私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『八月の光』 ウィリアム・フォークナー

2012-12-28 20:30:59 | 小説(海外作家)

臨月の田舎娘リーナ・グローヴが自分を置去りにした男を求めてやってきた南部の町ジェファスン。そこでは白い肌の中に黒い血が流れているという噂の中で育ち、「自分が何者かわからぬ」悲劇を生きた男ジョー・クリスマスがリンチを受けて殺される――素朴で健康な娘と、南部の因習と偏見に反逆して自滅する男を交互に描き、現代における人間の疎外と孤立を扱った象徴的な作品である。
加島祥造 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




過去に挫折した本を読み返してみようと思い立ち、手に取ったのが本書である。もちろん理由は、読んでいた当時がまさにクリスマスシーズンだったからだ。

それはそれとして、正直読む前は、読了できるか不安だったのだが、普通におもしろかったのでほっとしている。
ストーリーラインは波乱万丈で、内容も深く、読み応えもあるのだ。

挫折したままにしなくて良かったな、と心から思えるような作品であった。


『八月の光』のストーリーは、大きく二つに分かれる。
一つはリーナ・グローヴという妊婦をメインにしたお話で、自分を妊娠させた男を追って、彼女ははるばる旅を続けている。
もう一方は、黒人と白人の混血児(?)ジョー・クリスマスがメインで、彼の破滅的な一生が描かれている。
そのほかに妻が不貞を働いたために牧師を辞任したハイタワーの話も挿入されるが、メインストリームはその二つだろう。

そしてその二つのお話は、明と暗に分かれてもいる。
具体的には、前者が明で、後者が暗だ。


主人公の一人、ジョー・クリスマスは先にも触れたように白人と黒人の混血児であるらしい。
しかし実のところ、クリスマスに実際黒人の血が流れているのか、誰にもちゃんとしたことはわかっていない。クリスマス自身もしっかりとわかってないし、彼の祖父にも確証はない。
しかし彼は、黒人の混血児である可能性もあるがゆえ、孤児院に追いやられている。

そこには、黒人に対するレイシズムが激しい南部の気風も反映しているだろう。
南部の人たちは、クリスマスが黒人と知るや否や露骨に態度を変えている。それだけでその土地の差別の根深さがわかるというものだ。

そういうこともあってか、クリスマスは幼いころから、黒人であるかもしれない、という理由で憎まれることとなる。
そしてそれが積もり積もった末に、彼は、憎まれることに、自分自身のアイデンティティを見出しているきらいがあるのだ。

たとえば、彼は露悪的とも見えるほど、黒人であることをアピールするときがある。
そんなことをすれば、当然南部の人間は怒るのだが、わざと相手を怒らせているようにしか見えないのだ。
だがそれが通用するのは南部だけで、北部の女には、それが通用しない。そのせいか、北部の女が自分を憎まなかったときには、相手に対してぶち切れているくらいなのだ。
そんな姿を見ていると、クリスマスは憎まれることを通して、自分自身の存在を確認しているように見えなくもない。

「人は自分の生れた土地によって鍛えられたように行動するものだ」っていう言葉が出てくるけれど、そんな屈折したクリスマスの態度は南部が産んだ賜物と言えなくもない。
現代の日本に住む身からすると、なかなかわかりにくい心理だが、そういう心理が生まれうる素地が当時はあったのだろう。


しかしそんなクリスマスだが、実のところ、自分に黒人の血が流れているということを、彼ははっきりと認めきれずにもいるのだ。

象徴的なのは、ジョアナ・バーデンに対しての態度だ。
彼女はクリスマスに対して、大学に入るためにも、黒人であることを認めろと言っている。
けれど、彼はそのことに対して明確に反発している。

それは彼を縛ろうとする女に対する反発もあろう。
だが同時に、自分のアイデンティティを明確にすることを拒否しているようにも見える。

彼は白人の世界にも入り込めず、黒人の世界にも入り込めない。そしてどちらの側にも属せないままだ。
その挙句、彼は自分の義母やバーデンが示した親切に対して反発することしかできなくなっている。
そしてそんな屈折した心理が、最終的にはクリスマスに破滅的な行動へと突き進ませることとなったのだろう。
それはもう、悲劇としか言いようがない。


そしてそんなクリスマスの悲劇は、リーナの物語とは明確な対照を成しているのだ。

リーナ・グローヴはきわめて愛らしいキャラである。
たぶんこの作品を読む人は、リーナのことを必ず好きになるだろう。

実際作中でも、みんなリーナのことを心配して、親切を焼いてくれる。
彼女もそれをすなおに受け取っている。
そしてその素直さこそが、彼女が周りから親切を受ける要因にもなっている。

彼女は実際多くのことを虚心に、あるがままに受け入れている。ある意味、無邪気とも言えなくもない。
ルーカス・バーチ(ブラウン)をわりに純粋に信じている(ように見える)ところなどはそんな感じがする。

それに最終章で、バイロンが何を望んでいるかを見通して、当たり前のように待っているところなども、あるがままを受け入れようとする彼女のパーソナリティをあらわしていて忘れがたい(ついでに言うと、この章のバイロンがヘタレすぎて笑えた)。

一番最後のセリフなどは典型的で、あるがままに世界を受け止め、世界を見つめる姿はあまりに印象深い
そしてそんな彼女の姿を見ていると、人はとんでもなく自由な存在なのではないか、と思えてくるのだ。

それは、自分の帰属意識にからめ取られ破滅していくクリスマスと大きく異なっている。
そこにあるのは、自由と素直さがもたらす、まばゆいまでの明るさだ。
そしてその明るさこそが、この作品の大いなる答えでもあるのかもしれない。


ともあれ、リーナが放つ光に照らされ、この作品はことのほか、美しいものとなっていた。
南部の暗部を丁寧にあぶり出し、それに対する一回答を明るく照射していて、見事である。

再挑戦して良かったと心から思えるような、すてきな作品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



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