これを機会に商法をかじってみました。その勉強の成果を開陳します。
株式会社では一般に『所有と経営の分離』がなされており、会社経営には株主からの委任を受けた取締役があたります。取締役は利潤追求という会社(=営利社団法人)の目的を遂行するため、一定の重要事項を除き株主総会を経ることなく取締役会で決定できます。第三者割当増資も当然法令・定款に違反しない限り取締役会の決定でなすことができます。
しかし、第三者割当増資が無制限に行われると、株主や会社債権者の利益を害し、また、会社経営の公正や株式市場の公正を害するおそれがあるため、一定の制限がなされています。この中で株式市場の公正を守るのは証券取引法なのでしょう。わたしはまだ勉強していないのでこの点については措きます。また、増資するということは会社債権者にとって不利益はないはずなので、この点も措きます。そこで、今回主に問題になっている株主の利益と会社経営の公正につき以下検討したいと思います。
取締役が株主の利益を害し、会社経営の公正を害する場合、商法上株主に対抗手段が用意されています。それが、【著しく不公正なる方法】による新株発行に対する株主の差止め請求権です(商法280条の10)。この点についての判例として有名な「忠実屋・いなげや事件」の判例(東京地裁平成元年7月25日=忠実屋・いなげや事件)を紹介します。
【著しく不公正なる方法】に当たる場合として本判決は、
(1)特定株主の持分比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的としてなされたとき
(2)主要な目的がそうでなくとも、特定株主の持分比率が著しく低下することを認識しつつなされる新株発行で、それを正当化するだけの合理的理由がないとき
という《一般論》を展開しました。
(1)は明らかに不公正だからで、(2)は明らかに不公正とはいえないが、不公正ではないことの説明責任を取締役側に課するということです。
本判決の理論的根拠は、「自己の正当性の根拠を株主の信任においている取締役が株主構成を操作することによって自己の会社支配を維持・強化することは許されない」(有斐閣アルマ会社法第4版43頁)ということになるでしょう。つまり、会社経営の委任を受けた者(取締役)が、依頼主(株主)を自分の都合のいい人物に勝手に変更することは許されないということで、実際上は、【取締役による会社の私物化を防ぐ】ということです。本判例が「現経営者の支配権を維持することを主要な目的として」と述べるの同様です。これを『所有と経営の分離』という観点から見れば、所有者は経営者を選べるが、経営者は株主を選べないということになります。
しかし、経営者がまったく株主を選べないかといえば、そうではありません。もし、経営者が株主をまったく選べないなら、商法上、第三者割当増資が取締役会の決定事項とされるわけがないからです。
第三者割当増資は取締役が会社経営=利潤の追求に必要と判断すれば、資金調達の必要性がなくても行われます。他の会社との経営統合や提携のための第三者割当増資はその典型ですし、敵対的企業買収に対抗しての増資もその例です(有斐閣アルマ会社法4版)。つまり、敵対的買収に対抗しての第三者割当増資の主要な目的が取締役の会社支配権の維持ではなく、企業の利潤追求にあるのなら許されるということになります。
以上のように考えると、ニッポン放送が今回の増資に関して「企業価値が毀損されるのを回避する」と言った法律上の理由が分かります。フジサンケイグループに残る方がニッポン放送という企業の価値を維持し高めることに役立つという経営判断だと言うのです。つまり、企業を私物化しているわけではなく、取締役の職務=利潤の追求を果たしているだけで、会社経営の公正を害しているのではないという理屈です。
もっとも、この理屈もライブドアが50%超の株式を握っていれば成り立ちません。過半数の所有者を無視した企業価値の維持ということは出来ないからです。したがってライブドアが勝つためには、最初の段階で50%超の株を押えておくべきだったことになります。
株主の利益については、TOBの最中なので株主にはTOBに応じることで投下資本を回収できるとして、その利益を害してはいないと主張しています。
