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ウィーン町中探訪 その2 ~ユーゲントシュティールの作品を求めて~

2012年12月30日 | ウィーン&ベルリン 音楽の旅 2009

ウィーンの旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。この地区に歴史的建造物が多く残っていることが大きな要因だが、ここは「中世にタイムスリップしたような」とよく形容されるヨーロッパの他の旧市街とは少々趣を異にしている。それは、ウィーンの旧市街やリンク通り周辺にある建造物が、ある特定の時代の建物だけで統一されてはいないことにある。

700年以上も前からずっとウィーンの象徴として聳えているシュテファン寺院のような堅牢なゴシック建築もあれば、19世紀後半に城壁を撤去して作られたリンク通りの沿道には、さながら絵巻物を見るような様々な時代様式の建物が並んでいる。1番の市電に乗ってリンク通りを一周すれば、そうした壮麗な建築物が次々と目に入ってくるが、こうした建物はどれもがいかにもかつてのハプスブルク帝国の帝都を象徴するように威光を放っている。


ウィーン分離派館(ドイツ語版Wikipediaより)
分離派館 
Secession

一方で、シュテファン寺院の向かいには近代的なガラス張りのハースハウス、少し遠くの方に目をやると、例のフンデルトヴァッサーのゴミ焼却所のカラフルな煙突が見え、ウィーン美術アカデミーの裏手には、一風変わった金色の丸屋根を持つ分離派館がある。

貫禄のある壮麗な歴史的建物群のなかに、こうした近代的な建築物が散見されるのだが、この分離派館こそ、19世紀末から20世紀初頭にかけてウィーンの町の景観を特徴づける近代建築を生んだ、進歩的な芸術家達の活動拠点となった場所だ。

「分離派」とは、リンク通り沿いに旧態依然とした建物ばかり新築するような保守的な勢力から分離して、革新的な芸術を目指そうとしたグループのこと。

この分離派の芸術家達が、ユーゲントシュティールと呼ばれる新しい様式の作品を世に出して行った。

ユーゲントシュティール様式ってどんなものだか正直よくわかっていなかったので、このブログを書く機会に文献をいろいろ当たってみたが、はっきりした定義は書いていなかったり、書いてあったも資料によってその内容がかなりまちまちで、ますますわからなくなってしまった。そこで、表現の手段はまちまちでも、上で述べた分離派の芸術家達の活動拠点となった分離派館の正面入口に掲げられたモットー
「時代にはその時代の芸術を、芸術にはその自由を」
Der Zeit ihre Kunst, der Kunst ihre Freiheit

を体現するような、この時代に生み出された芸術作品をひっくるめて「ユーゲントシュティール」と解釈することにする。
実際、このくくりで生み出された作品は、絵画、建築物、装飾、家具など、それに音楽も含めてジャンルを問わず、それまでのものとは明らかに異なる、斬新で個性的で、現代人が見ても新鮮な魅力を放っていて刺激的だ。
そんなユーゲントシュティールの作品にたくさん出逢えるのが、ウィーンでの大きな楽しみのひとつ。
今回もユーゲントシュティールの作品をいくつか見て回った。

アム・シュタインホーフ教会 
Kirche am Steinhof

オットー・ワーグナー作のこの教会は外観もとても目を引くが、写真で見た内装が、僕がイメージするユーゲントシュティール様式そのもののような美しさを放っていて、一目で行きたくなった。ウィーンには何度も来ているしユーゲントシュティールにも関心があるのだから、この教会の存在は絶対知ってなくてはおかしいのだが、今までこの教会は自分のチェックリストから外れていたのは不思議。

町中から少し離れていることもあるが、内部を見学できるのが土曜日の午後3時~4時に限定されているせいかも知れない。これは、この教会が精神病院の敷地内に建てられ、精神病患者達のための施設という制約があるためだろう。ベルリンからウィーンに戻ってくるのが土曜日の12時前で時間的にもちょうどよかったので、「絶対に行こう」と決めていた。

見学時間があまりに限られているので、念のため事前に泊まっているペンションで予約が必要かどうかを訊いたら、予約なしでOKとのこと。遅れないように早めに出たのだが、バスがなかなかこなくて、停留所に降りたのは結構ギリギリ。おまけに精神病院の敷地は広大な丘陵になっていて、教会はその上にあり、門から教会に辿り着くまでかなり登り坂を歩かされ、大汗をかいてしまった。

教会の金ぴかのドームは病院の敷地内の遠くからでも見つけることができるので迷わずに行けた。この外観、あの分離派館にも似ていてとても個性的で、何より金ぴかの丸屋根のドームが特徴。分離派館を設計したのは、ウィーン・ユーゲントシュティール建築の元祖ともいえるオットー・ワーグナーの弟子のオルブリヒだが、この教会はオットー・ワーグナー自身による設計。


この教会のオープニングセレモニーが行われた1907年10月8日の新自由プレス(Neue Freie Presse)で、「そもそもウィーンで最初の分離派による神聖な建物が精神病患者達の施設だなんて、運命の皮肉と言えまいか?」と揶揄されたように、ユーゲントシュティールの斬新な建築は、当時のウィーンの人たちの間でかなりの物議を醸した。そんな異彩を放った教会の、最も目立つ金ぴかの丸屋根も年月とともに色あせ、緑青でくすんだ緑色になってしまったが、6年にもおよぶ大規模な修復工事で2006年に蘇った教会は、丸屋根の金箔も張り替えられ、当時の人々を驚かせたときの姿を取り戻した。


正面ファサードの壁にはイタリア・カラーラ産の白大理石が使われ、その前に立つブロンズの4人の天使たちはオトマール・シムコヴィツの手によるもの。早速堂内に入る。
ヨーロッパの教会のなかは仄暗くて厳粛な雰囲気が漂っているものだが、ここは白が基調で開放感のある明るさにまず息を呑んだ。

鮮やかな金の装飾が施された祭壇や燭台や照明器具、そして水彩画のような色合いのステンドグラス… 古い教会の内装とは全く異なり、どれもがユーゲントシュティールの洗練された色彩とデザインで堂内を美しく満たしていた。

堂内をまわってひとつずつ近くで見たかったのだが、見学者たちはみんなお行儀よく礼拝席に座っている。ネット情報では3時から Führung(ガイドツアー)となっていたので、みんなこれが始まるのを待っているようだ。

そのうちガイドさんが来て堂内を案内してくれるのかと思いきや、やがて神父さんみたいな人が現れ、その場で延々と説明を聞かされるハメになった。トイツ語ガイドの説明は、お恥ずかしながらいつもようわからんことが多い。おまけにこの石造りの礼拝堂はやたらと声が響いてさっぱり聞き取れない。こんな説明を延々と聞かされるのは辛い。それよりこうして大人しく座って説明を聞いてこの見学時間は終わり、なんてことないよな、という心配がよぎったが、50分ほどでようやく話が終わり、幸いその後は自由に礼拝堂内を見学でき、写真も自由に撮ることができた。やれやれ。

オットー・ワーグナーは建物そのものだけでなく、祭壇や聖水杯、照明器具や懺悔椅子などの内装の多くも手がけた。ミサのときに司祭が身に着ける祭服までデザインしたという。堂内で最も目立つのは、やはりこの祭壇だろう。


祭壇の上を飾るのは、これまた金色に輝くキャノピー。天使の顔が意味あり気で、いかにもユーゲントシュティールっぽい。


祭壇画はステンドグラスと同じくコロマン・モーザーの作。84平方メートルのモザイク画は重さにして4トン。


そしてこちらが、モーザー作のステンドグラス。聖人たちが描かれたここのステンドグラスは、ユーゲントシュティールのステンドグラスの頂点を極めたと言われているが、ブルーが印象的な明るく洗練された美しさにはため息が出るばかり。マインツのシュテファン教会で、初めてシャガールのステンドグラスを見たときと共通する感動を覚えた。


これらのステンドグラスは、オットー・ワーグナーの構想の下、一日の光線の入り具合を計算に入れて全体が調和するように各壁面に施されたという。


説明を聞かされているあいだは、これらの祭壇やステンドグラスを見に行くこともできないので、足元の床を眺めたり天井を見上げたりしていた。

実際この教会の内装は、床のタイルの模様一つ一つに至るまで全てがユーゲントシュティールの装飾で成り立っていて、教会の隅々まで見逃すことはできない。

このアム・シュタインホーフ教会は、オットー・ワーグナーが設計した建物自体必見だが、内部はまさにユーゲントシュティールづくしで、全体から細部に至るまでユーゲントシュティールのユートピア的存在だ。

そんなアム・シュタインホーフ教会の外観から内部まで、26枚のスライドでご覧ください。


アム・シュタインホーフ教会の公開されるのは土曜日の15時~17時に加え、2012年から新たに日曜日の12時~16時も開かれるようになった。拝観は大人8ユーロ。ドイツ語の説明が終わってからの入場も可。
ウィーン市内からは、リング沿いならDr.-Karl-Renner-Ring、地下鉄の駅ならU2のVolkstheaterから48Aのバスに乗り、Psychiatrisches Zentrum 下車。

ベルヴェデーレ宮殿 オーストリア・ギャラリー 
Österreichische Galerie Belvedere

ハプスブルク家に仕えるオイゲン公のために18世紀に建設されたベルヴェデーレ宮殿は、バロック式庭園をはさんで上宮と下宮から構成されていて、現在は美術館として利用されている。


この上宮のオーストリア・ギャラリーでは、ユーゲントシュティール絵画の至宝とも言えるクリムトの「接吻」に出会える。今回は、モーツァルトが埋葬されているという聖ニコラス墓地を尋ねた帰り、久しぶりにこのオーストリア・ギャラリーを訪れた。ここは「接吻」のほかにも、「フリッツァ・リーデレの肖像」、「ひまわりのファームガーデン」、「ソーニア・クニップスの肖像」などクリムトの代表作の数々があるほか、「家族」、「抱擁」、「母と二人の子供」などのエゴン・シーレの充実したコレクションや、オスカー・ココシュカの絵画など、ウィーン・ユーゲントシュティールの作品を多く所有している。シーレの絵は写真ではあまり興味を引かなかったが、実物を見ると、色使いや構図、それに独特のモチーフにとても惹きつけられ、じっと見入ってしまった。

そして、実物の持つパワーに圧倒されたのがクリムトの"Der Kuss"「接吻」。実物を見るのは初めてではないが、最初に見たときと変わらず感動!この絵は印刷したやつを家に飾っていて毎日のように目にしているが、本物はやっぱりすごい。金色を多用しているということとはまた別の次元で、黄金の高貴な輝きが絵から放たれ、部屋全体を満たしているのが感じられ、その光源である絵の前から立ち去れなくなってしまった。日本画の手法を取り入れたような描写の美しい花園は「愛の喜び」の気分を高め、ユーゲントシュティールっぽい模様の衣装は、抱き合う二人を一体化させると同時に、女の恍惚とした表情のなかに妖気めいたものを漂わせる。見れば見るほどいろいろな想像力が掻き立てられ、深みにはまっていく。

一旦この絵から離れ他の絵を見終わったあとに、またこの前に来たらまた離れられなくなってしまった。そんなすごいパワーを持つクリムトの「接吻」だ。


クリムト「接吻」(ドイツ語版Wikipediaより)

オーストリア・ギャラリーは閉館日なしで毎日10時~18時まで開いているのが旅行者にとっては嬉しい。交通の便もよくて、地下鉄ならU1の"Südtirolerplatz"、トラムだとDに乗って"Schloss Belvedere"で降りるか、18番、O番なら"Quartier Belvedere"下車。

ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ 
Wien Museum Karlsplatz

ムジークフェラインス・ザールで行われるウィーン・フィルの定期演奏会が始まるまで、ホールのすぐ向かいにあるこのミュージアムに立ち寄った。新石器時代から20世紀までのウィーンの歴史を、出土品や家具調度類、美術作品など様々なタイプの展示品でたどることができる。3フロア構成の大きなミュージアムだ。こんな立派な博物館でありながら、入り口でチケットを無料で渡された。普段は有料らしいが、19歳未満はいつでも無料で、第1日曜日は誰でも無料。この日は第1日曜日ではないので特別無料デーだったのだろうか。とにかくラッキー!

