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『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』~人ふたり別れるときは

2011-07-14 22:16:05 | X-MEN(HJその他)


人ふたり別れるときは
互(かたみ)に手を取り合い
泣き始めて嘆息の尽きないならわし。

われわれが別れたときは泣かなかった。
ためいきも吐(つ)かなかった。
さて別れた後になってから
嘆いた、泣いた。

──ハインリヒ・ハイネ/片山敏彦訳


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今日も今日とて『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』語り。
ごくシンプルにストーリーの流れのみを見るなら、この映画はチャールズ・エグゼビアとエリック・レーンシャーという二人の主人公が出会ってから別れるまでを描いた作品である、と言えます。
そもそも前三部作からして、シリーズ全体の基調をなすものは一貫してチャールズとエリックの物語でした。このたびの前章によってその「原点」が明らかになったわけですが、それはコミックスの設定とも前シリーズで少しだけ触れられた設定とも少しずつ異なっています。と言って、まるで隔絶したものでもなく、今作から前シリーズへのフィードバックを試みることも可能です。それによって前三部作でのプロフェッサーとマグニートーのエピソードや会話にも新たな光が当てられて、しみじみ感じ入るものがありました。シリーズのファンとしては、得難くも幸福な体験でした。

そもそも彼らは登場時から対照的な存在として描かれていました。
以前にも書いたように、迫害を受けながらも両親、特に母親から深く愛されていたエリックと、裕福な家庭に育ちながらも親の愛情には恵まれていなさそうなチャールズ。
思うに、レイブンがチャールズの「妹」として通用したのは、彼が家族や使用人、関係者の記憶を操作したからですよね?ひー!何という恐るべき子供!
エリックは自分の力が人を傷つけたり殺したりし得るものだということを、少年時代から自覚しているけれど、幼い頃のチャールズはあまり気にしていなさそうな感じがします。でも青年期には(レイブンの指摘によれば)親しい友人も作らず、広く浅くしかつきあって来なかった様子なのは、やはりその能力ゆえに他人と距離を置いていたからだったかも知れませんね。

そうして、それぞれ異なる事情で孤独な人生を歩んで来た二人が初めて出会った時、エリックは言います。「俺だけかと思っていた」と。
これも、レイブンを見出した時のチャールズの「僕だけじゃないって思ってた」と対照になっています。
お互いおそらく初めて得たであろう同年代の親友。その二人がやがて袂を分つことになる理由とは、それぞれが持つ「力」の性質の違い、そこに到るまで歩んで来た人生と、それによって培われた人生観、人間観の違いによるものでした。
興味深いのは、主に個人的感情で動いているエリックが「人類全体」「ミュータント全体」を常に問題とし、ミュータントと人類との共存という広く高い理想を掲げるチャールズが「個人」を重視しているというところ。これはもう、人生観というより、歴史観の違いとさえ言えるでしょう。
つまり彼らの訣別はあくまでも理念の違いによる必然であって、決して憎み合って別れたわけではありません。だからこそ、より悲劇性が際立つこととなるのです。
もちろん、信念を枉げることが自分のそれまでの人生を否定するだけではなく、世界の存亡にすら関わる問題とあっては仕方ないのかも知れませんが……

ショウとの決戦前夜、チャールズとエリックがチェスをしながらの会話でこういう台詞がありました。

" Listen to me very carefully my friend. Killing Shaw will not bring you peace. "

字幕だと確か「ショウを殺しても平和は訪れない」となっていましたが、正しくは「君の心に」平安は訪れない、ということなんですね。この世界や人類一般のことではなく、チャールズが問題としているのはあくまでもエリックその人なのです。
しかし、エリックはそれを理解できていたのでしょうか?
最後の別れの時も、チャールズが本当に気にかけているのは人類ではなく、他の誰でもなく、ただエリックなのに、それが伝わらない。エリックにとって、チャールズは「ヤツら」の側についた「敵」となってしまう。
その一方で、ショウと対峙し復讐を遂げた時も、その後も、最後までエリックはチャールズを頼っているんですよ。何だかもう、いろいろなことがすれ違い過ぎて悲しいです。
チャールズはレイブンからも「あなたは世界と戦おうとしない」と非難されるけれど、彼はまた別のやり方で戦おうとしているだけです。ただ、それには時間を必要とし、その間にも起こり得る迫害を座視できない者たちは、彼の許を離れて行く。
最強テレパスなのに、いちばん大切な人たちに真意が伝わらないチャールズの姿も、アイロニカルかつ悲劇的です。

もう一つ皮肉なのは、孤独な復讐者であったエリックに「仲間」を与え、自らのパワーをコントロールする方法を教えたのが、他ならぬチャールズであったということ。
ショウ(シュミット)が作ったモンスターに強大な武器を与えてしまったのはチャールズ自身だったのです。
友情と信頼に基づく言葉や行いの結果が、最後にはすべて(あのミサイルのごとく)逆転して、チャールズに一生癒えぬ傷を残すこととなります。
「君のせいだ」と、チャールズはエリックに言いましたが、それは勿論「自分のせい」でもあるという意味だと思います。
プロフェッサーXがその後も生涯を懸けてマグニートーを止めようとし続けるのは(相手からすれば「妨害」ということになりますが)、やはり親友を最終的に「マグニートー」へと変えてしまったのは自分だという責任を感じてのことだったのでしょうか。エリックを止めることが出来るのは自分だけ。だから一緒には行けない、という選択。それこそが彼の友情または愛情を示す唯一の方法だったというのが、また悲し過ぎます。
そして、パンフレットやチラシなどでは「宿敵同士」と表現される二人ですが、少なくともチャールズにとってエリックはいつまでもずっと親友のままだと思います。

というわけで上の画像について。
エリックがショウの潜水艦を一本釣りするシーンですね。サントラ盤について書いた時に触れましたが、ここで使われているのは「マグニートーのテーマ」ではなく、"Sub Lift" と題するX-MENの(チャールズの?)ライトモチーフです。
つまり、この潜水艦釣りが、エリックがX-MENのメンバーとして成し遂げた最初で最後の仕事だったということを音楽でも表現しているわけで、これまた切ない話です。

追記:↑このことを指摘したのは、実は家族Aでした。本人よりそれを明記しておくようにとの要望があったので、ここに記しておきます。

■当ブログの『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』感想■
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