Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

オペラ・アィーダの思い出

2017-09-20 16:34:50 | 日記

もう20数年前たまたまつけたテレビでアィーダのオペラを放映していた。まだオペラについては何も知らない頃だったが、じっくり見てしまったのは素晴らしい音楽と歌のせいだった。

ちょうどエジプト人の将校ラメダスとエチオピアの王女アィーダが地下牢で愛を語り合いながら死んでいくところで、舞台の左下が地下牢、舞台の右上のお城の上でラメダスを恋い慕うエジプトの王女アムネリスが悲しみながらメゾソプラノで歌っている。

この場面は20数年後の今でもしっかりと思い出すことができる。そしてこのオペラがきっかけになって、オペラハウスやイギリスオペラのコロシアムへも行ったし、最近はやりの映画館での実況中継やトラファルガー広場で無料で見せてくれるオペラハウスの実況中継にも足を運んだ。

オペラのCDやDVDも買い集めストーリーと歌を何度も見聞きしながら夢中になったものだ。

アィーダのテレビを見た数年後ロンドン・オリンピアで映写によるアィーダを上演するというのでチケットを買って一人で行った。オリンピアは広大な展示会場で、舞台はずいぶん遠くにあって舞台装置が映写によるもの。歌手は舞台で動き回り歌っているがもちろん顔など見えない。ラメダスの額が時々光るので、彼は禿げているのかと思って双眼鏡(この時はオペラグラスなどという上品なものも持っていなかった)でしっかり見たら頭にはめていた銀のヘッドギアだった。会場は観客がびっしり詰まり、よくもこんなにオペラ好きの人たちがいるものだと驚いた。

それでも初めて見るアィーダ、感激して目を皿のようにして夢中で見ていた。最後の4幕目二人が石牢の中で死んでいくクライマックス。 突然隣の女性の携帯電話が鳴り響いた !!!

慌てふためく彼女はなかなか携帯が見つからない。やっと音が止まったときは周りの人たちは憮然。最高のクライマックスを聞き逃した。するとまだ最後の音楽が止んでいない時に隣の女性がスックと立ち上がり出ていこうとした。とうとう後ろのおじいさんが怒り心頭、”どうして座って最後まで聞かないんだ”。そしたらその女性も大声で反論しだして、その間に素晴らしかるべきアィーダは終わってしまった。

あんなに残念なことはなかった。

それで90年も後半、日本人の友達2人と一緒にオペラの殿堂イタリアのヴェローナへ3泊4日のオペラ旅行に出かけた。着いたその夜がかの有名な円形劇場のオペラ上演の初日に当たるが、私たちがヴェローナに着いたのは夜遅く、この夕方からの大雨で初日は翌日になった。

初日の出し物はナブコ、これもグランドオペラで英国で入場料100ポンド払っていたから、舞台から5列目の良い席だった。頭をぐるっと回さないと舞台全体が見えないくらいだった。

翌日の出し物がアィーダでとっても楽しみにしていたのに・・・・・。

2日目は私がケチって75ポンドの座席を買ったところ、なんと階段席の下部で石段に座らせるには気の毒だと考えたものか、階段2段にメタルの座席をセットしてあり、足が下に届かない。

おまけに座席の後ろは真っすぐ横に伸びたメタルの棒で、寄りかかれない。

あんなに座り心地の悪い座席に座ったことはない。それも3時間もこの座席に縛り付けられて。

クライマックスの最後のシーンなど、感激どころか 早く終わらないか、早く死んでくれ、とばかりに願って全然歌が耳に入らなかった。

数年前ベッケンナムの映画館で、オペラハウスからアィーダの実況中継というので一人で行った。映画では出演者の顔も衣類も大写しにして見せてくれるので、天井桟敷から舞台半分を見下ろすなんてこともないし、料金も当時は12ポンド、(今年は20ポンド50ペンスに値上がりしているが)

小さな映画館は年寄で満席、不思議とオペラファンは年寄が多い。私もその一人だから文句は言えないが。さすがオペラハウス。出演者も素晴らしい声で、舞台装置も文句なし。

ところが第4幕目、最後のクライマックスで突然真っ暗になり映像が映らない。音楽と歌だけはしっかりと聞こえてくる。一瞬ざわついた観客席は静かに歌声を聞いて最後まで誰一人立つ人もいなかった。

さて終わって怒り狂った老人組がフォイヤーで映画館の係員を問い詰めているころ、翌朝早くに旅立つ私は急いで家に帰らなければならなかった。

アィーダのクライマックスは私には縁がないのかも・・・・・ガックリ。

 

 

