私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『風立ちぬ・美しい村』 堀辰雄

2008-08-05 22:08:35 | 小説(国内男性作家)

風のように去ってゆく流れの裡に、人間の実体を捉えた『風立ちぬ』は、生きることよりは死ぬことの意味を問い、同時に死を越えて生きることの意味をも問うている。バッハの遁走曲に思いついたという『美しい村』は、軽井沢でひとり暮しをしながら物語を構想中の若い小説家の見聞と、彼が出会った少女の面影を、音楽的に構成した傑作。
ともに、堀辰雄の中期を代表する作品。
出版社:新潮社(新潮文庫)


「風立ちぬ」という作品を集英社文庫版で読んだのは、十代の後半と二十代の前半だった。
そのとき僕はこの物語中に出てくる繊細な雰囲気に心をゆさぶられたことを覚えている。

実際、いま読み返しても、「私」と「節子」が相手を思いやる姿勢は麗しく感じられる。
相手を思いやる心の機微と、それが生む適度な緊張感は心地よいし、前日譚である「美しい村」から通しで読むと、男が女のことを本気で愛していることが伝わるだけに、二人の関係性のナイーブさに心を洗われるような心地すらする。
その繊細な二人の姿を丁寧に描き上げているから、「私、なんだか急に生きたくなったのね……」「あなたのお蔭で……」という恥ずかしいセリフがあっても、何の照れを感じることもない。

それにサナトリウムに入ってからの濃密に漂う死の気配や、それを容易に口にできない感情の機微も良かったと思う。
サナトリウムという外界と異なる空間が死の予感を煽り立てるのに充分で、リリカルな文章がその悲劇性を立ち上がらせるのに一役買っている。そしてその閉鎖された世界が二人の結びつきを強くするのに大きな役割を果たしている。
その物語舞台の構築とナイーブな感性の美しさは否定しようもないだろう。

しかし三十歳になった僕から見ると、二人の恋人の姿は、むかしほど心に訴えかけてくるものはなかった。
若い時期は恋人同士の純粋な愛の姿に心を打たれたものだが、世間的におっさんと呼ばれるようになった年齢の感性から読むと、うまく馴染むことができない。それに初読の「美しい村」の方が楽しめたということからして、筋を知っているのも原因としてあるのかもしれない。
ともかく今回はこの「風立ちぬ」という作品を一歩引いて読んでしまったきらいがある。

しかしラストの別荘のシーンだけはさすがにいま読んでも感動してしまった。
部屋の明かりというメタファーを通して、彼女の死を乗り越えていくシーンが本当に美しい。
リルケの「レクヰエム」の使い方も上手く、生き残ってしまった以上、今後の人生を前向きに生きていかなければならない、という静かな意志が浮かび上がる様子はともかく見事だ。
ラストのセンチメンタルでありながら、それを感じさせない雰囲気も素直にすばらしいと思える。

年齢もあって、どうしても以前ほど共感できるポイントは減ってしまったことは確かだ。それでもこの作品が優れた作品であるという事実は決して色褪せることはない。
ぜひとも若い内に読むべき名作であろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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