retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

有楽町線東池袋駅(エアライズタワー)

2007-11-30 06:22:36 | Weblog
ライズアリーナビルの隣には、高層住宅のエアライズタワーがある(工事中はこちら)。
エアライズタワーの前を通る幅広のグリーン大通り(音羽通り)から南側はのどかな雑司が谷が広がる。
グリーン大通りは、池袋駅東口の真ん中から伸びているので、東口の南半分はのどかな雑司が谷、ということになる。そして、残り北半分が、サンシャインシティ目指して大いに賑わっているのだ。
こうしてみると、非常にいびつな感じがするが、偶然できたような街なのでしかたがないだろう。
昔は、グリーン大通りの通っていたところに森が帯のようになっていたらし。
おそらく、南側の雑司が谷、目白と北側の巣鴨の境界線になったいたかもしれない。
そして、今でも、森のあった場所に伸びているグリーン大通りが境界線のようになっているのは興味深い。
さらにそのグリーン大通り(音羽通り)の北側に沿って巨大な高層住宅が建つとなると、境界線の意味はもっと強くなるだろう。
その境界線、グリーン大通りの南側には、雑司が谷、大鳥神社、鬼子母神、法明寺などがある。
この一帯には、のどかでレトロな雰囲気がまるでなにかの手違いのように残る。
それなら、いっそのこと、レトロな歴史のテーマパーク、ということにすればいいのかもしれないなあ。
駅前に入口があって。今でも東通りはそんな感じだけど。
来年開通する地下鉄13号線の雑司が谷駅、さらに護国寺まで散策できるようになれば、訪れる客も多いかもしれない。
駅前の北半分が賑やかな繁華街で大通りを隔てた南側は静かでのんびりしたレトロな一帯。こんな街は他にないだろう。
(2007年6月記)

有楽町線東池袋駅(ライズアリーナビル)

2007-11-29 06:23:19 | Weblog
茗荷谷駅に戻り、再び丸ノ内線に乗る。池袋駅で降りる。
池袋駅東口に出てグリーン大通りを歩く。
池袋駅東口は、サンシャイン60ストリートなど北側は賑やかだが、グリーン大通りは、なぜか静かだ。
首都高池袋線の高架が伸びてきて合流する。
ちょっと歩くと東池袋駅となる。
位置的には、サンシャインシティの南西側になる。
そのサンシャインシティとグリーン大通りとの間の地域で再開発が行われ、高層ビルができた。
最近のパターンで巨大な住宅棟とひとまわり小さい業務棟の組み合わせだ。
この場合のひとまわり小さいほうがライズアリーナビルになる(工事中はこちら)。
豊島区の図書館も入居するらしい。
東池袋といっても池袋とはまるで別世界みたいだったが、この地域一帯がこの再開発で池袋の中に吸収されたように見える。
いままでなら、たとえば、東池袋駅はサンシャインシティの最寄り駅なはずだが、あまり利用者はいないはずだ。
おそらくたいていは池袋駅を利用すると思う。
池袋駅東口から大通りを進み、賑やかなサンシャイン60ストリートをぶらぶら歩いて行くと東急ハンズがあって、もうサンシャインシティの入口となっている。
まるで駅前からたくみに誘導されているみたいだけど。
だが、実は東池袋駅の方が近いような感じだ。
たぶん、池袋の街そのものが、最初からなにもないところから始まり、無計画にばらばらに出来上がったのでこうなったのかもしれない。
最近になって、そのばらばらにあったものが、徐々にくっついて大きな池袋という街になっていっているようなのだが。
(2007年6月記)

丸ノ内線茗荷谷駅(文京区茗荷谷駅前地区開発)

2007-11-28 06:21:18 | Weblog
日本橋川を渡りぶらぶらと東へ歩いていく。水道橋駅の南側を通り過ぎるとすぐに駿河台である。
坂を登っていくと御茶ノ水駅。神田川を渡ると丸ノ内線の御茶ノ水駅になる。丸ノ内線に乗る。
池袋方面へ。茗荷谷駅で降りる。
地上に出るとすぐ目の前を交通量の多い春日通りが北西に通っている。
その春日通りの南側に面して文京区茗荷谷駅前地区開発の工事の真っ最中である。
そしてまわりは文京山の手が広がる。
春日通りから南側は神田川に向かって下り坂になっていて、一部では崖のようになっている。
そういうわけで、春日通り沿い、茗荷谷駅前ということもあり高層住宅が建つのかな。
あとは、南東側、環状3号線沿いに小石川パークタワーというバブルの頃に間違って建ってしまったような高層住宅があるだけである(もっとも近くに共同印刷などもあり山の手ばかりでもないようだが)。
それ以外は、文京山の手が広がるばかり。
このように高層住宅でも建たない限り、こんなところに来ることはないだろうなあ。
かなり前に来たときは、小石川パークタワーの近くを通っている環状3号線を見に来たのだが。
春日通りから北東へわずか300メートルぐらいできたが、今もそのままになっている道路だ。
もちろん、まわりの山の手の環境から見て、西にも東にも伸びることは、もはやないと思う。
茗荷谷駅前に高層住宅が建って、あちこちに高級マンションなどが建って、でもやっぱり、ずっとこのままに変わらず文京山の手では時間が過ぎていくのだろうな。
(2007年6月記)