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テレビドラマ

2017-09-19 09:42:13 | 日記

もう10年程前から、BBC4ではヨーロッパのテレビドラマを見せてくれる。毎週土曜日の夜9時からで、スェーデンやデンマークの犯罪ものやイタリアの警察もの。どれも必ずその国の言葉でふきかえなし。サブタイトルが下につく。

このサブタイトルがたいへん早くて英国人でもなれないと、読み飛ばしてしまう。わが亭主は初め全然興味がなかったようだが、サブタイトルが気にいったみたい。

二人の間でお互いに聞き違いや聞き漏らすことが多くなってきている昨今、私たちの会話にもサブタイトルがほしいね。

ところで北欧の警察もの、犯罪、殺人ストーリーとイタリアの警察ものを見てみるとどちらも最近の麻薬、売春、人身売買などが絡んだ殺人が多いのだが、北欧のストーリーはいつも暗く、特に冬などほとんど太陽の出ない日が多いのだろうから真っ暗な中での捜査が多い。

それに比べてイタリアのシシリーが舞台の モンテルバーノ警部 (Inspector Monterbano) のストーリーは同じように現代の暗い犯罪殺人を扱っていながら、大いに笑わせてくれ、しんみりさせてくれ、異様に明るい。

数年前は中年の独身モンテルバーノがシシリーの田舎町に赴任するところから始まり、テレビの初めのシーンでほとんどの人が魅了されてしまう。急坂の真っ白な町、家がびっしり連なり町の真ん中にそびえる教会の尖塔を上空写真で一回り写し、モンテルバーノが借家する海岸線を映し出す。この初頭のシーンに魅せられてシシリーに英国人の観光客が増えたとのこと大いにうなずける。

ほとんど毎回モンテルバーノが朝の水泳から帰ってくると殺人が待ち受けている。この主人公、頭は禿げて中年小太り、足はオー脚でどう見てもハンサムには見えない。それなのに女性にもてる。

彼には若い時から恋人がいて、一向に結婚しないのも現在の風潮かも。

大体10時間のシリーズが終わるとまたスカンジナビアのテレビに戻りまた翌年モンテルバーノを見せてくれる。

あまりの人気にテレビ会社も気を良くしたのか次は 若いモンテルバーノ (Young Monterbano)というのを始めた。住んでいるところは同じで務める警察署も同じなのだが、まだ20代と思われるモンテルバーノは長身ハンサム、恋人も同じ名前の彼女がいて犯罪を次々解明しながら、恋人とのすれ違いや気持ちの行き違いで悩む若い男性を演じる。中年になったモンテルバーノとあまりに落差が大きすぎるけどストーリーが毎回面白いから許せるか。

デンマークのテレビドラマではボーゲン〈デンマーク語で砦という意味)が非常に面白かった。これは犯罪ものでなく家庭の主婦がデンマークの女性首相になって活躍する物語。これも3シリーズ有って毎週土曜日が待ちきれなかったものだ。

英国のテレビドラマもいろいろあるが亭主がテレビの主導権を握っているからどうしても彼の好みで見てしまう。それで見逃した面白いドラマはあとでDVD で見ることになる。

夢中になってDVDを見たのがダウントンアビー(Downton Abbey)でこれもシリーズが長く続いたものだ。今でも長々と放映していて人気があるのがゲーム・オブ・スローン(Game of Thrones)でこれは奇想天外、殺人有りセックス有りマジック有り戦争有りの国取りゲームと権力争い。

あまりのむごたらしさに目をつぶりたくなるのにやっぱり見てしまうという不思議なドラマ。これはまだどれだけ続くかわからない。

2か月ほど前、青空市で中古のDVD ブラザーズ&シスターズ〈Brothers & Sisters)というのを非常に安く買った。アメリカのホームドラマで殺人や犯罪ものとは段違い、3人の兄弟と2人の姉妹それに未亡人の母親と彼女の兄が織りなす心温まる物語で、1冊にDVD5-6枚づつ入っていて15-18時間くらいかかる。 これが3冊買ったもののまだストーリーは終わらず、すっかり虜になってしまった私はインターネットで探し出し、残りのシリーズ4,5を買った。毎日3-5時間づつ見て、見終わってやっと一息。こんな甘いストーリーは亭主が絶対見ないから、友達に貸してある。

旅に出ると英国のテレビが見えないことが多く、したがってシリーズもののテレビドラマは見ることができない。だからあとからDVDで見るようになるのだが、これも楽しいエンターテインメントの一つだ。

