たくまし可愛いい、ロボの戦い

乳がんと戦う、ロボの戦闘日記。
戦闘を離れた日常もつづってます。
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水曜どうでしょうで違法。

2007-08-09 | カテゴリなし
んー実際問題どうなんでしょう!?


「水曜どうでしょう」という北海道の人気番組、

ちょっと前まではただのローカル番組だったのに
面白いからって今や海外を含む32局で放送されてるんだって。


その番組に出演していた大泉洋なんて東京進出、というのか
今やドラマ『救命病棟24時』なんかに出て
江口洋介や松嶋菜々子と競演しちゃうような売れっぷりですよ。


大泉洋ですよ。

温水洋一とは違いますよ。



その大泉洋を有名にした北海道のローカル番組こと
『水曜どうでしょう』ですよ。


なんと、

鳥取砂丘の「砂」を違法採取していたんだって!!







7年前に!!!!



記憶の薄さのあまり、フォントまで薄くなっちゃったよ。


砂場で砂ダンゴを作って誰かに投げつけても
たいして起こられることはないのに


もっと砂のある砂丘の砂を持ち帰ってはダメなんだ。。


知らねーよ、そんなん。


知らないからこそ、



番組の人気が出たがための、発覚!



7年前の、砂とったこと。




あーあ、8月の前半に言うのもなんだけど

平和だ。







7年前、何してたかなぁ・・・





あっ


ミレニアムのときじゃん。





いろいろあったなぁ・・・





砂丘の砂をとるよりすごい事



あたしいろいろしてたけど、何か?

The rider in thunderstorm vol.1

2007-08-03 | カテゴリなし
ちょっと!

ちょっとちょっと!!



先日の雷雨すごくなかった~!?

といってももう一週間経つけどさ、


母が「今日は天気いいみたい」とか言うから

休日出勤の日曜日、バイクで職場まで行っちゃったよ!



そしたら・・




ガス欠!



雷 関係ねー(´▽`)



バイクって、私のバイクが特別なのか知らないけど

ガソリンメーターみたいなのってないのよ、大抵。

燃費っていうのも提示されてないのよ
あの「この車はだいたいリッター何キロです」みたいなさ
要するに1リットルで何キロ走れるのかってやつ。

あ、そんな説明いらないか?


だから、その日何キロ走って給油したら何リットル入ったか
っていうので逆算しなきゃなんないわけ。


だからだから、給油で満タンにした時点でメーターをクリアして
そこから何キロ走ったらそろそろ給油しなきゃ

とか考えなきゃいけないわけ。


私のバイクだと満タンにしてからだいたい180キロは行けるんだよ。





と思ってたの、その日まで。




ガス欠前に、走っている間に気づいていたんだけどさ



見慣れないランプが光っていたこと。




車でシートベルトしてないと
シートベルトの形のランプが点灯するように、


そのランプが何かの形をしていてさ、



その形というのが





アラジンのアレ





『魔法のランプ』





魔法のランプが光ってるけど、なんだろーって



メルヘンなことを



走りながら

思いながら




無視 (´▽`)




したらさ、

長い長い下り坂をブレーキいっぱい握りしめるでもなく
ゆっくりゆっくりでもなく下ってるbyゆずな最中にさ、



気づいたら、




バイクが静かなんだよね~




ガス欠のランプを知らない私でも、

エンジン止まってるってすぐわかったよ。




エンジン止まってる時に光るランプは知ってたからね。




あれ~と思って下り坂の途中で止まって、
エンジンかけ直して再スタートを切るも

やはりまだまだ続く坂の途中で切れちゃうの、エンジン。




走行距離は前回クリアしてから160キロしか走ってないから
あと20キロくらいは経験上いけるはずなんだけど



でも、



これはガス欠だ



と思うまで時間はかからなかったよ。




前回の給油後にメーターをクリアし忘れてて、

20キロくらい走った時点でクリアしたことを思い出したから。





そ れ で も、



バイクには予備タンクってのがあって
イザというときにチョイとレバーをひねればそいつを使えるんだけど


絶望的なことに




既にレバーがひねられてる状態?



なんで?