もっとも、仮処分が通って新株が発行できないうちにライブドアが50%の株を押えてしまったら、本訴の判決が出るまでの間ライブドアはニッポン放送の経営権を握ることができます。もちろん、それまでにフジが33.4%を押えていれば重要事項に拒否権を発動して凌げます。また、その場合ニッポン放送のフジテレビに対する議決権は消滅します(25%を超えているから)。先にライブドア側が言っていたニッポン放送の増資による議決権の復活も、今回、分目一杯の増資を行っていますから、増資による議決権の復活は難しいはずです(ニッポン放送の定款がわからないので断定はできませんが)。今回の極端な増資にはそういう狙いもあるものと推測します。
更に、フジテレビ株を勝手に売却されないよう友好関係にある証券会社に2年間貸し出すという手も今回打っています。やはり詰んでいるのでしょう。
さて、司法はどう判断することやら。もっともその前に堀江はどっかへ消えてしまっているでしょうけどね。
株式会社では一般に『所有と経営の分離』がなされており、会社経営には株主からの委任を受けた取締役があたります。取締役は利潤追求という会社(=営利社団法人)の目的を遂行するため、一定の重要事項を除き株主総会を経ることなく取締役会で決定できます。第三者割当増資も当然法令・定款に違反しない限り取締役会の決定でなすことができます。
しかし、第三者割当増資が無制限に行われると、株主や会社債権者の利益を害し、また、会社経営の公正や株式市場の公正を害するおそれがあるため、一定の制限がなされています。この中で株式市場の公正を守るのは証券取引法なのでしょう。わたしはまだ勉強していないのでこの点については措きます。また、増資するということは会社債権者にとって不利益はないはずなので、この点も措きます。そこで、今回主に問題になっている株主の利益と会社経営の公正につき以下検討したいと思います。
取締役が株主の利益を害し、会社経営の公正を害する場合、商法上株主に対抗手段が用意されています。それが、【著しく不公正なる方法】による新株発行に対する株主の差止め請求権です(商法280条の10)。この点についての判例として有名な「忠実屋・いなげや事件」の判例(東京地裁平成元年7月25日=忠実屋・いなげや事件)を紹介します。
【著しく不公正なる方法】に当たる場合として本判決は、
(1)特定株主の持分比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的としてなされたとき
(2)主要な目的がそうでなくとも、特定株主の持分比率が著しく低下することを認識しつつなされる新株発行で、それを正当化するだけの合理的理由がないとき
という《一般論》を展開しました。
(1)は明らかに不公正だからで、(2)は明らかに不公正とはいえないが、不公正ではないことの説明責任を取締役側に課するということです。
本判決の理論的根拠は、「自己の正当性の根拠を株主の信任においている取締役が株主構成を操作することによって自己の会社支配を維持・強化することは許されない」(有斐閣アルマ会社法第4版43頁)ということになるでしょう。つまり、会社経営の委任を受けた者(取締役)が、依頼主(株主)を自分の都合のいい人物に勝手に変更することは許されないということで、実際上は、【取締役による会社の私物化を防ぐ】ということです。本判例が「現経営者の支配権を維持することを主要な目的として」と述べるの同様です。これを『所有と経営の分離』という観点から見れば、所有者は経営者を選べるが、経営者は株主を選べないということになります。
しかし、経営者がまったく株主を選べないかといえば、そうではありません。もし、経営者が株主をまったく選べないなら、商法上、第三者割当増資が取締役会の決定事項とされるわけがないからです。
第三者割当増資は取締役が会社経営=利潤の追求に必要と判断すれば、資金調達の必要性がなくても行われます。他の会社との経営統合や提携のための第三者割当増資はその典型ですし、敵対的企業買収に対抗しての増資もその例です(有斐閣アルマ会社法4版)。つまり、敵対的買収に対抗しての第三者割当増資の主要な目的が取締役の会社支配権の維持ではなく、企業の利潤追求にあるのなら許されるということになります。
以上のように考えると、ニッポン放送が今回の増資に関して「企業価値が毀損されるのを回避する」と言った法律上の理由が分かります。フジサンケイグループに残る方がニッポン放送という企業の価値を維持し高めることに役立つという経営判断だと言うのです。つまり、企業を私物化しているわけではなく、取締役の職務=利潤の追求を果たしているだけで、会社経営の公正を害しているのではないという理屈です。