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いろいろなゴミについて

2017-09-19 09:39:17 | 日記

先日日曜日に開かれたヘイズの農場のカーブーツセールへ行った。ここは大きな農場で、20年ほど前は、イチゴ取りに行ったり、野菜取りにいったりしていたものだが、ブーツセールの方がお金になると考えた農場主のおかげで、広大な農地を車の駐車場とセールのためのテーブルが置かれる場所に変わってしまった。

自宅の不用品を売りに来る一般の人と、日用品から食べ物や果物、プランツまで売っている業者が半々で、2週間ごとの日曜日が楽しみ。これも青空市だから雨の日はキャンセル、4月から9月末ごろまでで、見逃すことが多い。

そんな中でいろいろ歩き回ってみて歩いているうちに、売っているおばさんとおしゃべりしだした。

私が日本人だと判ると数年前に2週間日本へ行って来たといい、何よりも感激したのが日本の清潔さだと言った。2週間のうち道端でゴミを見たのが4回だけ。あれだけ褒められれば悪い気はしない。かえって英国の昨今のゴミだらけはどうだ。彼女が言うには昔はこんなに汚くなかったという。多人種混沌としているこの頃では教育とモラルの欠如だけでは済まないだろう。

2-3年前のドイツへの難民が押しかけたニュースは誰もが知っているだろう。旧ユーゴスラヴィアの国境やハンガリー、オーストリアの国境閉鎖でそのあたりにいったん住み着いたり通り過ぎて行った難民のそのあとのゴミの山。彼らにはお世話になったその国にお礼などと考えることはないのだろうか?あれをニュースで見たとき彼らが気の毒だと考えるより、ゴミを残されていった住民が気の毒だった。

オランダの小さな村に人口の2倍以上もの難民を配分したという。緊急に体育館や大きな建物に難民を収容しても上下水道がその人口増加に耐えていけるのだろうか?ゴミ処理が追いついていけるのだろうか?と思う。

90年代私たちはトルコ旅行が面白くて休暇と言えばトルコに行っていたものだ。トルコは国内のほとんどがバス路線で電車の線路はほとんどない。バスは結構快適で町から街をつなぐ路線が充実し、サービスもよい。しかしバスの車掌がお客のゴミを集め走っているバスのドアからごみをけりだしているのを見て、本当にこの国のモラルにがっかりした。最近のゴミはプラスチックやビニールが多い。そしてこれらは何年たっても溶けたり、消えてなくなることがない。あのバスが毎日同じところを走って、同じあたりでゴミをけりだしていたらあの国はいったいどうなるのだろう。

 

モロッコもエジプトの紅海でも町に近い海岸線はペットボトルやビニールの袋が捨てられて、泳いでいても気持ちの悪いことはなはだしい。ビニール袋はウミガメがクラゲと間違えて飲み込んでしまうという。泳いでいるときにぷかぷか浮いているビニール袋は、水を絞り出して小さくむずび、また次の袋を見つけると結んだ袋を中に入れて水を絞り出してしっかり結びと、何度もやっているうちに巨大なビニールの塊ができる。

これだと海岸に持って行ってゴミにしてもよいし、もし海に浮かんでいてもカメが間違うはずがない。

我が家の近くの道路は両脇がスポーツクラブの広大なグラウンドで、夜は静かで人通りもほとんどない。すると道路脇にほとんど毎週と言っていいほどゴミが捨てられている。それも壊れた家具や、古いマットレス、庭の切った木の枝や、ひどいときは何処かで掘り起こした土やコンクリの塊など見るのもいやらしい。本当にこの頃この国に住む人々のモラルを疑ってしまう。自分さえよければという魂胆が見え見え。各市に中央ゴミ捨て場があるのだもの、そこまでもっていくのが面倒くさいか、業者は有料なのでお金を払うのが嫌なのか?これらは年々悪くなっていくようだ。

先週ロンドンニュースで大きく報道していたのが、ロンドンの下水が141トンのごみで詰まって来ていて取り出すのに大変な苦労とお金がかかるという。このごみは紙おむつやウエットティシュに動物の脂肪が絡みついて悪臭を放ちコンクリートのように固くなっているという。

そして今日9月19日のニュースでは下水道50メーターに詰まっていたごみを全部取り出し、脂肪の塊を精製してロンドンバスの燃料にしたとの朗報。さすが!!!ロンドン市は転んでもただでは起きない。

我が家でも10数年も前、下水の水が流れなくなり亭主がドライブウエーの下水ふたを開けて棒でつつきまわしたところ、道路下の大きな下水に向かうところの菅が動物の脂肪でつまっていた。英国の日曜正餐には大きな肉を丸焼きにしてそれを薄切りにしグレーヴィーと食べる。丸焼きの肉には必ず脂肪がにじみ出て昔の人はこの肉汁でグレーヴィーを作って食べる。

