尻切れトンボを継ぎ足しました。もう一度読んでね!
日本はファシズムの真っ只中にいる。
それを国民に気が付かせないのは安倍自民党政権がテレビ・大新聞等のマスコミを牛耳ってしまっているからだ。
安倍自民党政権のやっていることは何から何まで国民の為にならない事なのに、48%~53%の国民は安倍内閣を支持している。バカじゃないか。
もう余命幾ばくもない私にとって、破滅の道を辿っている日本の行く末を見なくて済むだろうからとこの日記を書くのを止めていた。ただ、子供達・孫たちの事を思うと、何とかならないものか?との気持ちも捨てきれない。
今日からはツイッター的に思いついたことを短く、書き留めて置きたい。
■多過ぎる「情報」は受け取る側の思考を混乱させる。
今、日本国民にとって一番関心を寄せなければいけないことは夏までに必ず成立する「安保法制」のことである。
今日は初回だから少し長くなってしまうが、私の日記に何回も書いている基本的な「モノを見る目」を列記しておく。
①人は一人では生きられない。従って「汝、殺すなかれ!」といった法を作り「共存共栄」を目指す。
即ち、自分が人からされたら嫌だ、と思うことを人にするな、ということだ。……ユーアンダスタン?
②今の政治体制は「権力は集中したり、長期化すると腐敗する」の思想から「三権を分立」させてお互いにチェックアンドバランスを保つようにしている。(4年毎の選挙や任期制限で権力の長期化を防止)
テレビ・大新聞等のマスコミは第4の権力と呼ばれ、権力を監視し国民に警告を発する社会の木鐸の役割を担っている。それが今の日本では機能しなくなっている。
今日はこの話にしよう、と決めた。
全国民から選ばれた議員によって国会で審議され法律が作られ(=立法)、それに基づいて政府が行政を行うのだが、その行政の長である安倍首相がアメリカで、国会で審議もされていない安保法制を「今年夏までに成立させる」と国際公約している。
つまり、政府(行政)が、国会(立法)を無視して勝手に法律を作る、と宣言したわけであるが、これって、すごく怖い話なのだ。
第二次大戦でヒットラー・ナチスドイツが台頭して来たときの話。(文部省作成の教科書より)
ドイツは第一次世界大戦での敗戦で膨大な「賠償金」支払いで国民生活は困窮化していた。そこに世界大恐慌(1929年)が追い討ちをかけた。ドイツ国民の大多数が失業者という空前の経済危機に陥った。
ドイツ政府は、少数党が乱立する国会の中で有効な打開策を打ち出せず、議会制も半ば形骸化してきた。
困窮した国民は、形骸化した議会制民主主義、フラフラして何も出来ない政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに国民を引っ張って行く、強い政治力・指導者が現われることを望むようになった。
そこへ出現したのがナチス党である。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)を率いたアドルフ・ヒトラーは、ワイマール憲法下における民主主義が政局や経済混乱を招いているとして、これを衆愚政治と捉え、民主主義の否定と指導者への服従、独裁(ねじれ解消)の利点を主張し、たちまちのうちに国民の中に人気を博し、1933年1月の総選挙の結果、とうとうドイツ国会の第一党となった。
かくて内閣を組織したヒトラーは、国会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも与える法律を制定させた。
政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。
議会は無用の長物と化する。
ドイツは完全な独裁主義の国となって、国民はヒトラーの宣伝とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戦争へ、そうして、まっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。
選挙という合法手段(二院に於ける圧倒的多数)によって、政権と絶対権力を樹立し、それにより民主主義は崩壊してしまったのだ。
(余談)エーリヒ・フロムは著書でこの時のドイツ国民の心理を「自由からの逃走」と呼んだ。
国民は自分の「自由」(権利・民主主義)を自ら放棄してしまったのだ。
今の日本も行政(政府)が立法(国会)をほしいままにしている。
5月28日の民主党辻元議員の質問中に、安倍首相は「早く質問しろよ」とヤジを飛ばした。
辻元議員はブログで「立法府の国会議員の質問を行政府の長が(ヤジって)妨げるとは、三権分立や民主主義の基本が分かっていない。」と怒っていたが、戦後長期にわたり一党独裁だった為に日本国民もこの辻元議員の発言を理解出来ないのではないか?