近くにスタンドはないし、

バイクは250キロくらいあるからそうそう動かせないし、



しかし唯一ラッキーだったのは、



その坂を下りきれば、出る通りが



名前のある道だったこと。






そしてそこの交差点にも



名前があったこと。





そのくらい、なす術ない状態。。。





あ、あともうひとつ良かったこと



5年くらい前、バイクを買ったお店の電話番号を
携帯に登録してあった事と



その店が全国チェーン店だった事。




グッジョブ ⇒ わたし!!!!




250キロある動かない物体をスローブになった歩道に上げるのに10分

炎天下の下で疲れた体に補給する水を買いにいくのに10分


バイク屋が到着して何リットルかの給油をして、

それに3000円支払うまでに10分、




大粒の雨が降り出したのはそんな頃。。。。

また書き始めます

2007-06-11 | カテゴリなし
しばらくブログを書かない間に、いろんなことがありました。

どれだけあったかちょっと書いてみようか。



母の入退院
車検
彼との別居
マンション購入
スノーボード2回

バイクのバッテリー切れ
引越し
両親の離婚(まだしてないけど)
職場の移転
昇給査定
営業活動
フリマ
新たな病気・・・


ちょっとこれはすご過ぎますよ。


皆さんのお気持ち的には、どの辺が興味あるのでしょうね。
私的に書きたいのは・・


もうどれも時間経っちゃって判んねーや。


一番問題なのは最後の新たな病気かな。

ああ書きたい、はやく書きたい。


しかし前回の記事の終わりが終わりなだけに、
やっぱ一つ目から書くべきかしら。


とりあえず、みなさん
母も私も弟も、元気かどうかは微妙だけど
生きて働いています。

これからチョコチョコ書いていきますね。

(↑なんかおいしそう)


更新を待っていてくれてありがとう。

最後の晩餐

2006-09-26 | カテゴリなし
当分行けないわ!!

と思い、引越日で入院直前でもあるこの週末は
美容院に行くところから始まりました。
私の頭ね。

人生2度目のパーマです。
くせ毛なのでストレートや縮毛矯正は欠かさないけど、
わざわざ自らカールを入れようなんて微塵も思う事がなかった私が
初めてかけたのは20代前半。
ゆる~いウエーブが流行り出すかなり最初の頃で、美容師さんに念を押したのに
出来上がりはしっかりソバージュ。
一ヶ月くらいで落としましたよ。


ま、余談です。


土曜の夜は駅で待ち合わせ、こんどこそ母と弟を部屋へ案内。
そして近くの天狗で夕食後、勢いでカラオケへ。
とっくに終電なんかなくなっているので、二人はタクシーで帰っていきました。

楽しかったね、お母さん!


日曜は、私が3週間ほどを過ごすための荷物と
ネットで買った商品が届くので午前中は待機。
荷物の方が先に届いたので、次のが届くまでに荷解きしながら待つことにしました。
なんて手際いい私!この先も安心ね!!
とかいって自分をノセないと、すぐに手が留まってしまいそう。
だって季節の変わり目だから、洋服が多いんですもの‥。
でも9月から12月は仕事が私服OKなので、タイミングよくラッキー!
私服もOL服も、ってなると倍だもんね、上着も違うし、靴も別だし、ストッキングも‥
って、ちょっと考えるだけでもうウンザリだわ!
よかったよかった。

さて、商品が届いたら母達と合流してお昼を食べに行くつもりなんだけど
これがナカナカ来ない!!!!

AM指定なのに13時過ぎてもこないから、住所を間違えたかな??と不安になります。
結局母&弟が昼飯を買ってきてくれて、私の部屋で食べたけど
14時過ぎても荷物はこず。

配達可能日よりも先の日付を指定して申し込んだので間に合わないはずはないし
ポストに不在票もないから、既に来ちゃったって事もなさそう。
ネットで買い物をするとたいてい“確認メール”というのが届くので
それを確認すると、ご指定のとおり配達できると書かれている。
しかし、それに書かれた送付先の住所を見ると気になる点がひとつ
マンション名の、〓(ローマ数字のスリー)が文字化けしているのです‥。

でも、申し込み時の「この内容でよろしいですか?」のときは
ちゃんと出てたから大丈夫だと思うんだけど‥
それに違う所に届けられても、届け先の名前が違えば印鑑押さない思うし‥
しかも配達前って地図みるよね?
マンションのローマ数字ごときが間違ってたとしても、
そこまでの住所は合ってるんだから届くだろ!

