劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

マリ・クレール3月号

2009-01-28 02:43:14 | 執筆
『マリ・クレール』3月号(アシェット婦人画報社)
 

p.174ステージ欄で、ミュージカル『マルグリット』のご紹介をしています。

それにしてもこの号の特集、私は関わっていませんがいつにも増して充実。

プラネット・ウーマンの理想像として、緒方貞子からアウン・サン・スー・チー、
マドンナ、ミッシェル・オバマ、メリンダ・ゲイツ、ラニア王妃・・・と
 実に幅広い職種・立場の100人を紹介しています。

それから、50年代からの年代別ファッションを追うアーカイヴも、
個人的にとっても好み。ご一読あれ。

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躍動感あふれるジンガロ最新作『バトゥータ』の興奮

2009-01-24 03:14:48 | 観劇
騎馬スペクタクル「ZINGARO(ジンガロ)」の
最新作『BATTUTA(バトゥータ)』のプレビュー公演を観た。
ジンガロは、パリ郊外を拠点に、馬と人が共同生活をしながら、
主宰者バルタバスの創作世界を具現化し、世界各国を回るパフォーマンス集団だ。


(c)Antoine Poupel

ルーマニアの二つのロマの楽団が婚礼や葬式で用いる曲を奏でる中、
ジンガロのメンバーたちがならず者風の出で立ちで、
馬とともに次から次へとアクロバティックな技を披露。
かと思えば花嫁姿の女性が馬に乗り、
白く長いヴェールをたなびかせて悠々と場内を巡る。
終盤近くには、ガルシア・マルケスばりにぶっ飛んだファンタジックな情景も。

ありがたいことに最前列に座らせていただき、
疾走する人馬から乱れ飛ぶ砂・水・その他いろいろをばっちり浴びながら、
この作品のスリリングな魅力を存分に味わった。

美しい馬と人が目前をものすごいスピードで駆け抜け、
ふとした拍子に馬がフェンス近くを蹴れば、それが即、地響きとなって伝わる、
興奮、陶酔、狂騒、混沌・・・の90分。
そこには猥雑さと洗練が、絶妙なバランスで両立していた。
パフォーマーたちの、挑戦的で刹那的で自信と生気に満ちた姿も印象的。

ジンガロ自体はロマの集団ではないそうだが、
主宰のバルタバスは今回、ロマの世界を表現したと明言している。
ロマの人々にとって重要なのは、過去でも未来でもなく“今”。
生死も善悪も清濁もすべて飲み込み、全身全霊で瞬間を生きる強さが、
彼らの輝きの源泉であり、この舞台の魅力の大きな理由なのかも知れない。



(↑左方からのライトによってお見苦しい写真になってしまったが、
会場内の壁にはHERMESの特別協賛を示すチャーミングなロゴが)。

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新潟は今日も雪、ではなかった

2009-01-22 00:05:07 | 執筆


数日前、取材で新潟のりゅーとぴあへ。
この劇場を訪れるのは二度目。とてもきれいで立派な建物だ。

大吹雪で非常に寒いと聞いていたのだが、新潟駅に到着したら「あれ!?」

すっきりと晴れていて雪もほとんどない。
聞けば前日までは大荒れで、翌日も雨の予報なのに、
この日だけ中休み的に晴れたのだとか。

雪景色を期待してはいたものの、
「運がいいですよ!」と言われれば悪い気もせず、

取材後は夕暮れ時の日本海や↓


脂の乗ったのど黒や↓


可愛い絵柄のカプチーノ↓など堪能し、


ちょっとした旅行気分に!!

なお、この取材の原稿は2月末ごろ、
劇場の広報誌である「りゅーとぴあマガジン」に掲載されます。

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音楽の友2月号

2009-01-20 00:00:01 | 執筆
『音楽の友』2月号(音楽之友社)

ダンス紹介連載 ~ハンブルク・バレエ『人魚姫』『椿姫』、Kバレエカンパニー『ピーター・ラビットと仲間たち』『放蕩息子』、カンパニー・マリー・シュイナール『オルフェウス&エウリディケ』~

それぞれの概要と見どころをご紹介しています。
どれも個性的で充実した作品ぞろいです。

2~3月はダンス公演が目白押しですよ!  


