ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ めくらやなぎと眠る女 (2022)

2024年08月04日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

キャラクターは記号的にデフォルメされた美男美女ではなくリアルな動きもおそらく実写映像から描き起こしたのだろう。ほぼダイアローグで構成されたセリフも生身の役者の声音と抑揚(日本語版で鑑賞)で交わされる。アニメでありながらアニメ的な約束ごとは周到に排除されている。

そんな現実(実写)と非現実(アニメ)のあわいに共存する語り口の生々しさが原作特有の日常のなかのファンタージを担保して村上春樹ワールドの映像化に成功している。

なんと言っても、すべての輪郭線が等価に描写された人物の「顔の造形」が効いている。小学校の高学年が授業で互いの「顔」を写生し合ったときの絵のように、残酷なほどにリアルになぞられた“顔の線”はリアルを超えてリアルなデフォルメの域に達してしまう。このリアルの先に否が応にも生じてしまう非リアルとは、突然生じる日常がはらんだ非日常性と同質であり、まさに本作の主題そのものだ。

異なる六つの短編で再構成された脚本の完成度も見事でした。それぞれの逸話は読んだ憶えがあるのですが、いつの時代のどの短編集だったか・・・すっかり忘れてしまいました。

(7月28日/イメージフォーラム)

★★★★

【あらすじ】
村上春樹の六つの短編からなる長編アニメ。東日本大震災から5日後の東京。銀行員の小村(ライアン・ボンマリート/磯村勇斗日本語版以下同)の妻キョウコ(ショシャーナ・ビルダー/玄理)は放心したようにテレビのニュースを見続けたすえに失踪してしまう。消沈し休暇をとった小村は中身の分からない小箱を北海道まで届けることになる。一方、小村の同僚・片桐(マルセロ・アロヨ/塚本晋也)は“かえるくん”と名乗る巨大なカエル(ピエール・フォルデス/古舘寛治)から東京を地震から救うのを手伝って欲しいと頼まれる。フランス育ちのアメリカ人ピエール・フォルデスが脚本/音楽/美術も担当した初監督作。日本語吹き替え版の演出を深田晃司が担当。(109分)

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■ 墓泥棒と失われた女神 (2023)

2024年08月03日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

フィルムサイズを使い分けた現在と過去、そして記憶が錯綜し、リアル、コメディ、ファンタジーと多彩なタッチが無理なく共存する自在な語り口。『夏をゆく人々』『幸福なラザロ』に続きアリーチェ・ロルヴァケルが描くのは今回も土地に根ざした営みの業とその“束縛”からの解放。

(7月28日/ル・シネマ渋谷宮下)

★★★★

【あらすじ】
イタリアのトスカーナ地方。地中に埋もれた古い墓の存在を察知する特殊能力を持っているイギリス人のアーサー(ジョシュ・オコナー)は、埋葬品を売りさばく盗掘グループに請われて加わっていた。そしてアーサーは、彼の前から姿を消してしまった恋人の幻影を追いかけていた。失踪した恋人の母親で声楽家フローラ(イザベラ・ロッセリーニ)も、アーサーが娘を見つけてくれることを期待している。そんなアーサーはフローラの元で歌の修行をしているイタリアという名の女(カロル・ドゥアルテ)の存在も気になり始めていた。幻想(キメラ)を追って生と死、空想と現実のあわいをさ迷う男の物語。アリーチェ・ロルヴァケル脚本・監督作。(131分)

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■ プラチナ・ブロンド (1931)

2024年07月29日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

美人お嬢様(ジーン・ハーロー)に飛びついた自信過剰な軽薄男(ロバート・ウィリアムズ)による金持ち家族を巡る冒険。階級秩序の破壊者としての皮肉はほどほどで、同僚女性(ロレッタ・ヤング)への改心もただの逃げでしかなく、この男の“軽薄”は筋金入りにみえました。

(5月25日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★

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■ 一日だけの淑女 (1933)

2024年07月27日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

映画の公開は大恐慌時代の1933年。当時、市井の民が直面していた自力ではどうにもならない、まさに運命のような貧困や格差の理不尽を一瞬で“無化”する庶民のための傑作カタルシスファンタジー。この手の映画を30年代に量産し大衆を癒し続けたフランク・キャプラの功績は大きいですね。

意識的な皮肉か隠し切れない偶然か、NY市長や州知事の言動に、民主的に権力は手に入れられても「血統」だけはどうにもならないアメリカ市民の欧州貴族に対する次男坊コンプレックが透けてみえるのが面白い。