うん、そうだそうだ!
今日はきっと道路が混んでいるか、AM指定が出来ていないかそんなところだ!

時間がもったいないので、たとえこの後届いたとしても
不在票で再配達してもらえばいいやと思い、出かけることにしました。

そのあとドンキへ行って病室で使うプチ冷蔵庫や送風機を買いました。
病室は4人部屋で、回りは婆たちなのでクーラーは使えないだろう‥だって。

で買い物のあと、なんと宮が瀬へ!!

宮が瀬を知らない人のために説明しますと
神奈川の、ダムがある山奥です。
そりゃもうダムを作れるくらいなんだから、かなりの山奥です。
この宮が瀬に何があるかと言うと、何もありません。



挙げるとすれば、ダムです。

これが湖ならあひるのボートや遊覧船などあるのでしょうけど
いかんせんダムです。
水が溜まっているだけです。貯水です。


いやあ、前に宮が瀬に来たのはいつだっけ‥

なんつって白々しく考えてみたりして、実は2ヶ月も経っていません。


いまや神奈川県民でもないのに月イチで宮が瀬に来る女‥
そういないだろ。


単なる、親子3人ドライブです。

そうそう、宮が瀬に何もないなんて失礼でした!
ありますあります、お土産屋とか。
山クラゲ、山椒、ふきのとう、ワサビふりかけ、と
どこの山でも見かけるお馴染みの品ばかりですが
お馴染みになるだけあってどれもいつも通り美味しいです。

あんまり言うと宮が瀬の復興を考えている人に怒られそうですが、
本当はもっと施設があるようで、いいところなんですよ!
露店の食べ物もどれもおいしそうなんです!
でも何故か、いつも宮が瀬に行くときはお腹一杯で、ロクに食べたことないのですが。

そんな感じで綺麗な空気で癒されて帰り、
夕飯は弟の得意なサイゼリア。
そうよね~安くて美味しいもんね!若い奴はみんなザイゼリアがダイスキ!!
私はドリア、弟はステーキ、母はグラタンが最後の晩餐でした。
まっ私と弟は関係ないけど。


そんな調子で、
最後の週末はあっという間に終わってしまいました。



ちなみにその日、荷物が届く事はありませんでした‥

悪いのは誰?

2006-09-21 | カテゴリなし
さて、いろんな承諾書を持たされ病院を出るとすっかり夜です。
寿司屋(と言っても回転)でいつもより(私達なりに)贅沢な夕食を楽しみながら
ここは母を励ましたい所なのだけど私は少し鬼となり
先生の言葉を用いながら、病気の怖い部分を話しました。


さっさと退院して復職する気だった母は
しばらくは腕が動かない事を知り衝撃を受けたと思います。

誰だって好きでこんな事は言わない。
本当なら不安を取り除いて、ほら大丈夫だよ!と安心させたい。

だけど怖い病気であることを知りながら、痛みがないからと逃げていた母にも
ここでは自分の体と向き合って、本当の回復を目指してほしい。
そしてこの弟のためには、厳しくて無情な現実を見せないと。
私は嫌われても、母に悲しみを負わせてでも。
そう考えた私は勝手でしょうか?独りよがりでしょうか?
そういう事を教ずに何でも自分らで片付けてきた、母も家族も悪いと思うのです。
痛みを伴う構造改革です。

弟は、正直まだ解りません。
ただ先生の説明の一部にあった「手術中に起こり得るエコノミークラス症候群のために
血栓が出来て即死するような事態を防止するため‥」
という言葉に
「あれ聞いてビックリしたよ!」と言っていました。

そんな言葉がまた私を苛立たますが、それでも前進だと思うことにしようと思いました。
弟は22才。
これだけ大きくなるともう、家族あたりが言葉で言ってもなかなか受け入れません。
あとは体験するなかで釘を刺していくのがいいのかな。

そもそも、どうも我が家の人間は誰かに注意を受けたとき
「私は悪くない。そんな事を言うなんて、判ってないなあ。」
なんて思う傾向があるのです、もちろん私も。
すぐに口答えするタイプ。

