強烈なロンドン訛りを持つ花売り娘イライザに、たった6カ月で上流階級のお嬢様のような話し方を身につけさせることは可能なのだろうか。言語学者のヒギンズと盟友ピカリング大佐の試みは成功を収めるものの…。英国随一の劇作家ショーのユーモアと辛辣な皮肉がきいた傑作喜劇。
小田島恒志 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
本作を元につくられた映画、『マイ・フェア・レディ』については未見である。
せいぜい知っていることと言えば、田舎娘が様々な訓練を経て淑女に生まれ変わるといった程度のものでしかない。まあベタなラブストーリーなのだろうな、と漠然と思っていた。
しかし原作は、そんな大衆の期待とは裏腹のラストとなっており印象に残る。
付された「後日譚」といい、作者のこだわりを見るような作品だ。
花売り娘のイライザは激しい訛りを持った女性だ。
山出し娘といった感じがまるだしで、奇妙な泣き声と言い、見ている分にはおもしろい。
言語学者ヒギンズらは、そんなイライザに上流階級のしゃべり方や作法を身につけさせようと賭けを行なう。
作法がまだ板についていない第三幕は笑ってしまう。
とってつけたように上品なしゃべり方をするけれど、簡単に地が出てしまうところなどはユーモラスだ。喜劇の良さが出ていてなかなか楽しい。
そんな彼女は持ち前の耳の良さもあって、上流階級の話し方を習得するに至る。
そして事件はその後に起こるのだ。
イライザが求めているのは、必ずしも上流階級の地位や名誉ばかりではない。
ただ周囲の人間から普通の人間として扱ってほしいという極めてまっとうなものなのだ。
それは自尊心を尊重してほしいということなのだろう。
しかしヒギンズという人に、それは通じない。
彼は傲慢で、人の心を慮るのが下手で、周囲をよく傷つけている。
そしてそれは彼が育てたイライザに対しても同じなのだ。
イライザは一人の人間として自分を見てほしいだけなのに、ヒギンズは下女か何かのようにイライザを扱い、ときには無視して素通りもする。
ヒギンズとしてはそういう意図はないらしいが、少なくともそうイライザに思わせるような態度であることはまちがいない。
彼自身は、自分の行動に無自覚なだけにそれは性質が悪い。
そこにあるのは価値観と認識の差である。
ヒギンズは結局そういう態度しか取れない人なのだと思う。
そしてそれがどこか彼の孤独を思わせるようで、悲しくもあるのだ。
劇のラストの哄笑は、彼の救いのなさを見るような気がして、切ない思いにさせられた。
個人的にはこのラストで終わるのがベストで、後日譚は蛇足だと感じる。
作者がそれを書いた意図は理解するけれど、やっぱりよけいだ。
それが少し不満だが、戯曲単品として見るなら、なかなかおもしろいと感じた次第である。
評価:★★★★(満点は★★★★★)