(5月25日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★

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■ お母さんが一緒 (2024)

2024年07月23日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

今回の橋口亮輔作品は深刻な課題ゼロで、辛辣な言葉のキャチボールに透ける“人の心の弱さ”の滑稽を笑うという原作ありきのシニカルコメディなのですが、江口のりこさんと内田慈さんのお芝居が結構リアルで思わず苦笑はするも爆笑するにはいささか気が重いのですが、それが橋口喜劇の味でしょうか。

この母親にしてこの子ありの長女(江口のりこ)の“ひがみ根性”が炸裂するのですが、多少は誰にでも身に覚えのあることで、人の心の弱さはとてもじゃないが人の手には負えない、とでも言いたげな「オチ」は面白かったです。

あと、青山フォール勝ちさんの空気の読めない鈍感ぶり、いい感じの「あるある」でした。

(7月19日/新宿ピカデリー)

★★★

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■ ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ (2023)

2024年07月22日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

これから1970年代が始まる年末の物語。画面の質感。シーン構成とカッティング。楽曲挿入のタイミング。映画のトーンも70年代米映画のルックが踏襲される。懐かしさとともに『真夜中のカーボーイ』、『ある愛の詩』、『スケアクロウ』のような、あの時代特有の鬱屈へ向かう予感がしていた。

登場人物たちのぎくしゃくした人間関係はしだいにユーモアをおびはじめ、さらに70時代が内包していた過去の“つまづき”から生じた苛立ちや不安が、個人的な“事情や思い”として浮き彫りにされていく。だがその描写はつつましく、ことさらに深刻ぶったり、過度な感傷に溺れたり、まして取り返しのつかない事態など招かない。

あくまでもアレクサンダー・ペインの視座は「今(2020年代)」にあり、登場人物たちが抱えた傷はすでに乗り越えた「過去(70年代)」の記憶(歴史)でしかにのだ。それは「古傷」でしかなく、むしろ我々が勝ち得た“希望”の種として、老教師(ポール・ジアマッティ)と若者(ドミニク・セッサ)と戦争遺族(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)に共感とともに共有される過去の記憶なのだ。

私が危惧した「70年代的顛末」の後味の悪さは見事に裏切られ、我々は“ある暖かさ”を持って三人を見守ることになるのだ。これを安易とう言うなかれ。救いなのだ。

(7月13日/kino cinema 新宿)

★★★★

【あらすじ】
1970年12月。米ボストン近郊の全寮制男子校のバートン校では、クリスマス休暇を迎え生徒たちが帰宅の準備に沸き返っていた。そんななか、家に帰れない居残り組の監督役に古代史の教師ポール(ポール・ジアマッティ)が任命された。ポールは偏屈で融通がきかず生徒からの評判は最悪。校長や教師仲間からもうとまれていた。そんな最悪教師と、成績は良いが仲間たちから浮いた存在でトラブルが絶えない生徒アンガス(ドミニク・セッサ)と、ベトナム戦争で一人息子を亡くしたばかりの黒人シングルマザーの料理長メアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)が年末の年越し休暇を過ごすことに。D・J・ランドルフがアカデミー助演女優賞受賞(133分) 

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■ WALK UP (2022)

2024年07月21日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

舞台となったビル有りきの企画なのだろう。一階、二階、三階と登るごとに男は沈み才気は失せていく。自堕落な愛欲生活に身を置く男(クォン・ヘヒョ)は疑似天国のような屋上で焼き肉食いながら“神”を見たと女に告げる。いっそ煙にでもなれたなら昇天も出来ただろうに。

(7月13日/新宿シネマカリテ)

★★★★

【あらすじ】
映画監督のビョンス(クォン・ヘヒョ)は、インテリアの仕事がしたいという疎遠だった娘のジョンス(チョ・ユニ)を連れて旧知のインテリアデザイナー・ヘオク(イ・ヘヨン)のもとを訪れる。彼女がオーナーの小さなアパートメントは、1階は彼女が営むレストランで地下室が仕事場。2階は借主のソニ(ソン・ソンミ)という女性シェフが運営する料理教室。売れない画家に貸している3階の屋根裏部屋は広いバルコニーにつながっていた。久しぶりの再会で会話はぎくしゃく。間が持たないビョンス、ヘオク、ジョンスのワインの量は進む。4階建ての限定空間のなかで時空を超えた“男の流転”が描かれるホン・サンスの長編第28作。(白黒/97分) 

