Rezzoの心

本音で語ります。

~ HARUの映画 ~

2014-05-23 | 
感性



子供の感受性というものは親の想像を超えたスピードで成長する。








休日

娘からずっとリクエストされていた映画に行ってきた。

話題の「アナと雪の女王」だ。



正直、自身はまったく興味がなかったので、

家族サービス・・・というくらいの気持ちでいたが、


結果。


久しぶりに心が温かくなった。


ホント見て良かった。









子供と映画を見に行くのは初めて。


娘と家内の二人で何度か行ったことがあるそうだが、

大きな音を怖がってすぐに出てきて、最後まで見れたことはないらしかった。


おそらく今回もそうなるだろうと思ってはいたが、

リクエストされたし、いけるとこまで付き合ってみようということで挑戦。




案の定、開始早々耳を押さえたり、目を覆ったりしていたので、

今回も無理かな。。。と思っていたが、

しばらくすると慣れてきたようで真剣に見入り始めた。




場面は進み、少し悲しい場面になった時だ。



隣に座っている子供が、何だか落ち着かないので、

「トイレかな?」と思い、見てみると、

目をごしごしとこすっている。


よく見ると、ウルウルと泣いているではないか、、、


流れ出る涙を拭き、号泣してしまうのを必死でこらえている。










娘、5歳。


幼稚園ではもう年長児。


平均より体は小さいものの、これまで大きな怪我も病気もなく健康に育っている。


まだ知らない言葉もあるものの、

会話も妙に大人ぶったことを話すようにもなってきた。




子供の成長を感じる時というのは、

身体的な特徴や会話などでそれらを認識することが多い。



しかし今回、

映画を見て悲しくなったり、感動したりして

「泣ける」

そんな風に心が動くようになったのか、と思うと、

体だけでなく、心も成長しているのだということを理解した。






「感動して泣くということはとてもいいことなんだよ」

見終わった後、娘にそう言ってみた。



「ふーん・・・。」

としか返ってこなかったが、

本人も初めての体験をなんとなく理解したようだった。





「勉強はできなくてもいい」

なんていう綺麗事を言える時代ではなくなった。


もちろん学校の成績も大切だけど、それ以上に感受性豊かな人に育って欲しいと願う。


その為に何をすればいいのかは、正直分からない。


しかし、

今回のような「心に響く体験」ができるきっかけは、

親が創ってあげることができるのかもしれない。


それが、豊かな心を育むことや感受性の部分にうまく作用してくれたらいいなと思う。






子供との映画もたまにはいいものだ。



「アナと雪の女王」


大人にも子供にも、オススメ。




そんなこと考えているのであります。



~ HARUのケンチク ~

2014-05-18 | 
建築


それは街の記憶のカケラ







古くから残る住宅などの建築も素敵だが、

最近、「新しい素敵なケンチク」が、この街に増えてきたように感じている。


それらはきっと、何十年経ってもその存在を色濃く残してくれる。

現存する古き良き素敵なケンチク達と同じように、

いずれ「古いのに素敵」という建築になっていくはずだ。







住宅に限らず建物というものは、

その街の歴史を写す「カルテ」と言えるのではないだろうか。



街を形作っているのは、様々な建物であり、

景気、流行、時代背景、政治、施主の嗜好や事情、etc、

様々なベクトルの結果とその集合体だ。


それらは複雑に絡み合い、意図と意匠を残していることで、

その存在が街のカルテとなっていく。




そういう観点から建物を見るのも面白い。


今と昔

街が見えてくる。








建物を建てるということと、ケンチクは少し違うように考えている。


どちらも「建築すること」であるのは確かだが、

ケンチク、と言えるものには施主と設計者の意志がはっきりと感じられるものが多いし、

それらを想像、妄想できる。




ケンチクというものは、経年変化で劣化しても、

その部分、つまり、

強いアイデンティティーの部分は失われない。


失われないどころか、存在自体がアイデンティティーとなっていく。


それが、タテモノとは違う、ケンチクだとボクは思う。








少子高齢化や人口減少により今後、

土地や住宅の資産価値は下落していくと言われている。


特に地方ではそれが急激に進行するはずだ。


なぜか。


簡単に考えればいい。

人口減少と高齢化で、土地や住宅の買い手、

つまり需要が少なくなっていくからだ。





自分は建築家ではない。

しかし、

そんななかでもケンチクと呼べるような建物は、

「資産価値は落ちたとしても存在価値は上がっている」


というような世の中であって欲しいと思うし、

これから建てるものには、そんなケンチクが増えれば素敵だと思う。




街の存在価値を上げていく為のツールの一つ。


それは

 ケンチク

なのではないだろうか。




ボクもその一端を担えるような存在になりたい。


否、

ならなくてはいけない。




そんなこと考えているのであります。





~ HARUの家 ~

2014-05-13 | 






今住んでいるのは4世帯だけの小さなマンション。


帰郷する時に、運よく完成と同時に新築で入居できた。



数日はボク達の部屋しか入居していない状態だったが、

隣が入居し、ほどなくして4世帯全部が埋まった。


皆世代も同じくらいだったので、時々集まって交流会をしたりもしたし、

都会のマンション暮らしでは想像も出来なかったような関係を、今でも築けている。



かれこれ6年になるが、3世帯は当時のままの顔ぶれだ。







先日、

当初のメンバーの中で、最近住宅を建てた当時のお隣さんの家に遊びに行かせていただいた。




玄関を開けると新築の気持ちイイ香り。


明るい吹き抜けのリビングに、収納力の高い綺麗な広いキッチン。


新しい家具達も、

「新顔ですが頑張ってます!」と話しかけてくる。


外構も丁寧に造ってあり、とても繊細で綺麗。

子供ちゃんも幸せそうに走り回っていて、誇らしげに部屋を案内してくれる。


