里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

暖冬

2007年02月24日 | 天変地異
この冬は日本全国で暖冬と言われ、温暖化ガスの増加のせいではないか?と懸念さ
れているが、南極のふじ基地で深さ2500m迄ボーリングし採取した氷の温度から気
温の変化を推定したデータは非常に示唆に富んでおり面白い。

このグラフから見ると、
現在より2~6℃低い気温が約10万年続いた氷期の時代の後、現在の気温に近い
間氷期が約1.5万年続いており、しかもゆっくりと気温が下がり氷期に向かってい
事を示しているのだそうで、直近の気温上昇(赤線の傾向)は単なる綾なのか?
或いは温室効果ガスが増え続けているせいなのか?今の所良く分からないらしい。

この先、氷期になるのは未だ何万年も先なので許せるが、温室効果ガスのせいで気
温上昇するのは願い下げだ。
何しろ日本でも、
真夏日が続き、梅雨時の強雨日が2~3倍になり、風速45m/秒の強い台風が増
え、農作物は栽培し難くなり、家畜も夏バテで育ち難くなると言うし、地球上の氷
が全部とけると海面が7mも上昇して大都市は殆ど水没すると言うから始末が悪い。
何とか地球の平均気温約15℃を保って欲しいものだ!

エシャレット

2007年02月23日 | 野 菜
先輩ブロガーのRohmanさんがエシャレットについて、
「フランス料理で使うエシャロットではなく、“和製エシャロット”つまりラッキ
 ョウの若掘りの事で、塩もみした後マヨネーズやミソ、醤油などで味付けして食
 べるとピリッと辛く酒の肴に最適」 と書かれていた。

私にとってはどちらも初耳で、しかも今年のテーマを「山野草の試食」にしている
ので早速調べてみた。
すると、
「エシャレットはエシャロットの向こうを張って売り出された、軟白栽培した若穫
 りのラッキョウの事で、“根ラッキョウ”では売れないと思った築地の卸業者が
 名付けた」
「エシャロットと同じユリ科だが別種で、軟白栽培する事により辛味を抑えてあ
 り、ミソやマヨネーズをつけて生で食べる」 と書かれていた。

シャレでつけた名前のように感じるが、それにしてもカッコいい名前を付けたもの
だ。 試食してみると露地もののせいか少し辛味が強かったが、結構美味しい。
確かに酒の肴には最適で癖になりそうだ!

エシャロット(フランス語)
ユリ科の多年草。 タマネギの変種で一見するとタマネギのように見えるが、皮を
剥くと中はニンニクのように分球している。
西洋料理で香味野菜として臭み消しやソースに用いる。

久しぶりの岡山・山草会

2007年02月20日 | 山草会
先日、久しぶりに岡山・山草会の例会に参加した。
山草会では、1年に一度東京の山草会から講師を招き山野草の実生による繁殖法を
教えて貰っているので、普段欠席続きの私だがこの日だけは参加する事にしている。
懇切丁寧な説明をして貰った上に、格安で苗を譲って貰えるし、種子に至っては無
償で全く至れり尽くせりなのだ。

所が、苗については少し難がある。 何しろ北海道で育つような植物ばかりで、夏
場30℃を超えると枯れてしまうと言うから始末が悪い。
今回は、キタダケナズナ、メコノプシス・ベトニキフォリア(ヒマラヤの青いケ
シ)、カラフト・マンテマを買ってみたが、何とか花を見たいものだ。

白状するが前回買ったリシリヒナゲシは途中までは成績が良かったが、やはり夏を
越せなかった!
夏の高温を凌ぐために、二重鉢(苗を植えた鉢ごと別の鉢に埋め込む)にして、腰
水で冷却すれば良いと言うのだが…。

兎も角挑戦してみよう!



鬼ノ城 

2007年02月18日 | 歴 史
鬼ノ城は、吉備線服部駅北方の鬼城山(標高397m)の8~9合目にかけて作られ
ている朝鮮式の山城で、明確な記録が無い為に“謎の山城”とされているが、嘗て
朝鮮から渡来した高度な技術を持った人達の古代吉備王国が築いたものを、白村江
の戦いに敗れた大和政権が唐の侵攻に備えて増強して利用したのかも知れない?

いずれにしても、30haに及ぶ敷地の中央には食糧貯蔵庫と考えられる6棟の建
物跡があり、全長2.8kmに及ぶ土塁や石垣で作られた城壁が取り囲み、4箇所の
城門を設けた広大なもので、現在角楼と西門が復現されている。
南側から見た鬼城山復元された西門

現在眼下には総社平野や足守川流域の平野が広がり、その先には児島湾や児島半島
が見えるが、当時は眼下に古代の山陽道が東西に走り、児島半島は地続きではなく
現在より遥かに海が迫っており陸上・海上交通の要衝で、鬼ノ城は格好の監視、防
衛拠点であったらしい。
足守川流域、児島湾、児島半島西門の内側

幸いな事に、676年に新羅は唐軍を破り朝鮮半島を統一し、日本も唐に蹂躙される
事も無かったが、(歴史にもしは無いが)もし唐に侵略されていたら、我々も
「イ尓好(こんにちは!)」と喋っているかも知れない!

大化の改新、“虫五匹”?