中央線飯田橋駅南口(シティタワー九段下)

2007-11-27 06:23:03 | Weblog
飯田橋駅に戻り、南口へ出て、目白通りを南へ歩く。
目白通りの東側はちょっと奥に入ると、今やビルだらけになってしまった。
ビル群の最高峰は、ガーデンエアタワーということになる。
その西側に、トミンタワー飯田橋三丁目がある。高層住宅だがビル内に職安がある。
そして、その南側にシティタワー九段下がある(工事中はこちら)。
最近できた高層住宅である。
さしもの高層ビルの増殖も、シティタワー九段下が最後と思われる。
一番最初に飯田橋に来たのは、飲みに連れられて。二番目に来たのは沖縄料理に付き合わされて。
たしか、飯田橋というのはそういう街だったような記憶がしているんだけど。
どこでどう変わってしまったのだろうか。いったいあのときの飯田橋はどこへいってしまったのだろうか。
変わってしまったのは自分なのか、それとも世の中なのか。
たぶん両方なんだろうなあ。
休みの日に界隈を歩いてみるとオフィス街特有の寂しい静けさに満ちている。
そしてたいていそうなのだが、オフィス街というと、どこかのお店は必ず開いているのだ。
そういうところでゆっくりするのもいいかもしれない。
でもやっぱりいたたまれずに、日本橋川を渡って東側の水道橋駅周辺やあるいは神保町に行ってしまうんだろうなあ。
飯田橋駅周辺の再開発は今度は、南西側に移っていくようである。
そして、その後はどうなってしまうのだろうか。
(2007年6月記)

中央線飯田橋駅北口(コートレジデンスタワー)

2007-11-26 06:24:14 | Weblog
東新宿駅に戻り、大江戸線に乗る。飯田橋駅で降りる。
大江戸線の飯田橋駅からは、かなり後楽園よりの地上に出られるので便利だ。
外堀通りに出て東へ歩く。
すぐに外堀通りの北側に並んだビル群が現れる。
西側から、トヨタ自動車東京本社ビル、住友不動産後楽園ビル、三菱信託銀行(住宅金融公庫)となっている。
以前は、住友不動産後楽園ビルと三菱信託銀行(住宅金融公庫)との間に隙間が開いていたのだが、最近になって、そこにコートレジデンスタワーができた(工事中はこちら)。
小石川後楽園を取り囲むビル群にまた一棟、高層ビルが加わったということだろうか。あるいは、秋葉原まで続く神田川沿いのビル群としてもいいだろう。
さらに飯田橋、九段下から大手町に続く、日本橋川沿いのビル群なのかもしれない。
いずれにせよ、文京山の手との境界線であることは確かだろう。
日本橋川沿いのビル群は、番町、麹町との境界線であろうか。
しかし、いつの間にこんなに高層ビルが林立するようになったのだろう。
別にオフィス街という感じでもないし。
この高層住宅の南側は、交通量の多い幅広な外堀通りが横たわる。また、JR中央線に神田川に首都高池袋線の高架。
このような光景を見ると、やはり境界線ということに意味があるのかもしれないなあ。
特に水道橋あたりはちょっと下町っぽいところが残っている。
昔の後楽園の俗っぽいところも、この下町の雰囲気によく合っていると思う。
でも、飯田橋の貨物駅跡地も高層ビル街になりすっかり整備されたことだし、水道橋周辺もいつまで、このまま残っているのだろうか。
都心集積化の時代にあっては、どうでもいいことなのだろうけど。
(2007年6月記)

大江戸線東新宿駅(リブレ東新宿)

