私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『カッサンドラ』 クリスタ・ヴォルフ

2009-04-13 19:42:42 | 小説(海外作家)

この物語を語りながら、わたしは死へと赴いてゆく。自国の滅亡を予見した王女カッサンドラは、だれからも予言を聞き入れられぬまま、歴史を見守ってゆく。自らの死を前にして女性の側から語り直されるトロイア滅亡の経緯。アキレウス、アガメムノン、アイネイアス、パリスら、ギリシャ神話に取材して展開される壮大な物語。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-02
中込啓子 訳
出版社:河出書房新社


主人公カッサンドラの一人称で語られる本作は、いわゆる意識の流れが用いられている。そのため時系列がぐちゃぐちゃにいじられていて、何が何やらわからない部分も多い。
アホな僕のような読み手に、極端に集中力を求める、優しくない小説だ。正直読んでいて、何度いらっとしたかわからない。

だがしばらく読み進めれば、叙述スタイルに慣れることができる。最後まで読めば、いろいろなことを考えることができ、何かと示唆に富む。ところどころのシーンでは、感情をゆさぶられるし、ラストに向かうにつれて、テーマ性が鮮明になる辺りも構成としては憎い。
好き嫌いが分かれそうだが、最後までがんばればいいこともあるさ、という典型のような作品だ。


主人公のカッサンドラはトロイア戦争に登場する人物の一人で、アポロンから予言の能力を授けられたが、アポロンの愛を拒んだため、その予言を誰にも信じられないようにされた女性だ。
確かに本書でも、いくらか神がかり的なシーンはあるし、予言能力があることをうかがわせるシーンはある。
けれど僕は、カッサンドラという女性を、予言ではなく、真理を語り、真理を追う者として描かれているものと受け取った。

実際、彼女は「真実を真実と言い、真実でないものをまちがっていると言う」ために、様々なアクションを起こす。
みんなが触れたがらないのに、捨て子だった弟パリスの来歴を調べるため、アリスベの元に向かうし、戦争を終わらせるため、トロイアにはすでにヘレネーはいないことを公表するよう進言する。

この小説には彼女と同じように真理を知る者は多く登場する。恐怖心もあって斜に構えて皮肉をかましているだけのパントオスもそうだし、政治のために真理を黙殺するエウメロスもそうだ、と思う。
その中で、カッサンドラは意見を言える立場ということもあってか、アクティヴで、いくらか誠実だ。

彼女の誠実さは平和主義と、人権意識から来るのではないかと僕には見える。
それは人間を信頼しているアンキセスの影響もあるかもしれないが、やはり、けだものアキレウスの存在が大きいだろう。アキレウスは彼女の目の前で弟トロイロスを殺すし、自らの勝利のため、手段を選ばず悪逆非道を尽くす男だ。
そのためもあり、「助かるだけの目的で、アキレウスのようになってはいけない」と彼女は主張をする。
それを言い換えるなら、人間として貫くべき倫理はあるはずだといったところだろう。

実際ポリュクセネのシーンで、カッサンドラは、全体のために個の人間を利用するような、権謀術数主義に反発を試みている。
たとえ「首尾よくいった者が、結局は正しい」ように見えても、彼女はそんな個人の尊厳を無視する行動にノーを訴え続ける。パリスのような全体に対する迎合するのではなく、自分の倫理観を信じ、大切な真理を貫こうとしているのだ。

だが当然、そんな一個人の声が全体に届くわけがない。「自らを信じ」る盲目な集団の、根拠のない熱狂に対して、彼女一人の声などあまりに弱いものでしかないのだ。
それでも彼女は折れようとしない。個や平和を押しつぶしかねないヒロイズムを忌避し、そのために死をも覚悟することを厭わないのだ。
そんなカッサンドラの誠実さは麗しく、人間として貫く一面について考えさせられる面が多かった。


僕はヴォルフの人生や、冷戦下の東ドイツのことを何一つ考慮せずに読んだのだが、解説を読んでからふり返ると、さらに興味深い部分も多く見つけられる。
必ずしも好みではないし、読んでいる最中、幾度か苛立ったが、トータルで見れば納得の一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


同時収録: フランツ・カフカ『失踪者』

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 Ⅰ-02 マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
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 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
 Ⅱ-02 フランツ・カフカ『失踪者』

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