寒い日が続きます。
このあたりではもう銀杏の黄色い葉っぱはほとんど全部落ちてしまいました。
毎年道の両側に、真っすぐ高く立っている銀杏の木が、すべて見事にまっ黄(?)になって、
その間、家族を車で駅に送り迎えするのが楽しみになる期間でした。
今年はちょうどその期間に帰省していたものですから、見逃してしまいました。
とりあえず送りの時は駅まで最短の道を通りますが、帰りは一人で色々な道を選んで帰っています。
春には桜の並木道、少し後にずれて八重桜の通り、その後は満開のつつじの通りと、季節によって楽しめるように街路樹が植えられています。
秋には銀杏の通り、花水木の通りもあります。
さすがに紅葉(かえで)の通りはありませんね。紅葉は街路樹には向かないのかもしれません。
昨日の記事で、座間の殺人事件について触れましたが、
その少し前に、福井県での学校の先生の指導の行き過ぎによる生徒の自殺事件がありました。
「何をやっても僕だけ怒られる」「宿題未提出なのを怒られて土下座しようとした」「過呼吸になった」「トイレで大声で泣いていた」等、
記事を読んだ瞬間、
「なんという悪い先生なんだ!」と思わず怒りがわいてきました。
どちらかというと、座間の事件よりもこちらの方が、直接の殺人ではないですが、
間接的に、その生徒を追い詰めた先生に対しての怒りが大きかったかもしれません。
が、よく考えると自殺まではいかないにしろ、そういうこと、太郎君、はなちゃんの学校でもありました。
どこのクラスにも、目を付けられる子っていますよね。
生徒からすればなぜか目をつけられているという事になりますが、先生からすると、目を付けなければいけないような行動をしているわけなんですけれど。
学校と一口に言っても、そこにはいろいろな生徒、色々な先生がいらっしゃって、生徒の指導の仕方もそれぞれです。
さすがに体罰に走る先生はこの頃は見かけなくなりましたが、
ある生徒がいつも授業中に廊下を走るものだから、担任の先生が追っかけまわして、羽交い絞めにして、
耳を引っ張って、「いててて・・・」というその生徒を教室までつれていき、
いつも先生の横で、他の生徒と向かい合わせで座らせられている子もいましたね。
後、中休みに説教、給食を食べながら別室で説教、放課後に居残り説教、という説教三昧の先生もいらっしゃいました。
勿論、先生の怒鳴り声が聞こえてきたこともあります。
その、廊下を走る生徒はそれだけではなく、いろんな悪さをする子だったし、
またその生徒を出汁に、というかつるんで悪さをしておきながら、責任をその子に転嫁しているずる賢い子が5・6人いたので、
悪いのが一人であれば、無視することも後で個別対応することもできますが、
授業中に先生がその生徒たちに取られてしまって、学級崩壊のような状態にまでなってしまったこともありました。
一単、学級崩壊のような状態(学校では「学級崩壊」という言葉っを断定的に使ってはいけないことになっているようです)
になってしまうと、その年度での立て直しはかなり不可能です。
生徒と先生の関係が悪い方に決まってしまって、生徒の中での緊張感が途切れてしまっているので、
新年度になって、クラスのメンバーと担任の先生が変わらない限り、その状態がずっと続きます。
PTAの役員をしていたある日、その前日、私はラッキーにも所用で学校に行かなかった、その翌日に学校の父母会室に行くと、
「昨日、大変だったのよ。」と、
何でも、そのいつも悪さをしている生徒が学校に大きな木工用のボンドのチューブをもってきて、
教室の床から机や窓、廊下に出てその階の廊下の床全部に木工用のボンドをまき散らしたと。
それを担任の先生が一生懸命拭いていらっしゃったので、PTAのメンバーも見るに見かねって一緒に拭いたそうで。
思わず「ひぇー!」と叫んでしまいました。
怒鳴りたくなる先生の気持ちもわかります。
生徒の方もいろいろで、この生徒やうちの太郎君のような、悪さをして目をつけられて叱り続けられても平気な生徒、
この生徒は私も深くは知りませんが、お母さん方の間では親の愛情不足から、先生の興味を引くために悪さをしているのではないかという事でした。