2007-11-25 02:32:24 | Weblog
高田馬場から山手線で新宿へ。大江戸線に乗換え東新宿駅で降りる。
職安通りと明治通りとの交差点がある。その交差点の北東側にリブレ東新宿(ホテルサンルート東新宿)がある。
地下鉄13号線の工事中だと思っていたら、いつの間にか高層ビルが建っていた。
リブレ東新宿の東側にはすでに新宿アインスタワーもある。
また、交差点の南東側には、日本テレビのゴルフ場跡地があり、再開発されるらしい。
もともとは、大久保あたりから伸びてくる職安通りと明治通りとの交差点、そして日本テレビのゴルフ場がある、というだけの場所だったような気がする。
昔、学生の頃、金がなかったので、いつも新宿に行くときは、高田馬場からこの明治通りを歩いて新宿に行っていたが。
歌舞伎町と大久保に挟まれた職安通りがその雰囲気まで運んできているような感じがしたものだ。
大江戸線が開通したのはいつだったろうか。失われた10年が終わり、都心集積化の流れが始まる頃かな。
そして今度は、さらに地下鉄13号線が来年、開通する予定だ。
そうなれば、なおいっそう整備された街並みになっていくだろう。
昔は、緑の多い戸山公園あたりから明治通りを南へ歩くと、だんだん新宿に近付くにしたがって、なにかあやしげな雰囲気が増してきて、実にわくわくさせられたものだったが。
今となっては、そんなことはもうない。
来年開通する地下鉄13号線は、将来的には東急東横線と直通するようなので、まさかとは思うが、表参道みたいになったりして。
歌舞伎町や大久保が近くにあるので、さすがにそれはないと思うけど。
でも戸山公園あたりは静かな住宅街なので、この交差園まで整備されていくのは、世の中の流れ、ということかもしれない。
(2007年6月記)

京浜急行汐入駅北口(ホテルトリニティ横須賀)

2007-11-24 03:18:39 | Weblog
浦賀駅に戻る。なんか旅行に来た気分だ。
三浦半島がリゾート地なのでそういう雰囲気なのだろう。
でも、京浜急行が通勤路線なので郊外にもなりうる。
京浜急行に乗り、堀ノ内で乗換え、横須賀中央駅で降りる。
間違えて最寄駅の一つ手前の駅で降りてしまった。
この日は出発が遅れたので、この時点でもう夕暮れだ。
次の電車を待つよりも次の駅まで歩くことにする。横須賀の街並みが見れるからだ。
意外と賑やかな商店街や繁華街を通り抜け、北へ歩いていく。
大通りへ出て、西へ。
目の前にアメリカ軍基地の正門が現れた。
この時間に門が閉まるのかどうか、わからないのだが、長く長く尾を引く、物悲しいラッパの音が響き渡っていた。
この物悲しい音が日没の寂しさを増幅し、気持ちを重たくしているような気もする。
大通りをさらに西へ歩くと、大通りの南側にホテルトリニティ横須賀がある。
暮れていく空に白亜の高層ホテルのシルエットが溶け込んでいくようだ。
このビルもバブルの終わり頃に竣工しているのだが。
リゾート高層ホテルというわけかな。
横須賀中央駅あたりも賑やかだったが、ホテルトリニティ横須賀の近くには有名なドブ板通りもあるようだ。
用もないので見てみることはしなかったけど、ひょっとしたら異国情緒、という雰囲気の原点があるのかもしれない。
そして、その異国情緒も今や観光資源、リゾートテーマパークの出し物になっていて、多くの客を集めているのだろうか。
物悲しいラッパの音はいつの間にか終わっている。そして夕闇が迫って来ている。
そろそろホテルトリニティ横須賀の南にある汐入駅で京浜急行に乗って帰るかな。
もう横須賀に来ることなんて、たぶんないだろうなあ。
そう考えるとちょっと寂しい気もする。
(2007年5月記)

京浜急行浦賀駅(ライオンズヒルズ横須賀浦賀)