どんな風に育てたらそういう風に育つのか、いつか母に聞いてみたいものです。



私は今日はこっちに泊まるつもりで、ビジネスホテルをとってありましたが
そこへ送ってもらう途中に、3人である所へ寄りました。

とあるワンルームマンションの一室です。


いや、実際には地図をうろ覚えだったのでそのマンションを見つけられず
辺りをウロウロして帰っただけになっちゃったけど‥

そこは、その週末から私が住む部屋なのです。

入院と手術前後の付き添いと、入院中の様子見や洗濯、
検査結果や予後(手術後の経過や追加治療)のこと
私の住まいと実家や病院の遠さを考えると、これしかないと思い
ウィークリーマンションを借りたのです。

他にもいろいろ調べましたが
ホテルだと洗濯はしづらいし荷物はそう持ち込めないし何より高いし、
賃貸はひと月分はどれよりも安いけど敷金礼金仲介手数料がかかるから結局高い。
敷金礼金ゼロの所でも半年以下だと違約金を取られるらしいし
そもそも家具も布団もカーテンもない。
あっ照明も洗濯機も。

そして何より身近な実家は、欠陥住宅で湿気が多く天井から水は漏るし主はゴキブリ。
駅からも近くなく病院からはふた駅だし各駅停車しか停まらず便が悪い。
それから、私も3年間くらい住んではいたけどたいした思い出がないどころか
いい思い出がちっともない。

とにかく、あそこには住みたくない。


そういう訳で決めたのです。
ぜひ下見をしておきたかったのですが変にある土地勘が災いし
地図を見はしたものの、記憶するに至っていませんでした。
歳ね、トホホ。


んな訳でホテル泊。
なんだか楽しんでもいる私。
次の日はそのまま出勤し、仕事を終えて家に帰りました。


彼にも病状を伝えました。
はじめの電話から約10日目
その間、同時に仕事もピークを迎えており
なんだか私、疲れてきているのです。

誰かに寄り掛かるのって苦手というか、どう寄り掛かればいいのか解らない。
けどまずは、ちょっと愚痴ってみる所から始めてみようかな、なんて思って
母の事、弟の事、自分の病気、ウィークリーマンションの契約、荷物の郵送、仕事の事
ひととおり話すと彼の返事はこうでした。

「おまえが行く事無いんだよ。口を出すからそうなるんだ。」


‥確かに私はでしゃばり。

確かに私が行かなければ弟の負担は増えて、結果的にはしっかりするのだろう。

しかし、母がこんな大きな病気になったというのに
「私が行かない方が」という選択肢はないかと‥。
それじゃあ娘を産んだ意味もないだろう。
母は一人で頑張って育てた娘がそんなんじゃ‥ちょっと酷いでしょ。
仕事じゃないんだから、失敗するのも経験だ、みたいなさ。



確かに私も母も、弟の役目を奪ってるかもしれない。
私は女だし弟も居るのだから、いつかどこかへ嫁ぐ身。
親に何かあったら駆け付ける事は出来ても、いつも傍には居られない身。
だったら少しでも早く弟が自立して、両親を背負えるようになるよう
それまで手出しは禁物なのかもしれない。


確かに彼の言ってることには一理ある、というか正しいのかも。
しかし、両親はもういい年齢だし、そんな悠長なことは‥



自分のしていることが自己満足な部分は認めるとしても
咎められるような事だとは思ってもいなかった‥

そうかぁ‥‥


なんて落ち込みながら、荷造りを進めました。

医者の説明

2006-09-21 | カテゴリなし
検査結果を聞く当日、私は仕事を早退して向かいました。
母と私と弟の3人で臨みました。
待合室では弟はバイトだの友達だの、どうでもいい話を続けてるばかり。
私の癌の告知の後も弟はこんな調子だったので解ってはいたけど、
ホントに、ズレてんだかズラしてんだか‥
絶対、大きくズレてるんだと思います。


先生に呼ばれ、聞かされた検査結果は以下のようなものでした。

CTによるとかなり大きい腫瘍が見られる。
胸から液体が出てくるという症状通り、腫瘍は皮膚に食いついている。
先日採取した細胞は良性との結果が出たが、病状を考えると悪性の可能性が高く
単に“取得した細胞にはたまたま悪性の細胞が含まれなかった”
と考えるのが妥当と思われる。

