あまりの美しさに素顔を見せるだけで相手を失神させてしまう僕は加藤家の養子となり、九十九十九と名づけられる。創世記、ヨハネの黙示録の見立て殺人が起こる中、九十九十九はそれを解決していくが…
清涼院流水のキャラクターを舞城王太郎の手により、再構築した奇抜なメタミステリ。
出版社:講談社(講談社文庫)
実に評価に困る作品だ。っていうかだれが考えても問題作である。
メチャクチャに見えて、実は綿密に考えこまれたストーリーと設定。文章と展開の勢い。物語に流れるテーマ性。そしてその圧倒的なオリジナリティ。すべてが際立っているのはすぐにわかる。
だけど、素直にそれを誉めることができない。僕は清涼院流水の作品を読んだことはないが、そういうのとは無関係に誉める気になれない。
どれもがすばらしいが、途中から読んでいて、物語の流れに置いていかれる部分があるからだ。バカだと言われたら、まあそれまでなのだけど。
内容としてはメタ小説である。各個の章は独立していて、それ以前の章を否定しあるいは内包する形で、物語は進んでいく。
その中で何とは無しに伝わってくるのは、九十九十九という男の存在の不安定さと、置き所のない愛の姿と言える。それを舞城らしい残酷な描写で、ポコポコと人を死なせながら、書き進んでいるあたりはリーダビリティがある。
そしてラストではストレートなくらいの舞城らしいテーマ性が浮かび上がってくる。自分が愛する存在と自分自身をしっかりと愛していこうとするいつも舞城らしい姿勢は相変わらず共感するし、そのクリアな描写は心を打つ。
だが、いろんな部分で引っかかってしまいカタルシスに乏しかったきらいがある。
物語を壊し、再構築するそのテクニカルな面などはすさまじい。理性的に判断するなら、もっともっと評価されてしかるべき作品と思う。僕も第五話くらいまでは素直に楽しく読めた。
だけれど、トータルで見たら、どうも好きにはなれない。これは感性の問題だろう。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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