その後中学に入ると、人が変わったようにおとなしくなったそうです。
太郎君の方は、・・・太郎君が犯した悪さについてはたくさんあるので、また追々機会があれば書きますが、
タイプとしてはこの先頭で悪さをしていた生徒、というより、それを利用していたずる賢い方の生徒ですね。
ずるがしこいと言っても、まだまだ子供ですから、大人から見るとずるがしこさがバレバレなんですが。
それに対して、直球ストレートで向かってくださった先生もいらっしゃいますし、無視される先生もいらっしゃいますし・・・。
同じ悪ガキでも色々いますから、この福島の生徒さんは直球ストレートに怒られることで傷ついてしまうタイプだったんですね。
残念なのが、この生徒さんのおばあさんが、「この子は傷つきやすい子だから、気をつけてください。」
と、担任の先生に念を押しておられることです。
こんなに大きなヒントをもらっているのに、先生がそれに則した対応ができなかったという事が残念です。
はっきり言って、先生としての能力不足ですね。
太郎君のような確信犯的悪ガキもいますが、小学生なんて、まだまだ自分を客観視できない全くの子供ですから、
環境のせいなのか、気質的なものなのかは別として、どうしても回りに馴染めなくて浮いてしまう子もいます。
浮いてしまう子の中にも、先生から見て浮いているようには見えなくても、自分が「浮いている、仲間に入れない」と感じている子もいるし、
どう見ても浮いていて周りの子が迷惑がっているのに、自覚のない子もいます。
先生も一クラス何十人も抱えていて大変だと思いますが、一人一人をできる限り見極めて信頼関係を構築して、
それで初めて全体としての授業が成り立つと思います。
はなちゃんが時々いじめられるので、私も学校でのことをよくはなちゃんに聞いていましたが、いつも
「今日は先生に〇〇って言われた」とか、
「いつも掃除の時間、先生が寄ってくる(はなちゃんはいつもかなりまじめに教室の掃除をやっていた)」というので、
はなちゃんには特別に先生が気を付けてくださっているんだと思っていたら、
同じクラスのお母さんにその話をしたとき、そこにいらっしゃった方すべてがうちの子だけ特別に目をかけてもらっていると感じていた、という、
超ベテランの強者の先生もいらっしゃいます。
ただ、先生も人間ですからね、クラスに手の負えない生徒が一人いるだけで授業がうまく回らなくなるのもわかります。
が、少なくともその生徒を衆目の場で叱ることによって、他の生徒をまとめる的なやり方もやめてほしいです。
報道に関して言えば、「自殺をしてしまった」という最悪の結果をもとに、この担任、副担任をも最悪の先生だったと決めつけて報道していますね。
内容も上記のように過呼吸になるまで叱られたとか、土下座しようとしたとか、何をやっても叱られて、学校に行くのを渋ったとか、
とても人の感情、特に親として感情を刺激するようなことだけを並べて、
挙句の果てに「日頃のうっ憤を晴らすために叱っていた」などという根も葉もない感覚論を、とあるタレントの言葉として流してる。
こうやって、なぜこの教師がこの生徒を叱責していたのか、確かに鬱憤があったのかもしれない、なかったかもしれない、
上記の木工ボンド事件のような怒鳴りたくなるようなことがあったのかもしれない。
単に普通に考えて宿題を忘れたというだけで土下座して過呼吸になるまで叱るでしょうか。
それとも本当にこの先生は宿題を忘れただけで怒鳴り散らす血も涙もない悪徳教師だったのでしょうか。
もしそうだとするならその根拠は何なんでしょうか。
生徒が自殺したこと?
一方的なものの見方に立って、自分こそ正義の味方のように人を悪者と決めつけて、というのか報道に接する人を決めつけさせるよう誘導する記事を書くのはやめてほしい。
案の定、またこの担任、副担任の顔写真がネットに乗り、転任先の学校の名前まで執拗に追いかけて出しているネット民がいます。
それこそ、日頃のうっ憤を晴らしてるんじゃないですか?
一時でも、こういう報道に誘導されて、「悪徳教師だ!」と決めつけてしまった自分にも腹が立つ。