私はこの脂肪の流れ出た汁をキッチンの流し場から捨てていた。この脂肪は冷えると白い塊になり下水管にくっついてそのうちに水も流れなくなるのだ。たぶん10年間くらいこんな脂肪の塊が下水管を徐々に詰まらせていたのだと判った。この時はやっと水が流れて白い脂肪だけが見えるようになった時、何度も熱湯をバケツにいれて脂肪にかけて溶かして流したものだった。

それ以来、肉汁と脂肪は冷えるまで置いて固まった脂肪を紙で拭き取りゴミとして出している。もう一度あんなことが起きると大変だ。

それまで知らなかったことで、ロンドンの何百万の人たちが知らずに脂肪の溶けたのを捨てているのだと思う。でも紙おむつやウエットティシュは常識の問題だと思うけど。

昔ヨルダンへ行ったとき、ヨルダンの狭い海岸線では大きなホテルが近場を専有化し、やや離れた海岸が一般客用。そして一番遠くが外国人用のダイヴィング・センターだった。ダイヴィングセンターの海岸は魚も多種類豊富で海岸にはゴミ一つない。ところが一般客ローカルの人たちの砂浜があまりにひどかった。あたり一面子供のおむつが散乱していて海にもあちこち浮かんでいる。

アラブ系の人たちには環境汚染とおむつを捨てても汚いという考えがないのかもしれない。これも教育の問題なのだろう。紙おむつを使えるだけのお金のある人たちならば、教育にもお金を使ってほしいものだ。

 

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イーストボーン(Eastbourne) へのバス旅行。

2017-09-15 17:36:52 | 英国内旅行

 

 2004年に買ったキャンパーはもう13年も乗っていて、年々大小の故障が起き、英国にいる間に修理工場で手入れしてもらわなければならない。。ロンドン周辺に2-3か所あるキャンパーの修理工場は電話を入れても予約が満杯で6ヶ月くらいの待ち期間がある。やっと見つけたのがブライトンから東に数キロのピースヘヴンの修理工場だった。

6月初旬、早朝に我が家を出発してクロイドンから高速に乗り約1時間半でピースヘヴンに着いた。予約は11時、この日は英国の真夏らしい暑い日だった。

キャンパーを預けてしまうと修理が終わるまでの数時間、じっと待っているわけにはいかない。

ブライトンからイーストボーンまでの海岸線を2階建ての市バスがはしっている。そして私たちが60歳以上のフリーダムパスと呼ばれる無料のバスパスが、このバスにも使用可で無料であちこち行ける。

2階建てバスの2階前席に陣取り素晴らしい田舎の景色を堪能した。

 

ドーバーの白い壁はブライトンまで続いており、なだらかな丘から切り取ったような白壁が続く。

 

 途中の湿地帯を流れる蛇行した川。野生動物が多いとのことで散歩道を通って海岸まで歩いてバードウォッチングをする人たちがいる。

 

 道端に一軒だけ建っているこの辺りでは珍しい藁屋根の家。ブライトンはサセックス州だがドーセット州まで行くと藁屋根のコッテージが多い。

 

バスの2階から見えるニューヘーヴンの街並み、昔はここの港からフランスへのフェリーが出ていたが、今ではほとんど漁船のみが出入りしている。

 

 

丘の上から見るイーストボーンの町。ドーバーからブライトンの間ではブライトンに次ぐ大きな町。

 パブの看板でめずらしいもの。今は廃止されているキツネ狩りの貴族とそのハウンドの看板だった。この下のパブがまだ営業しているかは知らない。

 

 イーストボーンの町中は相当の人出で気温も20数度気持ちの良い日だった。

 

 

 

 イーストボーンの駅構内で傍らのサンドイッチショップでサンドイッチの昼食。

 

人慣れしたカモメが駅構内を歩き回りえさを探している。

 2階建ての赤バスはロンドン名物。ここではこの色やブルーのダブルデカーバスが走っている。

 

2階に座っているから見えるこの風景、郵便局の車がこんなにたくさん駐車していた。

 この看板は法曹界のもの、ロンドンのテンプル近くの法律関係のビルにこの看板が多い。

 

どこでも見かけられる英国の教会。宗教がすたれてきているとはいえ、回教徒にこの国を乗っ取られないよう頑張ってほしいものだ。

 

 雄大なサセックスの田園風景。

 

帰り着いたピースヘーヴンでキャンパーを引き取りロンドンへ向かう。

 

 

ピースヘーヴンからロンドンへの高速道路へ向かう田舎道は、なだらかな起伏の牧場や牧草地でフランス北部の風景によく似ている。

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大英博物館とヴィクトリア&アルバート博物館

2017-09-14 22:56:39 | 日記

 

