ペンギンと暮らす孤独な男ヴィクトルは、生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始める。それはまだ生きている著名人の追悼記事を書くというものだった。やがてその追悼記事で書かれた人間が次々に死んでいく。
ウクライナのロシア語作家アンドレイ・クルコフの世界的なベストセラーとなった作品。
沼野恭子 訳
出版社:新潮社(新潮クレストブックス)
ふしぎな味わいの物語である。
孤独な売れない小説家と共に暮らすのは憂鬱症のペンギン。まずこの設定からしてユニークかつ、魅力的で、読む前からわくわくしてしまう。
そのほかにも、マフィアの娘とそのベビーシッターとの擬似家族の光景、淡々と過ぎる物語の中に忍び寄る不穏な影など、道具立てのそろえ方は魅惑に満ちている。そのガジェットの選択の様は一級品だろう。
この物語の中で、印象に残るのはやはりペンギンのミーシャだ。感情を読みとることができず、退屈そうな憂鬱症のペンギン。それでいてどこかさびしく、主人であるヴィクトルにすり寄ったりする。このただそばにいて、ときおりさびしげな動作を見せるという姿がこの小説の中では、非常に効いているように思う。
ピドパールィの葬儀の夜、ペンギンのミーシャが嘴でヴィクトルの首筋を突っつくシーンがあるのだが、この描写はきわめて好きだ。
ヴィクトルはこのとき謎の仕事と、次々と起こる死のイメージに半ば打ちのめされていた状態だ。それだけにミーシャの行動は優しげな印象を抱かせる。ミーシャの扱いがもっとも際立っている名シーンだ。
で、読んでいても思ったし、あとがきにも触れられているが、このミーシャとヴィクトルは分身のようなものだ、と思う。
個人的にはミーシャは外から見たときのヴィクトルという感じがする。心の中になにかを隠していて、不安を抱えて、だれかに(ニーナとか)にすがりたいと思う男。それはミーシャにそっくりではないか。
ヴィクトルとミーシャ、ヴィクトルとニーナ、そういったつながりの中に愛があるかは置いておこう。しかし、そのつながりの中には、湧き起こる不安や孤独を埋めたいという願いが感じられる。
そしてその感覚こそがこのもろい擬似家族に確かなつながりを感じさせる。たとえそれが独善や欺瞞に満ちていたとしても、それはまちがいなくつながりなのだ。その印象が心に残る。
と、そのように魅力的な物語ではあるのだが、最後の辺りが個人的には気に入らなかった。
多分、謎は解き明かされないまま終わるのだろう、と踏んでいたのだが、中途半端に明かされ、どうにも収まりが悪い。どうせなら謎は謎のままでいてほしかった。それに積極的に謎にかかわることを拒否し、安定を願っていたヴィクトルが尾行をしたのもどこかしっくり来ないような気がした。ラストの主人公の行動もいまひとつピンと来なかった。
もちろん、それに対し、いろんな説明は可能だろう。でも、どうも感覚的に合わないのだ。
そういったラスト付近の扱いのため、小説全体の印象は悪くなってしまった。味のある作品だっただけに残念な限りだ。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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