そこかしこに家人の趣味の良さが伺える本当に素敵な住宅だった。








そして、うちのマンションのもう一組家族も土地が決定し、

これから設計に入るそうだ。


一年後にはもうこのマンションからいなくなる、と思うと何だかとても寂しい。


でもやっぱり、、、


羨ましい~。。。









家を建ててみたいという願望はあるものの、

色々な事情が絡んでいる今の状況では、どうしても現実が追いついていかない。


ピースを整理し、絡まったものをほどいていくと見えてくるのだろうが、

そこまで行きつくには、まだ時間がかかりそうだ。


とほほ・・・







正直、

ボクはマンション暮らしでも良かったりする。


しかし、

毎日主婦として家事をこなしてこれている家内の事情は少し違う。




増えていく物、子供のおもちゃ、etc・・


それを置く収納場所の無さに、風通りの悪さ、

マンション特有の、「夏は暑くて冬は寒い」部屋。


そして何より、

料理好きな彼女にとって一番の悩みが、狭く不便なキッチンだ。


シンクも狭いし、大好きな菓子作りをした時なんかもう、、、

大変そう。。。








ボクはサロンにいる時間が圧倒的に多い。


家にいる時間の少ないボクとは違い、

主婦の彼女は家で過ごす時間が長い。


彼女の立場になって現状を考えると、やはり色々な意味で辛い。



早く何とかしなくては・・・





そんなこと考えているのであります。





~ HARUのSNS ~

2014-05-08 | 
グローバル







これまで、FB(フェイスブック)でSNSを経験していましたが、

最近、Instagram(インスタグラム)という画像共有ソフトに登録してみました。







インスタグラム。


存在は何年も前から知っていましたが、

特に興味もなかったのでやっていませんでした。


今回、気まぐれで登録したところ、


これがまた、


なかなか



面白い!!








画像共有ソフト、というくらいなので、

携帯電話で撮った画像を簡単に加工し、投稿します。


その写真に#(ハッシュタグ)というものを付けるんですね。




例えば、

空が綺麗なのでその写真を撮ってアップするとします。



その写真に、


「#空」とか「#綺麗」「#癒し」


といった風な、写真に関連したり連想できる言葉を付けるんです。




インスタグラムユーザーは、様々な写真を検索します。

「#○○」はその「検索キーワード」となるわけです。





ボクが、「空」と検索したら、

「全世界」のユーザーの写真の中で「#空」とハッシュタグを付けた人の写真が

ズラーと出てくるのです。



その中で素敵な画像があれば、「いいね!」を押す。

それだけなんですけどね。




特に、この「全世界」というのが面白いんです。




実はボク、投稿する写真のハッシュタグをイタリア語で付けているのです。



必然的に検索するのはイタリア人が多いですよね。


すると思惑通り、

たくさんのイタリア人から「イイネ!」がくるんですよ(笑)




つまり、日本にいながらイタリア人と繋がれるのですよ。ふふふ・・・






何が楽しいって?










FBのベクトルは、ボクの中では「リアル世界と近い存在」です。


基本的に

「実際に会ったことのある知り合い」と認識している人しか、

「友達」になりません。





でもこのインスタグラムは少し違う意識です。


ネットという広大な情報世界の中でのみ、

画像という記録を通じて、感覚を世界中の人達と共有できる。



FBで、知らない人だろうが誰かれ構わず「友達という言葉」

を増やす人の心理のような「いいね!」ではなく、

もっと単純な場所で世界中の人達と感覚を共有していると思っています。






よく考えたらスゴイことなんですよね。




飽きるまで楽しんでみたいと思います。






そんなこと考えているのであります。






~ HARUの料理界 ~

2014-05-02 | 






以前このコラムで紹介したこともある、

英レストラン誌の2014年版ランキングでも「世界1のレストラン」に返り咲いた、

デンマーク・コペンハーゲンの「ノーマ」が、

2015年、東京に進出することが決定したらしい。




これ








スペインのエルブシが閉店してからというもの、

今や世界一予約の取れないレストラン、と言っても過言ではない、デンマークのノーマ。


その独創的な料理は世界に新風を吹かせました。


死ぬまでに一度は訪れてみたいレストランの一つでしたが、

場所が場所だけに実現は難しいと思っていましたが、

それがなんとTOKYOに!!!





記事を見た時、思わず「ワオ!」と叫んだのは言うまでもありませんが、

同時に、

「東京ではいったいどんな料理を出すのだろう?」

という、疑問というか、?が浮かびます。







今や世界の食をリードするTOKYO。


その東京に、ノーマの持つブランド力はどんな影響を与えるのか。


そして、「ノーマらしさ」というものをどう打ち出し、どんな料理を投入するのか。


色々な意味で興味が沸きます。

行きたい。

行こう。









個人的には、東京よりも京都に出店した方が面白かったのにな、と思っています。




京料理というカテゴリーは、今や和食という本筋の中心線を捉えています。


加えて、フレンチやイタリアンといった西洋料理も、

今、ベクトルは確実に京都へ向かっている、との話も耳にします。



伝統と格式の残る古都、京都。


京の伝統、和食の技、西洋の風。


そこに、ノーマという新風が吹くことで、

まったく新しい食の観点が生み出されるかもしれないのにな、、、


なーんて考えてました。


!?


なんか評論家みたいになってきたので、この辺で止めとこ。。。








ノーマ



日本人スタッフも入れるだろうし、

もしボクが料理人だったら、「一年くらい修業に行きたい!」と思っていただろうな。


というか、行くことがあれば、できれば調理場の見える位置で食事したいな。


いつか・・・ふふふ・・・




そんなこと考えているのであります。