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空気の色を変える長台詞

2009-01-19 03:09:26 | 観劇
アメリカの新しい大統領の演説が、大いに話題になっている。
聴衆は語り手の口から出る一言一句を聞き漏らすまいと、
静まり返り、引き込まれ、やがて興奮と感動の渦へと巻き込まれる――。

芝居における長台詞も、ときに演説と似たような作用をもたらす。
俳優の言葉に、場内の空気の色がみるみる変わっていくのだ。
そんな瞬間を最近、2回ほど、目の当たりにした。



まずは新橋演舞場で『封印切(恋飛脚大和往来)』の八右衛門を演じた猿弥。
原作とも言うべき近松門左衛門の浄瑠璃『冥途の飛脚』では
女郎に入れ上げる忠兵衛を心配し、敢えて憎まれ役を演じる八右衛門だが、
歌舞伎では通常、忠兵衛に対して悪意を持った人物として描かれる。

今回、その八右衛門を猿弥が演じると知って、
彼の持ち前の愛嬌がどう働くかと気になっていたが、いざ観ると、
語っていくうちに自分の言葉に勢いづき、
興が乗って止まらなくなるといった様子で忠兵衛を追いつめる、
ハイテンションで憎々しい八右衛門がそこにいた。

しかもその悪態や挑発がもう、舌を巻く見事な台詞回し。
この人はきっと落語をやっても巧いのだろうと思うほど、言葉で情景が浮かぶ。
そんな八右衛門の存在あってこそ、忠兵衛の口惜しさが痛いほど伝わってきた。
気がつけば会場中の空気が引き締まり、
コトの成り行きを、固唾を呑んで見守っていたように思う。



もう一作は彩の国さいたま芸術劇場の『冬物語』でハーマイオニを演じた田中裕子。
貞淑なハーマイオニは突然、夫から浮気の嫌疑をかけられ、
裁判にまで出廷させられる。

その裁判で彼女が自身の潔白を訴える長台詞があるわけだが、
この人の台詞のテンポは独特で、一本調子にも聞こえそうなものなのに、
抑制の効いた演技の中に実は豊かな色彩が息づいており、
深いドラマを滲み出していったのはさすが。

この時の田中裕子は哀しみを湛えた、神々しいまでの硬質な美しさを放っていて、
清新な空気が漂った。ひたすら観惚れ、聴き惚れてしまった。

       
               ***

もちろんこうした演技は、演説それ自体とは全く別のものだし、
ごく一部が表層的な意味で似ているというだけのことかもしれない。
でも、演説と同様に、人の心を動かし、時に人生を変える力すら、
舞台にはあるのだと私は確信している。

※ここではあくまで長台詞ということにしぼったが、大活躍した海老蔵の『すし屋(義経千本桜)』『弁天小僧』や、まだこれからだが上方の芝居を徐々に身につけつつある獅童、あるいは『冬物語』で夫レオンティーズを鮮やかに演じた唐沢寿明はじめ、六平直政や藤田弓子の味わい深さ・・・などなど、他にも特筆すべき点多数。それについては機会があれば、また。

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市政1月号

2009-01-18 01:39:03 | 執筆
『市政』vol.58(全国市長会)

 ヴァイオリニスト・川井郁子インタビュー

巻頭コーナー「人」欄にて、
ヴァイオリニスト・川井郁子さんのこれまでの人生と今後の夢、
そして故郷への思いを取材し、ご紹介しています。



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ビバ焼肉!

2009-01-17 09:47:16 | その他
無類の焼肉好きの私。
公演と公演の間にすら行ってしまうよ。

ただ、そうすると時間があまりないのね。
で、あわてて撮影しつつ焼きつつ食べつつしたので、
写真の出来には自分でも納得してませんが~。



ここのレバ刺しは早い時間だと桃色にも似た紅色。
その色合いは写真に写せなかったけど。



「焼肉ブログになるだろう」という友人の予言が着々と現実になっている・・・。

追記:焼肉臭対策には万全を期しましたゆえ、
  近隣の客席にご迷惑はかけておりませぬー。

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新参さん

2009-01-13 00:03:03 | その他
今年最初の地方出張が決まったので、前々からほしかったミニパソコンを購入。

コンパクトで軽くて4万円未満! やったね! 
これで、移動中や、公演と公演の合間にもお仕事ができるというもの。

うーん、それにしても、きみはなんて小さいんだ!!
というわけで、これまでも使っていたMacと比較してみる。
ピンボケだけど。




これでメイン=Mac、サブ=Windowsの両刀使いがいよいよ本格化する。
メインもサブも、頼りにしてるから、どうか長生きしておくれ。

ちなみに今日は新しい炊飯器も届いた。
昨年末に壊れて以来、鍋で炊いていたけれど、ちょっと手間がかかるので買うことに。

でもって、さしたる意味もなく再び比較(笑)。
炊飯器にシールついたままだけど。



やっぱり小さいね☆

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文芸大作のバレエ化

2009-01-12 16:03:29 | 観劇
ストーリーのある文芸大作のバレエ化には、大きな困難を伴う。
作家が膨大な紙面を費やし、言葉を尽くして語った情景や人物の心理、エピソードを、
一定の時間内、限られた条件下で表現しなければならないからだ。

そんなの当たり前だ、バレエだけでなく芝居化も映像化も同じだ、と言われるに違いない。
しかし、やはり大きいのは、バレエには言葉がないことだろう。
正確には言葉があってもかまわないが、それは通常、バレエそのものとは見なされない。
基本的に、説明は出演者の動きでなされ、補足的に装置や衣裳・小道具が機能するのみ。
そしてバレエにおける動きとは、体系化されたバレエ・クラシックであり、
合理的に作られているが、いや、だからこそ、流れはある程度決まってしまう。
例えばこのメソッドに反した不自然な方向には通常、動くことができないし、
複数の事柄を踊りで一気に説明するのはかなり難しいといった具合に。

では、バレエではどのように物語を進行するのか。
多くの場合、いわゆる踊りのほかに、演技やマイムで補う。
しかし、演技・マイムの部分が多過ぎると、動きを見る本来的な楽しみを損ないかねない。
実際、スペインが生んだ世界的な振付家ナチョ・ドゥアトに、
シェイクスピア原作『ロミオとジュリエット』の舞踊化についてインタビューした際、
「先行する振付作品の多くが踊りとマイムのパートを乖離させてしまっているので、
自分はすべてが一体となって“踊り”として進行するよう心がけた」と語っていた。
これまで多くの振付家が、踊りにおける説明に腐心してきたと言えるのかもしれない。

そんなことを考えながら、法村友井バレエ団が上演したバレエ『アンナ・カレーニナ』を観た。
新国立劇場の地域招聘公演として実現したものだ。



この種のバレエとしてはコンパクトにうまくまとめられているほうだと思うが、
それでも、やはり説明的な演技や場面転換が多くなり、踊りに集中しにくい箇所があった。

この作品は振付家アンドレ・プロコフスキー(1939ー )が79年、
オーストラリア・バレエに振り付けたもの。
汽車の装置が勢いよく登場するなど趣向が凝らされており、
当時としては斬新だったのかもしれない。
主要人物のほか、群舞の踊りもふんだんに盛り込まれており、見応えがある。
日本でも日本バレエ協会が上演しているが、
今回は単独のバレエ団としての上演(バレエ団初演は06年)。
層が厚くなければできない舞台を、しっかりかたちにしていた。

目をひいたのはアンナとウロンスキー伯爵が恋に落ちる場面。
アンナはウロンスキーと手を引っ張り合うようにつないでバランスを取りながら、
何度も片脚を高く上げ、身をのけぞらせる。
妖艶であり、また、ぎりぎりの均衡の上にいるアンナ自身ともだぶった。
こうした独創的な動きがもっと随所で効果的に発展されていたら、
より印象的な作品になったのではないだろうか。
恋にのめり込むアンナとウロンスキーそれぞれのソロ、そしてそれらが
デュエットへ結びつくさまには、求心力があり、引き込まれた。

残念だったのは、アンナという女性の特別な魅力や、その心理の流れが、
振付として、充然には描き出されていなかったことだ。
話の概略はわかりやすくまとめられているのだが、
言ってみればその奥にある本質的なものが、もうひとつ伝わらなかった。
原作のどこをどう舞踊化するか。これは冒頭から述べている通り、極めて高いハードルだろう。
アンナを演じた法村珠里は、表情豊かな手足と柔軟な身体(とくに上半身)を持つ
チャーミングなダンサーだったのだが。
ウロンスキー役を踊ったのはヤロスラフ・サレンコ(NBAバレエ団)。
特別な超絶技巧などはなかったが、スマートな身のこなしだった。

ちなみにチャイコフスキーの幾つかの曲を編曲して用いているのだが、ほかはともかくとして、
バレエ曲が流れると別のバレエが脳内にちらついてしまい、個人的には閉口した。

と、あれこれ書いたが、バレエ団全体の意気込み、熱気のようなものを
舞台から大いに感じ取ることができた。
客席には関係者とおぼしき人も多く、カーテンコールにはプロコフスキーも姿を見せ、
ほのぼのとした温かい空気が会場全体を包んでいた。


