Rezzoの心

本音で語ります。

~ 夏、秋、愉しんでますか? ~

2011-08-31 | 



夏も終わろうとしています。


今年誂えた夏の着物、小千谷縮(おじやちぢみ)

本当なら8月いっぱいまでしか着れないのかもしれませんが

まだまだ暑いし炭黒色だし、9月中は着ちゃおうかなと思っています(ダメ?)



相変わらず自分では着れませんが(練習してない)

「着ている自分」には随分と慣れてきました。

麻の素材も少し馴染んで柔らかくなってきた感じ。


もう後一回くらいは着てメンテナンスに出したいと思っています。




ボクは「着物が好き」なんじゃないんです。

「着物を着て出掛けるという事が好きになりそう」なだけなんです。


だって実際今回誂えた夏着物しか持ってないし。。。


茶道の件もあるのでこれから揃えていきたいと思ってはいますが

何しろ安い買い物じゃない。。。


「欲しい」と思って買えるものじゃない

当分は親戚に借りて着ることになりそうですね・・・




11月に地元で狂言の公演があります。

人間国宝 野村万作 

そして  野村萬斉 の特別公演

研修という名目でスタッフと一緒にお店を早く閉めて行く予定です。


ぶっちゃけ「狂言て何??」というレベルです。

野村萬斉さんは知っていても、

万作さん?? 、、、すみません、勉強しときます。。。



狂言を見る機会なんてめったにないし、

スタッフの価値観を上げる貴重な経験になるんじゃないかなと思って。



その時にはできれば着物を着て行く予定です。

もちろんスタッフにもそれなりの格好をしてもらいます。

遊びで行くんじゃないし

「場を愉しむ」には、やっぱりそれなりの格好(スーツくらいは着ないと)をしないとね。



田舎にいると価値観のキャパが狭くなりがち


美容師だって一般社会人。

そういう貴重な「社交の場」に出掛ける機会は

素敵な大人の価値観のソースを獲得できるチャンス。


狂言からだけじゃなく

「その場にいる」ということから何かを感じられるといいなあ。


 
 
~ 社交を愉しむ

  素敵な大人への第一歩 ~




~人生のスパイスは何ですか?~

2011-08-25 | 
人生のスパイス


ボクにとってのそれは、素敵な人との出会い。


狭い地方の狭いコミュニティーの中でしかないのかもしれないけど

そんな中でも自分に「刺さって」くる出会いは時々あります。


それはお店のゲストだったり、いつもの仲間の紹介で出会う人だったりと様々。

「この人ともっと時間を共有したい」

そういう風に気分がアガる出会いは、ホントわくわくします。




そしてもう一つ。

欠かせないスパイスが

「美味しい!」に出会うこと。



人との出会いと同じで、今の自分の感性に「刺さる」食事に出会うことです。


ただ「美味しい」だけじゃダメなんです。

そう、今の自分にピシッとハマって、それでいてグサッと刺さってこないとダメなんです。


それはそう、料理の味うんぬんだけじゃなく、

その時間を共有しているメンバーだったり会話だったり、その時のサービスだったり、

お店の空気感だったりと、それはもう色んなソースの歯車がガチッと噛み合わないと生まれない。

そんな「食」と出会えた時は、

「幸せ~」て感じるんです。





でもね、

当たり前だけど、

そんなとても難易度の高い技を平然と決めてくるお店なんて、なかなかないわけです。

東京にいてもそう出会ってきたわけでもないんです。



そんなボクの基準でのE難度をサラッと決めてくる店の一つが、ココ。

東京麹町にあるイタリアン   


エリオ・ロカンダ・イタリアーナ



この記事見てたらココ無性に「書きたく」なったんです。。。



行きたくなった!!

気が付けばもう2年近く行ってないじゃん。。。





都会的に洗練されたピンとした空気感も好きだけど

ココんちみたいな空気感はもっと好き。

「客の会話のリズム、料理と空間がマリアージュして創り出す、

優しくて温かくて、人肌のぬくもりみたいなものを感じられる空間」

みたいな感じ??


色んなソースがうま~くマリアージュしないと出せないE難度技。


そんなのをさらっとキメてくる、ボクにとっては貴重なお店の一つでした。(過去形)泣



いつか、いつか、着物を着てエリオに行ってみたいなあ~



やっぱスパイス効かせに東京行かなきゃだわ!



~ スパイスは辛口で ~



~尊敬?憧れ?~

2011-08-23 | 
「尊敬する人は誰ですか?」


そんな質問された経験ありますよね?


