retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線恵比寿駅(恵比寿南一丁目 駅西口 恵比寿駅前盆踊り)

2016-05-31 04:31:56 | Weblog
駅西口駅前広場。
なにやら、祭りの準備に追われている。
この日は、恵比寿駅前盆踊りが、開催されるらしい。
始まったのは、終戦後。
今も、かなり、賑うということだ。
そういえば、住んでいる近くの駅前商店街も、盆踊りこそないが、夏の終わり頃、屋台など、並び、祭りになる。
だが、昨年は、やらなかったのだ。
今年も、おそらく、やらないらしい。
店も、徐々に、なくなってきている。
商店街に、祭りの余裕はないのだろう。
むしろ、都心近くだから、祭りが、できるのかも。
そういう気がする。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿一丁目 恵比寿駅東側の路地)

2016-05-30 04:32:34 | Weblog
恵比寿駅に戻ると、そこには、もとの、雑然とした、商店街。
昔と、さして、変わらぬ街並みが広がる。
変わったとすれば、活気がなくなり、閑散としている、ということか。
恵比寿ガーデンプレイスのような、巨大な、街が、できたのだから、当然かも。
他に、駅にも、店が、できているし。
ただ、駅に、店が、集中すれば、駅近くの商店街も、それなりに、命脈は、保たれるものなのかもしれない。
駅西口に、行ってみる。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿一丁目 東恵比寿商栄会)

2016-05-29 05:15:51 | Weblog
スカイウォーク、といっても、ただの、通路なのだが。
そもそも、恵比寿ガーデンプレイス、駅から遠い。
恵比寿駅と目黒駅の中間。
恵比寿ガーデンプレイスは、工場跡地の流用であり、工場そのものが、駅から、遠いのは、よくあることだ。
そこを、再開発したので、駅から、遠いのは、当然。
遠い、恵比寿ガーデンプレイス、そこを結ぶ、通路が、スカイウォーク。
そこには、張りぼてのような、悲しさがある。
まさに、バブルだ。
スカイウォークを通り、恵比寿駅。
駅の東側には、東恵比寿商栄会。

山手線恵比寿駅(恵比寿四丁目 スカイウォーク)

2016-05-28 04:51:59 | Weblog
高度成長が目指したのは、こういう世界だったのかもしれない。
いや、こういう世界になるはずだったのだ。
もう一歩のところで、手が届くはずだった。
でも、その世界は、掌から、滑り落ちる。
後に残るのは、その残骸、残照。
そして、閉ざされたテーマパーク。
今、という時代に、見なければよかった夢が、なんとも、重々しく、のしかかる。
恵比寿ガーデンプレイスを後にして、長い長い、回廊、スカイウォーク。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿ガーデンプレイス プロムナード)

2016-05-27 04:58:55 | Weblog
高層住宅や高層オフィスビルを配し、一つの街並みを形成している。
街そのものへの、拡大を目指したのだろう。
バブル期の拡大、という時期を反映しているように思える。
中央の、通路、広場には、屋根。
商店街のアーケードのようだ。
こちらも、街並みを包含しているのかな。
ただ、今となっては、それらの施設、閉鎖された空間の中にあるばかり。
テーマパークの材料、ということか。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿ガーデンプレイス ジョエル・ロブション)

2016-05-26 04:32:18 | Weblog
恵比寿ガーデンプレイスの周囲の道、たしかに、延長し、拡大の様相を、見せる。
だが、それは、ひとときの、試みに、過ぎなかったようだ。
道は、ずれも、中途で、止まり、先がない。
こうした道は、もはや、道ではなく、むしろ、恵比寿ガーデンプレイスの、辺縁を、成しているのだ。
中へ入り、南へ。
欧風城館のような建物は、レストラン。
まさに、テーマパーク、という感じ。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿四丁目 アメリカ橋公園)

2016-05-25 04:20:39 | Weblog
恵比寿ガーデンプレイスの西側、東西に伸びる通り。
その通りを挟んで、北東側には、アメリカ橋公園。
恵比寿ガーデンプレイスの一部といってもいいような感じ。
完成したのも、おそらく、恵比寿ガーデンプレイスと同じ時期だと思う。
ひょっとすると、恵比寿駅までの通路、あるいは、恵比寿駅までも、恵比寿ガーデンプレイスの一部、ということかも。
バブル期は、かくのごとく、拡大を、伴っていたのだ。
だが、バブルは、頓挫し、崩壊する。
拡大から、集約へ。
とすると、恵比寿ガーデンプレイスも、拡大する街並みではなく、閉ざされた、テーマパーク、なのだろうか。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿四丁目 恵比寿ガーデンプレイス)

2016-05-24 04:30:41 | Weblog
通路を通って、山手線沿い、北へ北へ、向かう。
その先には、恵比寿ガーデンプレイス。
完成したのは、バブル期。
バブルは、もう、崩壊していたのだが、まだまだ、それは、一時的なものと、信じていた時期だ。
そんなことは、あり得ないと、わかるまでには、まだ、数年を要する。
その意味では、当時、いまだに、バブルだったのかもしれない。
恵比寿ガーデンプレイスへ、向かう。
(2013年7月記)

山手線恵比寿駅(恵比寿駅東側ペデストリアンデッキ)

2016-05-23 04:33:44 | Weblog
東雲駅でりんかい線。
大崎駅、湘南新宿ラインに乗り換える。
恵比寿駅で下車。
本当は、目黒駅で、降りるつもりだったが、湘南新宿ラインは、目黒駅、停まらないのだ。
ということで、行き先、変更。
目黒駅で降りても、訪れるのは、大鳥神社ぐらいかな。
あるいは、目黒不動尊。
もっとも、そんなに、まわっていると、時間が経ってしまう。
今回は、恵比寿。
恵比寿駅東口、ペデストリアンデッキ。
(2013年7月記)

りんかい線東雲駅(東雲二丁目 湾岸道路)

2016-05-22 05:05:54 | Weblog
側道は、湾岸道路。
ひょっとすると、首都高湾岸線も含めて、湾岸道路なのかもしれない。
バブルの話に戻るが、工場用地、原料の搬入、製品の搬出の利便のため、湾岸地域に、広がっていたようだ。
それが、再開発の用地、となる。
まさに、地方、郊外、と並ぶ、未開の、再開発地。
バブル期、「湾岸」という言葉に、特別な、感慨があるとすれば、そういうことだ。
だが、バブルは崩壊。「湾岸」という言葉も、色褪せた。
郷愁の彼方。
もっとも、地方、郊外は、衰退したが、湾岸は、とりあえず、都心になるので、その意味では、衰退は、しなかったようだ。
湾岸道路を渡り、東雲駅に向かう。
(2013年7月記)