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もう一度見たい!名作CM
「病気の子供はいないんだ…」でお馴染みの、7年くらい前の「ジョニーウォーカー黒ラベル」
のCM。
<騙す人と騙される人>というタイトルから始まり、
雨の中、女性にお金を渡す男の姿が映し出される。
やがて男がバーのカウンターに戻ると、友人が少し皮肉っぽい笑顔で言う。
「お前騙されたな」
何が?と問う男に友人はその訳を話す。
「あの人に病気の子供はいないんだ」
~すると彼は微笑んだ~ と字幕。
「よかった。…病気の子供はいないんだ」
その機智に富んだ答えに、今度はお互い微笑み合い、酒を飲み交わす。
もちろんジョニーウォーカー黒ラベルを…
…このCMを記憶している人は、多分少なからずいるはずだ。
なにぶん、最近特ににぶりつつある記憶力に頼って思い出したものなので、
セリフやシーンの流れには不正確なものが含まれているかもしれないが、
だいたいこんな風景を描いていた。
日本のCMらしからぬ、いい意味でのウィットに溢れたこのCMは、
密かに話題になったものだ(事実、なんらかの賞を受賞している)。
ハードボイルド小説の一場面のようなそのやりとりに、まだ未成年だった私も
大人への淡い憧れを抱いたものだった。
ところで、タイトルにある「でもこの子は変わったよ」とは、
同じ「ジョニーウォーカー黒ラベル」の、上述した<騙す人と騙される人編>の直前に
流れていた<ヒトデ編>での決め台詞である。
私はこの<ヒトデ編>にこそ思い入れが強いのだが、不思議と記憶している人は少ない。
内容的にも、映像的にも、決してひけをとらないはずなのに。
その内容とはこうだ。
広大な海岸。夕暮れ時。
一人の老人が、(恐らく嵐のためだと思われるが)海岸に打ち上げられたヒトデを
一つ、一つ海へ投げ入れている。
その風景を不思議そうに眺めながら、一人の青年が老人に尋ねる。
「何をしてるんですか?」
老人は答える。
「わからないのかい?こうして、ヒトデを海に還してあげてるんだよ。
このままじゃ死んじゃうからね」
「でもこんなに、」そう言って、青年は辺りを見渡す。
少し引き気味で映し出される海岸には、何千、何百というヒトデが打ち上がっているのだった。
「こんなにたくさんいるんじゃ、何も変わらないじゃないですか?」
~するとその人は微笑んだ~ と字幕。
老人はヒトデを一つ手に取ってみせる。
「でも、この子は変わったよ。」
そう言って、海へと投げ入れた。
青年は何かを感じ取ったような瞳でその姿を見つめている。
やがて、二人して海へとヒトデを投げ入れるシーンが映し出され、
最後は、夜の帳もおりた海岸でたき火をしながら、二人して酒を飲み交わす。
もちろんジョニーウォーカー黒ラベルを…
…書いていながらも思い出されて、気持ち目頭が熱くなる。
自分のした行為により、ちょっとだけ世界がよくなる、
そんなささいなことが、すばらしく思えてくる気分にさせる。
普段はろくに目さえ合わせない募金でもしてみようか、という
気にもなる。
もう一度、なんらかの形で見ることはできないものだろうか。
そんな風に思えるCMが、昔は確かにあった。
こんな風に小さな、でも確かなCMが少なくなっている今を憂う。
「病気の子供はいないんだ…」でお馴染みの、7年くらい前の「ジョニーウォーカー黒ラベル」
のCM。
<騙す人と騙される人>というタイトルから始まり、
雨の中、女性にお金を渡す男の姿が映し出される。
やがて男がバーのカウンターに戻ると、友人が少し皮肉っぽい笑顔で言う。
「お前騙されたな」
何が?と問う男に友人はその訳を話す。
「あの人に病気の子供はいないんだ」
~すると彼は微笑んだ~ と字幕。
「よかった。…病気の子供はいないんだ」
その機智に富んだ答えに、今度はお互い微笑み合い、酒を飲み交わす。
もちろんジョニーウォーカー黒ラベルを…
…このCMを記憶している人は、多分少なからずいるはずだ。
なにぶん、最近特ににぶりつつある記憶力に頼って思い出したものなので、
セリフやシーンの流れには不正確なものが含まれているかもしれないが、
だいたいこんな風景を描いていた。
日本のCMらしからぬ、いい意味でのウィットに溢れたこのCMは、
密かに話題になったものだ(事実、なんらかの賞を受賞している)。
ハードボイルド小説の一場面のようなそのやりとりに、まだ未成年だった私も