今年5月から8月初旬まで大英博物館で北斎展が開かれた。同時にBBC4でも彼の作品並びに彼の一生を一時間のドキュメントにして見せてくれた。

ちょうど英国は夏にかかる一番の観光時期とあって、ロンドンのどこへ行っても観光客であふれている。大英博物館の門の外側で行列を作ったのは初めて。 

 

 

昨今のテロの影響でここ大英博物館でも入場前の手荷物検査が厳しく、門の中でもジグザグの列が作られていた。あとでメンバーは別の行列でほとんど並ばずとも入場できることが分かった。

 

 

 

大英博物館のメンバーカードでは2人入場できるので、一回目は亭主を連れて入った。

狭い入り口から中も人でいっぱい。大きなイギリス人の後ろになると何も見えない。北斎の富獄36景のプリントは小さくて人々が絵に張り付いてみている。

亭主はサッサとみて早くに外へ出てゆっくり座って待っていてくれた。

この後3週間にわたり3人の友達を連れて大英博物館へ通ったので、最後の友達などは私が最初から最後まで説明して回ったものだ。周りで見ていた日本人の女性など、私に質問してくる始末。

ここではベルリンからやってきた日本人夫妻と知り合い、海外では最高の北斎展と大いにほめたたえていた。北斎の日本画や漫画など知られていない作品も多く、90歳まで生きた東洋のミケランジェロと言われているそうな。版画の作り方などの特別講演もあって大いに楽しむことができた。

 

 

 さてこの初日は晴天だったのですぐ帰宅するのは惜しく、バスでヴィクトリア&アルバート博物館へ行くことにした。

途中にバスの窓から素晴らしい花いっぱいのパブ(チャーチル・アームと読めた〉を見かけ思わずシャッターを切った。ここは随分有名らしくのちに新聞でも写真を見たことが有った。

 

 

 ヴィクトリア&アルバート博物館へ行く前に通ったところがこの素晴らしい自然博物館、ここの建物はいつ見てもほれぼれする。英国で一番きれいな建物だと思っている。

 ヴィクトリア&アルバート博物館では今年入場広場を新設し、つい最近オープンしたと新聞に書かれてあった。ウイリアム王子の細君キャサリン妃がオープニングに来て感激していたとのことで、ぜひ見に行こうと期待していった。

 

 尋ね訪ねて行った広場にはあまりに期待が大きかったのでがっかりした。新聞では何万枚もの手作りのタイルがとあったので、色とりどりの派手なタイルを想像していたのに下2枚の線書きのタイル。

 

 

 こんなにきらびやかな階段からあんなにシンプルな広場ではあまりの段差にガックリ。

 

 博物館の中庭は真ん中の噴水池の周囲を昼食をとる人、休憩をする人たちであふれていて、ここが一番賑やかだった。そして庭の周囲を彩るアジサイに魅了された。

 

 

 

 

 

 

 帰りはグリーンパークを歩いて帰ることにした。ものすごい人の群れ。世界中から集まってきている観光客。

 

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ペンジのストリートアート

2017-09-14 15:20:24 | 日記

 

 

6月末の日曜日、ペンジの町でストリートアートがあるというので娘と出かけた。

ペンジはベッケンナムとクリスタルパレスの間にある街で、町の格というものがあれば下町に属する。娘の住んでいる隣のストリートがペンジで家の値段が顕著に下がる。したがって普通の家や壁にこんなに派手な絵が描かれたらどう思う? 

  

 このストリートアートの期間が終わっても急にこれらを消してしまうような人は誰もいないと思う。これらはいたずら書きではなくて確実にアートに入るのだろう。

   

 この影絵などストリートアートで有名なバンクシーの影響を受けていると思う。バンクシーの絵だと壁ごと切り抜いて何万ポンドかの値段に跳ね上がる。

 

 

 

 

 ポルトガルのオルニャオのストリートアートもこれ以上に派手だがこのストリートではお店のシャッターに書いているのが非常に多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この上の絵は英国の新聞にも載った素晴らしいもので、ストリートアートと言えばロンドン中のアーティストたちがやってきて腕をふるうものらしい。

 

 

 

 

 

 

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再び孫のジュードのこと

2017-09-13 23:28:01 | 日記

 毎年6っか月間しか英国にいないから、孫のジュードとも半年しか会えない。

孫がこんなにかわいいものだとは,ナナ(おばあちゃん)と呼ばれるようになるまで知らなかった。80過ぎて孫の顔など見ることはできないだろうと思っていたわが亭主も、グランパーと呼べなくて両家のおじいちゃんをパパと呼ぶジュードが可愛くてしかたがない。