たとえ良性であっても放置できる病状ではないこと、
中途半端にメスを入れると癌細胞が活性化する恐れがあることから
病側の胸は全摘出する手術を行う。
通常は全摘出の場合、縫合する皮膚が足りないためお尻等から移植するが
幸い皮膚が多い(太っている)ため、足りるのではないかと考えている。


患者さんや家族にあわせて、かみ砕いた説明や冗談も交えつつ
30分くらいかけてそんな内容を聞きました。


私の時と似ている。
症状こそ全く違うけど私も癌ではないかもしれない
採ってみたら違ったよ、だったらいいなと思い続け‥

結局、癌だったんだよね。

いや、違ったらいいなとは思ってなかったかもしれません。
だって先生が「癌細胞は採取されなかったので癌とは診断できないが、
その他の結果を見ると癌だ。」と言っていたから。
だから癌じゃない可能性もあるようだけど、やっぱり癌なんだな
もう逃げ道はないんだな
っていう気持ちまで、私の時と似ている。


先生からの説明が終わると、手術までの間にまだ必要な検査や採血の日程を決めました。

まず採血して、24時間尿を貯めて、その間にも採血して、麻酔の先生の話を聞いて
心電図とって、肺の検査をして、何日からは飲食禁で‥

病院勤めだから早く入院するより仕事で病院に来ているときに
仕事の合間に検査をしちゃった方が楽だろう、
そんな医者と母の考えが全く裏目に出て、入院前はハードスケジュールとなりました。
とくに面倒なのは“尿を貯める”というところで、私の時はなかったのですが
24時間のうちに出た全ての尿を、指定の容器に貯めて提出するのです。
その間は何をしててもいいので、買い物へ行っても、外食に出ても自由ですが
尿だけは、漏れなく容器に貯めなくてはならないのです。
そんなんじゃ外出なんてできませんよね。
しかも母は日勤だの夜勤だのと仕事が入っているのです。
想像してみて下さい。

“職場で尿を貯める”

そこはキッパリ分けたいところです。。


なんとか合間を縫って全て条件を満たすスケジュールをたてたけど
次は素直に、早めに入院してください、母さん。


サンマーメン

2006-09-19 | おいしいもの
サンマーメンを食べたことがありますか?
あなたの家族もサンマーメンを食べた事がありますか?
あなたの住まいの近くに、サンマーメンを出す店はありますか?

きっとこの質問、すべてyesの人は
地球上、1000人も居ないんじゃないでしょうか?

言い過ぎか。


サンマーメン

それはラーメンの上にトロミがかった野菜炒めが載っている
広東麺みたいなもので、主な野菜はモヤシです。


しょうゆラーメンです。



私がサンマーメンを初めて食べたのは中学生のとき。
もっと前から知ってはいました。
なぜなら、近所のラーメン屋のメニューには
当然のように存在していたからです。
ある日友達が「サンマーメンって何?」と疑問を抱いたようなので
二人で食べに行きました。

とっても美味しかったのですが
野菜タップリでトロミかかっているので
女子中学生の胃にはちょっと困ったものでした。


その頃にサンマーメンを調べたときは
「多摩川より先には存在しない」と聞いたので
神奈川出身のわたくし
「きっと出元は中国、長崎あたりから伝わってきたのかな」
なんて勝手に思っておりました。

ところが最近、新たな証言を入手しました。


なんと

「大井川より西には存在しない」

というのです。



大井川・・・



って、マイナー?




大井川と言えば
箱根八里でも越すが、越すに越されぬ大井川

先日、掟ポルシェが渡っていたあの大井川です。


わかりやすくするとこんな感じです。







ちょっと引いてみましょう。




せまっ




ちなみに、石川県あたりはどーなんすかね。

忘れていたのは

2006-09-15 | カテゴリなし
それから約10日後、母の検査の最後の結果として
細胞診の結果を聴きに行く事になりました。

弟に、その日はお前もバイトを休むんだよと話すと
すごい勢いで無理だと訴えてきました。

簡単に休める仕事じゃないんだ
替わってくれる人を探さなきゃいけない
もの凄く迷惑をかけるんだ
手術の日だけでいいじゃないか

うん、そういう気持ちよく解るよ。
でもそんなの全然問題じゃないって教えておかないとな。

「バイト休めない、なんつって誰も行かなかったらお母さん独りでどうするのよ」

「しょうがないんじゃないの!?」

「もしかしたら、癌の告知になるんだよ?
どこに告知を本人独りで聴きに行かせる家族がいるのよ」

「わかるけど、」

「わかってないよ、お母さん癌だったら抗がん剤は絶対やるよ。
そうしたら仕事復帰なんて当分出来ないし収入なくなるし
手術によっては腕が動かせなくなって、リハビリだって必要になるんだよ。」

