私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

須原一秀『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』

2014-11-11 20:59:12 | 本(人文系)

65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死。著者は自殺を肯定し、本書を書き、それを実践して自死した。2008年に単行本として刊行し、出版界に衝撃を与えた話題の本がついに新書化。「積極的な死の受容」の記録がここに。
出版社:双葉社(双葉新書)




本書は自身の哲学的事業を達成するために、自死を選択した哲学書の遺著である。

著者が一人称の立場での死の認識論とうたっているように、共感できるポイントもあるが、牽強付会としか思えない、納得いかないポイントもある。
しかし一人の人間の個人的な死に対する考え方に触れていると、何かと死について思いをはせることができる。

賛同できるか否かはともかく、自分の死生観、倫理観、共同体意識などを問われる作品かもしれない。



本書は三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテスという自死を決行した人物に注目して、自死についての論を書き起している。

著者は彼らの自死は「老醜の忌避」か「病気と老衰と自然死」の拒否ではないかという風に見なしている。
その結果、彼らはある程度のことをやり尽し、「人生の高」や「自分自身の高」が見え、人生に対する未練があまり強くなくなったと、著者は考えているのだ。

この意見が、彼らに当てはまるかはわからないが、そのような心情が、人間に生まれる理由は理解できる。
特に彼らは成功者だったからこそ、そのように自身の最期を主体的に選択した(かもしれない)気持ちもよくわかるのだ。

その辺りの認識は、推察ながら卓見ではないかと思う。



だがそれ以外の部分には「?」と感じる面もある。

たとえば死への恐怖を、死のことを考えているうちに、人生への未練など考える気にもならなくなったのだと語っている。
それを読んで、本当にそうか? と思う気持ちもなくはない。人間はもっと生物的欲求によって生を希求せざるを得ない生き物とも思うのだが。。。

そのほかの部分でも、著者の考え方は、どこか観念的な面もあって、個人的にはしっくり来なかった。

著者は、死について考えている人について、「三人称の死」でとらえている人が多く、観念的だと言っている。
しかし死以外の部分についての考え方などは、著者も充分に観念的である。



とは言え、著書が述べる、自然死や老衰に対する忌避感は僕にも理解できるのだ。
それに自死した後の共同体について遠慮する気持ちもよくわかる。

だから、彼の意見にしっくり来ない部分があっても、彼の行動に対して否定する気持ちに、僕はどうもなれそうにない。

著者の考えや死への行動は、世間的にはともかく、僕には割りにすんなり受け入れられる。

もちろん家族はつらいだろうが、少なくとも家族は著者の自死を理解しているようだし、そんな著者の普段の考えを知っているようだ。
たぶん彼の意見を拒否する人は少なからずいよう。
しかしわかる人にだけわかればいい。少なくとも家族が理解してくれるのなら充分だ。そんな気がする。


そして自分ならば、実際彼の立場に立ったら、どうするだろう、と思わずにいられないのだ。
少なくとも自身の死生観を問われるような気分になる。

ともあれ、死について考えさせられる一冊であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

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