2006年度作品。フィンランド映画。
友人も恋人も家族もいない、一人ぼっちの男がヘルシンキの街の片隅に住んでいた。孤独な彼にある日、一人の女性が声をかけてくる。女の存在に男は舞い上がり、デートに誘うが、女には別の目的があった。
監督は「過去のない男」のアキ・カウリスマキ。
出演はヤンネ・フーティアイネン。マリア・ヤルヴェンヘルミ ら。
この作品の主人公は孤独な、いわゆる負け組に属する男だ。実際、彼には家族も友達も恋人もなく、警備会社という地味な職場に甘んじている。
だが、彼は自分が負け組だと認めたくないように、僕には見えた。
たとえば彼は一発逆転を狙い、慎ましやかだが起業の夢を語っている。だがその夢の話には嘘も混じっていて、現実に行動したら、壁にぶつかるのは目に見えており、あくまで幻想を追い求めているという域を出ない。
それに彼を好いてくれる(恐らく負け犬の)女性もいるのだが、多分同属相憐れむという境遇が嫌だからか決してなびこうとはしない。
そして致命的なのは男が自分を裏切った女をあくまでかばっているという点だ。それは男が女を愛しているから、とも見えなくもない。だが僕はそれを見たとき、ああ、この人は裏切られたという事実すらも受け入れたくないのだ、と感じられてならなかった。
非常に個人的なことだが、そんな主人公の境遇は自分自身を見ているようで、正直きつかった。
そういう性格ゆえか、結果的に男はどんどんと敗者の側に向けて転がり落ちていく。
ラストの刃物沙汰などは見ていてむちゃくちゃ切なくなった。ああ、彼には復讐することすら許されないのか、と見ているこちら側まで、主人公と同じように呆然とならざるをえない。
しかしそんな一見救いのないように見えるラストでありながら、決して暗い印象を与えないのは、やはりソーセージ屋の女の存在があるだろう。そして何よりも男が、自分に好意を寄せるその女の手を握ったことに大事な意味があると思う。
僕はこのときようやく男が自分が負け組であることを認めたのではないか、という風に感じた。それは必ずしも、明確な救いとは言いがたいが、どこか優しいものが感じられる。
地味で淡々としているが、そのラストのおかげで、映画に美しい余韻が流れていた。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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