「わかるけど!」

「わかってないよ!!」

「わかってるよ!!!!」

そんなやりとりを繰り返すと弟は「じゃあいけばいいんでしょ!!」とキレました。


何だよ、

キレやすい若者かよ。


でもいいよキレても。


じゃあお願いね!といって電話を切ることにしました。


とにかく来て先生の話を一緒に聞けば、わかるようになると思っています。

しかしキレられた私もなんだか治まりがつかず、彼に事の次第を説明しました。
彼も批判しながらも、やはり弟が理解できないのはわかる、と言ってくれました。
そして続けてこう言いました。

「それよりお父さんは何をしているんだ!」


すっ‥

かり、忘れていました。

母の不安は

2006-09-15 | カテゴリなし
母は既に飲んで酔っていましたが、
それでも馴染みの店に行きたいというので二人で飲みに行きました。
居酒屋のような小料理屋のような、
お母さんのようなおばあちゃんのようなママが料理を出すお店です。
ママと母はそれなりに付き合いがあるようで、もう病気の事は知っていました。

まったく、どっちが先なんだか。
いやいや家族になんて、家族だからこそ、すぐには話せないものだ。

「孫がね、誕生日プレゼントを持ってきてくれたのよ」
そんなママの自慢から、ママと私は誕生日が同じであることを知り
母は病院に行った日が私の誕生日だったことに気付きました。
その後も二人で話を続けていると
お店の雑音の中で、母が小さな声で言いました。


お母さん、死ぬのかなぁ


顔は少し笑っていましたが、すぐに涙がこぼれました。

死ぬ死なないは置いておいて、
とうとう母からこんな言葉を聞く日が来た事が
槍のように私の胸を貫きました。


死なないよ、

と一度言葉にして

何の根拠もないと思い直し

同じ病気になった私だから言える事があるはずだ

と探して、

後に続けました。


たとえ乳癌だとしても
少なくてもすぐに死ぬ事はない。

とんでもない事を言った自覚はありますが
母は真顔になって軽く頷きました。


手術で全部取れれば大丈夫。
乳癌だけなら、戻りたければ仕事にも戻れるよ。


‥ただ転移が怖いから、しっかり手術してもらおう。
乳癌は進行は遅いけど、転移は早いところが怖い。
だから転移の検査はちゃんとしよう。


転移が早いのに、お母さんは何年も抱えていたのに他に症状が出ていないんだから
何かがおかしい。
検査結果を貰ったら計画を建てよう。



事実でしかありません。
何の脚色もできません。
「死」と向き合っている人にごまかしの言葉は通用しない。
ごまかしたかったのは本人の方で、それが効かないから怯えているのだ。




母の友達の看護婦さんが言うらしいのです。

「やめなよ院長なんか!お姉ちゃん(私)の行った病院に行きなよ!」

母を診てくださっているのは勤め先の病院の院長で、執刀もしてくださるようです。
胸の手術の経験もあります。
病院にはリハビリ科だってあります。

ですが、誤診やら手術の上手い下手やら、設備の少なさやら
そりゃイチイチ私の病院の方がいいに決まっています。
がんセンターとかではないけど大学病院で設備は豊富、
乳腺外科専門の先生に診ていただけるんですから。

でも母が長年放ったらかした胸を診てもらう気になったのは
気心の知れた院長だったからこそ。
いつでもデカイ顔して言いたいこと言えて
誰よりも大先輩で居られる自分の病院でないと
母だって絶対やり切れないはずです。
しかも、母には入院費など出せないし(さすがにイザとなれば私が出しますが)
何より、母の為に先生が撮ってくださったCTの枚数!
前代未聞の量だったそうなんです。。