今回だけジュードの写真を満載するから子供嫌いの方は飛ばしてください。

 

 

 

5月末我が家で2歳の誕生日を迎えたジュード、私たちが書き送ったトーマス・ザ・エンジンのカードが気に入ってはなさない。

 

 

 

キャンパーの運転席が大好きで、我が家へくるたびキー、キーとキャンパーの鍵をねだる。いつまでもキャンパーから離れず、親と私たちが疲れ切っている。

 

 

 

電話が大好きでおもちゃの電話では物足りない。私たちが話していると傍で自分も話したいと泣き喚くからうるさくて受話器を渡してしまう。ハローとバイバイしか言えないが彼なりの言葉でクチャクチャ言っている。電子計算機なども電話だと思うらしく耳に当てハローなんて言っているのも面白い。

隣の女の子で今年4歳になったばかりのクロエちゃんが恋人、彼の2歳の誕生日に招待したクロエと二人で乾いたビニールのプールの中でキスしていた。写真は隣との塀の間から ”クロエ、どこにいるの”と呼んでいる。

 

 

 

 

 

お掃除大好きなジュードは床やカーペットにミルクや水をこぼすと急いでキッチンへ走っていき茶碗布巾を持ってきて汚れを拭き取ろうとする。自宅に帰ってからは布巾は諦めて、棚の上に置いてあるウエットティシュをとってきて拭き取り、ついでにキッチンの戸やガラス戸まで掃除しようとする。お掃除大嫌いのわが娘に似たわけではないところが面白い。

庭の植木鉢に水やりをすると一緒に手伝いしたがり、じょうろに水を入れてやると、”よいしょ、よいしょ、よいしょと言いながら運んでいくのがおかしく、パトリックはビデオに収め、ジードが日本語が話せると自慢している親ばか。

 

 

 

 

 1歳半から我が家の近くのフットボールチームー(リトル・キック)に入り毎週日曜日朝の45分トレーニング。

まだ言ってることを聞き分けることができない小さな子たちが主だから、インストラクターも大変。ジュードが一番元気で一人で走り回っている。デビット・ベッカムならぬジュード・ベッケンナムの誕生なるか???

 

 

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トア・デ・フランス〈Tour de France) と フエルタ・ア・エスパニア(Vuelta A Espana)

2017-09-11 18:04:01 | 日記

 

 

今年4月ポルトガルからの帰りに立ち寄ったモンテニャックのキャンプサイトで、7月にトア・デ・フランスが町の通りを通り過ぎてゆくことを聞いた。

去年からテレビで実況中継をするトア・デ・フランスを見逃さず楽しんでいる。初めは私たちが通ったところがテレビで映し出され、二人であそこだ、こんなことが有った、などと言いあいながら見ていたが、次第にヘリコプターから映し出されるフランス国内の景色に魅了された。素晴らしい景色を見ると地図を見ながらこの辺りとかしるしをつけ、次回フランスを通るときにはぜひ行ってみたいと思うようになった。

同時に衛星放送のスカイチームが擁護する英国人クリス・フルームの活躍が素晴らしく大ファンになってしまった。帽子やヘルメットをかぶっている時のクリスは、まだティーンエイジでも通るほど若々しく、細身の体でどこにあれほどのエネルギーがあるのかと思われる。帽子をとったら前の額が後退していてあまりにイメージと違いすぎた。

昨年パリに凱旋したネィビーブルーのユニフォームを着たスカイチームの10数人の中でイエロージャージー(トア・デ・フランスの最高栄誉)に身を包んだクリスが真ん中で一同真横に並んで肩を組んで自転車で行進していった様子は本当に涙が出るほど素晴らしかった。

授賞式では流ちょうなフランス語を話し、若い奥さんと3-4歳の男の子がお祝いに駆けつけていた。

今年も7月初旬から3週間フランス中の難関道路を走り回り、イエロージャージーを奪い取った。彼らがピレニー山脈のフランス側の急坂を登り降りしているときも、フレンチアルプスの蛇行した急坂を走っているときも、心から声援しないでおれない。

そして4週間後の8月21日から3週間スペイン全土を走るフエルタ・ア・エスパニアが始まった。

 

このスペイン地図は2004年から私たちがいままで通り過ぎた道路図。

初めのころは彼らがアンドラへ行く長い坂道を走っているとき、懐かしいアンドラの景色に心を奪われていたものだけれど、コースを一生懸命調べていたのはクエンカまでで、もう景色どころではない。スカイチームはペースをしっかり計画し守っているから、最後の20Kmくらいまでトップのリーダーから1分以上も後方にいて毎日やきもきさせられる。ネィビーブルーのユニフォームのスカイチームはクリスと一緒に走行しながらボデーガードの役割やペースメーカーをやっている。

