ブラザー・ローレンスは
「 自分は神の愛を感じながら フライパンの上でケーキを焼く。
神の愛を感ずるには 自分にとっては 地に落ち 散っている藁(わら)ひと筋を
拾うだけで充分である 」 と云(い)ったそうである。
「 木の切株に腰をおろすときには その切株を拝んでから腰をおろせ。
大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け 」 と云うのが金光教祖の教えであった。
一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、
金が儲(もう)かるから集ると云うのは 相場師の境地である。
百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)は 一枚の大根の葉が流れ行くのを
追っかけて往(い)って拾って頂いたと云う。
『 生長の家 』 昭和二十六年七月号 一日の法語 谷 口 雅 春 先 生
※ ( 一日の法語 ~ 十八日の法語 謹写予定 )
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