2007年02月17日 | 歴 史
大化の改新“虫五匹”と習ったものだが、先日NHKで蘇我入鹿について新しい視
点で放送した内容は非常に興味深いものであった。

要約すると、
「蘇我入鹿達が唐の侵略に備え都の防備を固めると共に遣唐使を送り平和裏に国交
 を進めていたのに対し、645年に中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを起こし
 て政権をとり、唐に敵対する政策に変更し663年には朝鮮に出兵して唐・新羅
 連合軍と戦い大敗を喫した。
 この間、世に言われるような改革はやらず、むしろ敗戦後唐の来襲を恐れ慌てて
 九州や瀬戸内海へ朝鮮式の山城を築くと共に、唐に習い律令国家とする事により
 国力増強を図った」
「ゆえに大化の改新は663年以降とするのが正しい。 645年としたのは為政
 者が自分達の失政を誤魔化したのではないか?」
と言う論点のように聞こえた。

もしそれが本当なら、大化の改新“(戦争に負けて)ムム、残念”とでも覚えるよ
うになるのか? 今後の研究結果が楽しみだ!

(近隣国の歴史)

西暦中国 及び 朝鮮日        本
618唐、中国を統一
630遣唐使の派遣
645大化の改新、中大兄皇子が蘇我蝦夷と入鹿をほろぼす
660唐、新羅連合軍が百済へ侵攻中大兄皇子、百済の皇子をかくまう
663連合軍白村江で倭軍と戦う百済を助けて朝鮮へ出兵するも大敗
667近江の大津宮に都を移す。ようやく政治が安定
668高句麗滅亡中大兄皇子が即位、天智天皇となる
671天智天皇が死去
672壬申の乱。大海人皇子が天武天皇となる
676新羅が唐軍を撃破、朝鮮半島を統一

桃太郎サン?

2007年02月16日 | 歴 史
岡山と言えば“桃太郎のキビ団子”が有名だが、鬼ノ城にはこの昔話「桃太郎」の
元になった“温羅伝説”と言うのが残っているそうだ。

吉備津神社の伝承によれば、
「昔、百済の皇子と称する温羅(うら又はおんら)と言う鬼が住んでおり、鬼ノ城
 を拠点に、この地方を支配して悪行を行っていた。
 これを救うべく都の朝廷が五十狭芹彦命を派遣してこれを打ち滅ぼした。
 爾来、命は吉備津彦命と呼ばれる事となった」
と言う。

しかし、
「千数百年前、この地方には朝鮮から渡来した高度な技術を持った人達の王国があ
 り、大和朝廷と対立して鬼ノ城で迎え撃ったが敗北した」
と言うのが真相のようだ。
この王国は、現在の岡山県全域と広島県東部、香川県島嶼部、兵庫県西部にまたが
っており、鬼ノ城の西方には5世紀前半頃に築造された“造山古墳”と言う王を埋
葬したと見られる前方後円墳があるがその規模は全国第4位であり、大和政権に匹
敵する力を持っていたようだ。



(造山古墳の規模)
 仁徳陵     全長486m
 応神陵     全長420m
 履中陵     全長365m
 造山古墳    全長360m
    ※ 画像右半分が前方部、
         左半分が後円部


鬼城山の植物、アテツマンサク

2007年02月15日 | 野外講座
今月は、総社市鬼城山のアテツマンサクを見に行った。
花の少ない早春(2月中旬)に真っ先に“先ず咲く”事から、それが訛って
“マンサク”と呼ばれるようになったとか。
アテツマンサク(鬼城山)シナマンサク(半田山植物園)
マンサク科マンサク属には、
関東以西に自生するマンサクのほか、中国地方以西に自生するアテツマンサクや中
国原産のシナマンサクがあるそうだ。

アテツマンサクは、1914年に牧野富太郎博士によって岡山県の阿哲郡(現在は
高梁市)で見つけられた新種で、若葉の星状毛がマンサクは早く脱落するのに対し
アテツマンサクは褐色の毛が何時までも残る点が異なるとされているが、両者の中
間的なものもあり区別が難しいらしい。

テロとの戦い

2007年02月08日 | 政 治
昨日の新聞に、'01~'08年度に於けるアメリカの対テロ戦費がベトナム戦争の戦費
を超えると次のように報じた。
(最近の通貨価値に換算したアメリカの戦費の累計)

戦 争 名戦費(億ドル)
第一次世界大戦  5,800
第二次世界大戦 47,000
ベトナム戦争  5,700
対テロ戦  7,478

一方、
この対テロ戦の死者数についてネットで調べてみると、イラクだけでも’03/3の開
戦以来アメリカ兵は’06/12時点で3000人を超え、イラク人は ’06/11時点で15
万人(イラク政府発表)に達すると言う。
ありもしない大量破壊兵器や居もしないテロリストから“アメリカを守る”とし
て、ブッシュ大統領の起こした戦争でこんなに沢山の死者が出ているのだ。

今やイラクは内戦状態となり誰も止める事が出来ないようになってしまったが、何
とか出来ないものかと切実に思わざるを得ない。

この戦争をリードしたアメリカでは中間選挙で民主党が勝ち、アメリカに追随した
イタリアでも政権交代が起きたが、ようやくこの戦争が誤まっていた事が世界的に
認識されたと言う事だろう。
所が日本では、
久間防衛相は「大量破壊兵器がさもあるかのように戦争に踏み切ったが、アメリカ
         の判断が間違っていたのではないか?」 と言い、
麻生外相は 「ラムズフェルトはドンパチはあっという間にやったが、作戦は非常
         に幼稚だった。これがなかなか旨く行かなかったからもめている」
等と、人ごとみたいな事を言っている。

世界の世論を押し切って誤った戦争を起こして大きな犠牲を与えたアメリカに対し
終始追随した日本の政府・与党は何時、どのようにして責任を取るのだろうか?
このまま、「アメリカの判断が間違っていた」「日本の責任ではない」等と責任転
嫁をして知らぬ顔の半兵衛を決め込むつもりでは…と勘ぐりたくなるような雲行き
だ。

アメリカのこの莫大な戦費で潤った連中がいるかと思うと、余計に赦し難い気がす
る。