ボク、以前からこの質問への答えを探しています。

ぶっちゃけ、

「いません」・・・




「尊敬する人を持ちなさい」

いわゆる自己啓発本なんかにはよく書かれているけど

ひねくれてるからなのかどうもそういう気になれない。


出会ったことのない、感性に触れたことのないような、

歴史上の人物を勝手に尊敬するのもどうかと思うし、
(これが素直に出来ればイイのだろうけど)

「尊敬」できるような偉大な人にはまだ出会えていない。。。




「人を尊敬する」て、ホントはとても難しいことなんじゃないのかなと思う。


いくら偉大な功績を残している偉人でも自分の感性にピンと来ない人はたくさんいるし、

逆に身近な人間にもピンとくるような人はたくさんいるわけです。


でもそれが果たして「尊敬」という言葉に当てはまるかと言えば、

分からない。



だって、

「尊敬」という言葉に値する人は、ボクの中では「生涯に一人」という勝手な認識があるもんで、
(この辺がもうおかしいのかも)

人生の先輩や偉大な成功者の方は「すごい!」と純粋に思うけど

それはきっと 

「憧れ」

なのだと思うんです。

「尊敬」とは少し違うベクトルが働いているような気がしています。



「憧れ」はボクの中では

「いつかそんな風になりたい」といった願望も重なった感情。


「尊敬」は、

いつか・・・なんていう感情の枠の外、「神様!的」な感情というのかな??(笑)



こんな事考えないでもっと単純に生きればいいのにねえ~



いつか「尊敬する人」を持ちたいと思うのであります。



 

 ~ 尊敬する人は誰ですか?

   なぜその人ですか?  ~



~ 続けること ~

2011-08-21 | 
続ける事


ボクはホント飽きっぽい

何をやっても続かない



だけど、茶道は何だか違う

何だかずっと続けられそうな予感。


まだ習い始めて一年と少しだけど

飽きる、飽きないの「間」にあるもの

本当に己が求めているものか否かという心が

素直に顔を出してくれているからかな??


ボクは茶道が好きです。

そう、純粋に好きみたい。


免状を取って早くもっと上級の点前をしたいとか

そんな風な感情があまりないんです(まずいかな?)


ただ純粋にその精神世界や空間に触れる時間が好きだったりするんです。


だからこそ

続けられる予感がするのかもしれないな。





何かを続けるということは、

根性だったり努力だったり、忍耐だったりという心を駆使しながら

「怠けたい」という甘い自分に打ち勝っていかないといけないわけです。


だけど、ボクはホント自分に甘い人間だから

そんな強い意思で「続ける」ことなんか出来っこないわけです。。。


仕事もそうかな。

「楽しい」「希望がある」「夢がある」「やりがいがある」

なんていう精神状態で続けているほうが

幸せに決まっているわけです。



幸いこれまでそんな気持ちで美容師を続けてこられたから

それはやっぱり幸せなことなんだと思っています。


でもね、これまでモチベーションの低下がなかったわけじゃない。

たった一度だけ、本気で美容師を辞めようと思った時もあったわけです。



 「不調も3年続いたらそれが実力」

最近読んだ、棋士の羽生善治さんの著書にもそう書いていました。


3年じゃなかったけど、その時は不調(個人売上げが上がらない)が半年以上続いていました、

「美容師向いてないかも」

なんて思って、実は知り合いに転職を本気で相談しましたもん(笑)


わずか半年足らずの「不調」でそんな風に考えていた自分もバカですが

3年も不調に耐えられる精神力はボクにはないかなあ・・・




続ける事は大切。

「継続は力なり」


だけど、

「どういう想い」で何かを続けるかはもっと大切。 

茶道にしても、仕事にしても、何にしても

「プラスな想い」で続けられたらいいなと思うのであります。



~ 継続を力に変えられるようにしたいよね ~

  
   

~ カラス、なぜ鳴くの ~

2011-08-13 | 
 柿も青いうちは鴉(カラス)も突つき申さず候(そうろう)

「利益の見込めないうちは見向きもされない」



人と人の繋がりは、損得感情を超えたところにある。

そう思っているし信じているけど

他人にとって少しでも有益な人間でありたいと思うのは、ボク自身の本心であります。


自分は他人にどんな影響を与えているのか。

プラス?マイナス?可も無く不可もなく?



人にどう思われようが構わないという思考もあれば、

「認めてもらいたい」という意識も深層心理の中で持っている気がする。

それって向上心のカケラみたいなものだと思っているし、

大切な感情なんじゃないのかなとも思うわけです。



じゃあ、

「認めてもらう」てどういう事だ?


誰に?

社会に?


ボクの名前やサロンの名前が「売れる」こと?


分からん・・・分からん。。。




人に求められ、人を求めることは

「所属」していないと不安だという人間心理


家族、仲間、、、etc

もちろんボクにもそんな心理はあります。



そう、時々怖くなるんです。


「いつか今いる(居場所)も無くしてしまうのではないか」なんて。


 
  孤独に歩め 悪を成さず 求めるところは少なく 林の中の像のように



共に歩める聡明な仲間が傍にいないのであれば

一人歩むことも不幸とはいえない

気品あふれる林の中の一匹の像のように孤独に生きることも大切である。とブッダも説いています。



でも孤独を求めちゃいけないんだ。

だけど孤独を恐れない人間でもありたいなと思うわけであります。





~ 熟してもそのままじゃカラスにも突かれない、渋い柿になるのがいいのかもね ~



~ 己と向き合う ~

2011-08-10 | 
浴衣deナイト


いつもの仲間での気軽な食事会

夏だし、せっかくだから浴衣でということで。。。



詳しくはココ



ボクのそれは麻といえど「着物」

肌襦袢、長襦袢を着て足袋を履くスタイル。

しかも黒。。。  暑い!