先生にしてみればきっと他の患者さんと区別があった訳ではなく
実際に必要だったのだろうとは思いますが
これほど念入りにしてくださることはなかなかないと思います。
かかる病院が勤め先なら、休職の相談もしやすいのではないでしょうか。


しかしやり辛い事もたーっくさんあるとは思います。
特に尿の管を入れられるなんて最悪でしょう。
選ぶのは母ですから、お母さんが病院変えたいならいいと話すと
母も思ったようでした。

「くだらない看護婦に指図されるのは嫌だし、ここなら自分に文句言える奴はそう居ない」


たぶんね。

運転手さんの話は

2006-09-14 | カテゴリなし
家に着くと、母は台所でテレビを見ながらビールを飲んでいました。

昔はビールといえばキリンだったのに、今日はサッポロでした。
いつからか変えたのか、どうでも良くなったのか、値段のせいなのか。
そういえばもう野球は見てなさそうだし、トシちゃんにも騒がない。
そもそもトシちゃんをテレビで見かける事も少ない。
いつの間にか色々な事が少しずつ変わり
元気な母も病気になった。


母の説明も、おかしい所はありました。
先生の説明が難しいのか、正しく理解できていないのです。
「良性だけど、やっぱり癌はあるらしいのよ」
だから違うってば!!

しかしハッキリした事もありました。
やはり入院は手術当日。
ふつう手術前夜は飲食禁止だし下剤も飲まなければいけないのだけど

病院に勤めている人間だから、わざわざ入院するまでもないでしょ!

って事みたいです。

確かに、母にはその方がいいのかもしれません。

それからお金はかからないのではなく、後日全額帰ってくるようです。
母は病院の職員だから。
なるほど!
仕事によっては何かが安く手に入ったり、貰えたり
何かしら恩恵を受けられる事はあるけど
入院&手術代が無料っていいね!
まぁ、それも職員であるうちは、の話しだろうから
仕事に戻れるような病気だけという事になるだろうけど。

私の仕事にはどんな恩恵があるだろう?

っと、見当たりません。



医者が患者に、大きな病気や手術の内容を説明するときに
そんな病状やらを紙に書いてくれる事があるのですが
母はその紙を病院に忘れて来た(仕事中に先生に呼び出され、検査結果を聞いたため
そのまま仕事着のポケットに)らしいので
二人でタクシーに乗り、取りに行きました。

タクシーに乗るなり母が運転手さんに向かって

「あら、前にもお会いしたことがありますね」

‥調子良い事言って!良すぎだって!!
私は完全に嘘だと思っていました。
しかし母が一度タクシーを降り、独りでメモを取りに行っている間
運転手さんが私に「いや~そういえば前にも乗せたことがある‥」
なんて事を話し掛けてきたので
それさえもタクシードライバー’S 営業トークだと思い込んだ私は
「すいません、母ったら酔って調子のいい事言って‥」と濁したら
「いやいや、本当にお会いした事がありますよ
以前は街道から曲がった、踏み切りの脇から乗られてね。」

そこは母のよく行く店です。

「相変わらず元気なお母さんだ」


でも、実はもうすぐ入院するんです。

この病院でね、手術するんです。


この病院に、勤めているんです。



夜のタクシーといえば、実は私の相談所。
世間をよく知ってらして、これきり会わない相手との一線を引いた密室。
母のプライバシーを侵害してはいけないと思いながらも漏らしてしまいました。



なにか知ってらっしゃるなら、話を聞かせてもらえませんか
悲しいこと、嬉しいこと。

そんな気持ちでした。


「私の叔母もね、ここに入院していたんです。
もうながい事‥
私もよく見舞いに来ましたよ。もう昔ですけどね。」

母も長く勤めているので、その
時にもお会いしているかもしれませんね!
あっ、長くいらっしゃったなら覚えているかも‥

私は自分の零した言葉に、少し緊張していたのかもしれません。
でも

「いやいや、本当に昔なんです」

本当に、昔なのかもしれません。
でもなんだかもう聞いてはいけないというか、聞けなくなり、
とにかく話を変えました。

その後、母が戻ってきてくだらない話をしながら
母が入院することへの緊張が少し膨らんだ気がしました。




ちなみに、先生が書いてくださった病状は
全く読めませんでした。

医者は寺が汚い


私の持論です。