「 我は 如何なる困難をも克服する所の偉大なる神の子である。」
かく信じて目の前にある障礙物を却(かえ)って自己の向上する為(ため)の踏台とする人こそ
やがて偉大に成功するのである。
困難の報いは進歩である。
多くの人たちは盤根(ばんこん)錯節(さくせつ)に遭遇して
その偉大なる本性を展(ひら)き出したのである。
神は決して高価なる宝玉を地表にころがしては い給わないのである。
それは地下に埋蔵されて困難を穿(うが)ち行く努力によってのみ発掘せられるのである。
魂を磨く所の鑢(やすり)は困難である。
困難こそ人間を玉成するのである。
『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号
「 困難の受け方に就いて 」 二日の法語 谷口雅春先生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます