retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線新宿駅(新宿駅へのペデストリアンデッキ)

2009-05-31 07:12:28 | Weblog
モード学園コクーンタワーの北側へ。
ペデストリアンデッキが、JR新宿駅の方へと伸びている。
まず、北側のエルタワーへ伸び、さらに、西側のビッグカメラ、JR新宿駅の西側、という具合だ。
JR新宿駅と直結していないのが、ちょっと、残念だけど。
本来は、JR新宿駅から、ペデストリアンデッキが伸びる、ということなんだろうな。
南口の方は、サザンテラスがあり、改札口とペデストリアンデッキが、直結しているかのように見えるが、その間には、交通量が多く、幅広な甲州街道が横たわっている。
新南口があるにはあるが、本当は、甲州街道の上に、ペデストリアンデッキが伸びている、というのが正解なんだろうな。こちらも、駅西側と、同じようなものだ。
つまり、JR新宿駅は、ペデストリアンデッキが周囲に広がる、ということを想定していない、造りになっている。
昔の駅なので、当たり前といえば当たり前なんだけど。
その代わり、地下街が発達していて、四方に伸びている。
西側の地下には、ロータリーまであり、地上から、クルマが直接、入ってこれるようになっているのだ。
でも、これでは、改札を出て、そのまま、クルマで、新宿の街を通過してしまう、ということになるな。
やはり、改札を出れば、その先に、ペデストリアンデッキが広がっていて、目的地まで歩いていける、という方がいいだろう。
だが、これが、便利、かというと、特に、そうとも、言えない。地下街でも、同じことだからだ。
なにが違うのだろうか。たぶん、公園みたいな空間、ということが、その違いなのだろう。
地下街を、公園を歩くように、のんびりと、移動する、なんて、考えられない。
昔、高度成長期、とかは、ペデストリアンデッキで、まったりする、なんて、感覚はなかったんだろうな。
今の時代は、なんだか、くたびれていて、そういう、脱力感、癒し、というのを、駅前に求めてしまうのかな。
それが、形になったのが、ペデストリアンデッキ、なのかもしれない。
実は、自分も、ペデストリアンデッキが、大好きなのだが、くたびれているのかも。
(2009年2月記)

山手線新宿駅(モード学園コクーンタワー)

2009-05-30 05:05:09 | Weblog
高田馬場駅で山手線へ。新宿駅で下車。
西武新宿線で、そのまま、西武新宿駅でもいいのだが。
気が向いた、というところかな。
改札を出ると、甲州街道。新宿駅の西側に出て、駅前広場を北へと歩いていく。
西新宿、というと、超高層ビルが、林のように、建ち並んでいるイメージだが、実際、超高層ビル街は、駅からは、ちょっと、離れたところにある。
どんどん、北に進み、西に伸びている大通り、中央通りに入り、今度は、西へ。
しばらく歩くと、通りの北側にモード学園コクーンタワー。(工事中はこちら
最近、竣工した、専門学校の超高層ビルだ。
専門学校だけの長高層ビル、というと、ちょっと、戸惑ってしまう。
昔は、高層ビル、というと、たいてい、オフィスビルだったのだが、バブルが崩壊したあたりから、巨大な高層住宅が建ち始め、そして、今、目の前の新しい高層ビルは、専門学校のビル、というわけか。
大学の校舎が、高層ビルになる世の中なので、専門学校が、高層ビルになるのも、不思議なことではないけど。
でも、ちょっと、昔なら、専門学校の高層ビルなんて、考えられなかっただろうな。
世の中が、労働集約型から知識集約型へ、変貌した、というだろう。
この超高層ビルに関して、変貌、ということでは、もう、一つある。
モード学園コクーンタワーは、新宿駅寄りに建った、ということだ。
西新宿高層ビル街は、もともと、淀橋浄水場の広大な跡地に造成されてきたわけで、実は、JR新宿駅とは、あまり関係ない。JR新宿駅と西新宿高層ビル街の間は、けっこう、離れているし。
だから、モード学園コクーンタワーは、そのような西新宿高層ビル街にあって、初めて、JR新宿駅を意識した、長高層ビル、といえるかもしれない。
だけど、その後、JR新宿駅と西新宿高層ビル街の間に、新しい超高層ビルが、次々と建つ、という話は聞かないな。
それに、知識集約型、というのも、よくよく考えてみれば、労働集約型と、結局、同じような気もする。
変貌、といっても、所詮、一時的な、流行なのかな。
(2009年2月記)

埼京線大宮駅(大宮駅西口のものすごく古い建物)

2009-05-29 06:47:20 | Weblog
ザ・大宮タワーズの北側の細い道を西へ進み、さっき、歩いて来た、旧中山道に出る。
旧中山道を、北へ北へと歩いていく。
やがて、駅への、幅広なメインストリートへ。
このメインストリートから北側一帯は、旧市街、という感じだ。
なかでも、メインストリート沿いに、とてつもなく古そうなビルが建っていたので、思わず、カメラに撮ってしまった。
西側は、更地になっているので、もう、取壊されたのだろう。
たぶん、高度成長期の始まり頃の竣工だと思うのだが。
いつ頃、建ったのか、ちょっと、気になったので、礎石でもあれば、竣工年が、わかるだろうと思い、この古いビルの周りを歩いてみる。
ビルの北側は、もう、アーケードが天を覆う、飲食店街となっている。
昼なお暗いのだが、むしろ、ほっとする空間になっている。並んでいるお店も、新旧、混ざっているが、渋い雰囲気がするな。
以前、大宮を訪れたときは、本当に、地方の都市に来た、という気がしたものだが。今では、都心の郊外にすぎない。
だが、昔、感じた、地方都市、というのは、このアーケードの下の飲食店街には、残っているようだ。
地表にいるのに、地下街にいるみたい。しかも、路地が入り組んでいて、ラビリンス状態。一種の、隠れ家、になっているのかも。
だから、その中に、入ると、ほっとするんだな。
こういった場所は、再開発されて、更地になってしまうと、その、意外な、狭さに、驚かされてしまう。
いままで、とても、広く、深い、空間だと、思っていたのに。
そう考えると、空間、というものは、たんに、物理的なもの、ではなく、文化的な要素もあるものらしい。
地方都市がなくなり、ただの郊外になっていまうと、遠くに来た、という感じがしなくなるのも、そういうことかな。
だとすると、この旧市街、ラビリンス、ますます、残っていて欲しい、と思う。
やっぱり、テーマパークになってしまうのかもしれないけど。
(2009年2月記)

埼京線大宮駅(ザ・大宮タワーズ)

2009-05-28 04:43:09 | Weblog
武蔵浦和駅に戻り、埼京線に乗り込む。
大宮駅で下車。
駅の東側に出る。
西側は、再開発されて、街並みが、きれいになっているが、東側の方は、昔ながらの、旧市街のままだ。
そのような、懐かしい風景を眺めながら、大通りを東へと進み、途中、交差点で、南に曲がる。そのまま、南へと歩いていく。
旧中山道に入ったわけだが、今では、普通の街中の道路と変わらない。
この通りの東側は、ちょっと、怪しい歓楽街、となっている。
むろん、今は、昼間なので、閑散としたものだが、夜ともなれば、妖しい雰囲気で、いっぱいになるのだろうか。
もっとも、最近は、そういった街も、衰退しているので、それほど、賑わう、というこもないだろうな。寂しい限りだ。
怪しげな一帯の中、一本の狭い路地に入って、東へと進む。
しばらくすると、南北に伸びる、カモメ通り。カモメ通りに入って、南へ。
そのまま、どんどん、歩いていくと、通りの西側に、ザ・大宮タワーズがある。(工事中はこちら
タワーイースト、タワーウエストの2棟からなるツインの高層住宅だ。
最近、竣工している。
つまり、怪しい街は、こうして、徐々に、なくなり、真新しい、高層住宅に置き換わっていく、ということかな。
たしかに、すっきりと、きれいな、景観になっている。だが、その反面、なんだか、よそよそしい感じもしてしまうけど。
ただ、こんな風にして、全面的に、古い街並みや、怪しげな歓楽街が、なくなってしまう、なんてことも、ないだろうとは思う。
たぶん、懐かしい街並みのテーマパーク、として、残るんじゃないかな。
本物とテーマパークでは、違うかもしれない。でも、残るだけ、いい方かも。
(2009年2月記)

埼京線武蔵浦和駅(武蔵浦和駅のペデストリアンデッキ)