もっとも、この理屈もライブドアが50%超の株式を握っていれば成り立ちません。過半数の所有者を無視した企業価値の維持ということは出来ないからです。したがってライブドアが勝つためには、最初の段階で50%超の株を押えておくべきだったことになります。
株主の利益については、TOBの最中なので株主にはTOBに応じることで投下資本を回収できるとして、その利益を害してはいないと主張しています。
もっとも、仮処分が通って新株が発行できないうちにライブドアが50%の株を押えてしまったら、本訴の判決が出るまでの間ライブドアはニッポン放送の経営権を握ることができます。もちろん、それまでにフジが33.4%を押えていれば重要事項に拒否権を発動して凌げます。また、その場合ニッポン放送のフジテレビに対する議決権は消滅します(25%を超えているから)。先にライブドア側が言っていたニッポン放送の増資による議決権の復活も、今回、分目一杯の増資を行っていますから、増資による議決権の復活は難しいはずです(ニッポン放送の定款がわからないので断定はできませんが)。今回の極端な増資にはそういう狙いもあるものと推測します。
更に、フジテレビ株を勝手に売却されないよう友好関係にある証券会社に2年間貸し出すという手も今回打っています。やはり詰んでいるのでしょう。
さて、司法はどう判断することやら。もっともその前に堀江はどっかへ消えてしまっているでしょうけどね。
そうなると、ライブドアの次の行動はどうなるのでしょうね。興味があります。
買い集めた日本放送の株、手放すのでしょうか。
今回のような資金目的ではなく、発行株式数を上回るような新規株を発行するような場合は不正です。
あなたのこの前提が間違っています。取締役会は株主を選べません。
また会社はあくまでも株主のものであり、会社は株主の利益のために行動しなければなりません。
そしてニッポン放送の筆頭株主はライブドアです。
こなれば堀江氏は遮二無二ニッポン放送の50%超の株を獲得に行くでしょうが、定款の定め以上の増資は定款変更が必要で、フジが33.4%押えていればそれは不可能になります。また、フジテレビの株は2年間貸し出しましたからこれには手が出せません。その間に外資規制法案が通りますので、その場合リーマンは株を手放すことになります。言うまでもなく、時価総額経営のライブドアは資金繰り悪化→アボーンの可能性大です。ニッポン放送株を売り抜けるしかなくなるでしょうね。
>>「んれか」さん
蛆虫サイトのかれんさんだったらすごく嬉しいですけどやはり違うんかな。
それはさておきご指摘に対して見解を述べますね。
第三者割当増資は資金調達目的出ない場合も行われます。『第三者割当増資は敵対的企業買収に対抗する手段として用いられる』と有斐閣アルマ第4版24頁に書いてありますよ。つまり一定の範囲で取締役は株主を選ぶことが出来ます。ゆえに今回の増資がその一定の範囲かを議論するのは有益だと思いますよ。
また、筆頭株主(およそ40%)はライブドアですが、残りのおよそ60%の株主は別にいますよ。取締役は筆頭株主の利益のために行動するのではなく総株主の利益のために行動するのではないのでしょうか?
もっとも、ブログにも書きましたが、ライブドアが50%超を押えていればこの理屈は通らないででしょうね。
資本主義のおける株主と取締役会の立場に議論の余地はありません。
あなた自身が、
> 本判決の理論的根拠は、「自己の正当性の根拠を株主の信任においている取締役が株主構成を操作することによって自己の会社支配を維持・強化することは許されない」
> (有斐閣アルマ会社法第4版43頁)ということになるでしょう。つまり、会社経営の委任を受けた者(取締役)が、
> 依頼主(株主)を自分の都合のいい人物に勝手に変更することは許されないということで、
> 実際上は、【取締役による会社の私物化を防ぐ】ということです。本判例が「現経営者の支配権を維持することを主要な目的として」と述べるの同様です。
> これを『所有と経営の分離』という観点から見れば、所有者は経営者を選べるが、経営者は株主を選べないということになります。
と引用しています。これがすべてです。
ライブドア41%、フジテレビ34%。その他25%だとして、この場合ニッポン放送は誰のために利益追求しなければいけないかも明白です。
あなたは「ライブドア=悪」の立場で物事を考えていますが、
あなたがライブドアの立場であったとしてもニッポン放送取締役会の行動に理解を示せますか?
