2010年度作品。日本映画。
一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる……。(キャタピラー - goo 映画より)
監督は若松孝二。
出演は寺島しのぶ、大西信満 ら。
誰もが知っていることだけど、戦争は大変悲惨なものである。
それは暴力を伴うものであり、多くの人を傷つけてしまうからだ。
だがその暴力の形は、決して一様ではない。
わかりやすいのは、人がバンバン死んでいくという直接的な暴力だろう。
だがそれ以外に、間接的な暴力というものも存在するのだ。
たとえば、戦争という空気から無言の圧力が生まれ、それが人間の言動を制限し、自由な人間の心を抑圧してしまうことがある。地味ではあるがそれだって悲惨な暴力だ。
そして「キャタピラー」という作品はどちらかと言うと、そのような間接的暴力を描いていると感じた。
本作は、戦争で手足と、耳と声を失ってしまった夫と、それを看護する妻の話である。
里に残された妻は、そんな形になってまで生き残り、軍神とあがめられる夫のために、銃後の妻として尽くさなければならなくなる。
(蛇足だが、個人的には寺島しのぶ以上に、大西信満の演技の方が印象的だ。鬼気迫るものが感じられる)
ただ生き、食い、眠り、体を求める男のために、女は働かなければいけない。
愛があれば、まだマシだけど、この夫婦の場合、相手に対する同情はあっても、愛情はないように見える。
それだけに、妻の方としては苦しいのだろう、という気がする。
だが、周りはそんな夫に尽くせと無言で強要し、貞節な女であることを要求する。
そこにあるのは無言の抑圧であり、見ていていくらか気が滅入る。
そんな関係ゆえか、介護の場面では微妙な形で、憎悪が混じりこむこととなる。
介護は、閉鎖的な行為だ。いろいろな負の感情が湧き出るのも当然のことだろう。
個人的には、女が、軍神だからという理由で夫を外に連れ出すシーンに惹かれた。
女としては、夫をさらし者にして、これまでの夫の態度に対し復讐してやろうという気持ちがあるのだろう。
そして、貞節な妻なのだ、と村人に対してアピールしようという女の打算も透けて見える。
そこからは、虐げられるだけではない、女のしたたかさがうかがえて、にやりとさせられる。
それと同時に、女の静かな憎しみが感じられて、ぞわりともさせられる。
そして二人の関係は、ラストの終戦で異なる結末を迎えることになる。
女が戦争の終わりを笑顔で迎えたのに対し、男は自殺を選ぶ。
ひょっとしたら、男は、戦争の中でしか、手足を失った自分の居場所を見つけられなかったのかもしれない。あるいは、終戦により、女が自分を介護する理由がなくなったことを感じ取り、それを恐れたのかもしれない。
何にしろ、男は土壇場になると弱いのだ。
だがそれを抜きにしても、夫の一生はなかなか悲惨である。
彼の死もまた戦争が生み出した間接的な暴力かもしれない。
ともあれ、戦争が生み出す悲劇を別の側面からアプローチした作品である。
なかなか誠実な作品と思った次第だ。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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・寺島しのぶ出演作
「単騎、千里を走る。」
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