大人への淡い憧れを抱いたものだった。
ところで、タイトルにある「でもこの子は変わったよ」とは、
同じ「ジョニーウォーカー黒ラベル」の、上述した<騙す人と騙される人編>の直前に
流れていた<ヒトデ編>での決め台詞である。
私はこの<ヒトデ編>にこそ思い入れが強いのだが、不思議と記憶している人は少ない。
内容的にも、映像的にも、決してひけをとらないはずなのに。
その内容とはこうだ。
広大な海岸。夕暮れ時。
一人の老人が、(恐らく嵐のためだと思われるが)海岸に打ち上げられたヒトデを
一つ、一つ海へ投げ入れている。
その風景を不思議そうに眺めながら、一人の青年が老人に尋ねる。
「何をしてるんですか?」
老人は答える。
「わからないのかい?こうして、ヒトデを海に還してあげてるんだよ。
このままじゃ死んじゃうからね」
「でもこんなに、」そう言って、青年は辺りを見渡す。
少し引き気味で映し出される海岸には、何千、何百というヒトデが打ち上がっているのだった。
「こんなにたくさんいるんじゃ、何も変わらないじゃないですか?」
~するとその人は微笑んだ~ と字幕。
老人はヒトデを一つ手に取ってみせる。
「でも、この子は変わったよ。」
そう言って、海へと投げ入れた。
青年は何かを感じ取ったような瞳でその姿を見つめている。
やがて、二人して海へとヒトデを投げ入れるシーンが映し出され、
最後は、夜の帳もおりた海岸でたき火をしながら、二人して酒を飲み交わす。
もちろんジョニーウォーカー黒ラベルを…
…書いていながらも思い出されて、気持ち目頭が熱くなる。
自分のした行為により、ちょっとだけ世界がよくなる、
そんなささいなことが、すばらしく思えてくる気分にさせる。
普段はろくに目さえ合わせない募金でもしてみようか、という
気にもなる。
もう一度、なんらかの形で見ることはできないものだろうか。
そんな風に思えるCMが、昔は確かにあった。
こんな風に小さな、でも確かなCMが少なくなっている今を憂う。
<嘘をつく人とつかれる人>が正しいらしいとの情報をどこからか得ました。
…心ならずも嘘をつく人になってしまったことを憂う次第であります。
もう他界してしまった小説家の開高健は
確かサントリーのこういった素敵な広告を
沢山手がけていました。
多分お好きだと思います、エッセイを読まれてみては?もしご存じでしたらすみません。
同じように感じる人もいるんだなと思ってつい書き込みました。半年後のコメント。
開高健と言えば、私の大学の先輩(年次は相当上なものの)になります。
入学する前に、大学についてそれだけは知っていた情報。
コピーライターをしていたはずですが、私も現在、同じ職業を志向しながら日々をすごしております。
ただ、小説はいくつか読んでいるものの、秀逸な作品が多いといわれるエッセイは言うほど読んではおらず、いつかいつか…がのばしのばし。
いいものであるはず…を確信しながらも、違った意味での出し惜しみ感を自分の中に形成。おいしいものをあとに残しておくような変な感覚。
…読んでみます。善は急げ。
私は東京に住む会社員の女性ですが、
最近mixiで色々書き始めました。
今日書こうと思っているのは、
「いい話して」とある男性に甘えたら
この、病気の子供はいなかったんだ の
話をされた、という短いお話。
そこでネットで「病気の子供 CM」で
検索したら最終的にこちらのブログにとんできた
と、こういうわけです。
ちょうど上に2月24日に書き込みされていらっしゃる方もいたので、思わず書き込みしてしまいました。
コピーライターを目指してらっしゃるんですか。
ステキな仕事だなぁと思います。
ブログ参考になりました。有難うございます。
では。
たまに更新もしていないのに、アクセス数がやたら多いときがあるのは、この記事だったりします。
テレビでこのCMについて取り上げられたりしたのかな?なんてテレビのない私は推測します。
CM…見なければ。これは職務として。
とさえ最近はよく考えます。
何のCMだったか忘れていたようで、思わず調べていたらここにたどり着きました。
スッキリしました。
ありがとうございました!
「嘘をつく人とつかれる人」のcmが在りました。
ttp://www.youtube.com/watch?v=WNBwJAaekkA&list=FLga-7yUh-JN1FEPusgzgtPA&index=3&feature=plpp_video