【全印総連】組合員の頁

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平和行進 52日目 6/26(日)

2011年06月28日 10時03分07秒 | 平和行進

6月26日、国民平和大行進です。昨年も暑かった。ことしも暑い。省エネよりも地球温暖化の影響か?京都地連の仲間の皆さん、ご苦労様でした。ここ般若寺から大阪地連が責任をもって、広島の入り口までつないでいきます。大阪地連の担当は一番暑いときです。高速オフセットは毎年この時期に元気になるOBがいます。助かっています。現役の人たちに伝わるところまでいっていませんが、OBたちは「平和行進は生きている」と胸を張っています。
参加者は、関西共同5人、女性部4人、高速0B3人、現役3名、こども1人。以上です。(高速オフセット・武田裕司)

平和行進 43日目 6/17(金)

2011年06月20日 10時38分45秒 | 平和行進
6月17日 滋賀県彦根市役所⇒豊郷町⇒愛荘町⇒東近江市コースを歩きました。前日の関ヶ原コースと共に、日本原子力発電の「もんじゅ」に最も近いコースです。しかしながら行進では終日「もんじゅ」の危険を訴えるアピールは全くありませんでした。原発に対する態度にも不明瞭な部分が目立ちました。今この状況下で陳腐であり残念です。唯一毅然たる態度を示したのは、愛荘町の町長でした。町長ははっきりと「全ての原発は停止して、『もんじゅ』は廃炉にしなくてはならない」「命と電力とどちらが大切なのか」と言明されました。立派な態度で感銘を受けました。
一方、彦根の出発式で司会者は「この行進も福島原発の事故で『新たな』課題を持った」と発言していました。オイオイ待ってくれ。思わず抗議しようかと思いました。今回の事故に至る原発の危険性・反対運動は40年前からありました。その闘いの初期は労働運動が前面に立っての熾烈な闘いでした。今「新たな課題」等ではありません。気がつかなかった、いやむしろ意識的に無視し、黙殺し続けたのです。その結果が現在の【原発容認社会】を創り出し、今回の悲惨で甚大な事故を誘発したのです。そして、これまでの多くの人々の訴えにも拘わらず、原発現業の「原発ジプシー」が命を落としても【原発容認社会】は黙過し続けました。福島の人類史に書き留められる事故を待たねばならなかった運動の不全を猛省するべきです。「原子力の平和利用」など単なる幻想で大いなる空論でしかありません。原子の核分裂は本質的に制御不能で破壊の役割しかありません。その破壊力をストレートに利用するのが核兵器であり、核分裂を人為的に起こしてエネルギーを利用しようというのが原発です。プルサーマル計画に至っては即原爆に転用できる使用後核燃料から排出されるプルトニウムを再循環させて「永遠のコストカット」を図ろうとする人類に対する背信行為です。核兵器と原発はコインの表と裏です。どちらが表でも裏でもありません。両者が依存して成立しています。
「反原発を言わない反核は欺瞞です」。今年の全国大会は7月9日から琵琶湖岸の大津です。17機の原発が立ち並ぶ福井県の原発銀座のすぐ隣。皆さんが眺められる豊穣の湖は一たび原発事故が起これば、死の湖となります。遥か湖面を眺めながら是非この現実に運動として立ち向かいましょう。(京都地連・井上俊幸)

平和行進 27日目 6/1(水)

2011年06月02日 11時17分35秒 | 平和行進

※写真左が今枝さん
6/1(水)雨 愛知県 豊橋市役所~蒲郡市役所
実は愛知で最長のとびきりハードなコースです。そのコースを雨が細かく降りしきる中、なんとか完歩しました。
予想していた以上に、沿道まで出て来てくれてカンパを渡してくれる人や、手をふってくれる人が多かった気がします。やはり、全国民に原発のとても危険な現状が明らかにされた事により、さらに核兵器の恐さが感じられているのだと思いました。
終結集会では蒲郡市議団が市長に全国平和市長会議への参加を要請していて、それが、今年の1月に参加することが決まるという、新たな一歩が報告されました。
このようなことからも、私達が行動をする事によって少しずつ山が動きます。引き続き平和への道を進んでいこうと決意をしました。(中部共同印刷労組・今枝)