スペインでの最高栄誉とされる色が真っ赤のレッドジャージーと呼ばれるもので、クリスはネービーブルの中で一人赤のジャージーに赤のヘルメットで良く目立つ。かれは坂道に強く、1日だけあるタイム・トライアルの時は2位と格段の差をつけて勝った。

そして9月10日のマドリッドに凱旋し、1年のうちで2国の競技に優勝した人はいない、歴史に残る快挙と感嘆されている。

今年は2回の激しい競技で疲れが見え始め、ティーンエージャーらしかった表情が年相応の32歳に見えるようだ。1週間後はベルゲンへ行くとのこと。プロでもよく体がもつものだ。

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性差別なしの幼児教育

2017-09-10 12:29:24 | 日記

 

幼児と関わり合いない生活をしてもう40年にもなり、知らない間に世の中の幼児教育も随分変わってきているのを最近になって実感している。

昔から男の子には青い服、女の子にはピンクと決まっていたものだが、最近のテレビや新聞でも その考えを変えるべく女の子にも青い服を着せたり男の子に赤い服を着せたり。

娘はジュードが1歳ころからおもちゃのガスレンジに鍋やフライパン、おもちゃの野菜や果物を与えて遊ばせている。

もう2歳を過ぎたジュードはそのガスレンジでお茶を作って遊びに来る人皆にお茶をふるまってくれる。(もちろん彼の想像の世界のお茶だけど)

鍋に野菜を入れてガスレンジのダイヤルを回し、熱い,熱いと気をつけるように言ってくれる。

日本の兄嫁は男の子がままごと遊びを・・・と笑うが、最近の英国男性はお茶つくりは彼らの仕事、皿洗いも彼らの仕事と心得ているから、幼児からままごと遊びもよいのかもしれない。

 

娘が5歳と7歳の時に日本へ行ってもらった人形が、屋根裏にしまわれていたのを思い出し、ジュードが遊びに来た時におろして見せた。もう40年近くも開けてなかった人形の衣類は白布は黄ばんでどれも悲惨な有様。ジュードは怖がって手も触れない。

 

 

 

それで衣類を全部はがして漂白剤につけて洗濯し裏庭に干した。人形の髪も一人づつシャンプーして洗い、髪が乾くまで裏庭の日向で干した。

 

 

きれいになった衣類や汚れの取れないものを新しく作り直して人形に着せて棚に飾っておいた。娘にこの人形をジュードのお友達や同じ年頃の従妹にあげたらというと、男の子が人形遊びをしてどこが悪いという。

 

 

ただ一度だけこの人形を抱いていたところを見たが、それ以来見向きもしないので、内心ほっとしている祖母馬鹿。

やっぱり男の子が人形遊びをしているところはあまり様にならない。世の中も変わったものだと一人感じ入っているこの頃。

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デザインミュージアム

2017-09-09 10:39:30 | 日記

 

 

ホーランドパークの一角ケンジントンハイストリートに面したところに真新しいデザインミュージアムがある。

もう40数年もロンドン近辺に住んでいてデザインミュージアムなど行ったこともなかった。 

 

 

 

ウルトラモダンな庭の屋根、これでは半分しか雨宿りはできないだろう。実用的でないのがモダンなのかしら。

 

 

 

 

 

日ごろ目につくサインや日常品など確かにどれ一つとってみてもデザインなしでは出来上がったものはないのだろう。

今年更新した真新しい5ポンド紙幣まで飾られてあった。

 

 

 

このような難しい形のものがどうやって作られたか、なんとコピー機で出来上がったプラスチック製品だった。

 

オートマチックに稼働しているコピー機がプラスチックの何物かを作り出しているところ。

 

 これもコピー機で作られた壺。

 

 

上2枚の写真は段ボール紙で作られた椅子で、こんなアイディアはどんな人の頭からひねり出されたものだろう。

 

帰りに乗ったダブルデカーバスの、2階一番前の席から写したケンジントンロードは、左側がハイドパークでホースチェスナッツの花が満開だった。

 

ハロッズ近くの交差点のあたりのレストランのデコレーション。いったいなんでこんな巨大なサイの模型を???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ルーフガーデンとホーランド・パーク

2017-09-09 10:39:30 | ロンドン周辺

 6月初旬友達数人と待ち合わせてケンジントンのルーフガーデンへ行った。

ここは昨年オープンガーデンで初めて訪れたところ。オーナーのバージン航空のリチャードブロンソン氏の持ち物で彼らのレセプションが行われていない日は入場無料で予約なしでも行ける。

