超芸術と摩損

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総連関係大学の教授だった仙谷、樽床…「6人の民主議員」

2011-05-16 05:21:21 | 週刊誌から
 北朝鮮および朝鮮総連と密接な関係にあることで知られる大阪経済法科大学。かつてこの大学で客員教授の肩書きを持っていた国会議員がいる。小誌はこの事実を「疑惑の大阪経法大『教授』に国会議員が8人いた!」(九九年十一月十一日号)で指摘した。その中には、現政権の中枢を担う仙谷由人官房長官を筆頭に民主党議員も複数含まれていたのだ。

 七一年に開学した大阪経法大の創立者は、関西の在日商工人の間では知られたソープランド経営者だった。
「創立者亡き後に実権を握ったのが、朝鮮総連傘下の『在日本朝鮮人科学技術協会』、通称『科協』に所属していた呉清達氏でした。彼は常務理事兼副学長に就任し、日本の科学技術情報を集めて北に送ったり、大学の関連施設を通じて多数のパソコンなども本国に提供するよう指示していました。大阪経法大は、総連系の教授を多数抱え、日朝韓三国の研究者が一堂に会した国際学術シンポジウムなども開催。公安当局も参加者の顔写真を撮影したり、情報収集をしていました」(事情を知るジャーナリスト)
 そうした活動の一方で、政界やマスコミ界にもネットワークを広げようとしていたフシがある。
「副学長から、あの識者や政治家に教授として来てもらえないかと依頼されたことがある」(当時の大学関係者)
 大阪経法大の客員教授の職にあった仙谷氏は九九年当時、小誌の取材にこう答えている。
「落選中の平成八年十二月頃に、ある協力者を介して、大学の存在を知りました。翌年から客員教授を引き受けましたが、報酬額は確かに月七万円。毎月、私の弁護士活動の報酬を受ける口座に振り込まれ、すべて正規に申告しています。なんらやましいところはな
い。呉副学長にも一度会っただけだ」
 だが当時、仙谷氏は学生ではなく、父母相手に記念講演をしただけだった。
 その他、民主党では中野寛成氏、樽床伸二氏、齋藤勁氏が客員教授に就任しており、今年自民党顧問とて政界復帰した岩國哲人氏も当時は民主党議員として客員教授に名を連ねていた。
 当時の彼らの反応はまちまちで、岩國氏が「認可した文部省が問題」と開き直れば、樽床氏は「正直言って拙いことをした」と反省を口にしていた。
 そのなかでも、「時機を見計らって辞めようと思っています」といち早く決別宣言をしていたのが中野氏だった。十年以上が過ぎ、大学との関係はどうなっているのか。本人の弁。
「その後も客員教授を続けていますが、月給はもらっていません。年に一回くらい講義に行くだけで、そのときは講演料をもらいます。当時は大学と北朝鮮との関係がそれほど密接ならば、という心情を語ったまでで、今も北朝鮮との関連は分かりません」
 だが、その後の取材で、九七年に韓国に亡命した故黄長・元朝鮮労働党書記は、小誌にこんな証言を残している。
「九三年に来日した際に、大阪経法大側から約二千万円の資金提供を受けた」
 その後は次第に北朝鮮との関係も薄まってきたようだが、民主党には過去の疑惑に無警戒のまま大阪経法大の客員教授についている新人議員もいる。
 熊谷貞俊議員その人だ。
 十一月四日、国会の拉致問題特別委員会――。朝鮮学校の授業料「無償化」の適用などについて、参考人である拉致被害者家族の横田滋氏ら関係者五名への質疑が終わり、散会した直後のことだった。昨年の衆院選で初当選した熊谷議員がツカツカと彼らの前に歩み寄り、こう言い放ったという。
「朝鮮人を差別してはいけない。そんなことを言っているから拉致被害者は帰って来ないんだ」
 現場にいた「救う会」の西岡力会長が振り返る。
「『日本人の民族感情を煽るな』とも言われました。参考人として話を聞きたいと招いておいて、議事録が残らないところで反論してくるなんておかしい」
 一方の熊谷氏は大阪経法大との関係について、「私が大阪府知事選に立候補した際、手伝ってもらった方から紹介を受けた」という。その上で家族会との一件は、「『就学支援金』の問題を政治外交問題と絡めて考えることは好ましくなく、その点家族会の方に意見を申し上げた」と回答。
 謀略国家を相手に、くれぐれもつけこまれないようご注意いただきたい。

週刊文春2010年12月9日号
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