神は 決して何人にも罰を与え給うこともなければ
不幸を下し給うこともない。
全(すべ)ては 吾々が自分で蒔いた種を刈りとるにすぎない。
前生に於いて犯されたる罪は、
次の世に於いて その果実を刈りとることもある。
あの立派な人格の人が、どうしてそんなことになったのだろうと
不思議がる位に崇高なる人格が 突如として方向転換を始め 妙なことになってしまうのは、
過去世に於いて蒔かれたる或(あ)る行いの種が、
今世(いまよ)に於いて実を結んで来るのである。
それは教えの罪でもなければ、その人の現在の罪でもない。
『 生長の家 』 昭和二十五年一月号 二十九日の法語 谷 口 雅 春 先 生