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■ ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ (2024)

2024年07月12日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

暴力的な核マル支配下にある学生自治の正常化を目指して、一般学生による「新自治会」が組織されるも、核マルとの主導権争いのなか、やがて新自治会の内部にも路線対立が生じる。その論点は核マルの暴力からの防衛、すなわちどこまで対暴力の暴力を「自衛力」として認めるかという問題。

紛争解決の手段として暴力(戦力)を是認する組織(国家)に対して、はたして“非暴力”という理想を貫くのか。いや、貫けるのか。それとも、たとえそれが、必要最小限という危うい線引きによるものだとしても、自衛のための“手段”は必要なのか。その手段はどこまでなら戦力(暴力)に値しないのか。これはまさに、戦後日本の「自衛権」を巡る国防議論そのもの。暴力という手段のなんと罪深いこと。

映画の構成として、もっと観てみたいと思った点が二つありました。映画内の再現ドラマを演じる若い役者たちが、池上彰氏から当時の学生運動の状況を学ぶシーンが、再現ドラマのメイキング映像として挿入されます。このときの役者(特に女性)が抱く疑問が率直で興味深い。このパートがもっと膨らんでいたなら、映画に新たな現在的視点(切り口)が加わる可能性あったのではと思いました。

もう一点は、もう一方の当事者である(当時でも現在でもかまわないのですが)核マル派の活動家からのコメントはぜひ聞いてみたかった。原案本の「彼は早稲田で死んだ」では、当時の核マル側の人物にも取材しているそうです。やはり映画出演となると難しかったのでしょうか。

(7月5日/ユーロスペース)

★★★

【あらすじ】
1972年、早稲田大学キャンパスで新左翼・革マル派により2年生の川口大三郎さんが殺害された。川口さんを対立するセクト、中核派のスパイと誤認しての出来事だった。これを契機に一般学生のなかから、自治会を牛耳っていた革マル派を糾弾して民主的な新自治会を組織しようとする“早大解放闘争”が始まる。しかし、その流れは皮肉なことに革マル派と中核派のさらなる“内ゲバ”をまねき多数の犠牲者を生むことになる。新自治会の会長だった樋田毅による大宅壮一ノンフィクション賞作品「彼は早稲田で死んだ」を原案に代島治彦が当時の当事者たちの証言と若い俳優たちによる再現ドラマ(鴻上尚史脚本/演出)で構成したドキュメンタリー。(134分) 

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■ 最後の命令 (1928)

2024年07月08日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

1917年革命期のロシアの将軍の顛末が、資本主義経済と商業的文化の隆盛期1928年のハリウッドを起点に描かれる。前者はオーソドックスなフックスショットの積み重ね。対照的に後者のカメラはエモーショナルで動的だ。終わり損ねた近世的“権威の残滓”への鎮魂歌。

(7月5日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★★

【あらすじ】
1928年のハリウッド。ロシア生まれの監督レオ(ウィリアム・パウエル)はロシアを舞台にした大作の将軍役に素人同然のエキストラを抜擢する。その役者は、今は落ちぶれた一介の老人だが、かつて権勢をふるった帝政時代のロシア軍司令官セルギウス・アレクサンダー(エミール・ヤニングス)だった。ともにロシアを愛しながら革命に翻弄された将軍と革命活動家の運命的な顛末を描くジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作。エミール・ヤニングスの第一回アカデミー賞主演男優賞受賞作。(モノクロ/サイレント/89分) 

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■ かくしごと (2024)

2024年07月04日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

いささか合理性を欠いた主人公の行動に戸惑いながらみていたのですが、人里離れた山間の一軒家に“嫌悪と赦し”の微妙なバランスで成立した「虚実あわいの家族」の姿がさながら桃源郷のファンタジーに見え始める。闖入者の「実」が夢想者たちの「虚」を“合理”に引き戻す切なさ。

この一軒家の出来事で物語が終わっていたなら躊躇なく5点満点にしていたと思います。

映画には「物語の結び」として、さらに山を下りてからの話が準備されている。ある種の「明快さ」として有りうるシークエンスだと理解はできるのですが(蛇足とまでは言いいませんが)、もっと第三者(観客)に「かくしごと(原作の題名は“嘘”だそうだ)」に秘められた罪と救いの危うさと、その是非を委ねても良かったのでは、と・・・まあ、しょせん私の好みの問題ですが。

(6月30日/テアトル新宿武)

★★★★

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