2009-05-27 05:04:40 | Weblog
プラウドタワー武蔵浦和の2棟の高層ビルは、ペデストリアンデッキで結ばれている。
さらに、東側の、ラムザタワーとも、ペデストリアンデッキで結ばれるのだろうが、今回、訪れたときは、まだ、工事中だった。
そのラムザタワーは、すでに、武蔵浦和駅と、ペデストリアンデッキで結ばれているので、工事が完成すれば、駅から、直接、ペデストリアンデッキを通って、プラウドタワー武蔵浦和まで、行けることになるだろう。
たぶん、今度は、ラムザタワーの北側に予定されている、武蔵浦和駅第1街区、あるいは、南側の武蔵浦和駅第3街区にも、このペデストリアンデッキは、伸びていくに違いない。
こんな風に、武蔵浦和駅を中心にして、広がっていくペデストリアンデッキなのだが。
駅前再開発、ということで、最近は、あちこちで、よく見かけるな。
見るたびに、空間を有効利用している、と感心してしまう。
もっとも、実のところは、ペデストリアンデッキ、といっても、ちょっと、幅の広い、歩道橋、陸橋なんだけど。
ただ、そういった、安直な工夫、というのも、気に入っている。
ペデストリアンデッキがあれば、改札を出ても、クルマや横断歩道に煩わされずに、自由に移動できるし。休みたければ、ベンチに座って、ゆっくりもできる。
これだけ、簡単にできて、便利な設備は、あるだろうか。
だけど、将来、このまま、駅一体型の高層住宅、という形態が進めば、その住民専用の改札、というのが、登場し、そこを出て、ペデストリアンデッキへ、そのまま、高層住宅へ向かう、ということも、出現するのかな。
つまり、高層住宅の住民だけが、ペデストリアンデッキを利用できるのだ。プライベートビーチ、みたいだな。
そんなことが、現実のものになるとは、思えないけど。
でも、駅周辺が、人工の山の手になるとすると、ひょっとして、とも思ってしまう。
今のところは、公開された、自由な空間、ペデストリアンデッキ、ということだから、のんびり歩ける。それで、いいかな。
(2009年2月記)

埼京線武蔵浦和駅(プラウドタワー武蔵浦和ガーデン)

2009-05-26 04:26:42 | Weblog
プラウドタワー武蔵浦和の西側の通りを南へ歩いていくと、プラウドタワー武蔵浦和ガーデンがある。
北側の、プラウドタワー武蔵浦和テラスと、合わせて、ツインの高層住宅、となっている。
これらの、高層住宅を含めた、施設全体は、ナリア、というらしいのだが、今回、訪れたときには、まだ、完成してはいなかった。
完成すれば、武蔵浦和の街が、また、一段と、大きくなっていくことだろう。
そして、さらに、再開発は続く、ということらしい。
なんか、タネ切れのような、気もしないでもないけど。次の工事も始まっていないし。
でも、いちおう、今後の再開発の予定を書いてみる。
次の再開発は、プラウドタワー武蔵浦和、および、ラムザタワーの通りを挟んで、北側、武蔵浦和駅第1街区、となっている。
埼京線のホームの、すぐ、西側になるので、埼京線を利用する場合は、最も、便利だろうな。
武蔵浦和駅第1街区の再開発が終わった頃、今度は、ラムザタワーの南側、武蔵浦和駅第3街区の工事だ。
こちらは、かなり、巨大な高層住宅になるらしい。巨大、にこだわらなくても、いいような気もするけど。たぶん、ちょっと、駅からは、離れるので、巨大にせざるをえないのかもしれない。
その次は、まだ、計画は、具体的になっていない。
手続きの進捗状況、その他から、勝手に、想像してみる。
次は、たぶん、ラムザタワーの埼京線を挟んで、東側、武蔵浦和駅第7-1街区、と思われる。駅に近いので、可能性は、高いだろう。
さらに、その次は。
おそらく、ここらで、完全に、タネ切れ、という気がするな。
なぜなら、もし、武蔵浦和駅周辺の高層住宅街が、人工の山の手、だとすると、山の手が、そもそも、量的に拡大したりは、しないからだ。
もっとも、結局のところ、本当に、将来は、どうなるのかは、わからないけど。
(2009年2月記)

