先日のエントリー「純粋NLP批判」について、何人かの人からご意見をいただいた。
「正論をいくら書いても、そうね正論ね、で終わってしまいますよね。」
そうなのだ。ただ正論を書いても広がりが無いのだ。市場性が生まれないのだ。ネットという広大な海にティッシュペーパーを流しているようなものだ。話題になるはずもなく、数人の人が目にして、それで終わる。
そもそも私は言論市場という土俵の中にいない。まずは、この土俵に上る必要がある。それには刺激的で話題性のある言説を供給しないといけない。さらに、ブログのアクセスを劇的に増やす必要がある。少なくとも月間10万PVは必要だ。ちきりんさんはブログを書き始めて1年で、月間100万PVを突破していたはずだ。
「あれは下書きですよ。長いし全部読む人は少ない。1分眺める人、5分で知りたい人、熟読する人を考慮して、見出しをつけるとか、太字を使うとか、リンクを張るとか、ハイパーテキストを生かさないと。もっとも、ブログにそこまで時間かけてもしょうがないとも思いますが。」
確かにその通りだ。今まで、全文を熟読してくれる読者しか想定していなかった。このブログの提供する価値について、明確に意識して来なかった。ゴールを設定していなかった。
ブログの体裁は大事だ。昨年の暮れにだいぶ整理したが、まだまだ傷だらけだ。下書きと言われてしまったが、全体から見ればすべてが下書きのようなものだ。ただの各論。ただの正論。ただの感想。
「ただの正論じゃダメなんだよ!!」
戦略を明確にしたうえで、刺激的で話題性のある、言い換えれば市場的に価値のある言説を供給しないと、言説としての価値が生まれて来ない。
私は現代の普遍的価値そのものにメスを入れようとしている。それが多くの人の共感を得られないことも、反発や嫌悪を生むことも承知している。しかし、少しでも私の思想を支持してくれる人たちがいる限り、私は語らなくてはいけない。そして、忌み嫌う「市場」という土俵の中に飛び込まなけれいけない。毒には毒をもって戦うしかない。
努力を称揚し、上昇志向を称賛して、人々を生産システムの熱狂に巻き込み、人間らしい生活を奪って行く、つまり幸福を奪って行く「進歩と成長の思想を解体すること」こそが私の存在理由なのだから。
こういう都合の悪い者は、ただの変人として無視されるだけで終わるのか。それとも一つの思想として一定の支持者を集められるのか。私の戦いは、まだ終わっていないようだ。
「正論をいくら書いても、そうね正論ね、で終わってしまいますよね。」
そうなのだ。ただ正論を書いても広がりが無いのだ。市場性が生まれないのだ。ネットという広大な海にティッシュペーパーを流しているようなものだ。話題になるはずもなく、数人の人が目にして、それで終わる。
そもそも私は言論市場という土俵の中にいない。まずは、この土俵に上る必要がある。それには刺激的で話題性のある言説を供給しないといけない。さらに、ブログのアクセスを劇的に増やす必要がある。少なくとも月間10万PVは必要だ。ちきりんさんはブログを書き始めて1年で、月間100万PVを突破していたはずだ。
「あれは下書きですよ。長いし全部読む人は少ない。1分眺める人、5分で知りたい人、熟読する人を考慮して、見出しをつけるとか、太字を使うとか、リンクを張るとか、ハイパーテキストを生かさないと。もっとも、ブログにそこまで時間かけてもしょうがないとも思いますが。」
確かにその通りだ。今まで、全文を熟読してくれる読者しか想定していなかった。このブログの提供する価値について、明確に意識して来なかった。ゴールを設定していなかった。
ブログの体裁は大事だ。昨年の暮れにだいぶ整理したが、まだまだ傷だらけだ。下書きと言われてしまったが、全体から見ればすべてが下書きのようなものだ。ただの各論。ただの正論。ただの感想。
「ただの正論じゃダメなんだよ!!」
戦略を明確にしたうえで、刺激的で話題性のある、言い換えれば市場的に価値のある言説を供給しないと、言説としての価値が生まれて来ない。
私は現代の普遍的価値そのものにメスを入れようとしている。それが多くの人の共感を得られないことも、反発や嫌悪を生むことも承知している。しかし、少しでも私の思想を支持してくれる人たちがいる限り、私は語らなくてはいけない。そして、忌み嫌う「市場」という土俵の中に飛び込まなけれいけない。毒には毒をもって戦うしかない。
努力を称揚し、上昇志向を称賛して、人々を生産システムの熱狂に巻き込み、人間らしい生活を奪って行く、つまり幸福を奪って行く「進歩と成長の思想を解体すること」こそが私の存在理由なのだから。
こういう都合の悪い者は、ただの変人として無視されるだけで終わるのか。それとも一つの思想として一定の支持者を集められるのか。私の戦いは、まだ終わっていないようだ。