コレクションは幅広くてとにかく充実している。シュテファン大聖堂の建設当時のステンドグラスなんかも飾られていてとても興味深かったが、ユーゲントシュティール時代のコレクションもなかなかのもの。クリムトやシーレの絵画もあったし、オットー・ワーグナー作の椅子もあった。

「ロースハウス」でも有名なアドルフ・ロースの仕事部屋を再現した展示にも引かれた。ユーゲントシュティールの時代に活躍した作曲家、シェーンベルクが描いた、やはり同時代のウィーンの作曲家、アルバン・ベルクの肖像画を見つけたときは、12音技法でつながる新ウィーン楽派の作曲家同士が、実際に親交を深めていたことを絵で確かめることができ、ウィーンという町は古典派の時代から20世紀に至るまで作曲家たちの表舞台となっていたことを改めて実感した。

オットー・ワーグナー作の椅子


「地球の歩き方」に「クリムトやシーレの絵画も所蔵している」と書いてあったのがきっかけでここを訪れることにしたのだが、クリムトのこの有名な「エミリー・フレーゲの肖像」に出会えたのは嬉しかった。

ベルヴェデーレ宮のギャラリーで見た「接吻」より6年前の1902年に制作された、ウィーンで高級ブティックを営んでいたクリムトの女友達、エミリー・フレーゲを描いた肖像画は、「接吻」よりも色使いは質素でありながら、クリムトらしい高貴な香りが、エミリーの表情からも、身のこなしからも漂ってくる。全体を支配する青の色彩、とりわけウルトラマリンが鮮やかに目と心に染み込んできた。

クリムトはエミリーの店の衣装デザインも手がけたというが、エミリーが身にまとう衣装はまぎれもなくクリムトの創作だろう。ビザンチンモザイクの影響もみられる衣装の幾何学模様の色彩、波打つ縦の曲線が、エミリーの表情を一層生き生きと引き立たせていた。

ユーゲントシュティールの時代は、ウィーンでも日本趣味(ジャポニズム)のブームが吹き荒れ、クリムトも影響を受けた。

ウィーン分離派の画家たちは、自らの絵に落款風にサインを描き入れたりしていることがあるが、この絵の右下にある四角で囲まれたサインは落款をイメージしているみたい。「接吻」に描かれている花模様に、日本画の影響がうかがえるのでは、と書いたが、服の模様と落款風サインの部分だけ見てみると、とっても日本画っぽい。↓


結局このミュージアムの見学は、演奏会の前だけでは時間が足りず、ウィーンフィルを聴いたあとにもう一度訪れてじっくり各フロアをまわった。

ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツもベルヴェデーレ宮殿オーストリアギャラリー同様、正月とクリスマスを除いて基本的に年中無休。開館時間は火曜日から日曜日は10時~18時、月曜日は10時~14時。

オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツ 
Otto Wagner Pavillon Karlsplatz

ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツがある同じ敷地内に、オットー・ワーグナーが駅舎として設計した小ぶりの建物が建っている。同じデザインで2棟が対になって建てられていて、1つはワーグナーの展示室、もう一つはカフェとして使われている。



金色のシンプルな連続模様が、薄グリーンの枠で仕切られ白地に品よく調和しつつ、心地よい音楽を奏でているよう。

この薄グリーンは当時実際にここを駅舎として使っていたウィーン市街鉄道(Stadtbahn)のシンボルカラーだったとのこと。

市街鉄道が今の地下鉄(U-Bahn)にとって代わる際、駅舎は取り壊される計画だったが、保存運動が起き、いったん解体されたあと再建されたという運命を持っている。

このカールスプラッツ(広場)には、バロック建築で名高い18世紀に建てられたカールス教会もあって、ユーゲントシュティールの駅舎と好対照を見せている。このウィーンを代表する2つの建造物を入れてスケッチした。


見れば見るほどハマッていくウィーンのユーゲントシュティールの作品、まだ見ていないものはいくらでもある。次にウィーンに行けるのはいつのことだろう。

<参照サイト>
ドイツ語版Wikipedia
Wien konkret(ドイツ語)
Wien Museum(ドイツ語)

<参考文献>
・地球の歩き方「ウィーンとオーストリア」 / 地球の歩き方編集室編 ダイヤモンド・ビッグ社, 2010
・もっと知りたい世紀末ウィーンの美術 / 千足伸行著 東京美術 ,2009
・ウィーン世紀末の文化 / 木村直司編 東洋出版 ,1993
・THE GREAT ARTUSTS 第20号 グスタフ・クリムト / 中山公男監修 同朋舎出版 ,1990
・世紀末ウィーンを歩く / 池内紀、南川三治郎著 新潮社 ,1987
・ウィーン : 聖なる春 / 池内紀編 書刊行会 ,1986


ウィーン町中探訪 その1 古き良きウィーンの面影を残す小路、高射砲台、ゴミ処理場
ウィーン町中探訪 その3 ~モーツァルトの眠る聖マルクス墓地を訪ねる~

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