埼京線武蔵浦和駅(プラウドタワー武蔵浦和脇の新しい道路)

2009-05-25 03:31:11 | Weblog
十条駅で埼京線に乗り、一路、北を目指す。
列車は、赤羽を過ぎ、荒川を越え、埼玉県へ。
車窓には、一面、郊外の住宅地が広がるようになる。
武蔵浦和駅で下車。
新興の郊外住宅地、という雰囲気は、今や、色褪せてしまった感じは、あるけど、まだ、高層住宅は、建っているのだ。
駅西側に出る。いつものように、ペデストリアンデッキを通って、南西側のラムザタワーへ。
地上に降り立ち、西に伸びる道路を通って、西へ進む。
ラムザタワーの西側には、プラウドタワー武蔵浦和の高層住宅2棟を擁した、新しい、街が誕生している。
ナリア、という名前らしいけど。
その、ナリアの西側に、南へ一直線に伸びていく、広々とした、通りがある。
高層住宅が建つと、まわりの道路も、一新されるものらしい。
この通りを、そのまま、南へ、ずっと進むと、沼影公園や、ロッテの二軍の球場があったりする。
至れり尽くせり、というほどでもないけど、なんか、楽しいそうな感じだ。
もちろん、この広々とした通り、もっと、南へ行くと、なくなってしまうのだが。
あくまでも、武蔵浦和周辺の街のための道路であって、他の地域のクルマが、利用するようには、なっていないのだろう。
つまり、武蔵浦和から、ロッテの二軍の試合を見に行くには、便利な通り、ということだな。
このようにして、武蔵浦和駅周辺の利便性は、徐々に、充実したものになっていっている。まさに、人工の山の手への道を、突き進んでいる感じだ。
もっとも、武蔵浦和は、こうでも、しなければ、いくら、交通の便がいいから、といって、再開発を続行していくのは、難しいのかもしれない。
ただ、なんとなく、このままいくと、武蔵浦和は、埼玉、ではなく、ただの、便利な街、というだけになってしまうのかも。
それも、時代の流れなんだろうけど。
(2009年2月記)

埼京線十条駅(十条駅前)

2009-05-24 07:25:30 | Weblog
十条通りを西へ西へと歩き、適当なところで、北へ。
細い道に入っていくと、十条駅前広場に出る。
いちおう、ロータリーになっているが、小さく狭い、駅前広場だ。まるで、箱庭みたいな感じ。閑散としているし。
駅ホームから改札を抜けたら、すぐに、駅前広場、というのも、地方のローカル線の駅前を思わせる。
ひょっとしたら、十条駅前は、高度成長期どころか、もっと、ずっと前から、変わっていないのかもしれないな。
広場の北側には、商店街のアーケードが口を開けている。商店街は、北側に広がっているようだ。
駅を中心に、商店街が放射状に広がっていない、というのは、興味深い。
ひょっとしたら、十条駅よりも北側に位置する、東十条駅の方が、街の中心的存在なのかな。
もし、そうなら、商店街の南端に、十条駅がある、というのも、わかるな。
そういえば、最初に、十条を訪れたときは、東十条駅からだった。十条駅の、ずっと、北側を東西に伸びる、四軒道路という通りを、西に進んでいったのだ。
実は、そのまま、進んで行くと、さっき、通ってきた、帝京大学医学部付属病院へ通じる、道路の予定地に到る。
なんか、十条駅を、素通りしていく感じがするな。
バブルの時期なら、こういう街外れのような場所は、再開発されたりするのだろうけど。でも、今は、そういう時代では、なさそうだ。
それよりも、十条駅を、北側、すなわち、東十条駅の西側に、移設してしまった方が、利便性は、上がるような気もするけど。
商店街の中心になるし、東十条駅と一体になる。
商店街は、アーケードのある懐かしの商店街テーマパーク、にすればいい。今、すでに、そうなっているかもしれないが。
そうなれば、山の手、西が丘から、商店街テーマパークに、お客が、懐かしさを求めて、やってくるかな。別に来なくてもいいけど。
そんなことを、考えながら、十条駅へ。
埼京線に乗り込み、十条の街を後にする。
(2009年2月記)

埼京線十条駅(十条通り界隈の街並み)