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浅草歌舞伎&大吉のありがたみのほど

2009-01-07 21:13:44 | 観劇


新春浅草歌舞伎で今年の初観劇。
第1部・第2部を通して観る。

1部と2部の間には浅草寺へお参りに。平日とは思えぬ大賑わい。
初詣で生まれて初めて「大吉」を引いたばかりなので、おみくじはもう引かず。

しかし大吉ってすごい。過日のくじいわく「争事は思うがままに勝つ」。
今のところ特に争いたい事柄もないけど、
もし争うならそりゃあ勝ったほうがいいですよ、ハイ。

人生初の大吉を得て歓喜する私に友人が
「大吉ばかり出す神社も多いよ」としたり顔でご注進(!?)。
聞かなかったことにする。



で、浅草歌舞伎(以下、ネタばれかもなのでご注意を)。

第1部、まずは年始挨拶で中村七之助が兄・勘太郎の熱愛報道に言及し、
場内をひとしきり沸かせた後、『一條大蔵譚』。
平家の下で密かに源氏方に心を寄せ、「阿呆」を装う一條大蔵卿役に市川亀治郎。
阿呆ぶりが実に愛らしいのに加えて殿らしい風格も漂い、とても魅力的だ。
さらに、亀治郎自身が知的な雰囲気の持ち主であるため、
本物の阿呆ではなくあくまで「作り阿呆」であることも違和感なく伝わってくる。
欲を言えば、もっと複雑な陰影のようなものも見たい。
思うにこの役、阿呆と正気の二面を演じ分けるのみならず、
その狭間の微細な表情、感情の機微を表してこそ、いよいよ面白くなるのではないだろうか。

続いて『土蜘』。
キリリとした涼やかな気品ある尾上松也の源頼光を、
勘太郎演じる僧智籌実は土蜘の精が狙う。
底知れぬ闇を感じさせる僧智籌といい、本性を現した土蜘の精といい、
若手とは思えぬ重みにあふれた堂々たる演技だった。




第2部の年始挨拶は市川男女蔵。これまた勘太郎熱愛ネタに触れた後、
観客に自身の愛称「オメ」を唱和させていた。
そして長谷川伸作『一本刀土俵入』。
この作品には、これまで何度か、文字通り泣かされている。
泣くのは駒形茂兵衛がお蔦を助けるラストではなく、茂兵衛とお蔦の初対面。
2人が重ねる会話の味わい、そしてお蔦が茂兵衛に金から櫛かんざしまで与える、
その行為というより“たたずまい”に、涙が出るのである。
今回、勘太郎は父・勘三郎の名演を想起させるおっとりとした茂兵衛を好演し、
亀治郎はうらぶれた店の、捨て鉢なようで気だてのいい酌婦・お蔦を表現。
両者とも熱演だったが、涙は出なかった。

亀治郎のお蔦は例えば櫛かんざしを、
「酔っちゃったから、あれもこれもあげちゃう!」とばかり、浮き浮きと茂兵衛に渡す。
確かに、酔ってハイになり、他人に物をあげたがる人は現実にいるので、
リアリティはある。客席からは共感にも似た笑いが起きていた。
また、相撲取りとして出直そうとしている茂兵衛に対して亀治郎のお蔦は
「土俵入り」という言葉を声高く、強調して言った。
タイトルにまでなるほどに重要な、ラストへの伏線だから、気持ちはわかる。

しかし、私はこの作品のこの場面には、さりげなくにじみ出る情を求めたい。
お蔦は酔った勢いではなく、また、自己犠牲的な慈善の精神からでもなく、
情にほだされれば気まぐれのようになけなしの金もやってしまう、
そういう気っ風の女なのだ。
お蔦の「土俵入り」のくだりも、できればさらりと言ってほしい。
女がさして深い考えもなく口にした言葉を男が愚直に受け止め、
勝手にいつまでも胸に刻む。それこそ作者・長谷川伸の世界なのだから。

幼いころに母親を亡くした長谷川伸は、
永遠の母とも言うべき女性を求め、作品の中に描き続けた。
だから私はその女性像に、究極的にはリアルを求めない。
男女の古風なフィクションが成立していれば、それでいいと考える。
もっとも、『一本刀~』で作者は、
お蔦が茂兵衛のあがめるような聖女でないことも明示しており、
その辺りの男女の認識のズレは、亀治郎の演技でクリアになったのだけれども。

亀治郎の役柄の解釈それ自体は筋が通っている。
しかし観客というのはわがままなもので、斬新な解釈も大好きなくせに、
作品によっては自身の思い入れの通りに演じてほしいと考えてしまうのだ。
たとえば同じワーグナーのオペラでも、私にとって“指環四部作”は前者で、
『トリスタンとイゾルデ』は後者、つまり思い入れを壊したくない部類に当たる。

なお、勘太郎演じる茂兵衛が、横綱になれず一本刀=渡世人になってからの、
目を見張るような立派な男ぶりも特筆しておきたい。
10年の間に茂兵衛に何が起きたのか、たいそう気になるところだ。


第2部最後は七之助の『京鹿子娘道成寺』。
早替わりも含め、キビキビとテンポよく踊る、愛らしい花子だった。
気がつけばこれまでさまざまな名手の踊りを観てきたが、
今回は時分の花の美しい姿にすっかり見惚れてしまった。
次回はさらに踊りとして練り込んだものにしてほしい。

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