、熊谷は、若い頃農商務省の樺太調査団に加わって樺太へゆき、そこでアイヌの漁師をみて感動を覚えた。そして、それがその後の生き方や画風に大きな影響を与えている。熊谷は、その時の情景を次のように記している。
”漁港や漁場らしいものがあると、調査のために陸に上がります。へんぴなところには、アイヌ人はよくおりました。私はあごひげをはやしていてアイヌによく似ていたせいか、彼らにはひどくもてました。私のほうも、アイヌは非常に好きでした。
彼らは、漁師といっても、その日一日分の自分たちと犬の食べる量がとれると、それでやめてしまいます。とった魚は、砂浜に投げ出しておいて、あとは膝小僧をかかえて一列に並んで海のほうをぼんやり眺めています。なにをすっるでもなく、みんながみんな、ただぼんやりして海の方を眺めている。魚は波打ち際で無造作に置いたままで波にさらわれはしないかと、こちらが心配になるくらいです。
ずいぶん年をとったアイヌが二人、小舟をこいでいる情景を見たときは、ああいい風景だなとつくづく感心しました。背中をかがめて、ゆっくりゆっくり舟をこいでいる。世の中に神様といういものがいるとすれば、あんな姿をしているのだな、と思ってみとれたことでした。”
伊集院が、熊谷守一の絵が好きなのも肯ける。画家の生き方そのものに共感を覚えたのではないか。ちなみに熊谷守一の作品は、熊谷と40年にわたって親交を結んだ名古屋の実業家木村定三のコレクションが最大のものである。今も愛知県美術館でみることができる。
~~~~~~~~~~~~~~
如何ですか? お楽しみいただけたでしょうか。偶然に出会った随筆集、なかなか味がありますね。これからも彼の作品、とくにエッセイをこれからも読んでみようかな。伊集院って、どんな人間なのかですって。ご本人のサイトがありますのでご覧下さい。
この文庫本の巻末、川西政明(この人のことは知りません)の解説の中で伊集院静を次のように言っております。
伊集院静の文学の母胎をなしているのは、男の悪も善も罪も受け入れて癒してくれる東洋的な慈悲深い母親を慕ってのことなのである。こういう世界に囲まれて少年時代を過ごした人間には、まず地獄が用意される。この地獄から出発するのが彼の宿命なのである。善と悪、罪と罰、自壊と破滅をもつ人の宿命は、神がその人間に与えた試練なのである。彼はその試練を天賦の試練として神から与えられたわけだから、その試練を乗り越えていかねばならない。その過程で彼は慈悲なるものを発見する。慈悲を具象化するのが母であり、抽象的には母性となって永遠性を獲得するに至る。伊集院静にはそうした世界を通ってきた人間の気配がある。
伊集院静の小説は読んだ限りでは、もっと通俗的で上記のような哲学的な解説には戸惑いますが、わかるような雰囲気の小説でした。
お帰りなさい。旅のお疲れも溶けぬままに、お読みいただき感謝です。伊集院静の小説は、読んでいませんので、なにも申し上げられませんが、タイトルだけぱらぱら見ていると、あまし食欲はそそられません。でもエッセイはいいですよ。すこしアウトロー的な匂いがする処もありますね。あの丸谷才一でも、こと小説になると、たいしたものは書いてません。辻邦生くらいになると、どちらも香り高い文章を書いています。