でも「慣れる」ものです。

クーラーの効いた室内なら問題なしになってきました。


麻の夏着物もようやく体に馴染んできた感じ。

カサカサとした風合いが柔らかくなってきたといった方がいいのかな


9月中まで着れると思うので今年は最低でもあと一回は着たいなと思っています。

機会を創らなきゃです。



 
狭い地方での生活

浴衣や着物で歩いているとホント目立つし(浮き)ます。

顔の割れている身分。。。

噂に(尾ひれ)が付いていき、あまり良い噂にはならないそうです。


聞いた話しによると、

「この田舎で商売人はイイ車に乗るな。

 (儲かっている)と思われるとそれが悪い噂になるから」

だそうです。。。


分かる気もしないでもないですが

それを理由に自分の好きな車に乗らないなんて・・・

ボクは理解したくありません。



着物だってそうかもしれません。

「着物なんて着て調子乗ってる」

なんて思われているのかも(笑)


「ええ、調子ノってますが、何か??」

ですけどね(笑)


だって見てもらいたいじゃないですか。

せっかく着物や浴衣を着るんだから!

誰だってそうでしょ?

都会じゃないからもちろん目立つし(都会でも目立つか)

「調子ノっている時の気持ち」じゃないと着れないですて(笑)






装う

女性のそれと同じように

男だってそういう心を持っていないとダメだと思っています。

特に30代の大人になるとね。


20代の時と同じようなカジュアルストリートファッションでもそれはそれでイイと思うけど

30代らしいというか、どこかに品を装うスタイルがボクは好き。


「若く見せる為」に若者ファッションをするんじゃなくて

もっとこう、内面的な部分、メンタルな部分でいつもハツラツとしていて

「醸し出す精気やオーラが若い」というのが

ボクの中での「若くいる」という事なんです。

(肉体的部分、体力面はあえて触れません・・・)



ヘアーに対する意識もそう。


50代のマダムに20代の若者ファッションを着せて、

ヘアーも同じように20代モデル風に・・・

なんてしたら、ただの「若づくり化け物」みたくなちゃいます。。。失礼しました~





ボク、歳をとりたくないという願望はないんです。


年齢を重ねるに従って得られる経験値や人間としての器の中身があります。

ボクは早く年を重ねたい。

そんな得られるものが欲しいから。


ただ年齢を重ねてもダメだろうけどね。。。



浴衣や着物にしても、20代より30代、30代より40代、40代より・・・

年齢が上がる程「粋」な気がします。


それはきっと積み重ねてきた経験値が醸し出されるからなのかな。


そんなオーラを纏えるような大人になっていきたいと思うのであります。




  ~ 自分の年齢に素直に向き合う

    それがかっこいい大人への最初の一歩だ ~


 
 

~古人の夢~

2011-08-04 | 
ここ和歌山県が有する世界遺産 熊野古道


中学生の遠足で三年間掛けてゴールの本宮大社まで歩いたけど

あの頃はこれっぽっちもその「良さ」なんて理解していませんでした。


もちろん世界遺産に登録されるなんて思ってもいませんでしたし

登録されても「ふ~ん」という程度でしか思っていませんでした。



実際に暮らしていてその恩恵を感じられるわけでもないし

その「良さ」にも気が付けていないのがホントのところかも。



そんな時、東京時代のゲストの方からお店にメールが。

「兼ねてからの野望の一つ、熊野古道を歩きに行きたい」と。


ボク、何だかそれを聞いてハッとしました。


そう、

「世界遺産である熊野古道について、地元のボクは何も知らない・・・」


おそらく地元の人はほとんどの人がボクと同じく・・・なはず?


でもコレって、

いいのか!??



古来の人々にとって「一生に一度は熊野詣をするのが夢」というほど神聖な路。

「蟻の熊野詣」

とまで言われたように、

京都から本宮大社まで、まるでアリの行列のように皆が連なって歩いていたという

「日本版メッカの巡礼」


そんな壮大な歴史とロマンとドラマが詰まった古道を有する地元民が

ほとんど古道に対する知識がないことは、本当はとても悲しいことなんじゃないのか!?



いわゆる「語り部」まで知識がなくても

もう少し熊野古道の事を「理解」していなくちゃいけないんじゃないのか?

て思ったわけです。。。




今その方と同級生の観光会社社長とプランを練っているところですが

せっかくこんな「陸の孤島」和歌山まで来ていただけるのだから

「特別な旅」になって欲しい。


ボクに古道の魅力を伝える知識はないけど

出来る限りそれを「感じて」もらえるような旅にしてもらいたい。


ボクにとっても改めてココ和歌山の、そして世界遺産熊野古道の魅力を見直す

いい機会になりそうです。


子供がもう少し大きくなったら一緒に古道を歩いてみよう。

もちろんそれまでにその歴史を勉強しておこうと思います。



~ 古人の夢に夢を見た ~