2009-05-23 07:23:27 | Weblog
十条通りに出て、東へ東へと、歩いていく。
沿道の街並みは、存外、古い。
ひょっとしたら、高度成長期から、あまり、変わっていないのかもしれないな。
変わった、とすれば、すかいらーく、みたいな、郊外型のレストランができたぐらいだろうか。
それでも、普通の郊外よりも、少ないように思える。
そのような十条通りを、ずっと進んでいくと、十条駅を過ぎ、王子の北へ。
反対方向だと、通りは、緩やかに北側へ向きを変えて、そのまま、北へと伸びていく。
そして、西ヶ丘競技場、などの施設群がある場所に出る。
このあたりは、かなり昔、都営三田線の志村三丁目駅からだったろうか、バスで、赤羽駅に向かった時、通ったのだ。
あの日は、雨が降っていて、夕暮れ時、季節は、秋だったように記憶している。
たしか、高速道路の高架下あたりにバス停があったのかな。
雨がびしょびしょと降り続き、バスの中も、あまり、快適とは、思えなかった。
見るとはなしに、窓外の暮れ行く街並みを眺めていると、西ヶ丘競技場、というのが、ふと、目に入ったのだ。
都営三田線沿線、というと、庶民的な感じがしたのだが、西ヶ丘競技場のあるあたりは、まるで、駒沢公園みたいだな、と思ってしまった。
駒沢公園、といえば、山の手住宅地の中の公園、として、有名な場所だ。
そういえば、西ヶ丘競技場は、西が丘、という住所。「丘」、ということは、いちおう、こちらも、山の手なんだろう。
もっとも、窓外を流れる、閑静な住宅地の光景を見れば、山の手、というのは、一目瞭然なんだが。
というわけで、意外な場所に、閑静な住宅地が広がっていることを知って、今でも、覚えているわけだ。
その、西が丘に、今、歩いている、十条通りは、つながっている。
そして、帝京大学医学部付属病院への道が、十条通りに到るとすると、西が丘と、帝京大学医学部付属病院も、つながる、ということになるな。
ちと、考えすぎだろうか。
(2009年2月記)

埼京線十条駅(帝京大学医学部付属病院へ到る道路の予定地)

2009-05-22 04:19:02 | Weblog
帝京大学医学部付属病院の西側を、北東に伸びる坂道を、上っていく。
実は、高層棟はできているのだが、まだ、帝京大学医学部付属病院全体の工事は、終わっていないみたいだ。この坂道に面した部分も、造成中、といったところ。
ただ、工事中ではあっても、すでに、明るい、近代的な、イメージは、十分に感じる。
工事が完成すれば、一帯は、生まれ変わる、ということだろう。
もっとも、最初に訪れた時も、あたりには、明るいイメージが、すでに、あったように記憶しているのだが。
初めて、訪れたとき、十条通りに入って、すぐだが、帝京大学の病院の建物に行き当たったものの、何も変化はなかったので、帰りかけてしまった。
帰りかけたのだが、高層ビル、というのは、川沿いに建つことが多いな、と思い付き、石神井川の方へ向かったのだ。
果たして、高層ビルの工事現場は、石神井川沿いにあった。
そのときのことだが、石神井川への下り坂を歩いていて、妙に、まわりが、開放的で、明るいな、と感じてしまった。そのことが、印象に残っている。
普通、川沿い、谷地は、暗く、じめじめしているものなのだが。
そして、そんな場所には、下町や、庶民的な商店街、歓楽街が広がっていたりする。
だが、ここらへんは、ちょっと、違う。
たぶん、広々とした、施設群があることや、川沿いに、桜並木が整備されていることが、明るい雰囲気を、生み出していたのだろうな。
そのような、石神井川沿いを離れ、坂道を、どんどん上って行く。
上りきって、そのまま、北東に進むと、十条通りに行き着くはずだが、その手前で、道路は途切れ、道路の予定地だけがある。
ついさっき、広々とした、施設群や、整備された桜並木を見てきたので、なにか、はぐらかされたような気分だ。
たぶん、ずっと昔は、陸軍の施設があったりしたので、メインストリート、あるいは、北区、板橋区の街並みからは、隔絶されていたのだろう。
しかし、ここにきて、帝京大学医学部付属病院が再開発され、そして、そこに到る、道路も開通する。
そうだとしたら、なんだか、できすぎのような感じがするな。
(2009年2月記)