 

  

 

この真っ黒なペチュニア、庭の片隅に満開だったが本当に目立たない。花が真っ黒というのはなんとなく不気味な感じがする。

 

 

 

 

7階のビルの屋根が庭園になっていて、高さ10メーターもある銀杏の木が生えていたり、南国から寒冷地までの植物が生え茂っている。

 

 

 

 

数羽のフラミンゴやアヒルにオシドリ、よくもこの寒い英国の冬に耐えられるものだといつも感心する。それにしてもこの7階の庭園に池があり、深さ50センチしかない土に大木が生え茂ってただ唖然とするばかり。

 

 

 

昨年初めて知ったキーウイの花。この春ポルトガルから1本のキーウイの苗を買ってきたが聞けばキーウイには雌、雄の両性の木がないと実が実らないという。せっかく買った木が雌か雄かわからなくて葉を1枚だけ持って行った。この庭園で働く園芸作業員に聞いてみたが知らないといわれてがっかり。

 

ルーフガーデンから歩いてホーランドパークへ向かう。

ケンジントン・ハイストリートは高級ショッピング街でお店のデコレーションも意表を突く。

 

  

 

遠くから見ると白く見える柳科の木に近寄ってみれば小さな花がいっぱい咲いていた。

 

5-6月はホースチェスナッツ(フランスではマロニエ、日本名でとちの木)の大木にこんな花が満開になる。上に向かって花が咲くから遠くから見ると太い蝋燭が立っているように見える。

NHKでは日本の寒村で高齢者たちがこの実からとちの実クッキーを作って売り出しているとのこと。英国人には灰汁だしのアイディアがないからホースチェスナッツが食べられるとは絶対に思っていないだろう。

金沢の山奥、白山のふもとでは昔から食料不作の年に備えてトチの大木が植わっているとの話だった。

 

 

 

 

もう時期遅れのシャクナゲの花、薄紫の色がはかなげ。

 

ホーランドパークで一番有名な日本庭園、もちろん日本から園芸スペシャリストが来て作られたもの。多くの英国人があちこちでリラックスして名園を愛でていた。

 

 

 公園一角の花壇は花盛り。

 

 

 

 

 

バラ園は見事だ。

 

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ベッケンナム・プレース・パーク(Beckenham Place Park)

2017-09-08 22:38:51 | ロンドン周辺

 

ポルトガルから帰ってきてもう6っか月近くになってしまった。

その間何をしていたか?夫婦2人の生活から一変して同居人が2.5人も増えて毎日忙しいままに月日が過ぎてしまった。

また10月からポルトガルへ出かける前にこの6っか月間の出来事や思ったことを書き綴っておこう。

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我が家から歩いて5分くらいのところにあるのがベッケンナム・プレース・パーク、名前はベッケンナムだが実際は隣のルーシャム区に管理されている。私の住んでいるところはケント県ブロムリー区でベッケンナムはブロムリー区なのだ。

この公園は昨年までルーシャムの公営ゴルフ場だった。だから家族連れが遊びに来ることなどなかったものだが、今春ゴルフ場を廃止して誰でもが遊べる公園になった。この公園の真ん中にある古い邸宅は1930年以前はお金持ちの大邸宅だったらしい。私の住んでいる一帯がこの屋敷の庭園だった。

 

 

第一次大戦後の世界恐慌や貴族制度の崩壊などでこの屋敷も庭園を切り売りしたらしい。だから我が家の通りは1930年ごろに新興住宅地として作られたのだ。

ゴルフ場として経営されていたころは邸宅は門をとざして中に入れなかった。

 

 

 

 

 

この広大な草地の後ろに春はシャクナゲが彩る大きな林があり、秋にはブラックベリーとヒラタケが採れる。昔マラソントレーニングをしていたころはこの林の中の無数の道を走り回っていたものだった。

  

 

 

公園として再生した後は邸宅も解放され、だれでも出入り自由になった。ここはたぶん大地主の邸宅で貴族の大邸宅のようなきらびやかさは一切ない。

 

 

 

 

屋敷の一角にある花壇は季節ごとに色とりどりの花が植えられよく手入れされている。つい最近の花壇には赤しその苗がボーダーに植えられていて、感心してしまった。

  

 

2歳になったばかりの私の孫、ジュードはこの写真で見る限り生意気盛り。

 

今まで甘い物厳禁と言っていた母親がこの公園で初めてアイスクリームを買い与えた。生まれて初めて食べた記念日。

 

 

今現在2歳4か月、私がダメと言ったことばかりしたがるいたずら坊主。

コメント (1)
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