今日は、
法作る人が権力握るなら権力縛る法は無くなる。
といった、今の日本のお話。
もう一度書いておく、第一次大戦後ワイマールで作られたドイツの憲法は世界から「民主主義の憲法」として評価された。ヒトラーはその憲法を改正した訳ではない、国会での多数決を利用して、行政(政府)が自由に法律を作れるようにしただけなのだ。
日本も今、安倍自民党政権が衆参での圧倒的多数を利用して(民主主義の多数決制度を利用して)行政が自分の思う様な法律を作っている。
ヒットラー・ナチス・ドイツと同じく、もう日本も憲法を変える必要もない状態になっている。
国民は8月には成立する「平和安全法」「国際平和支援法案」「切れ目のない安保法制」にもっと恐怖を抱かなければならない。拒否反応を示さなければならない。
次回からも、ショートショートでいきます。続きます。
日本はファシズムの真っ只中にいる。
それを国民に気が付かせないのは安倍自民党政権がテレビ・大新聞等のマスコミを牛耳ってしまっているからだ。
安倍自民党政権のやっていることは何から何まで国民の為にならない事なのに、48%~53%の国民は安倍内閣を支持している。バカじゃないか。
もう余命幾ばくもない私にとって、破滅の道を辿っている日本の行く末を見なくて済むだろうからとこの日記を書くのを止めていた。ただ、子供達・孫たちの事を思うと、何とかならないものか?との気持ちも捨てきれない。
今日からはツイッター的に思いついたことを短く、書き留めて置きたい。
■多過ぎる「情報」は受け取る側の思考を混乱させる。
今、日本国民にとって一番関心を寄せなければいけないことは夏までに必ず成立する「安保法制」のことである。
今日は初回だから少し長くなってしまうが、私の日記に何回も書いている基本的な「モノを見る目」を列記しておく。
①人は一人では生きられない。従って「汝、殺すなかれ!」といった法を作り「共存共栄」を目指す。
即ち、自分が人からされたら嫌だ、と思うことを人にするな、ということだ。……ユーアンダスタン?
②今の政治体制は「権力は集中したり、長期化すると腐敗する」の思想から「三権を分立」させてお互いにチェックアンドバランスを保つようにしている。(4年毎の選挙や任期制限で権力の長期化を防止)
テレビ・大新聞等のマスコミは第4の権力と呼ばれ、権力を監視し国民に警告を発する社会の木鐸の役割を担っている。それが今の日本では機能しなくなっている。
今日はこの話にしよう、と決めた。
全国民から選ばれた議員によって国会で審議され法律が作られ(=立法)、それに基づいて政府が行政を行うのだが、その行政の長である安倍首相がアメリカで、国会で審議もされていない安保法制を「今年夏までに成立させる」と国際公約している。
つまり、政府(行政)が、国会(立法)を無視して勝手に法律を作る、と宣言したわけであるが、これって、すごく怖い話なのだ。
第二次大戦でヒットラー・ナチスドイツが台頭して来たときの話。(文部省作成の教科書より)
ドイツは第一次世界大戦での敗戦で膨大な「賠償金」支払いで国民生活は困窮化していた。そこに世界大恐慌(1929年)が追い討ちをかけた。ドイツ国民の大多数が失業者という空前の経済危機に陥った。
ドイツ政府は、少数党が乱立する国会の中で有効な打開策を打ち出せず、議会制も半ば形骸化してきた。
困窮した国民は、形骸化した議会制民主主義、フラフラして何も出来ない政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに国民を引っ張って行く、強い政治力・指導者が現われることを望むようになった。
そこへ出現したのがナチス党である。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)を率いたアドルフ・ヒトラーは、ワイマール憲法下における民主主義が政局や経済混乱を招いているとして、これを衆愚政治と捉え、民主主義の否定と指導者への服従、独裁(ねじれ解消)の利点を主張し、たちまちのうちに国民の中に人気を博し、1933年1月の総選挙の結果、とうとうドイツ国会の第一党となった。
かくて内閣を組織したヒトラーは、国会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも与える法律を制定させた。
政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。
議会は無用の長物と化する。
ドイツは完全な独裁主義の国となって、国民はヒトラーの宣伝とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戦争へ、そうして、まっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。
選挙という合法手段(二院に於ける圧倒的多数)によって、政権と絶対権力を樹立し、それにより民主主義は崩壊してしまったのだ。
(余談)エーリヒ・フロムは著書でこの時のドイツ国民の心理を「自由からの逃走」と呼んだ。
国民は自分の「自由」(権利・民主主義)を自ら放棄してしまったのだ。
今の日本も行政(政府)が立法(国会)をほしいままにしている。
5月28日の民主党辻元議員の質問中に、安倍首相は「早く質問しろよ」とヤジを飛ばした。
辻元議員はブログで「立法府の国会議員の質問を行政府の長が(ヤジって)妨げるとは、三権分立や民主主義の基本が分かっていない。」と怒っていたが、戦後長期にわたり一党独裁だった為に日本国民もこの辻元議員の発言を理解出来ないのではないか?
今日は、
法作る人が権力握るなら権力縛る法は無くなる。
といった、今の日本のお話。
もう一度書いておく、第一次大戦後ワイマールで作られたドイツの憲法は世界から「民主主義の憲法」として評価された。ヒトラーはその憲法を改正した訳ではない、国会での多数決を利用して、行政(政府)が自由に法律を作れるようにしただけなのだ。
日本も今、安倍自民党政権が衆参での圧倒的多数を利用して(民主主義の多数決制度を利用して)行政が自分の思う様な法律を作っている。
ヒットラー・ナチス・ドイツと同じく、もう日本も憲法を変える必要もない状態になっている。
国民は8月には成立する「平和安全法」「国際平和支援法案」「切れ目のない安保法制」にもっと恐怖を抱かなければならない。拒否反応を示さなければならない。
次回からも、ショートショートでいきます。続きます。
選挙時に一党だけに票が集まることがどれ程危うい事かをもっと進撃に考えるべきだった。
今からではもう遅いのだ。衆議院でも参議院でもあれだけ一党が突出して議席を持てば、どんな法案もザルのように通り抜ける。