2007-11-23 08:25:49 | Weblog
高田馬場から山手線、品川で京浜急行に乗り換える。
乗っていつも感じるのだが、京浜急行は速い。速度的に本当に速いかどうかわからないけど、特急(いろんな種類の特急があるのでどれだかわからない)に乗って横浜方面に行きたいときは、すぐ乗れるし、各停に乗って北品川に行きたいときにも、すぐに乗れる。
緩急接続が非常にうまくいっているのだろう。
快速の停まる駅には、常に各停が待っていてくれる。
私鉄だと、こういうことができるのは、東急ぐらいだろうか。
列車は、改良工事中の蒲田を過ぎ、多摩川を渡って川崎を過ぎ、もう横浜に着いてしまう。
横浜を出ると、ちょっと下町っぽいところ走っていく。大岡川沿いだからだろうか。
上大岡を過ぎると丘陵地に入っていく。
丘陵地を突き抜けてひたすら南へと走っていく。丘陵地だが、京浜急行が通勤路線のために、びっしりと家々が建て込んでいる。
そして、列車は三浦半島に入る。まわりは山間部なのに、海を感じるという、独特の雰囲気だ。
堀ノ内駅から浦賀行きの車両に乗り換える。
やっと浦賀へ降り立つ。京浜急行が速いからとはいえ、やはり遠いなあ。
浦賀湾が駅近くまで深く切れ込み、その両脇は崖になっている。
一瞬、西側の崖か東側の崖か迷ったのだが。
東側の観音崎通りを少し歩く。
海に面した崖にもたれるようにライオンズヒルズ横須賀浦賀がある。
崖下からだと、建物の高さが高い、という高層住宅のようだ。
竣工はバブルの終わりごろである。
こんな妙なところに高層住宅が建つ、なんてことは、バブルの頃以外は、もうありえないだろうな。
だんだん日没も近くなってきた。
崖に挟まれた狭い入り江になっているからだろうか、日が陰るのも早いような気がするなあ。
来たばかりだが、もう帰るしかない。
(2007年5月記)

京葉線海浜幕張駅南口(パティオス アバンセ)

2007-11-22 06:24:06 | Weblog
さらに東へ少し歩き、花見川に沿って南へ。
パティオス アバンセがある。とても凝ったデザインの住宅棟だ。
この住宅棟も最近竣工している。
海浜幕張駅から歩いて来たのだが、えらく遠い。本当は、検見川浜駅から歩いてくるべきだったのだろうか。
たしか、バブルの頃の計画では、千葉みなと駅まで伸びている千葉都市モノレールは、そのまま京葉線に沿って西へ延伸し、海浜幕張駅まで達する予定だったと記憶している。
京葉線と二重投資になってしまうので実現することはありえないが。
ただ、海浜幕張駅と検見川浜駅の間くらいはあってもいいかな。
もっとも海岸近くの住宅棟はさらに駅から遠いのでしかたがないだろう。
この高層住宅のある幕張ベイタウンで、最も有名なのはクリスマスのイルミネーションだろうか。
バブルが崩壊した後の失われた10年の頃から始まったようだ。
バブルの産物である幕張新都心で、そのバブルが崩壊した後に、美しいクリスマスのイルミネーションが飾られ始める、というのはなんとも不思議な感じだが。
だが、都心集積化された今、その整備されたきれいな街並みを見ていると不思議とは思わないだろう。
クリスマスが近付けば、イルミネーションに彩られた街は、まるで、テーマパークのように目に映るかもしれない。
これなら、駅からの遠い距離を歩くのも苦にならず、むしろ楽しいだろう。
バブルが崩壊して代わりにできたのは、テーマパークのような住宅地だったのかな。
もっとも、自分には関係ないので、この駅からの遠さは、ちょっとつらいのだが。
(2007年5月記)

京葉線海浜幕張駅南口(パティオス エリスト)

2007-11-21 06:21:29 | Weblog
稲毛海岸駅に戻り、再び京葉線に乗る。
海浜幕張駅で降りる。
南口に出て、東へ歩く。
また、広大な幕張海浜公園を横切り、さらに京葉線の高架に沿って、東へ。
駅から遠ざかると、だんだん新しい建物になっていくような感じだ。
花見川の近く、京葉線の高架に沿ってパティオス エリストがある。
この時は、完成したばかりか、完成寸前だったか、である。
ただ、建物のまわりは、まだ造成中で黒い土がむき出しのままだった。
いつの間にか、幕張新都心は、都心の広大な郊外ベッドタウンになってしまったようだ。そして、京葉線は、夢の湾岸鉄道から通勤路線になったのかな。
たしかに、千葉市の人口増加には寄与しているのだろうけど、都心と行き来しているだけで、千葉の中心部とはほとんど無関係なのではないだろうか。
しかも、花見川を渡って、少し東に歩くと検見川浜駅に着いてしまう。
ひょっとしたらわずかに検見川浜駅の方が近いのだろうか。美浜区役所も検見川浜駅近くにあるし。
つまり、幕張新都心とも関係ないのかもしれない。
幕張新都心のオフィスビル群との間には、広大な幕張海浜公園が横たわっている。
この公園が境界線になっているのだろうか。
そういえば、海浜幕張駅の近くにスーパーがあるような感じはしなかったなあ。
でも、一番理想的なのは、幕張新都心のオフィス街に勤務先があって、居住地がこの団地群、というところだろうか。
それとも職住近在だとあまり楽しくないかな。
(2007年5月記)