およその答えは前の返信の中にありますので以下手短に。
【取締役は株主を選べないか】
総株主の利益の為なら、言い換えれば総株主の信任に基づき《一定の範囲内》で選ぶことが出来ます。今回はその《一定の範囲》にあたるかを議論することが有益かと思いますが。もちろん、それを議論する時に『会社は株主のもの』ということが指導原理になることは論を俟ちませんが、今回わたしが指摘したこととこのことは矛盾しませんよ。理論的にもそうですが、最大の理由は、【事件は点ではなく時系列で考えるべきもの】だからです。
それと、「んれか」さんはわたしの引用中自分に都合のいいところだけが全てと言い切っているように思えますが如何。
【ライブドア41%フジ34%その他25%】
取締役は当然《総株主》の利益のために行動しなければなりません。
あたかも、政府が与党のためでなく最大野党のためでもなく支持してくれる国民のためでもなく支持してくれない国民のためでもなく《総国民》のために行動するのと同じです。
【ライブドアの立場だったら…】
わたしがライブドアの立場になることはないですよ。だってそういう流儀はわたしの好むところではないから。そういうわけで、朝起きてみたら自分が堀江氏になっていたと仮定してお答えしますね。
で、どう思うかと言うと、「してやられた」、と思うだけでしょうね。もちろん、破産するのは嫌だけど、だからといって「商法違反だ!」といった法匪の理屈は、わたしのなけなしの「美学」が多分許さない…はずということにしておきましょう。浪花節と言われようと何と言われようと、その時、日本流の「滅びの美学」を選ぶ自分がいてくれることを願いますね。
国会が国民を選べないように、取締役会は株主を選べません。
いいえ、都合のいいところだけを言い切っているのではなく、
その引用がすべてです。あなたはそれに対して、自分の解釈のいいように、
「例外」を付け加えようとしているのです。
「総国民」のために行動することは不可能です。
ならば数の論理で行動するしかないではないですか。
それが良くも悪くも民主主義・資本主義で、
日本は民主主義。資本主義国家です。
結局あなたは「美学」で考えているのであって、
美しくない行動は正しい行動でも認めないんですね。
ライブドアを批判する人はみんなそうでバカみたいです。
あなたが好きかどうか話し合ってもしょうがないですよね?
って、ねぇ…
私がライブドアの立場だったらって話を振ったのは「んれか」さんなのであってですねぇ…
それと、【正義】と同様【正しい】という言葉を不用意に使うのはいかがなものかと思いますよ。視野狭窄に陥りますから。人知は有限です。自分の中の【内なる常識】の対話をもっとなされることを希望し願う次第です。
それと関連しますが、物事何であれ《一定の範囲》の探求を飛び越えて一気にあなたの言うところの【正しい】結論がでるなら人類は苦労しませんよ。人知が有限であればこそ試行錯誤を繰り返し、その果てに何とか【正しい】《らしい》知恵にたどり着くんではないではないのでしょうかね。すくなくとも私はそう思いますけど。
それとも関連するのですが、ブログにも紹介した
『制度の不備を突かれたら唯々諾々とそれに従えとは【法匪の理屈】』
について、「んれか」さんはいかがお考えになりますか?
「正しいこと」は好む好まざるに関係なく正しいことです。
また、おっしゃるとおり、「一般には」何が「正しい」のか、は個々の問題ですが、
この場合は法治国家日本における商法が絶対的に正しいのです。
あなたは正しい商法に自分の都合のいい例外を作り、
それを一定の範囲という言葉に置き換えているだけです。
もちろん商法が正しいか正しくないかの問題は別です。
いまの商法は不備があるかも知れません。
それを将来において改善することもあるでしょう。
しかし、今、商法には不備があるからライブドアのやり方は違法ね。
なんて言うのは、もう、無茶苦茶ですよね?
「んれか」さんは商法は解釈の余地のない法と言っているように聞こえますがそうお考えなのでしょうか?
それともご自分の解釈が絶対だとでもおっしゃるのでしょうか?
今回の件は商法に不備があるのではなく証券取引法および東証の規則に不備があるということです
その不備が裁判において商法の解釈に影響を及ぼすことはないとはいえないでしょう
裁判所における法の解釈は具体的事件において妥当な解決を図るという目的のためになされるという側面がありますからね
それとライブドアのやり方が違法だとわたしは言ったことはありません
他人の発言をしっかり読んでから返信してくださることを切望します