マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『用心棒』

2017年05月14日 | 映画

恒例の船橋市南老人福祉センターでの、映画解説。ここんとこ、新旧問わず、どの作品を見てもピンと来なかった。

映画というのは、日常生活で、悲しいことや辛いこと、心配や不安ごとがあると、どうしても集中できない。これは致し方ない。逸脱できる時間の流れに身を任せるしかない。

やっと、なんとか、自分の平穏な日常に戻りつつあったのか、それとも、黒澤明監督の「用心棒」があまりにも、優れていたからなのか、私は、見終えると、しばらく茫然自失し、作品の持つ、躍動感やストーリーテリングに感服していた。

「用心棒」を初めて見たのが、確か、20代の後半だった。確かにその時も黒澤の世界、三船敏郎の男のダンディズムに酔っていた。

今から40年も前のことである。しかし、時空を超えて、再び、「用心棒」を見て衝撃を受けたのは、物語が単調でありながら、三船演じる「用心棒」の荒れた町を再生しようとするクレバーさ、それは姑息な手段をうまく使い、見ている私に驚くべき生命の力、平和への渇望、人が人として生きるには、自分のためでなく人のために生きる、そんな人間の矜持を心の中にぶち込んでくれたからだ。

世界の黒澤、世界の三船。この二人のマッチングは日本映画の誇りであり、この功績を抜けるものはないと言っても過言でないだろう。

先日、あのイケメンのアラン・ドロンが引退した。そのアラン・ドロンが一番尊敬していたのが、三船敏郎だそうだ。アラン・ドロンの「サムライ」はかなり三船敏郎を意識しているがよくわかる。

しかし、60年代の日本映画は奇跡が起きたかのように、良作。傑作が巷に洪水のように流れこんでいた。

優れた監督たち、俳優陣。

そう思うと、今の日本映画はちょっとかなぁ?なんて、過去を憧憬している。